最近、〝裁判ごと〟に巻き込まれる人が増えている。その多くは、民事事件で、原因は、一般的には『遺産相続に関する親族間の争い』が多い。やれ、他の兄弟を差し置いて、親に公正証書をつくらせたとか、その公正証書の正当性が、どうだとか、父親の葬儀の時に、妻と娘の一人が弁護士を連れてきて、財産をあらかた持っていったとか、ボケた老人の土地の権利書と実印を親戚に持ち出されて転売されたとか。
裁判にはなっていなくても、実の子に、自宅の権利書と実印を「出せ!出せ!」と、日夜、責められて虐待されている老人もいる。財産だけ相続して、親の墓は、面倒だから〝墓じまい〟してしまうという子供たちも多い。香典だけは全部せしめて、葬式当日に、実の親を勝手にさっさと永代供養してしまい、遺骨を寺に厄介払いして、つまりは、捨ててしまう子どももいる。初七日も四十九日も、あったものではない。
ともかく、身近に、直接当事者から聞いた話だけでも、家族間の聴くに耐えない軋轢や争いが数多くあり、昨今は、遺産相続に関する親族間裁判の話題など何も珍しくない。それどころか、巷にあふれかえっている。
沖縄では、その他に、米軍基地問題に関わる裁判なども結構多い。毎年入ってくる基地使用料によって莫大な資産を生む基地地主の土地を、生まれてこのかた、一度もまともに働いたことのない自堕落な子どもたちが奪いあうのは、よくあることだ。理由は異なるが、この沖縄県のリーダーである翁長知事からして、今年の春まで数年に渡って、国を相手取って裁判を争ってきた。
ともかく、上から下まで、猫も杓子も、裁判、裁判という世の中である。
しかし、不思議なことに、そうした裁判で争っている人に限って、密かに、ある深刻な病に冒されることが多いのだ。それは、「膵臓癌」である。
裁判というものは過酷なもので、強烈且つ慢性的なストレスから、気力も体力もごっそり削られてしまう。しかも、「膵臓癌は、ストレスが原因で発症することが多い」と言われている。
また、膵臓癌は、自覚症状がなく、進行が速いために、早期発見が難しい。それで、「最近どうも身体の調子が悪い」と思って、病院へ検査に行ってみたら、思いがけなく膵臓に癌が発見されたが、時すでに遅しで、病状はステージ4(末期)に進行しており、もはや為すすべがない状態だった、ということがよくある。
統計的にも、発見時に、40%以上の患者がステージ4(末期患者)の段階であり、すでになんらかの転移が見られる状態、ということだ。また、膵臓癌患者の5年後の生存率は10%に過ぎない。
「あなたは膵臓癌です」と言われること、それは、言わば、ある日、突然、身に覚えのない罪で、理不尽に死刑宣告を受けるようなものである。
「自分のお棺には、お札(紙幣)をいっぱい詰めてくれ!」と遺言した東京の会社創業者のお爺さんがいたが、あいにく法律の都合上、五円玉しか、お棺の中には入れられなかったのだそうだ。
この爺さんの人生は、ひたすら、お金を得ることを追求した一生だった。しかし、残念ながら、生前、命よりも大切にしていたお金を、あの世に持って行くことは、かなわなかったようだ。その代わりに、奥さんと子どもたちの間で、通夜のその日から、弁護士を介して、遺産の争奪戦が繰り広げられることとなった。
一般に、患者本人が、膵臓癌であることに気付いた時には、だいたい早くて数ヶ月、保って半年の命だ。本人にしてみれば、青天の霹靂だが、こうなってしまえば、もう手のつくしようがない。座して死を待つばかりである。
現世で、たとえ分不相応にお金を得ようと、その挙句、寿命を縮めてしまい、死んでしまっては元も子もない。
それを得ることを願った者が、望み通りに、お金や権力を得て、代わりに命を失う。この現象は、「福・禄・寿」交換の法則と呼ばれるものの一部だ。例えば、福(幸福・愛情)を願えば、代わりに禄(財産・地位名誉)を取られる。禄を願えば、代わりに福か寿(健康・寿命)を取られるのである。ただし、取られる命が本人のものとは限らない。本人に一番近い身内の者が、身代わりとなって、命を取り上げられることもある。禄を与える代わりに、最愛の者の命を奪うことで、福と寿を一挙に手放させるのだ。
そう言えば、最近まで長年、国と裁判で激しく争っていた翁長雄志沖縄県知事は、このほど、膵臓癌のステージ2であると公表し、膵臓の摘出手術を行なった。リンパ節への癌の転移も見られたという。顔もげっそり痩せてしまった。やはり、見えないところで、相当なストレスがあったのだろう。
わたしの知り合いにも、ここ数年の間に、4、5人、膵臓癌で亡くなった人がいる。別に、特段、悪い人たちではない。大抵は、愛すべき隣人であり、ごく普通の人たちである。ただ、そのほとんどが、裁判係争中だったのだ。膵臓癌の他にも、リンパ癌や胃癌などに冒された人もいる。
いったい、どうして、こんなことになってしまうのか。
トールキンの『指輪物語』の中で、指輪の魔力に取り憑かれる人々のように、お金や権力の魔力に取り憑かれた人々が辿る末路ということなのだろうか。しかし、病に冒された本人自身は、お金や地位への執着などなく、ただ操られているだけという場合も多い。黒幕は、のうのうと生き延びていたりもする。
けれども、裁判を争うということは、その欲望の渦の中に飛び込むということだ。好むと好まざるとにかかわらず、人は、心も身体も、その魔力に強い影響を受けるのだろう。そして、ある者は肉体を失い、また、ある者は魂を失うのだ。
裁判にはなっていなくても、実の子に、自宅の権利書と実印を「出せ!出せ!」と、日夜、責められて虐待されている老人もいる。財産だけ相続して、親の墓は、面倒だから〝墓じまい〟してしまうという子供たちも多い。香典だけは全部せしめて、葬式当日に、実の親を勝手にさっさと永代供養してしまい、遺骨を寺に厄介払いして、つまりは、捨ててしまう子どももいる。初七日も四十九日も、あったものではない。
ともかく、身近に、直接当事者から聞いた話だけでも、家族間の聴くに耐えない軋轢や争いが数多くあり、昨今は、遺産相続に関する親族間裁判の話題など何も珍しくない。それどころか、巷にあふれかえっている。
沖縄では、その他に、米軍基地問題に関わる裁判なども結構多い。毎年入ってくる基地使用料によって莫大な資産を生む基地地主の土地を、生まれてこのかた、一度もまともに働いたことのない自堕落な子どもたちが奪いあうのは、よくあることだ。理由は異なるが、この沖縄県のリーダーである翁長知事からして、今年の春まで数年に渡って、国を相手取って裁判を争ってきた。
ともかく、上から下まで、猫も杓子も、裁判、裁判という世の中である。
しかし、不思議なことに、そうした裁判で争っている人に限って、密かに、ある深刻な病に冒されることが多いのだ。それは、「膵臓癌」である。
裁判というものは過酷なもので、強烈且つ慢性的なストレスから、気力も体力もごっそり削られてしまう。しかも、「膵臓癌は、ストレスが原因で発症することが多い」と言われている。
また、膵臓癌は、自覚症状がなく、進行が速いために、早期発見が難しい。それで、「最近どうも身体の調子が悪い」と思って、病院へ検査に行ってみたら、思いがけなく膵臓に癌が発見されたが、時すでに遅しで、病状はステージ4(末期)に進行しており、もはや為すすべがない状態だった、ということがよくある。
統計的にも、発見時に、40%以上の患者がステージ4(末期患者)の段階であり、すでになんらかの転移が見られる状態、ということだ。また、膵臓癌患者の5年後の生存率は10%に過ぎない。
「あなたは膵臓癌です」と言われること、それは、言わば、ある日、突然、身に覚えのない罪で、理不尽に死刑宣告を受けるようなものである。
「自分のお棺には、お札(紙幣)をいっぱい詰めてくれ!」と遺言した東京の会社創業者のお爺さんがいたが、あいにく法律の都合上、五円玉しか、お棺の中には入れられなかったのだそうだ。
この爺さんの人生は、ひたすら、お金を得ることを追求した一生だった。しかし、残念ながら、生前、命よりも大切にしていたお金を、あの世に持って行くことは、かなわなかったようだ。その代わりに、奥さんと子どもたちの間で、通夜のその日から、弁護士を介して、遺産の争奪戦が繰り広げられることとなった。
一般に、患者本人が、膵臓癌であることに気付いた時には、だいたい早くて数ヶ月、保って半年の命だ。本人にしてみれば、青天の霹靂だが、こうなってしまえば、もう手のつくしようがない。座して死を待つばかりである。
現世で、たとえ分不相応にお金を得ようと、その挙句、寿命を縮めてしまい、死んでしまっては元も子もない。
それを得ることを願った者が、望み通りに、お金や権力を得て、代わりに命を失う。この現象は、「福・禄・寿」交換の法則と呼ばれるものの一部だ。例えば、福(幸福・愛情)を願えば、代わりに禄(財産・地位名誉)を取られる。禄を願えば、代わりに福か寿(健康・寿命)を取られるのである。ただし、取られる命が本人のものとは限らない。本人に一番近い身内の者が、身代わりとなって、命を取り上げられることもある。禄を与える代わりに、最愛の者の命を奪うことで、福と寿を一挙に手放させるのだ。
そう言えば、最近まで長年、国と裁判で激しく争っていた翁長雄志沖縄県知事は、このほど、膵臓癌のステージ2であると公表し、膵臓の摘出手術を行なった。リンパ節への癌の転移も見られたという。顔もげっそり痩せてしまった。やはり、見えないところで、相当なストレスがあったのだろう。
わたしの知り合いにも、ここ数年の間に、4、5人、膵臓癌で亡くなった人がいる。別に、特段、悪い人たちではない。大抵は、愛すべき隣人であり、ごく普通の人たちである。ただ、そのほとんどが、裁判係争中だったのだ。膵臓癌の他にも、リンパ癌や胃癌などに冒された人もいる。
いったい、どうして、こんなことになってしまうのか。
トールキンの『指輪物語』の中で、指輪の魔力に取り憑かれる人々のように、お金や権力の魔力に取り憑かれた人々が辿る末路ということなのだろうか。しかし、病に冒された本人自身は、お金や地位への執着などなく、ただ操られているだけという場合も多い。黒幕は、のうのうと生き延びていたりもする。
けれども、裁判を争うということは、その欲望の渦の中に飛び込むということだ。好むと好まざるとにかかわらず、人は、心も身体も、その魔力に強い影響を受けるのだろう。そして、ある者は肉体を失い、また、ある者は魂を失うのだ。