「教育とは何か?」について考察する第三回です。今回は、「何のための教育か?」という『教育の目的』について考えてみたいと思います。
教育が個人の能力開発に役立つものでなければならないのはもちろんですが、最終的な教育の目的について考えると、やはり、長い目で見て、その地域、民族、国家、人類の繁栄に寄与するものでなければならないのは当然です。
歴史上の地域や民族の興亡の歴史を考えると、シュペングラーやトインビーが言うように、ある特定の民族には、固有の文化的な発展エネルギーのようなものがあって、そのエネルギーが強い地域や民族が繁栄する一方で、エネルギーの弱い地域や民族は、相対的に劣勢となるようです。
また、この文化的エネルギーを使い果たした地域や民族は、二度と歴史の舞台で活躍することなく衰微していくのが一般的です。現在のギリシャ地域や中東、アフリカ大陸、モンゴル民族や満州族、マヤ族やインカ族などがそうです。
それにしても、実際のところ、彼らが衰退した原因は何なのでしょう。エネルギーが枯渇したことが原因だとするなら、この文化的エネルギーというのは、より具体的に考えると、どういうものなのか、さらに深く考えてみたいと思います。


例えば、古代ギリシアの都市国家アテネの文化的エネルギーは、紀元前5世紀のペリクレス時代に頂点を迎えた後、急速に衰えていき、二度と復活することはありませんでした。その後、ギリシャ地域は隣国マケドニアのパワーを借りて、地中海からインド西域のガンダーラ地方まで広がるヘレニズム国家群を生み出しますが、これもやがて衰微し、紀元前1世紀までには、カルタゴやプトレマイオス朝などのヘレニズム勢力は、新興のローマによって地中海世界の覇権を奪われることになります。
中国の場合も、その全盛期は、春秋時代の紀元前6世紀頃から秦・漢の頃までのおよそ800年間であり、紀元後3世紀以降の六朝時代には、中国北部は遊牧民族に支配され、漢民族の文化的エネルギーは徐々に衰えていきます。その後、7世紀から繁栄した唐の発展の勢いは、むしろ、西域の遊牧民のパワーを借りたもので、漢民族自体の活力は、すでに衰退期に入っていたと考えられます。さらに、最後の文化爛熟期である宋の時代を過ぎると、それ以降は、モンゴル族、満州族などの北方遊牧民族のエネルギーを、まるで吸血鬼か蟻地獄のように吸収しながら、衰退傾向にある漢民族の活力を曲がりなりにも持続させてきたのです。
逆に、中国を支配しようとして、ミイラ取りがミイラになった例は、遼や元や清の他にも、チベット族やウイグル人など、枚挙にいとまがありません。中国を侵略しながら、中国に飲み込まれず、力を失うこともなかったのは日本だけではないでしょうか。そういう意味では、他民族のエネルギーを奪う術にかけては、漢民族の右に出る民族はありません。一帯一路も、中国へ養分を運ぶ動脈と考えるとわかりやすいでしょう。

ともかく、民族のエネルギーが一旦枯渇してしまったならば、他の民族のエネルギーを奪う以外に生き残る道はないのです。さもなければ、その地域の文明は緩慢な死に向かうよりほかありません。
ところが、一度、衰退した地域・民族が、再び華々しく人類史の主人公になるという復活劇を見せた先例が、一つだけあります。それが〝中東〟です。
メソポタミア文明、エジプト文明を興隆させ、文明のふるさと(オリエント)として繁栄した中東地域が、すでに衰退期に入っていたにもかかわらず、7世紀に突如、爆発的なエネルギーを生み出し得たのは、ムハンマドによってイスラム教共同体がつくられたことによります。宗教的共同体による人間精神と社会の根本的変革が、衰退期に入っていた古い地域に、巨大なエネルギーを新たにもたらしたのです。そして、ムハンマドの後継者たちは、巨大なイスラム帝国を建設しました。
しかし、8世紀から16世紀にかけて、1000年近く、他地域を凌駕する圧倒的な勢力を保ち、科学技術や学問の進んだ先進地域であり続けたイスラム世界も、17世紀以降は衰えが目立ち始め、19・20世紀には完全に凋落してしまい、西欧列強諸国に蹂躙される奴隷地帯となり果てて、現在に至ります。
今のところ、この地域の未来は、まったく希望のないものです。近い将来、二度目の復活は起こりそうもありません。

さて、紀元前5世紀、都市国家アテネの最盛期にに翳りが見えてきた時、ソクラテスが警鐘を鳴らしたのは、何よりも市民の間で自然な生き生きとした信仰心が消え失せていることに対してでした。それは、パスカルやドストエフスキーやヒルティーが抱いた危機感と同質のものでした。その意味で、ソクラテスの抱いた危機感は、極めて現代的なものであったと言えるでしょう。
ソクラテスは神々に対して、独自の揺るぎない信仰心を持っていました。そして、アテネの若者たちの心に真摯に語りかけ、問答を通して諭した結果、「若者を変な宗教に洗脳しようとしている」と非難され、死刑を宣告されることになります。
けれども、このソクラテスの哲学が、後々、ヘレニズム時代以降に、ギリシャ的精神文化を世界に広める原動力となります。ソクラテスの生き方を記したクセノフォーンの著作「ソクラテスの思い出」を船の上で読んで、いたく感銘を受けたゼノンという船乗りが「こういう人とどこへ行けば会える?」と尋ね、アテネに赴き、やがて、ストア派哲学の創始者となったというエピソードは有名です。
さらにローマは、このギリシャの精神文化を継承し、偉大な帝国を築きましたが、やはり、紀元2世紀には、伝統的信仰の危機を迎えました。この信仰の危機の時代に雄々しく立ち向かい、討ち死にしたのが、五賢帝の最後の皇帝にあたるマルクス・アウレリウス・アントニヌスです。彼は、一哲学者としてストア派の生き方を貫ぬき、帝国を支えるために、自分の人生のすべてを犠牲にしたことから、後世、哲人皇帝と呼ばれました。
しかし、その死後、帝国は衰退期に入り、ヘレニズムを継承したローマの知的で自由な精神文化は、4世紀以降、キリスト教によって邪教として徹底的に弾圧され、破壊され、滅ぼされることになります。ギリシャ古典の羊皮紙の書物も、皆、文字を削り取られ、その上に聖書が記されました。
これにより、ギリシャの民族的エネルギーは、完全に潰えたのです。

紀元前5世紀の春秋時代に、孔子が「民、信なくんば立たず」と述べたのも、民族のエネルギーの根源を〝信〟に求めていたからです。
信とは信頼を意味します。運命への信頼、他者への信頼、自己への信頼が、民族の文化的エネルギーの土台となります。そして、真の信頼は信仰から生じるのです。信仰といっても、特定の宗教の信者であるということを言っているわけではありません。もっと自然な内発的な信仰心というのでしょうか。人への信頼、社会への信頼、運命への信頼の柱となるものです。
この〝信〟がなければ、世の中は「万人の万人に対するむき出しの権力闘争」の場になるよりほかないのです。この場合の〝権力闘争〟を、もっとわかりやすい言葉で言えば、「他者を支配しようとする者同士のサバイバル闘争」と言うことができるでしょう。
孔子は、このような闘争状態は、人々の心に深く他者を思いやる「仁」の心がないことから生じると考えました。
仁とは、今の言葉で言うなら「愛情」ということだと思います。現代の教育に、もっとも欠けているものです。
おそらく、現代の教育の現場で生じている強制と支配は、そうした「万人の万人に対するハダカの権力闘争」の一つです。強い者が弱い者を叩く連鎖というかたちではありますが。
現代の親子関係で生じている相互疎外感の根本的原因も、この闘争にあります。ハリネズミのジレンマのかたちをとることが多いようですが。
そして、どんな言葉をもってしても、「でも、やっぱり、世の中は、お金と学歴で決まるんだよね」という意識に、人々は支配されています。その根深い差別意識と社会への不信感が、人間の生命エネルギーを消耗させるのです。

日本の場合には、特に昭和40年代以降(1965〜)、この生命力の消耗が、非常に激しいように思います。そして、民族の活力を奪っているのです。その点については、少し遡って考えてみましょう。
日本は、太平洋戦争において、中国大陸への侵略を、アメリカによって阻止され、決定的な敗北を喫しました。日本が、この挫折の泥沼から復活できたのは、一つには、まだ頂点を極めていなかった日本文明のエネルギーが、完全に尽きてはいなかったことがあります。けれども、同時に、当時、世界のGNPの半分を占める超大国アメリカの無尽蔵の文化的パワーの恩恵を受けたおかげでもあります。当時、超大国アメリカの文化的エネルギーは絶頂期にあったのです。
アメリカは、すでに1920年代に、その繁栄の頂点を迎えていました。日本の大正末期から昭和初期にかけての頃です。「黄金の20年代」と呼ばれたこの時期に、現在まで続くアメリカ文化のほとんどが整いました。
家庭では電気冷蔵庫や電気洗濯機が普及し、街にはT型フォード(1923年には200万台生産)が走り、ラジオからはジャズが流れ、映画館ではチャップリンの映画(「キッド(1921)」「黄金狂時代(1925)」など)が上映され、スタジアムではベーブルースのホームランに人々は酔いしれました。子どもたちはディズニーのミッキーマウスに夢中でした。貧困は片隅に追いやられ、誰もが億万長者になる夢を見られる時代でした。さらに、リンドバーグが大西洋横断単独飛行に成功(1927)し、ニューヨークでは摩天楼の代名詞であるエンパイア・ステート・ビルディングが着工(1929)しました。フーヴァー大統領の「永遠の繁栄」という演説も有名です。
その後も、1929年の世界恐慌、1939年からの第二次世界大戦という荒波を乗り越えて、1950年代まで、その最盛期の文化的エネルギーを維持しました。この全盛期のアメリカと、4年に及ぶ太平洋戦争を戦ったのですから、日本が徹底的に打ちのめされ、焦土と化したのも、無理はありません。
そして、この世界大戦後、1950年代は、やはり「黄金の50年代」と呼ばれ、アメリカが空前の繁栄ぶりを世界に見せていた時代です。GDPは世界の50%を占め、街にはキャデラックが走り、家庭にはテレビが登場し、エルビス・プレスリー(Love me tender 1956)やパット・ブーン(love letters in the sand 1957)の音楽がヒットし、ジェームズ・ディーン(エデンの東/理由なき反抗 1955)やマリリン・モンロー(7年目の浮気 1955/バス停留所 1956/お熱いのがお好き 1959)が銀幕のスターでした。カリフォルニア州ロサンゼルスには、1955年に最初のディズニー・ランドがつくられました。1959年には、テレビ・ドラマ「ララミー牧場」「ローハイド」が始まりました。
世界中がアメリカに憧れ、アメリカを目指しました。アメリカ自体、余裕があって懐の深い時期でした。この時期(1920〜50年代)の太っ腹なアメリカに占領された(1945〜51年)ことは、日本にとって幸運だったと言えるでしょう。
その後、1960年代からアメリカの文化的パワーに衰退期の翳りが現れ始めます。最初は、ケネディ大統領暗殺、そして、ベトナム戦争の泥沼化というかたちで、その衰退の兆候が現れ、1970年代に入ると、ベトナム戦争の敗北とドル・ショックによって、衰退期への移行が決定的となります。以来、アメリカは、半世紀以上にわたって、徐々に衰退し続けています。
それでも、60年代、70年代のアメリカは、現在に比べると、まだまだ元気でした。世界はまだ、アメリカの輝きに魅了されていました。テレビもカラーの時代になり、「奥さまは魔女(1964)」「スタートレック(1966)」「刑事コロンボ(1968)」といったテレビドラマが世界中に輸出され、放映されていました。
現在のアメリカを訪れると、比べてみて、アメリカが最後の輝きを放っていた1970年代初頭の頃の方が、ずっと社会も人間も落ち着いていたし、貧困も少なく、都市の印象も明るかったように思います。1980年代初頭の頃でも、全体として、アメリカ社会に、今よりはるかに気持ちの良い明るい雰囲気があった気がします。
今は、当時と比べて、都市の設備や外観、人々のファッションなど、50年前と何も変わっていないのですけれど、ただただ古びて寂れてしまったような印象があります。一方で、移民は増え続け、都会で働いているのは移民ばかりです。人口2億5000万人の国が、1億人の移民を受け入れるとこうなるという見本です。ホームレスの数も異常に増えています。アメリカも、落ちぶれたものです。
ところが、中国は、ここ40年以上にわたって、アメリカと日本からパワーを吸収し続けてきました。トランプ大統領の登場による米中の対立は、往年の余裕を無くしたアメリカが、「もう中国にエネルギーを吸わせない」と、もがいているようにも見えます。

その一方で、日本の文化的エネルギーは、米ソに続いてGDP世界第3位となりつつあった1960年代前半に、一つの頂点を迎えます。この時期は、高度成長期の前半でもあり、昭和レトロブームで人気の高い昭和30年代の後半に当たります。
そして、戦後日本の繁栄の最初の頂点は、1964(昭和39)年の東京オリンピックでしょう。その後、日本は1968年に、西ドイツを超えて、西側第2位の経済規模を持つ国家となりましたが、1964年を境に、日本の文化的エネルギーは微妙に、しかし、決定的に変質していきます。無節操で手当たり次第の無慈悲な開発によって、激しい環境破壊が表面化し、四大公害病に代表される公害裁判が起こったのも、1960年代後半のこの頃です
つまり、昭和30年代と40年代では、エネルギーの質が、まったく異なるものとなったのです。陽から陰へ、というのでしょうか。アニメで言うなら、1963(昭和38)年放送開始の鉄腕アトム(*)、鉄人28号(**)に代表される明るい陽の世界から、1968(昭和43)年放送開始の妖怪人間ベム(***)、翌69(昭和44)年放送開始のタイガーマスク(****)、さらに翌70(昭和45)年のあしたのジョーやみなしごハッチ(*****)などに代表される悲劇的な陰の世界へ、という感じです。
歌謡曲で言うなら、昭和30年代の代表的な44曲を挙げると次のようになります。
「女船頭唄(三橋美智也/昭和30年)」
「ガード下の靴磨き(宮城まり子/昭和30年)」
「別れの一本杉(春日八郎/昭和30年)」
「母恋吹雪(三橋美智也/昭和31年)」
「ここに幸あり(大津美子/昭和31年)」
「りんご村から(三橋美智也/昭和31年)」
「波止場だよ、お父っつあん(美空ひばり/昭和31年)」
「東京だよおっ母さん(島倉千代子/昭和32年)」
「チャンチキおけさ(三波春夫/昭和32年)」
「おさげと花と地蔵さんと(三橋美智也/昭和32年)」
「有楽町で逢いましょう(フランク永井/昭和32年)」
「山の吊り橋(春日八郎/昭和34年)」
「人生劇場(村田英雄/昭和34年)」
「東京ナイトクラブ(フランク永井&松尾和子/昭和34年)」
「情熱の花(ザ・ピーナッツ/昭和34年)」
「南国土佐を後にして(ペギー葉山/昭和34年)」
「アカシヤの雨がやむとき(西田佐知子/昭和35年」
「哀愁波止場(美空ひばり/昭和35年)」
「硝子のジョニー(アイ・ジョージ/昭和36年)」
「ハモニカ小僧(中山千夏/昭和36年)」
「銀座の恋の物語(石原裕次郎&牧村旬子/昭和36年)」
「ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹/昭和36年)」
「王将(村田英雄/昭和36年)」
「川は流れる(仲宗根美樹/昭和36年)」
「北帰行(小林旭/昭和36年)」
「上を向いて歩こう(坂本九/昭和36年)」
「出世街道(畠山みどり/昭和37年)」
「遠くへ行きたい(ジェリー藤尾/昭和37年)」
「赤いハンカチ(石原裕次郎/昭和37年)」
「下町の太陽(倍賞千恵子/昭和37年)」
「島育ち(田端義夫/昭和37年)」
「エリカの花散るとき(西田佐知子/昭和38年)」
「柔道一代(村田英雄/昭和38年)」
「恋のバカンス(ザ・ピーナッツ/昭和38年)」
「高校三年生(舟木一夫/昭和38年)」
「島のブルース(三沢あけみ/昭和38年)」
「見上げてごらん夜の星を(坂本九/昭和38年)」
「美しい十代(三田明/昭和38年)」
「学園広場(舟木一夫/昭和38年)」
「君だけを(西郷輝彦/昭和39年)」
「あゝ上野駅(井沢八郎/昭和39年)」
「東京の灯よいつまでも(新川二郎/昭和39年)」
「柔(美空ひばり/昭和39年)」
「学生時代(ペギー葉山/昭和39年)」
貧しくとも、切なくとも、夢と希望を持って、辛くとも歯を食いしばって、喜びも悲しみも皆んなで分かちあって、一生懸命生きていく。そういう価値観があったことがわかります。
そのため、日本人は、昭和30年代の貧しくともどこか牧歌的な雰囲気を懐かしむ傾向が根強く、例えば、昭和44(1969)年に放送開始した「サザエさん」の設定も、ちょうどこの頃になっています。また、同じく昭和44年に第1作がつくられた「フーテンの寅さん」こと「男はつらいよ」の映画シリーズや、昭和48(1973)年の設定で始まった「ちびまる子ちゃん(1990年放送開始)」も、どこかしら昭和30年代の日本を感じさせる懐古調の雰囲気を持っています。
内山節氏は、その著書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか?」の中で、「日本人は、昭和30年代までは、よく狸や狐に化かされていた」と述べています。ところが、昭和40(1965)年以降は、そういう報告は、ほとんどなくなったと言うのです。つまりは、狸や狐や物の怪の存在を信じる人がいなくなったということです。
近代合理主義に冒された科学的精神は、キツネにだまされたりしません。日本人がそうなったターニングポイントが、1965(昭和40)年だというのです。興味深い指摘です。これも、ある意味、信仰心の変質(喪失)ということなのかもしれません。
おそらく、「今の日本が失った大切なものが、そこ(昭和30年代)にあった」と、現在、多くの人が感じているはずです。
そういう意味では、日本の1960年代前半、あるいは「昭和30年代」は、日本が最も元気であった時代として、アメリカの「黄金の20年代」に通じるものがあるかもしれません。
それでも、日本の文化的なエネルギーは、質的な変容と、その反動や懐古を繰り返しながら、1960〜1980年代まで、二度の石油危機を乗り越えて、およそ30年間、その勢いを維持しました。そして、1987年には、ソ連を越して、GDP世界第2位となり、「経済大国」と呼ばれるまでになったのです。
おそらく、日本の1980年代は、アメリカの「黄金の50年代」に相当する文化的爛熟期の繁栄の時代と言えるかもしれません。
しかし、その後、1991年のバブル崩壊をきっかけに、日本は徐々に停滞期に入ります。その文化的エネルギーの衰微傾向は、1995年の阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件を経て、濃厚になっていき、現在も変わっていません。つまり、私たちは、今、民族として、国家としての最盛期を過ぎて、この30年間、緩慢な衰退を続けているのです。そして、2010年には、ついにGDP総額で中国に抜かれ、23年ぶりに世界2位の座を明け渡すことになりました。
それでも、日本の転落は、まだ、アメリカほど、はっきりと目に見えるものではありません。その衰退状況の進行程度は、まだ、それほど目立つものではなく、アメリカよりだいたい30年ほど遅れているからです。
具体的に言うと、
【停滞期】
アメリカ➡︎ニクソンショックの1971年〜2001年の同時多発テロまで
日本➡︎バブル崩壊の1991年〜2020(?)年の東京オリンピックまで
ということですね。
そして、アメリカが本格的な衰退期に入ったのは9.11のあった2001年以降で、イラク戦争、リーマン・ショックと続くわけですが、日本の場合も、2020年の東京オリンピックを境に、衰退期の坂を急速に転げ落ちることになるのではないか、と私は危惧しています。
現在のアメリカのように、貧富の差が拡大し、労働市場は外国人労働者であふれて、失業がますます増え、街にはホームレスが吹き溜まり、治安は悪化するかもしれません。また、国民の生きる意欲そのものが衰えて、無縁死や自殺や引きこもりが増え、無気力な若者が増え、精神病患者が増えて、殺伐とした社会になっていくかもしれません。しかも、国の規模の小ささから、その変化は、アメリカよりも急激かもしれません。


ルソーが「エミール」を著わした目的は、実社会の支配と被支配、差別と被差別の関係から子どもを護り、豊かな知性と深い教養を研鑽し、子どもの心に内発的な信仰心を育むことにありました。
『自然な内発的・自発的な信仰心無くして、民族・社会・国家・共同体の繁栄はありえない』と考えていたからです。その意味では、ルソーの教育論は、単に付け焼き刃の知識を与えるとか、道徳の押し付けや宗教的洗脳という面では、消極教育であっても、表面的でない内実的人格教育という面では、非常に積極的な教育であり、真の教養を身に付けさせるという面でも、深遠な教育であると言えるでしょう。
この国の教育の再生もまた、個人の生きるエネルギーを旺盛にすることを通して、大和民族の文化的エネルギーを復活させるものでなければ、何の意味もありません。

筑紫のきわみ、みちのおく
海山とおく、へだつとも
その真心は、へだてなく
ひとつに尽くせ、国のため

千島のおくも、沖縄も
八洲のうちの、守りなり
至らん国に、いさおしく
つとめよ、わがせ、つつがなく

卒業式の定番ソングだった「蛍の光」の3・4番の歌詞です。思うに、この歌詞を捨てた時から、日本はおかしくなったのではないでしょうか。

→「東ロボくんプロジェクトの挫折、中国の応試教育の失敗、フィンランドの読書教育」へ続く!!



*鉄腕アトム(1963)➡︎お茶の水博士が創った100万馬力の原子炉内蔵型ロボットであるアトムとウランが活躍する近未来SFアニメ。原子力エネルギー技術の発展に対する楽観的観測と、科学技術に対する揺るぎない信頼、未来への明るい希望がにじみ出ている手塚治虫作品。日本初の30分枠テレビアニメシリーズ。平均視聴率は30%を超えた。
**鉄人28号(1963)➡︎旧日本陸軍の秘密兵器で、ラジコン操作で自在に動く巨大ロボットである鉄人28号と、操縦する少年の活躍を描くSF。日本の巨大ロボットアニメのルーツと言える作品。扱う者が正義であれば、科学技術は〝善〟となるというメッセージがある。やはり、これも、科学技術の明るい未来を描いていると言える。横山光輝作品。
***妖怪人間ベム(1968)➡︎廃棄された実験室で偶然生まれた半人工生命体の怪物三人が、人間社会で正体を隠してさまよい、生き延びていく物語。たとえ正義をなしても、醜い正体を知られれば、忌み嫌われ、知らない場所へと逃げるしかない。本物の人間になる方法を探して、旅を続ける妖怪人間たちの姿を描いたアニメ。科学技術と人間社会の闇の部分を抉り出した異色の作品。
****タイガーマスク(1969)➡︎孤児として世間の残酷な差別を受けてきた少年伊達直人が、強さを求めて闇のプロレスラー養成施設に入る。そして、試合であらゆる反則を用いて相手選手を血の海に沈める凶悪な覆面レスラー、恐ろしいタイガーマスクとなって戻ってくる。タイガーの反則は、孤児の寂しさと差別を受けた生い立ちから、「強ければ、何をしても許される」という不平等で残酷な社会への復讐の意味を持つ。これも、陰鬱な作品。
*****みなしごハッチ(1970)➡︎卵の時にスズメバチに襲われて母親とはぐれたミツバチの子どもハッチが、本当の母親を探して旅を続ける物語。人間は、環境を破壊して、昆虫に死をもたらす無機質で凶悪な存在として描かれている。真っ暗な下水の中をさまよっていた虫たちが、通気口を発見して飛んでいくと、恐るべき光化学スモッグを吸って死んでいく、というような残虐なシーンが随所に見られる。


【参考資料】

●昭和20年代(1945〜54)の歌謡曲(18曲)
「リンゴの唄(並木路子/昭和21年)」
「東京の花売り娘(岡晴夫/昭和21年)」
「東京ブギウギ(笠置シヅ子/昭和23年)」
「憧れのハワイ航路(岡晴夫/昭和23年)」
「異国の丘(竹山逸郎/昭和23年)」
「青い山脈(藤山一郎/昭和24年)」
「銀座カンカン娘(高峰秀子/昭和24年)」
「長崎の鐘(藤山一郎/昭和24年)」
「夜来香(李香蘭/昭和25年)」
「越後獅子の唄(美空ひばり/昭和25年)」
「上海帰りのリル(津村謙/昭和26年)」
「テネシーワルツ(江利チエミ/昭和27年)」
「りんご追分(美空ひばり/昭和27年)」
「赤いランプの終列車(春日八郎/昭和27年)」
「愛の讃歌(越路吹雪/昭和28年)」
「街のサンドイッチマン(鶴田浩二/昭和28年)」
「お富さん(春日八郎/昭和29年)」
「岸壁の母(菊池章子/昭和29年)」
*長かった戦争が終わり、荒廃から立ち上がろうとする人々の心に響いた名曲の数々。不思議なことに、この時期の歌が、最も明るく力強い希望に満ちている。どんなに辛く哀しい唄にも、心が詰まっている。人の心の痛みに対する深い共感が、この時代にはあったのだ。それが救いだった。

●昭和30年代(1955〜64)の歌謡曲(44曲)
「女船頭唄(三橋美智也/昭和30年)」
「ガード下の靴磨き(宮城まり子/昭和30年)」
「別れの一本杉(春日八郎/昭和30年)」
「母恋吹雪(三橋美智也/昭和31年)」
「ここに幸あり(大津美子/昭和31年)」
「りんご村から(三橋美智也/昭和31年)」
「波止場だよ、お父っつあん(美空ひばり/昭和31年)」
「東京だよおっ母さん(島倉千代子/昭和32年)」
「チャンチキおけさ(三波春夫/昭和32年)」
「おさげと花と地蔵さんと(三橋美智也/昭和32年)」
「有楽町で逢いましょう(フランク永井/昭和32年)」
「山の吊り橋(春日八郎/昭和34年)」
「人生劇場(村田英雄/昭和34年)」
「東京ナイトクラブ(フランク永井&松尾和子/昭和34年)」
「情熱の花(ザ・ピーナッツ/昭和34年)」
「南国土佐を後にして(ペギー葉山/昭和34年)」
「アカシヤの雨がやむとき(西田佐知子/昭和35年」
「哀愁波止場(美空ひばり/昭和35年)」
「硝子のジョニー(アイ・ジョージ/昭和36年)」
「ハモニカ小僧(中山千夏/昭和36年)」
「銀座の恋の物語(石原裕次郎&牧村旬子/昭和36年)」
「ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹/昭和36年)」
「王将(村田英雄/昭和36年)」
「北帰行(小林旭/昭和36年)」
「川は流れる(仲宗根美樹/昭和36年)」
「上を向いて歩こう(坂本九/昭和36年)」
「出世街道(畠山みどり/昭和37年)」
「遠くへ行きたい(ジェリー藤尾/昭和37年)」
「赤いハンカチ(石原裕次郎/昭和37年)」
「下町の太陽(倍賞千恵子/昭和37年)」
「島育ち(田端義夫/昭和37年)」
「エリカの花散るとき(西田佐知子/昭和38年)」
「柔道一代(村田英雄/昭和38年)」
「恋のバカンス(ザ・ピーナッツ/昭和38年)」
「高校三年生(舟木一夫/昭和38年)」
「島のブルース(三沢あけみ/昭和38年)」
「見上げてごらん夜の星を(坂本九/昭和38年)」
「美しい十代(三田明/昭和38年)」
「学園広場(舟木一夫/昭和38年)」
「君だけを(西郷輝彦/昭和39年)」
「あゝ上野駅(井沢八郎/昭和39年)」
「東京の灯よいつまでも(新川二郎/昭和39年)」
「柔(美空ひばり/昭和39年)」
「学生時代(ペギー葉山/昭和39年)」
*貧しさの中でも、希望を失わず、夢を持って生きようとする人々の心を支えた名曲の数々。じっくりと聴かせてくれる曲、しっとりと心に染み込むような曲、日本人の耳に馴染む自然な曲が多い。歌は「時代の心」をあらわすものである。この時期の唄を理解し共感することは、日本人の心の再生を目指す上で、大きな手がかりとなるだろう。

●昭和40年代(1965〜74)の歌謡曲(43曲)
「ヨイトマケの唄(美輪明宏/昭和40年)」
「涙くんさよなら(坂本九/昭和40年)」
「涙をありがとう(西郷輝彦/昭和40年)」
「函館の女(北島三郎/昭和40年)」
「星影のワルツ(千昌夫/昭和41年)」
「恍惚のブルース(青江三奈/昭和41年)」
「悲しい酒(美空ひばり/昭和41年)」
「銀色の道(ザ・ピーナッツ/昭和41年)」
「夜霧よ今夜もありがとう(石原裕次郎/昭和42年)」
「ブルーシャトー(ブルーコメッツ/昭和42年)」
「夫婦春秋(村田英雄/昭和42年)」
「悲しくてやりきれない(フォーククルセダーズ/昭和43年)」
「ひとり酒場で(森進一/昭和43年)」
「山谷ブルース(岡林信康/昭和43年)」
「三百六十五歩のマーチ(水前寺清子/昭和43年)」
「恋の奴隷(奥村チヨ/昭和44年)」
「あなたの心に(中山千夏/昭和44年)」
「真夜中のギター(千賀かほる/昭和44年)」
「白い色は恋人の色(ベッツィー&クリス/昭和44年)」
「男はつらいよ(渥美清/昭和45年)」
「知床旅情(加藤登紀子・森繁久彌/昭和45年)」
「傷だらけの人生(鶴田浩二/昭和45年)」
「翼をください(赤い鳥/昭和46年)」
「わたしの城下町(小柳ルミ子/昭和46年)」
「17才(南沙織/昭和46年)」
「岸壁の母(二葉百合子/昭和47年)」
「メリージェーン(つのだひろ/昭和47年)」
「学生街の喫茶店(ガロ/昭和47年)」
「傘がない(井上陽水/昭和47年)」
「喝采(ちあきなおみ/昭和47年)」
「春夏秋冬(泉谷しげる/昭和47年)」
「ジョニーへの伝言(高橋真梨子/昭和48年)」
「心の旅(チューリップ/昭和48年)」
「くちなしの花(渡哲也/昭和48年)」
「なみだ恋(八代亜紀/昭和48年)」
「あなた(小坂明子/昭和48年)」
「落陽(吉田拓郎/昭和48年)」
「襟裳岬(森進一/昭和49年)」
「赤ちょうちん(かぐや姫/昭和49年)」
「宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお/昭和49年)」
「精霊流し(さだまさし/昭和49年)」
「やさしさに包まれたなら(松任谷由実/昭和49年)」
「いつか街であったなら(中村雅俊/昭和49年)」
*東京オリンピックが終わり、昭和40年を境に、時代は大きく変わる。若者中心のグループ・サウンズが登場し、流行歌も質的に大きく変わる。それでも、前半の昭和45年までは、格差と差別と孤独の中で、切なく寂しい気持ちを抱えて生きる人々の心を代弁する名曲が目立つ。しかし、昭和46年以降、フォークやアイドル全盛の時代となり、それまで国民のすべての世代のものだった歌謡曲が、急速に若者限定のものとなっていき、もはや、流行歌は、あらゆる世代の心を打つ普遍性のある〝唄〟ではなくなってしまう。

●昭和50年代(1975〜84)の歌謡曲(43曲)
「サボテンの花(チューリップ/昭和50年)」
「さらばハイセイコー(増沢末夫/昭和50年)」
「年下の男の子(キャンディーズ/昭和50年)」
「22歳の別れ(風/昭和50年)」
「我が良き友よ(かまやつひろし/昭和50年)」
「シクラメンのかほり(布施明/昭和50年)」
「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ(宇崎竜童/昭和50年)」
「なごり雪(イルカ/昭和50年)」
「およげ!たいやきくん(子門真人/昭和50年)」
「木綿のハンカチーフ(太田裕美/昭和50年)」
「別涙(因幡晃/昭和51年)」
「酒と泪と男と女(河島英五/昭和51年)」
「遠くで汽笛を聞きながら(アリス/昭和51年)」
「旅立ち(松山千春/昭和52年)」
「雨やどり(さだまさし/昭和52年)」
「北国の春(千昌夫/昭和52年)」
「この空を飛べたら(加藤登紀子/昭和53年)」
「与作(北島三郎/昭和53年)」
「残り火(五輪真弓/昭和53年)」
「いい日旅立ち(山口百恵/昭和53年)」
「長い旅(矢沢永吉/昭和53年)」
「おやじの海(村木賢吉/昭和54年)」
「舟唄(八代亜紀/昭和54年)」
「贈る言葉(海援隊/昭和54年)」
「SEPTEMBER(竹内まりや/昭和54年)」
「大阪しぐれ(都はるみ/昭和55年)」
「大都会(クリスタルキング/昭和55年)」
「昴(谷村新司/昭和55年)」
「万里の河(チャゲ&飛鳥/昭和55年)」
「乾杯(長渕剛/昭和55年)」
「出航 SASURAI(寺尾聡/昭和55年)」
「時に愛は(オフコース/昭和55年)」
「守ってあげたい(松任谷由実/昭和56年)」
「言葉にできない(オフコース/昭和56年)」
「悲しみは雪のように(浜田省吾/昭和56年)」
「聖母たちのララバイ(岩崎宏美/昭和57年)」
「Ya Ya あの時代を忘れない(サザンオールスターズ/昭和57年)」
「ファイト!(中島みゆき/昭和58年)」
「クリスマスイブ(山下達郎/昭和58年)」
「15の夜(尾崎豊/昭和58年)」
「浪花恋しぐれ(岡千秋&都はるみ/昭和58年)」
「そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸/昭和59年)」
「俺ら東京さ行ぐだ(吉幾三/昭和59年)」
*昭和50年代の前半、昭和54年までは、かろうじて日本の流行歌が、本当の意味で「日本の歌」でありえた最後の時期だったように思う。しかし、昭和50年代も後半になると、それまでのような国民歌謡としての〝唄〟は、ほとんど姿を消してしまう。そして、日本の歌謡曲は、カタカナの「ニューミュージック」へ、やがて、横文字の「J POP」へと様変わりしていく。

●昭和60年代(1985〜89)の歌謡曲(16曲)
「卒業(尾崎豊/昭和60年)」
「翼の折れたエンジェル(中村あゆみ/昭和60年)」
「ff(フォルテシモ)(ハウンドドッグ/昭和60年)」
「熱き心に(小林旭/昭和60年)」
「MIDNIGHT FLIGHT ひとりぼっちのクリスマスイブ(浜田省吾/昭和60年)」
「ガラス越しに消えた夏(鈴木雅之/昭和61年)」
「雪國(吉幾三/昭和61年)」
「My Revolution(渡辺美里/昭和61年)」
「時代おくれ(河島英五/昭和61年)」
「LONLY BUTTERFRY(レベッカ/昭和61年)」
「夢をあきらめないで(岡村孝子/昭和62年」
「百万本のバラ(加藤登紀子/昭和63年)」
「TRAIN-TRAIN(ザ・ブルーハーツ/昭和63年)」
「とんぼ(長渕剛/昭和63年)」
「川の流れのように(美空ひばり/昭和64年)」
「世界でいちばん熱い夏(プリンセス プリンセス/昭和64年)」
*昭和の大スターたちの歌う最後の曲が、この時期にいくつか発表されて、世間の注目を集める。その一方で、この時代の刹那的な豊かさとバブルの中で、どこか虚ろな心を抱えて、あがき、もがき続ける若者たちの、虚しく切なく寂しい歌が流行る。たとえ明るい歌でも、明るさの質が、それまでの「誰もが口ずさむことのできる歌」とは、まったく次元の違う異質なタイプの歌が、歌われるようになる。一言で言えば、これが「歌謡曲の終焉」である。