「唯一の被爆国である日本の首相であるにも関わらず、安倍首相はなぜ核兵器の廃絶を目的とした核兵器禁止条約に賛成しないのでしょうか?」という疑問が、巷でよく聞かれます。「日本政府が条約に署名しないのは間違いだ!」「唯一の被爆国の首相として、核廃絶に反対するなんて、有り得ない政治姿勢だ!」「安倍首相は核兵器の好きな軍国主義者だ」という非難の声も目立ちます。これらは、朝日、毎日、東京新聞、共産党、社民党などに代表される左派リベラルの意見です。
一方で、「日本政府が署名しないのは正しい選択だ」という意見もあります。「安倍首相は核兵器の廃絶そのものに反対しているわけではなく、役に立たない核兵器禁止条約に反対しているだけだ」「今回の条約は、『核なき世界』の実現には、現時点ではまったく役に立たない、というだけでなく、日本の国防上、相容れない内容だから署名しないのだ」と政府を擁護する声です。こちらは、読売、産経、自民党などに代表される右派保守の人々の意見です。
核兵器禁止条約への署名の是非に関して、左派と右派、まったく相反する2つの意見があるわけですが、では、どちらが、本当に正しいのでしょうか。両者の論争を通して、考えてみたいと思います。


☆署名支持派➡︎昨年7月、安倍首相は、国連総会での核兵器禁止条約(*)の投票に反対して参加せず、署名もしていません。また、今月1/12〜1/18まで来日していた「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)(**)」の事務局長ベアトリクス・フィン氏(35)の熱心な面会要請にも応えようとせず、絶対に会おうとしませんでした。
ICANは、核兵器禁止条約の実現に尽力した功績を称えられ、昨年度、ノーベル平和賞を受賞した国際NPO組織です。その栄誉ある組織の事務局長の要請を拒絶して、「日程が合わない」などと言い訳をして逃げ回り、避けて会おうとしないのは、唯一の被爆国の首相として、実に残念な態度です。安倍首相は、いったいどこの国の首相なのでしょうか。
フィン氏は、「すべての国が核兵器禁止条約に署名すべきだが、特に、唯一の被爆国である日本には署名する道義的責任がある」「核の傘の下にいることをよしとして、広島・長崎のような悲劇を繰り返してよいのか」「核の傘では北朝鮮の核開発を止められないことは明らかだし、署名して核の傘を拒絶しても日米同盟は維持できる」「唯一の被爆国であるにもかかわらず、日本政府が署名しないのは、核兵器廃絶を願う国民の意思を無視しており、被爆者への裏切りである」「このまま条約に参加しなければ、日本は国際社会で仲間外れになる」と主張しています。
すべて、もっともな意見ではないでしょうか。(⬅︎左派リベラルの意見)

★署名反対派➡︎「署名しても日米同盟は維持できる」と言うのは、日本国の政治の舵取りをする立場にない一介の外国人にあるまじき無責任な発言です。外国の国防の根幹に関わる問題で、来訪中に軽々しく断言できてしまうというのは、フィン氏は相当思いあがった方ではないか、という印象を持ちました。言いたい放題ですよね。
ここにも、「私たちは常に正しい」というリベラル特有の独善的思い込みの弊害が見られるように思うのです。この唯我独尊の姿勢は、ICANという組織そのものの体質ではないでしょうか。そのような思想的に凝り固まった頑なな相手との対話は、時間と気力の浪費です。
「核の傘では北朝鮮の核開発を止められないことは明らか」と発言されていますが、そもそも日本政府には外国政府に核開発をやめさせる力はありません。日本政府の役割は、外国が日本に核攻撃をしようとするのを阻止することです。核の傘は、北朝鮮の核開発をやめさせるためにあるのではなく、北朝鮮に核攻撃を思いとどまらせるために、あるいは、北朝鮮の核による脅しを無効化するためにあるのです。
核兵器廃絶を願うのは唯一の被爆国として当然ですが、日本一国が核兵器を持たず、核の傘から出て非核化し、無防備(丸腰?)になったとしても、現状では北朝鮮や中国に核兵器を捨てさせることはできません。それどころか、核を保有する諸外国の日本への核による脅しが、極めて容易になるだけです。(⬅︎右派保守の意見)

☆署名支持派➡︎核を持っているとか、核の傘の下にいるということが、本当に自国の防衛になるのでしょうか。むしろ、そのような対峙の仕方は、かえって緊張を高めるのではないでしょうか。ことさらに危機を煽って緊張を高め、東アジアの軍事費拡張競争を招くのは逆効果だと思います。日本が核を持つことで、核に対抗しようとするなら、北朝鮮が核を持とうとするのを非難できません。フィン氏が述べているように「条約に参加せず、唯一の被爆国としての道義的責任を果たそうとしないことで、日本は核の脅威を助長している」のです。
日本は、アメリカの核の傘から離脱することで、世界の非核化に貢献すべきです。日本が署名すれば、核廃絶に向かって画期的な転機となるに違いありません。なぜ、そうしないのでしょうか。
結局、安倍首相は、日米の軍産複合体の手先になっているのです。兵器を開発・輸出する軍需産業で儲けようとしている、言わば「死の商人」です。戦争が好きなのです。最終的には、日本の独自核武装を目論んでいるのだと思います。(⬅︎左派リベラルの意見)

★署名反対派➡︎「核の傘は役に立たない」とか「安倍首相は戦争が大好き」というのは、かなり主観的な思い込みだと思いますが、どうしてここまで意見が別れるのでしょうか。核を持つ(核保有or核の傘)方が核攻撃にさらされやすいのか、核を持たない方が攻撃されやすいのか、そんなことは自明の理だと思うのですが。周辺の核保有国が、核廃絶に同意してもいない段階で、日本がアメリカの核の傘から離脱するのは、自殺行為に等しい愚挙です。それが、わからないのはなぜでしょう。
結局は、国防に関する危機意識があるかどうか、その違いではないでしょうか。どうも、日本が他国から軍事的に威嚇されたり支配を受けるようになる可能性を、一切想像できない人たちがいるようです。これまでの人生で、よほど守られて生きてきたのでしょう。本当に無責任な考え方をするものです。
倫理的に正しくあろうとして、自らの国が滅びる危険を冒すことはできません。そうしないからといって、日本だけを責めるのですか。核保有国でもない日本を、なぜ、これほどまでに加害者の立場に置きたがるのか、私には、まったく意味不明です。(⬅︎右派保守の意見)

☆署名支持派➡︎フィン氏は、「日本以上に核兵器廃絶に強い動機を持っている国は世界に存在しない」という意味で、「まず日本が行動すべきだ」と言っているのであって、日本を一方的に責めているわけではありません。なんといっても、日本人は、世界で一番核の恐ろしさを知っているのですから。
核保有国・核依存国の中で、日本が最初に行動できなければ、核廃絶に向けて舵を切ることのできる国は他にないと思います。世界人類の未来のためにも、日本は率先して条約に署名すべきです。
結局、伝統的な銃社会で銃が蔓延しているアメリカより、一切銃を持つことが禁じられている日本の方が、市民生活は、ずっと安心ではないでしょうか。核兵器についても同じです。核のない世界の方が、人類にとっては、はるかに幸せなのです。今時、「核によって核から身を守る」などという考えは時代遅れではないでしょうか。そんな自己本位の考えでは、永久に核廃絶は不可能です。(⬅︎左派リベラルの意見)

★署名反対派➡︎しかし、現実に銃が蔓延しているアメリカのような社会に、あなたが住んでいると考えてみてください。確かに、そこでも、信念として銃を持たないという意志を持って生きている人たちはいるでしょう。例えば、クェーカーやアーミッシュのように。
けれども、皆が皆、同じ信仰に殉ずることを、一律に強要することはできません。全国民から強制的に全ての銃を取り上げることが不可能な現状では、銃によって自分と家族の身を守ることを選択する人も多くいるのです。その権利は、当面、認めなければならないでしょう。実際に、無防備なアーミッシュの村の学校が、銃を持った男に襲われて大きな被害を出したこともありました。自宅への侵入者を銃で撃ち殺して我が子を守った母親もいます。
核についても同じです。自分の信仰を他人に押し付ける権利は誰にもないのです。一国の首脳が、「たとえ国民をさらなる危険にさらすとしても核廃絶の信念に殉ずる」とは言えないでしょう。それは夢想家の身勝手で致命的な振る舞いです。(⬅︎右派保守の意見)

☆署名支持派➡︎ありもしない諸外国からの敵意による架空の脅威に過剰に怯える夢想家であり、ありもしない核の傘による庇護神話の幻想を盲信する信徒であるのは、むしろ、条約反対論者の方ではないでしょうか。
不幸な悪夢に囚われている人たちに、本当に同情します。早くその不毛な悪夢から覚めて、私たちとともに、希望への道を歩き始めることができるように祈っています。
結局、共産党の志位和夫委員長が言うように、「日本は核兵器による安全保障を捨てた。あなた方も捨てなさい!」と北朝鮮に迫ることが、日本の立場を最も強くするのです。(➡︎左派リベラルの意見)

★署名反対派➡︎残念ながら、確かに、この現実世界には、悪夢のような残虐極まる悲劇があり、愚かで救いようのない敵意があり、滑稽でありながら深刻な対立があり、とても幸せで致命的な無知があり、それらは世界中至る所に転がっています。しかし、それでも、この正気と狂気がないまぜになった不条理な世界で、私たちはなんとかして生き残らなければならない。
共産党の空想的な非武装中立論では、この欺瞞に満ちた剣呑な地上世界で、日本が生き残ることはできないのです。(➡︎右派保守の意見)


*核兵器禁止条約は、2017年7月、国連総会で193カ国中124カ国が投票に参加し、賛成122カ国、反対1国(オランダ)、棄権1国(シンガポール)で採択されました。しかし、すべての核保有国とその同盟国は、投票そのものに不参加でした。
核保有国は5大国(米英仏露中)プラス4カ国(インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮)で、その同盟国はNATO諸国25カ国(ドイツ・イタリア・スペイン・カナダ・ポーランド・ノルウェー・ベルギー・トルコ・ギリシャなど)プラス米国の同盟国2国(日本・韓国)及び日本に立場が近いオーストラリアなどです。これらの国は、すべて投票に不参加でした。不参加の理由は、「現時点では非現実的であるから」というものです。結局、先進国は、ほぼ例外なく不参加か反対だったということです。
日本のマスコミはまともに報道していませんが、実はICAN発祥の地であるオーストラリアも、直接フィン氏とともにオスロでノーベル平和賞を受け取った被爆者サーロー節子さんの住むカナダも、授賞式が行われたノルウェーも、この条約には不参加なのです。
その後、2018年8月現在、核兵器禁止条約に署名した国は60カ国です。批准国50カ国以上で、条約は発効しますが、現時点での批准国数は、まだ50カ国に達していません。(2018年8月現在で、批准国は、タイ・ベトナム・メキシコ・キューバ・ベネズエラ・ウルグアイ・ニュージーランド・オーストリア・バチカン・パラオなど14カ国です。)
条約が発効したら、条約加盟国は、核兵器の開発・購入・保有・配備は一切できません。核による威嚇もできません。つまり、「そっちが使ったら、こっちも使うぞ」と暗に威嚇する「核の傘」による防衛を明確に否定しているということです。また、条約への留保付き参加もできません。
諸々考えると、現時点で日本が署名しないのは、政府としては極めて妥当な判断ではないでしょうか。

**「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」は、2006年にオーストラリアで設立された核兵器廃絶のための国際運動体です。日本での提携組織は5つありますが、そのうち最も有名な組織は「ピースボート」です。
ピースボートは、現立憲民主党の衆議院議員である辻元清美氏らが1983年に創設したNGO団体で、左派リベラルの力の結集を目的としています。現在の共同代表川崎哲氏はICAN国際運営委員の一人で、今回、ICANの一員としてノーベル平和賞を受賞しています。そういう意味では、ICANは、元々ピースボートと同志的繋がりの深い朝日・毎日など日本国内の左派メディアと、極めて親和性の高い組織だと言えるでしょう。
アメリカの〝自称社会主義者〟バーニー・サンダース氏の支持者たちもそうですが、世界的に左派リベラルは、反核・反権力・反格差・反資本主義・反グローバリズムを掲げて、若者たちを結集しようとしています。同様に、ピースボートもICANも、わかりやすい正義や理想を唱えて、若者を惹きつける傾向が強いように思います。ICAN事務局長のフィン氏も、まだ本当に若いです。
彼らの意見にも一理あるのは確かです。しかし、理想を現実化していくプロセス(過程)やビジョン(展望)が、どうも甘すぎるように感じます。現代の国際社会においても、残念ながら、弱肉強食の生存競争を生き抜く現実的な知恵は、やはり必要なのです。そして、「核の傘」も、その知恵の1つです。
ちなみに、1月17日に国会内で開かれたフィン氏と与野党代表との公開討論会では、共産党(志位和夫氏)・社民党(福島瑞穂氏)・自由党(玉城デニー氏)・沖縄の風(糸数慶子氏)を除くすべての党が、条約への署名を強く要請するフィン氏の主張を「時期尚早」「非現実的」として退けました。
左派傾向の強い民進党(岡田克也氏)・立憲民主党(福山哲郎氏)ですら「核抑止に依存する我が国の安保政策」を一定程度は擁護したのです。
また、条約署名賛成派の玉城デニー氏と糸数慶子氏の出身県である沖縄は、反米反日意識の最も強い地域として、国内でも唯一特別な県です。今年も那覇では、恒例の「チュチェ思想新春セミナー」が、金正恩の誕生日を祝う会合として、今月開催されました。辺野古・高江の米軍基地反対派を含めて、社大党・社民党の県・市議会議員など、毎年数十名の左派メンバーが集まるようです。