ユーロ・プログレとは、1970年代に世界的に流行ったプログレッシブ・ロック(進歩的ロック?)のうち、イギリスを除くヨーロッパ大陸各国、主にイタリアやフランスで活躍したグループの系統を指します。
プログレッシブ・ロック自体は、1960年代末から1970年代にかけて、イギリスで発祥し発展した音楽ジャンルです。このジャンルの代表的なロック・グループは、イエス、ELP(エマーソン、レイク&パーマー)、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジェネシスなど、いわゆる〝プログレ五大バンド〟です。
そして、これらのグループの構成メンバーは、全員、イギリスの比較的裕福な中産階級(ミドル・クラス)出身でした。それどころか、ピーター・ゲイブリエルら、初期ジェネシスのメンバーなどは、全員が、パブリック・スクール(*)に通った貴族か上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)でした。
第二次世界大戦後の欧州に生まれ、経済的には何不自由ない裕福な家庭で育ち、高等教育を受けて、ある者は幼い頃からクラッシックの素養もあり、望めば大学まで出してもらった、知性と教養豊かな才能ある若者たちが、 自分たちの世代の新しい価値観に基づいて創りあげたロック・ミュージック、それがプログレッシブ・ロックです。
その点では、同じく1970年代初頭に、イギリスの貧しい労働者階級の若者たちの文化として、工業地帯の工場群の中で産声をあげたヘヴィ・メタル(労働者階級出身のオジー・オズボーン率いるブラック・サバスのアルバム・デビューが1970年)とは対照的です。
こういう比較は、なかなか興味深く、例えば、売るために育ちの良いお坊ちゃんを演じて、ある意味、大衆に迎合的で、成功に貪欲だったビートルズのメンバーは、ジョン・レノンを除けば、実は全員、貧しい労働者階級の出身でした。しかも、ジョンもまた、伯母夫婦が中産階級だったとは言え、実の両親には育てられていません。かなり、荒んだ少年時代でした。
その反対に、体制に反抗的な不良のイメージが強いローリング・ストーンズのメンバーは、全員、本当は裕福な上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)の出身で、特に、リーダーのミック・ジャガーなど、一流大学の学生でした。典型的な優等生の〝良い子〟だったのです。
ビートルズとストーンズはほぼ同世代ですが、因みに、時系列で言うと、ストーンズの最初の大ヒットは、1965年のシングル「Satisfaction」でした。ビートルズは、既に1963年にファーストアルバムが大ヒットしていました。成功意欲というか、ハングリーさが、違ったのかもしれません。
プログレの場合も、裕福なミドル・クラスの若者たちが主体だからこそ、「ともかく金を稼ぎまくって、何が何でも成功したい」というワーキング・クラスの人たちの商売に徹する貪欲な姿勢を、〝商業主義〟〝商業ロック〟と批判し、シングル・ヒットなど眼中に入れず、大衆の好みなど度外視して、高尚な(?)音楽にこだわり続ける余裕があったのではないでしょうか。
ジェネシスも、労働者階級出身のフィル・コリンズが中心になると、完全に路線変更され、「売れること」が第一の目標となりました。しかし、私としては、このポップ路線の時期のジェネシスのアルバムで、1983年の「ジェネシス(英独1位・米9位・日24位)」は意外と好きです。一曲目の流産・堕胎をテーマとしたおどろおどろしい「Mama(ママ)」も印象的ですが、一番好きなのは「Home by the Sea」です。

さて、そのプログレ・サウンドの特徴は、当時、開発途上の新しいテクノロジーだったシンセサイザーやキーボードを多用し、また、ジャズやクラッシック音楽とロックの融合を試みたりもしました。
歌詞の内容は、文明批評的な意味合いの深いものが多く、抽象的で難解な詞が多い傾向がありました。
例えば、ピンク・フロイドの1979年の大ヒット(米1位・英3位・日16位)アルバム「The Wall(壁)」からシングル・カットされた「Another Brick in the Wall(壁に塗り込められた、もう一つのブロック)」は、先進諸国の学校教育を、人間を機械のように扱う非人間的なものとして否定的に歌ったものです。歌い出しは〝We don’t need no education(僕たちに教育は要らない)〟〝We dont need no thought control(僕たちに思想管理教育は要らない)〟という、かなり扇情的なものでした。
如何にも、経済的に豊かな先進国で、中産(金持ち)階級に生まれ、高等教育を受けた、頭の良い若者らしい主張ではあります。相当に地味な曲ですが、シングルカットされて、当時、英米のヒットチャートで、それぞれ1位を獲得したんですよね。
また、1975年にジェネシスを脱退した、元リーダーのピーター・ゲイブリエルの代表曲で、1980年に発表されたソロアルバム「Ⅲ」のラストに収録されている名曲「Biko」は、1977年に政府の拷問によって牢獄で虐殺された、南アフリカのアパルトヘイト抵抗運動の指導者で黒人意識運動の提唱者スティーブ・ビコについて歌ったものです。この曲は、1980年代の欧米諸国での反アパルトヘイト運動のテーマ・ソングになりました。
このアルバムでは、「No self control」の中で繰り返される神経症的な歌詞「I don’t know how to stop」も印象的です。
さらに、個人的には、カナダのプログレッシブ・ロック・グループであるラッシュの1984年のアルバム「Grace under Pressure(英5位・米10位・日72位)」は、今聴いても、実に洗練されたサウンドで、フィリップ・K・ディックを連想させる歌詞の意味も興味深く、ロック史上に残る名盤だと思うのです。
しかし、音楽としてのプログレッシブ・ロック自体の全盛期は、だいたい1970〜77年頃までと言われます。
例えば、ELPの代表作(英3位・米10位・日2位)となったライブ・アルバム「展覧会の絵」(収録曲では、グレッグ・レイクの弾き語り曲The Sageが必聴です。)が発表されたのも、ピンク・フロイドの(特に日本では!)最も有名な曲「吹けよ風、呼べよ嵐(One of These Days)」を含むアルバム「おせっかい(Meddle)」が発表(英3位・日9位)されたのも、1971年のことです。
そして、海を越えた大陸でのユーロ・プログレの全盛期も、イギリスの状況と、おおよそ時期が重なります。
実際、今回、紹介する4つのユーロ・プログレ・グループも、1970年代に最も精力的に活躍したグループです。どのグループの作品も、日本では、1979〜80年頃に「ヨーロピアン・ロック・コレクション」として紹介されて、名盤LPが次々と発売されました。下記の4枚については、当時、私がLPで購入し、カセットに録音したアルバムの中でも、特に繰り返し聴いていたものばかりです。まあ、若かりし頃の想い出のアルバムというのでしょうか。


◉best3、アトール(Atoll )
並外れて優れた演奏技術を持つ、フレンチ・プログレッシブ・ロックの代表的グループの一つです。
1974年に1stアルバムを発表。翌1975年発表の2ndアルバム「組曲『夢魔』」が、なぜか日本では、本国以上に異常に人気がありました。「ヨーロピアン・ロック・コレクション」のシリーズの中でも、最も売れたLPだったと言われています。
しかし、1980年に4thアルバムを発表した後、プログレのジャンル自体の停滞の中、アトールは解散しました。活動期間は6年です。
ところが、その後、アトールは、1989年に再結成されて初来日公演を果たしています。さらに、2015年にも、今度は全盛期メンバーで再々結成され、二度目の来日公演を行なっており、組曲「夢魔」の完全再現が、かなりの評判を呼んでいたようです。
しかし、私のオススメのアルバムは、2ndの「夢魔」ではなく、1977年発表の「Atoll Ⅲ Tertio(サード・アルバム)」です。このアトールの3rdアルバムは、全編において、宇宙的なイメージを感じさせる神秘的でドラマチックで耽美的で壮大な作品なのです。
当時、日本ではテレビ・アニメ「宇宙戦艦ヤマト(1974)」が人気を博していましたが、何というか、そのバック・ミュージックに使っていたとしても違和感がなかったのではないか、という雰囲気のファンタジックなロックです。
後に、後期ブリティッシュ・プログレッシブ・ロックの雄エイジアが、1982年の衝撃のモンスター・デビュー・アルバム「詠時感〜時へのロマン」(米1位・英11位・日15位)で生み出すことになる、かっこよくて壮大で硬質なサウンドを連想させます。
あるいは、1983年に再結成したYes(イエス)が発表した名曲「Owner Of A Lonely Heart(ロンリー・ハート)(全米1位)」において高い完成度で結晶したプログレ・サウンドの原石のような音が聴けます。アトールが〝フランスのイエス〟と言われるのも、わかる気がします。
もし、アトールのボーカルが、イエスのリード・ボーカル(ジョン・アンダーソン)並みの美声であったなら、アトールは世界的成功を収めていたかもしれません。
①は、シングルカットされた曲で、曲名の「パリは燃えているか」は、ヒットラーの有名なセリフです。第二次世界大戦で、ドイツ軍がフランスに侵攻した後、劣勢に立たされたヒットラーは「連合軍の反撃によってパリを失うくらいなら、パリを焼き払え」と命じたのだそうです。その時、ヒットラーが、パリ防衛軍の司令官に確認の為に電話で尋ねた言葉が、「パリは燃えているか?」なのです。
曲の中では「ニューヨークは、ロンドンは、東京は、どうだ、ホンコンは、モスクワは、サンフランシスコは?」という部分が耳に残ります。最後の効果音は、ヒットラー自身(設定?)の声ということらしいです。
今聴くと、やはり、少し、古さを感じてしまうのは否めません。1970年代という時代を感じると言うのでしょうか。暗くて重くて、妙に小難しい。
けれども、シンセの効果的な使い方や転調の多い曲の構成など、如何にも「これぞ、プログレ!」という典型的な広がりのあるサウンドに、人によっては心惹かれるものがあるかもしれません。
ただ、「このアルバムのオススメの曲は?」と訊かれると、困ってしまいます。個々の曲よりも、アルバム全体としての魅力が、優っている気がするのです。それでも、敢えて言えば、私は②の「神々」が一番好きです。

★Atoll Ⅲ Tertio(邦題「アトール・サード」)(1977)
①「Paris C'est Fini(邦題 : パリは燃えているか)」(5:54)
②「Les Dieux Meme...(邦題 : 神々)」(7:31)
③「Cae Lowe(Le Duel)(邦題 : 決闘)」(4:46)
④「Le Cerf Volant(邦題 : 天翔る鹿)」(5:41)
⑤「Tunnel Part 1/Part 2(トンネル パートⅠ/パートⅡ)」(5:46/8:09)


◉best2、イル・ヴォーロ(Il Volo)
フォルムラ・トレ解散後、主要メンバーが結集したイタリアン・プログレッシブ・ロックのスーパー・グループ。その特徴は、個々のメンバーの高い演奏技術に裏打ちされたジャズ/フュージョンとロックを融合した独自のユニークなスタイルにあります。その演奏は、実にスリリングで独創的です。
1974年に1stアルバム「Il Volo」を発表。翌1975年に2ndアルバムを発表して、すぐに解散してしまいました。活動期間はわずか2年という幻のグループです。
私のオススメのアルバムは、1975年発表の2ndアルバム「Essere O Non Essere? Essere, Essere, Essere!(生きるべきか、死すべきか? 生きる、生きる、生きる!)」です。とても長いタイトルです。有名なシェイクスピア悲劇のハムレットのセリフへのオマージュですね。
このアルバムは、ロックの歴史に残るべき傑作だと思います。静寂から躍動へ、幽玄から野生へと、凄腕のベースとドラムとパーカッションが刻む比類のない独特のリズムの変転と、キーボードとエレクトリック・ギターと男性ボーカルが奏でる印象的なメロディーが複雑に絡み合い、唯一無二の不思議な存在感を生み出しています。
聴きどころとしては、アルバム全編を通して、最初っから最後まで、聴き逃せない曲ばかりなのですが、敢えて言うなら、やはり③「エッセレ」と⑥「歌声は響き渡る」の二曲でしょう。この二曲だけが、耳に心地よい印象的な男性ボーカルをフィーチャーしており、残りの曲はすべて、楽器の演奏だけのインストルメンタル曲です。ただし、ボーカルも、また、楽器の一つのように響くのが、イル・ヴォーロの音作りの特色です。
③⑥は、ともに、釧路湿原に静かに降り立った丹頂鶴の一群が、やがて、翼をはためかせて、北へ向かって飛び立って行くまで、というような、どこか野生的なイメージの曲です。特に、アルバムを通して聴くと、アルバムのジャケット・デザインと日本語タイトルのとおりで、鳥が〝飛翔〟していく感覚を誰もが感じるはずです。また、アルバムのイタリア語タイトル「Essere(生きる)」にもあるように、原初的な生命力そのものを表現しようとしたようにも感じます。
このアルバムは、今聴いても、古さをあまり感じません。もともと、どことなく荒削りな音ですし、類似の作品があまりないこともあるかもしれません。
ただし、アトールほど一般受けする音ではありません。超絶技巧の演奏ではありますが、一種独特の癖のある音色なのです。個性というかアクが強いというのでしょうか。決して、すんなりとBGMとして心地よくは聴かせてくれない。泥臭く、激しい。よく言えば、地中海の香りがする。PFM脱退後のマウロ・パガーニのソロ・アルバム「地中海の伝説(1979)」にも通じることですが、どことなく中近東を感じさせる空気感があります。そこが、リスナーとしては、好き嫌いが分かれるところになるかもしれません。
アルバム全編に渡って、鋭い緊張感を感じる、一筋縄ではいかない夢幻の音の世界が広がっています。音楽としての創造性や芸術性は、アトールより、イル・ヴォーロの方が上だと思います。

★Essere O Non Essere? Essere, Essere, Essere!(邦題「飛翔」)(1975)
①「Gente In Amore(邦題:愛につつまれて)」(5 : 01)
②「Medio Oriente 249000 Tutto Compreso(中近東249000~コスモス~宇宙)– Canto Di Lavoro(労働歌)」(5 : 43)
③「Essere(生きる)」(3 : 59)
④「Alcune Scene(邦題:あの情景)」(6 : 14)
⑤「Svegliandomi Con Te Alle 6 Del Mattino(邦題:朝の目覚め)」(5:14)
⑥「Canti E Suoni(邦題:歌声は響き渡る)」(4 : 24)


◉best1、ニュー・トロルス(New Trolls)
イタリアン・プログレッシブ・ロックの代表的なグループの一つです。1966年に結成され、2000年代まで、断続的に活動を続けている老舗の人気グループです。日本での人気も、今だに根強く、2006年、2007年、2012年、2013年に来日公演を行っています。
オススメは、1971年発表の3rdアルバム「Concerto Grosso Ⅰ(コンチェルト・グロッソ1)」です。このアルバムの前半①〜③は、日本では未公開の映画のサントラ盤として、オーケストラとの共演というかたちで制作されたものですが、単なるサントラ盤であるに留まらず、万人が認める彼らの最高傑作アルバムとなっています。
クラッシックとロックの融合という点で、これ以上に成功している音楽作品を、私は知りません。まさに、ロックの古典、歴史的名盤、永遠の名作です。
聴きどころは、①アレグロ②アダージョ③カデンツァと続く、バロックの薫り漂う華麗な組曲です。15本のヴァイオリンと2本のチェロによるオーケストラのストリングスが実に美しい、クラシカルな三連作です。特に②アダージョは、プログレッシブ・ロック史上に残る不朽の名曲だと思います。
キーボードとボーカルによる情感溢れる美しい旋律とメロディーに始まり、最後は悲鳴をあげるように泣き叫ぶエレキ・ギターの音が、重厚な弦楽器オーケストラのメロディーの波の中に、かき消えていきます。
③カデンツァでは、ギターではなく、咽び泣くバイオリンのソロ演奏の研ぎ澄まされた旋律が、オーケストラのストリングスの波に呑まれていきます。
ボーカルの歌詞はすべて英語です。以下の歌詞は②と④に共通する部分です。
Wishing you to be so near to me.
(あなたが私のそばにいてくれることを願っているのに)
Finding only my loneliness.
(ただ孤独な自分に気づくだけ)
Waiting for the sun to shine again.
(太陽がもう一度輝いてくれることを待っているけれど)
Finding that has gone too far away.
(本当は、太陽は、もう遥か遠くへ行ってしまったことに気づいているんだ)
さらに、②③④に共通する歌詞、「To die, to sleep, maybe to dream(死の眠りの中でさえ、それでも、あなたが離れていく悪夢をみるかもしれない)」、つまり、「たとえ死んでも、この苦しみからは、逃れられないかもしれない」という、これもハムレットから引用された切ない詞が印象に残ります。
夢のように美しいファンタジックな旋律ではありますが、歌詞内容的には、あくまでも、重苦しく、哀しい歌なのです。贅沢で鮮やかなシンフォニーも、陰鬱な気分を深めるように寄り添います。決して、明るく軽やかな気分にしてはくれません。
そういう点では、このアルバムもまた、1970年代の重苦しい時代性を背負っているのだと思います。
けれども、このアルバムは、いつ聴いても、古いとか新しいとか、そういうことは、あまり感じさせません。〝流行とか時代を越えた普遍性を獲得している〟ということでしょうか。

★Concerto Grosso Ⅰ(コンチェルト・グロッソ1)(1971)
①「Allegro(アレグロ)」
②「Adagio (Shadows)(アダージョ)」
③「Cadenza - Andante Con Moto(カデンツァ)」
④「Shadows (Per Jimy Hendrix)(シャドーズ)」
⑤「Nella Sala Vuota(空間の中から)」


それから、上記のベスト3に加えて、次点として、現在も活躍中のイタリアン・プログレッシブ・ロック・グループ、ロカンダ・デッレ・ファーテについても、少し。


◉次点、ロカンダ・デッレ・ファーテ(Locanda Delle Fate)
プログレッシブ・ロックの黄金時代の末期、1977年に素晴らしい完成度の1stアルバム「妖精」をリリースしたものの、まったく売れず、翌1978年に自然消滅のようなかたちで解散してしまった北イタリア出身の幻のグループです。
彼らが最初に注目を浴びたのは、1982年の「ヨーロピアン・コレクション」の第二弾として、LP「妖精」が日本で発売されて、絶賛されたことです。
その後、解散から20年も経った1998年になって再結成され、1999年に2ndアルバムをリリースするも、また活動は休止となります。さらに、2012年には3rdアルバムをリリースし、この年、デビュー35年目にして初来日公演を果たしました。
おすすめは、もちろん、日本では名盤の誉れ高い1stアルバム「妖精」です。
イル・ヴォーロと同じく、ツイン・キーボードとツイン・ギターと男性ボーカルのメロディアスな旋律に特徴があります。ただし、ドラムとベースのリズム隊は、イル・ヴォーロほど力強くなく、それほど目立ちません。むしろ、キーボードとギターのリリカルなサウンドが前面に出ているのが特徴です。そして、アコースティック・ピアノやチェンバロやオルガンやフルートなどの繊細な演奏が、サウンドに独特の艶をもたらしています。そして、アレンジの展開が、実に細かく正確で多彩なのです。
とりわけ、アルバム全曲に渡って、ともかく生ピアノの印象的な旋律が、他の楽器を牽引するイメージです。その耽美的で幻想的なメロディーは、非常に独創的で、印象は長く記憶に残ります。何というか、可愛らしい、可憐な音楽なのです。ロックというよりは、むしろ、フュージョンに近いかもしれません。
つまり、ヴォーカルは微妙ということです。イル・ヴォーロのように、一つの楽器として機能するような美声ではなく、かと言って、アトールのように強い自己主張を持つ確固とした存在感もありません。彼らの場合は、かえって①のようなインストルメンタルの曲の方が良いのではないか、と感じます。
ともかく、ロカンダ・デッレ・ファーテは、曲がもう少しドラマチックな展開をしてみせて、さらに、サウンドに似合わないダミ声のヴォーカルが、ジョン・アンダーソンばりの透き通る美声であったなら、たとえ時期遅れの1977年のデヴューではあっても、おそらく、もう少し活躍できたのではないか、とも思います。
そして、アルバムは、不朽の名作と呼ばれたかもしれません。しかし、現状では、「隠れた名盤」と言うよりほかありません。

★Force Le Lucciole Non Si Amano Piu(蛍はもう愛し合わない)(邦題「妖精」)(1977)
1. A Volte un Istante Di Quiete(邦題: ひとときの静寂)
2. Forse le Lucciole Non Si Amano Piu(邦題: 螢が消える時)
3. Profumo Di Colla Bianca(邦題: 白色の香)
4. Cercando un Nuovo Confine(邦題: 新しい世界を求めて)
5. Sogno Di Estunno(邦題: 憧れ)
6. Non Chiudere a Chiave le Stelle(邦題: 星に鍵をかけないで)
7. Vendesi Saggezza(邦題: 誤ち)
8. New York (Bonus Track)(ニューヨーク)
9. Nuove Lune (Bonus Track)(9番目の月)


今回紹介した4作は、いずれも、2000年代に、日本盤として、紙ジャケット仕様のハイクォリティCDが発売されており、現在も入手可能です。また、イタリア盤は、iTunes storeでも、比較的安価で購入可能です。

それから、この文の冒頭で、メタルとプログレのメンバーの生い立ちや経歴や家庭環境や社会階層の質的な対照性について、少し述べましたが、両者の共通点についても述べておくと、それは、両者ともに根強いコアなファンがいることです。
メタルのコアなファン層が依然として存在している欧米と違って、労働者階級というものが存在しないためか、メタルの固定ファン層は、日本では消滅して久しいのですが、歳をとっても、今だに往年のプログレッシブ・ロックを支持し続けるプログレ・ファン層の存在は、日本でも、なぜか一定層存在し続けており、しかも、相当にしぶといものがあります。
その点に関しては、さらなる考察の余地があるように思います。
既に、ネット上に「五大バンドのファン気質に関する考察」という文章がありますが、なかなか興味深いです。ちなみに、私自身は、イエス、ジェネシス、ELP、ピンク・フロイド、それぞれのバンドに、私なりの思い入れを多少なりとも持っていますが、王者「キング・クリムゾン」にだけは、なぜか昔から一切関心がありません。信者の方たちには、大変申し訳なく思うのですが、当ブログの記事は、すべて、私の独断と偏見によって書かれていますので、どうかご容赦ください。


*パブリック・スクールについて
イギリスには、公立学校と私立学校があります。イギリスの私立学校は、学費が高額で、最低でも年間260万円以上すると言われます。そのため、私立学校に通える生徒は、全体の1割弱の富裕層だそうです。この富裕層を、一般に上層中流階級(アッパー・ミドル・クラス)と言います。
残り90%の一般家庭の子供たちのうち、総人口の60%以上を占めるのは労働者階級(ワーキング・クラス)に属している子供たちです。したがって、「労働者階級」という用語は、総人口の6割強の過半数を意味するわけで、日本人のイメージにあるような「下層階級」を意味しません。そして、残りの総人口の約3割が、いわゆる「中流階級(ミドル・クラス)」と言われます。
そして、このイギリス社会の上層10%未満の裕福な上層中流階級の優秀な子供たちが通う私立学校の中でも、さらに上位10%(全体の1%)の優秀なエリートが通う格式高い伝統校をパブリック・スクールと言います。一般的には13〜18歳までの生徒が6年間を過ごす全寮制の寄宿学校です。学費とその他の制服などの必要経費を合わせると、費用は年間500万円以上になります。
パブリック・スクールは、かつては、すべて男子校でしたが、現在は共学の学校が多いようです。ともかく費用がかかるので、奨学金を受けている一部の優秀な生徒を除けば、大半は貴族か上層中流階級(アッパー・ミドル・クラス)の中でも、とりわけ裕福な家庭の子供たちです。つまり、彼らは、国民のおよそ1〜5%の金持ち家庭の子弟ということです。ちなみに、貴族の割合は、国民の1%程度です。
パブリック・スクールの生徒のほとんどは、卒業後、オックスフォード大学やケンブリッジ大学などの名門大学に進学します。ですから、当然、非常に優秀な生徒たちです。小学校5〜6年の時に、厳しい基準の入試選抜に受からなければ、パブリック・スクールに入学することはできません。
ジェネシスなど、プログレ・グループのメンバーが、パブリック・スクール出身者が多いということは、つまりは、彼らは、イギリスでも、最も裕福で恵まれた優秀な若者たちであるということです。
ピンク・フロイドにしても、中心メンバーが知り合ったのは、大学でのことでした。ちなみにイギリスでの大学への進学率は17%程度です。そのような最も高度な教育を受けた人たちが、「We don’t need no education!」と歌う。これはいったいどうしたことでしょう。なかなか難しい問題ではないでしょうか。