実存主義とは何か?
実存主義とは、「実際に今ここに存在している自分の固有の人生を生きることについて考えること」を意味します。簡単な言葉にすると、「今、ここに生きている自分」が、具体的に「どう生きるべきか」について考えることを最重視する哲学ということです。知識や体系ではなく、生きることそのものに価値を置いているのです。
第二次世界大戦前後のフランスでは、人類の持つ(とされてきた)理性への信頼が失われ、人間の努力への悲観主義が蔓延していました。その頃、「不条理な世界を生きる不条理な人間の虚無的な心」をあらわす言葉として、「実存主義」という哲学用語は、かなり否定的な意味で使われていました。
当時は、定職につかず、カフェなどにたむろして、刹那的な享楽主義を生きるその日暮らしの若者たちが、パリには大勢いました。そして、「実存主義」は、彼らの漂流する自我と目的のない不毛なライフスタイルを、批判的に表現する蔑視の言葉だったのです。具体的には、カミュの「異邦人(*)」などに描かれている不条理で空虚な生き方がそうです。
しかし、同じくフランスの哲学者サルトル(1905〜1980)は、「実存は本質に先立つ」と述べ、まず「生きる」という実態があって、そこから初めて精神の本質が生まれると考えました。それは、つまり、明確な目的を持って人間を創造したはずの神の不在を認め、それ故に、「人は理由も目的もなく、この世に偶発的に勝手に存在を始めるのだ」という、人間の無神論的実存の事実を表した言葉です。そして、存在を始めた、その後で、人は「何のために生きるのか」を主体的に決めるのだ、という主張です。
また、サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」とも述べています。「自分の自由意志で主体的に生きることを強いられながら、人間にはその結果に対して自己責任を取ることは能力的に不可能だ」ということから、「自由であることは個人には背負いきれない重すぎる負担である」と考えたのです。
しかし、その一方で、「実存は本質に先立つ」は、「人は、実存に目覚めて初めて、主体的に自由に生きることが可能になる」という積極的な意味にも考えられます。さらに「いまだ実存に目覚めない微睡む精神のままでは、人は真の人生を生きることはできない」という戒めの意味もあり、「人間は、もともと不条理な存在であり、その不条理な自分自身の心に気づくことがもっとも大切だ」ということでもあります。
実存主義のルーツと言われるのは、19世紀前半のデンマークの哲学者キルケゴール(1813〜1855)です。キルケゴールは、人間の実存を、三つの段階に分けて考えました。第一段階は、「美的実存」という生き方で、この段階の「楽しければ、それでいい」という幼稚な精神状態では、人は「あれもこれも」とひたすら快楽を追いかけて生きています。しかし、何度か痛い目を見て、深く反省させられ、そうした享楽的な生き方に疑問を抱くようになると、人は徐々に「倫理的実存」に目覚めるようになります。つまり、深い罪悪感を抱くと同時に「もっと正しい生き方をしたい」と願うようになるのです。
ところが、人間の心はままならないもので、正しく生きたいと強く願い、「あれかこれか」と選択を悩む時に、「他者を踏みにじっても自己中心的な欲求に従いたい」という意思を完全に消し去ることが、どうしてもできません。そして、正しく生きられない自分自身に、次第に絶望するようになります。キルケゴールは、倫理的に生きようとする個人が必ず直面する、この自己への絶望を「死に至る病」と呼びました。
人の心の中には、必ず嫉妬やら恨みやら邪心やら驕慢やら怠惰やらの悪の心が潜んでいるものです。どんな人でも、人である以上、その悪から免れることはできません。倫理的・道徳的に生きようと、どんなに努力しても、自分の心の内なる悪を退治することはできないのです。
大抵の人は、その内なる悪に気づかないふりをして、外面だけうまく取り繕って生きています。誠実に倫理的であろうとしたら、死ぬよりほか道がなくなってしまうからです。夏目漱石が「こころ」で描いた「先生」の最期のように。
しかし、人は時として、その苦悩と絶望の淵から、一切の我欲を捨て去った「宗教的実存」に目覚めることがあります。ごく一部の人が辿り着く「神の前にただ一人立ち、神の意志に従う」という究極の境地が、この宗教的実存です。この状況は、文学の中では、主にファンタジーとして描かれます。ナルニア国の王アスランの前に立つエドマンドのように、すべての罪を認めて、神の前に身を投げ出してすべてを委ねるのです。
キルケゴールの場合には、「自分は彼女を幸せにできない」という思いから、深く愛しているが故に最愛の女性と別れたエピソードが有名です。
しかし、19世紀末〜20世紀初頭においては、唯物論・無神論が、欧州の価値観を根底から揺るがしていました。科学信仰と進歩主義によって、伝統的キリスト教精神が失われつつある当時、キルケゴールの宗教的実存は、神の実在を疑う無神論者にとっては、自らの生き方としては受け入れられないものだったのです。
そして「神は死んだ」という言葉で有名なニーチェ(1844〜1900/ドイツ)が登場しました。ニーチェにとっては、伝統的な教会の権威に依存したり、当時欧州を席巻していた社会主義思想に傾倒する生き方は、創造的自己変革を初めから諦めている弱者による醜い自己正当化(ルサンチマン)に過ぎないと思えました。彼らは徒党を組んで、自分より優れた者を引き摺り下ろすことに躍起になるのですが、それは自分が劣っていて醜悪であることから目をそらす手段に過ぎないのです。ニーチェは、こうしたキリスト教の信仰や社会主義思想の信奉を、正しいことを他者に決めてもらい、自分の立場を権威に保証してもらい、都合よく心地よくそれに従うという、忌わしい奴隷の道徳であると感じました。
それだけではなく、例えば、「権力は悪だ(善だ)!」「イスラム教徒は悪だ(善だ)!」「金持ちは悪だ(善だ)!」「警官は悪だ(善だ)!」「トランプは悪だ(善だ)!」「日本は悪だ(善だ)!」というように、自らを正義と思い込み、他者を悪と決めつけて、身勝手な憎しみを抱く、このような空虚な倫理観を、ニーチェは「君主の道徳ではなく、弱者による醜い奴隷道徳である」と断じたのです。
そして、己の心を支える何物も信じられない「神のいない世界」で、生の意味を見失い、虚無主義(ニヒリズム)に陥っていた人々に、ニーチェはまったく新しい生き方(あるいは太古から続く由緒ある古典的な生き方)を示しました。
それは、どんなまやかしの権威や価値観にも依存せず、「意味のない人生を、意味がないと知りつつ、その無意味さを真正面から受け止めて精一杯生きる」という仏教的な無常観にも通じる生き方でした。ニーチェは、これを人(弱者)を超えた超人(強者)の生き方として、「永劫回帰(無限に続く無意味な繰り返しを運命と受け止め、その自己の運命を愛して生きる)」と表現しました。
そして、その生きる意欲を支えるものは、盲目的な「生への意志(力への意志/権力への意志)」であるとニーチェは考えました。
このニーチェの影響を受けたのがハイデッカー(1889〜1976/ドイツ)です。ハイデッカーは、「大衆社会の中で没個性的に生きる個人(世界内存在)は、自分の死に直面して初めて、自分がやり直しのきかないたった一度のかけがえのない生を生きる唯一無二の存在(現存在)であることを知る」と考えました。
例えばキルケゴールは、自分が34歳までには死ぬと信じ込んでいました。それは、彼の父親が、自分の犯した強姦の罪のために、自分の7人の息子たち(キルケゴールは末っ子)は、キリストが磔にされた34歳まで生きられないと頑なに信じ込んでおり、実際に長男と末っ子を除いて5人が34歳までに死んでいたからです。この自己の存在の根っこにある不安が、キルケゴールの思索の出発点でした。自分は必ず若くして死ぬと信じていたことが、キルケゴールを深く苦悩させ、若くして実存に目覚めさせたと考えられるのです。
このことをハイデッカーは、「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」と言っています。自分の命の有限性に気付くことが、囚われの盲いた心を責任ある自由に向けて解き放つ、ということです。
つまり、「人は、自分がいつか必ず死ぬということを思い知って、初めて、個人として生きていることを真に実感することができる、それはすなわち、心を根源的な真理に目覚めさせることにつながる」と考えられるのです。その真理とは、ハイデッカーによれば、「個人は共同体と民族のために自分の限りある生を奉仕させるべきだ」という「民族の運命に殉じる精神」なのでした。
誰にとっても、人生は常に有限であり、一生の間にできることには限りがあります。その限りある生を自由に主体的に「民族への責任を持って生きよう」と決意する勇敢な意思こそが、ニーチェが「権力への意志(生への意志)」と名付けたものである、とハイデッカーは考えたのです。
第一次世界大戦後の廃墟の中で、人間の理性への信頼を失いかけていた人々に向かって、ハイデッカーは、虚無主義(ニヒリズム)を乗り越えるために必要なのは、この「決然として明晰な意志の力」だと主張しました。そして、そのカリスマ的知性は、当時の多くの学生を魅了したのです。
ニーチェもハイデッカーも、具体的な目標も方向性も持たない原初的な生への衝動とエネルギーを、人間の根源的な生きる力の源泉として、極めて肯定的に捉えていました。ただし、ハイデッカーの場合は、この「権力への意志」は盲目的なものであってはならず、明確な目的を与えられるべきだと考えていました。
このニーチェとハイデッカーの思想は、日本人にはそれほど奇異には感じられないのですが、欧州においてはあまり馴染みのない考え方で、そのせいか、ひどい誤解を受けました。「神のいない現実世界では、倫理的な罪も罰もあり得ないのだから、人間は何をするのも自由であり、自己の生存を保持する上で、他者を支配する権力を獲得するためには、どんな手段を使うのも、無制限に許されている」と受け取られてしまったのです。
同時に、第一次世界大戦という災厄によって、キリスト教精神と人類の進歩への根深い懐疑に囚われていた欧州人の心を動かす道具として、「権力への意志」という煌めくイメージが、民族意識の高揚に利用されたということもあります。
例えば、レニ・リーフェンシュタールによるナチス党大会の記録映画「信念の勝利(1933)」「意志の勝利(1934)」、ベルリン・オリンピックの記録映画「オリンピア(1936)」などの映像作品によって、ナチスの権力掌握の物語として「権力への意志」のイメージは強烈に印象付けられました。
さらに、シュペングラーの著書「西洋の没落(1918〜1922)」に象徴される「生き残りを賭けて、第三極を目指せ!」という当時の欧州諸国の危機意識があり、スペンサーの社会進化論と国家有機体説(**)などの強い影響もあって、国家社会主義思想が注目されるようになりました。こうした情勢を背景に、民族主義と国家優先主義を唱えるヒトラーのナチスは、ドイツの最先端科学技術と芸術を複合的にプロパガンダに利用し、国民の熱狂的支持を得て急速に台頭しました。
その過程で、ニーチェやハイデッカーの哲学が政治的に利用され、結果として、ナチス・ドイツの無神論的な全体主義思想とゲルマン民族至上の優生学思想に権威を与えてしまったのです。また、ハイデッカー自身、事実、ナチスに入党(1933)していました。
当時、多くの文化人や知識人が、初期においては、ナチスを「現代の最も力強い精神運動」として礼賛していたのも事実なのです。中でもハイデッカーは、非常に熱心なナチズムの信奉者であり教育者でした。その他、戦後、ナチズムの本質を「道具的理性(***)」として批判したフランクフルト学派のアドルノも、1934年まではナチス賛美の言論活動に加わっていたと批判されています。
おそらく、ニーチェが生きていたならば、「ナチスの反ユダヤ主義もまた、ルサンチマンに過ぎない」ことを看破していたかもしれませんが。
この激動の時代に、キルケゴールの宗教的実存について、再び考察しなおした哲学者が、ハイデッカーと同世代の哲学者ヤスパース(1883〜1969/ドイツ)です。ヤスパースの妻はユダヤ人であり、ヤスパース自身、大戦末期には妻とともに収容所へ送られる寸前でした。自国の政府により殺される寸前、敵国の政府に助けられることになるのです。この自己の寄って立つ基盤(日常)が崩壊していく生々しい喪失体験(実存の不安)が、ヤスパースの哲学に決定的な影響を与えたと考えられています。
一般に日常的現実の中に埋没している人間は、キルケゴールの言う美的実存を生きており、生活の安定と享楽だけを望んで生きています。難しいことを考えるのは面倒なだけですし、実際、興味もないのです。
しかし、「限界状況(極限状況)を体験した人間は、もはや以前と同じではいられない」とヤスパースは考えました。限界状況とは、人間が耐えうる限界の体験を意味し、生と死の狭間の体験、究極の苦痛や苦悩の体験などをあらわします。
限界状況において決定的挫折に直面した人間は、どうすることもできない孤独と絶望に突き落とされます。誰にもわかってもらえないかもしれない終わりのない苦しみに、独り苛まれるのです。けれども、その極限の苦悩と孤独の中で、人は真実の人と人の深い交わり(実存的交わり)を求めるようになります。それは、深い理解と共感への切実な飢えです。この「飢え」を感じない者は、実存的交わりを求めることもないのです。また、同時に、限界状況にある者は、時として、ショル兄弟やシモーヌ・ヴェイユのように、想像を絶する恐怖と苦痛と絶望の中で、絶対的な存在(超越者)の実在を感じて、真の実存(宗教的実存)に目覚めることもある、とヤスパースは考えたのです。
ちょうど、アンデス山中に飛行機が墜落し、雪山に遭難した「生存者(****)」たちのように、彼らは非日常的な生と死の狭間を体験して、まったく新しい心で世界を感じ、まったく新しい目で世界を見るようになります。これが「実存の目覚め」です。
このように、ハイデッカーとヤスパースは同時代の盟友ではありますが、ハイデッカーが無神論的にドイツ精神の高揚を目指したのに対して、ヤスパースは有神論的に個人の実存を追求したのです。
それにしても、ハイデッカーとヤスパースの晩年は、あまりにも対照的でした。ハイデッカーはナチスへの協力者と非難されて惨めな老後でした。一方で、ヤスパースは、戦後、評価が高まり、華々しく活躍を続けました。
しかし、ハイデッカーとヤスパースの人間性や思想に、それほどの差があったのでしょうか。たまたまヤスパースにはユダヤ人の伴侶がいた。ハイデッカーにはいなかった。けれども、もしも、教え子でもあり恋人でもあったユダヤ人ハンナ・アーレントとの付き合いが続いていたら、そして二人が結ばれていたら、どうだったでしょう。ハイデッカーもまた、早々とナチスと距離をとったかもしれません。すべては〝運〟だったのではないでしょうか。
とはいえ、ハイデッカーやアドルノが、戦後、ナチスへの協力に関して追求を受けた時の言い訳は、かなり見苦しいものでした。打たれ慣れていない人間の脆さが、もろに表出した感があります。
思えば、ニーチェもキルケゴールも、あまりにも真面目で、ある面で精神のひ弱さを感じさせる人でした。ニーチェが発狂したのも、キルケゴールが早死にしたのも、神経が繊細で、性格が純粋すぎるがゆえとも思えます。その反面、生真面目すぎて、くだけた話が通じないというか、言わば、猥談のできない人たちと言うのでしょうか。人間としては、少し面白みに欠けるというか、フーテンの寅さんと友だちになれない人たちと言ってもいいかもしれません。そういう人たちは、どこか打たれ弱い。
そういう点では、孔子やソクラテスやセネカやマルクス・アウレリウス・アントニウスといった古代の先賢たちは、本当に逞しかったと思います。生活臭が濃厚で、なおかつ、日常的に戦場があり、命のやり取りをしていた古代の人たちは、やはり経験値が豊富と言うか、肉体面でも精神面でも鍛え方が違います。精神を支えるバックボーンが重厚で骨太なのです。近代で、これに近い経験値を感じさせる哲学者は、ドストエフスキーぐらいでしょうか。
彼ら先賢たちの逞しく野太い精神を支えたのは、根源的で盲目的な〝生への意思〟と、神(運命)への深く揺るぎない信頼です。
その意思と信頼をもって、彼らは豊かで実りの多い人生を全うしたのです。
*「異邦人(1942)」→フランスの植民支配下にあった北アフリカのアルジェリアが舞台。老人ホームで実の母親が孤独に死んだという通知を受けても、なんの感慨もいだくことのない主人公ムルソーが、同じようになんの感情もなく些細なことから人を殺す。取り調べで、なぜ殺したのかを尋ねられ「太陽が眩しかったから」と答える。
全ての虚構を剥ぎ取り、人間の心の不条理と非共感性の真実の姿(実存)を、一切ごまかすことなく誠実に描ききった、「ペスト(1947)」と並ぶカミュ(1913〜1960)の代表作。
**スペンサー(1820〜1903)→19世紀イギリスの社会学者。
当時、社会を席巻していたダーウィンの進化論を人間社会に当てはめて、「国際社会においても『適者生存の法則』が働いている」つまり「環境によりよく適合した国家だけが生き残ることができる」と考えた。これが『社会進化論』の概念である。また、さらに考えを進め、国家の構造と機能の優劣が国際環境適応力に密接に関係するという『社会有機体説』を生み出した。
こうしたスペンサーのアイディアが、国家の効率性向上を至上目的として、個人に全体(国家)への奉仕を無条件で強いる国家社会主義思想(全体主義/ナチズム)に援用された。
***「道具的理性」→大戦後、ユダヤ系のフランクフルト学派によって、ナチズムの元凶の一つとされた思考形態。ホルクハイマーやアドルノによって作られた概念。
本来、ソクラテスに見られるような健全な信仰心に裏打ちされた知を愛する精神が働かせる理性は、内的にも外的にも「より深く知ろうとする」哲学的意欲によって為される知的思索行為のための道具だった。
しかし、信仰を見失った近代人の心においては、理性が欲望に仕える道具として働く。その場合、思考は単に目的達成の手段を獲得するためにのみ働くのである。そのため、知的関心の範囲は極めて制限され、「これは何なのか」ではなく「どうすればいいのか」だけを考えるようになる。
まとめると、「近代の理性は、正邪を見抜く叡智の働きを宿すことなく、集団と個人の支配欲や成功欲、あるいは保身や防衛の実現のための手段に過ぎないものとなり、つまりは人間の欲望の道具に成り下がってしまっている」というのが、フランクフルト学派の主張である。
そうすると、「どうしたら、人は本来の理性の働きを取り戻せるのか」というのが、次のテーマとなるはずである。しかし、マルクス主義を哲学的に発展させようとしたフランクフルト学派は、道具的理性を乗り越える道を見出すことが、ついにできなかったように思える。第2世代のハーバーマスが提唱したコミュニケーション的理性というのも、何となく本質から逸れた詭弁に聞こえてしまうのだ。
****「生存者(1974)」→P・P・リードによるノンフィクション。映画「生きてこそ(1993)」の原作。冬のアンデス山中で70日間を生き延びた旅客機遭難事故の生存者たちの実話。孤立無援の極限状況の中、次々と仲間が死んでいく。それでも希望を見失わず、仲間の人肉で飢えをしのいで厳しい冬を越え、決死隊が自力で救助を呼びに山を下り、奇跡の生還を果たした人々の物語。
一切の人為が通じない極限の大自然の御手の中から帰ってきた男たちの一人が語る、「山には神がいた」という言葉が胸に刺さる。
しかし、これは山だったからこその言葉であり、もしも、この極限状況が、人間の作り出した悪夢である戦場であったなら、決して起こり得なかっただろう。
実存主義とは、「実際に今ここに存在している自分の固有の人生を生きることについて考えること」を意味します。簡単な言葉にすると、「今、ここに生きている自分」が、具体的に「どう生きるべきか」について考えることを最重視する哲学ということです。知識や体系ではなく、生きることそのものに価値を置いているのです。
第二次世界大戦前後のフランスでは、人類の持つ(とされてきた)理性への信頼が失われ、人間の努力への悲観主義が蔓延していました。その頃、「不条理な世界を生きる不条理な人間の虚無的な心」をあらわす言葉として、「実存主義」という哲学用語は、かなり否定的な意味で使われていました。
当時は、定職につかず、カフェなどにたむろして、刹那的な享楽主義を生きるその日暮らしの若者たちが、パリには大勢いました。そして、「実存主義」は、彼らの漂流する自我と目的のない不毛なライフスタイルを、批判的に表現する蔑視の言葉だったのです。具体的には、カミュの「異邦人(*)」などに描かれている不条理で空虚な生き方がそうです。
しかし、同じくフランスの哲学者サルトル(1905〜1980)は、「実存は本質に先立つ」と述べ、まず「生きる」という実態があって、そこから初めて精神の本質が生まれると考えました。それは、つまり、明確な目的を持って人間を創造したはずの神の不在を認め、それ故に、「人は理由も目的もなく、この世に偶発的に勝手に存在を始めるのだ」という、人間の無神論的実存の事実を表した言葉です。そして、存在を始めた、その後で、人は「何のために生きるのか」を主体的に決めるのだ、という主張です。
また、サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」とも述べています。「自分の自由意志で主体的に生きることを強いられながら、人間にはその結果に対して自己責任を取ることは能力的に不可能だ」ということから、「自由であることは個人には背負いきれない重すぎる負担である」と考えたのです。
しかし、その一方で、「実存は本質に先立つ」は、「人は、実存に目覚めて初めて、主体的に自由に生きることが可能になる」という積極的な意味にも考えられます。さらに「いまだ実存に目覚めない微睡む精神のままでは、人は真の人生を生きることはできない」という戒めの意味もあり、「人間は、もともと不条理な存在であり、その不条理な自分自身の心に気づくことがもっとも大切だ」ということでもあります。
実存主義のルーツと言われるのは、19世紀前半のデンマークの哲学者キルケゴール(1813〜1855)です。キルケゴールは、人間の実存を、三つの段階に分けて考えました。第一段階は、「美的実存」という生き方で、この段階の「楽しければ、それでいい」という幼稚な精神状態では、人は「あれもこれも」とひたすら快楽を追いかけて生きています。しかし、何度か痛い目を見て、深く反省させられ、そうした享楽的な生き方に疑問を抱くようになると、人は徐々に「倫理的実存」に目覚めるようになります。つまり、深い罪悪感を抱くと同時に「もっと正しい生き方をしたい」と願うようになるのです。
ところが、人間の心はままならないもので、正しく生きたいと強く願い、「あれかこれか」と選択を悩む時に、「他者を踏みにじっても自己中心的な欲求に従いたい」という意思を完全に消し去ることが、どうしてもできません。そして、正しく生きられない自分自身に、次第に絶望するようになります。キルケゴールは、倫理的に生きようとする個人が必ず直面する、この自己への絶望を「死に至る病」と呼びました。
人の心の中には、必ず嫉妬やら恨みやら邪心やら驕慢やら怠惰やらの悪の心が潜んでいるものです。どんな人でも、人である以上、その悪から免れることはできません。倫理的・道徳的に生きようと、どんなに努力しても、自分の心の内なる悪を退治することはできないのです。
大抵の人は、その内なる悪に気づかないふりをして、外面だけうまく取り繕って生きています。誠実に倫理的であろうとしたら、死ぬよりほか道がなくなってしまうからです。夏目漱石が「こころ」で描いた「先生」の最期のように。
しかし、人は時として、その苦悩と絶望の淵から、一切の我欲を捨て去った「宗教的実存」に目覚めることがあります。ごく一部の人が辿り着く「神の前にただ一人立ち、神の意志に従う」という究極の境地が、この宗教的実存です。この状況は、文学の中では、主にファンタジーとして描かれます。ナルニア国の王アスランの前に立つエドマンドのように、すべての罪を認めて、神の前に身を投げ出してすべてを委ねるのです。
キルケゴールの場合には、「自分は彼女を幸せにできない」という思いから、深く愛しているが故に最愛の女性と別れたエピソードが有名です。
しかし、19世紀末〜20世紀初頭においては、唯物論・無神論が、欧州の価値観を根底から揺るがしていました。科学信仰と進歩主義によって、伝統的キリスト教精神が失われつつある当時、キルケゴールの宗教的実存は、神の実在を疑う無神論者にとっては、自らの生き方としては受け入れられないものだったのです。
そして「神は死んだ」という言葉で有名なニーチェ(1844〜1900/ドイツ)が登場しました。ニーチェにとっては、伝統的な教会の権威に依存したり、当時欧州を席巻していた社会主義思想に傾倒する生き方は、創造的自己変革を初めから諦めている弱者による醜い自己正当化(ルサンチマン)に過ぎないと思えました。彼らは徒党を組んで、自分より優れた者を引き摺り下ろすことに躍起になるのですが、それは自分が劣っていて醜悪であることから目をそらす手段に過ぎないのです。ニーチェは、こうしたキリスト教の信仰や社会主義思想の信奉を、正しいことを他者に決めてもらい、自分の立場を権威に保証してもらい、都合よく心地よくそれに従うという、忌わしい奴隷の道徳であると感じました。
それだけではなく、例えば、「権力は悪だ(善だ)!」「イスラム教徒は悪だ(善だ)!」「金持ちは悪だ(善だ)!」「警官は悪だ(善だ)!」「トランプは悪だ(善だ)!」「日本は悪だ(善だ)!」というように、自らを正義と思い込み、他者を悪と決めつけて、身勝手な憎しみを抱く、このような空虚な倫理観を、ニーチェは「君主の道徳ではなく、弱者による醜い奴隷道徳である」と断じたのです。
そして、己の心を支える何物も信じられない「神のいない世界」で、生の意味を見失い、虚無主義(ニヒリズム)に陥っていた人々に、ニーチェはまったく新しい生き方(あるいは太古から続く由緒ある古典的な生き方)を示しました。
それは、どんなまやかしの権威や価値観にも依存せず、「意味のない人生を、意味がないと知りつつ、その無意味さを真正面から受け止めて精一杯生きる」という仏教的な無常観にも通じる生き方でした。ニーチェは、これを人(弱者)を超えた超人(強者)の生き方として、「永劫回帰(無限に続く無意味な繰り返しを運命と受け止め、その自己の運命を愛して生きる)」と表現しました。
そして、その生きる意欲を支えるものは、盲目的な「生への意志(力への意志/権力への意志)」であるとニーチェは考えました。
このニーチェの影響を受けたのがハイデッカー(1889〜1976/ドイツ)です。ハイデッカーは、「大衆社会の中で没個性的に生きる個人(世界内存在)は、自分の死に直面して初めて、自分がやり直しのきかないたった一度のかけがえのない生を生きる唯一無二の存在(現存在)であることを知る」と考えました。
例えばキルケゴールは、自分が34歳までには死ぬと信じ込んでいました。それは、彼の父親が、自分の犯した強姦の罪のために、自分の7人の息子たち(キルケゴールは末っ子)は、キリストが磔にされた34歳まで生きられないと頑なに信じ込んでおり、実際に長男と末っ子を除いて5人が34歳までに死んでいたからです。この自己の存在の根っこにある不安が、キルケゴールの思索の出発点でした。自分は必ず若くして死ぬと信じていたことが、キルケゴールを深く苦悩させ、若くして実存に目覚めさせたと考えられるのです。
このことをハイデッカーは、「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」と言っています。自分の命の有限性に気付くことが、囚われの盲いた心を責任ある自由に向けて解き放つ、ということです。
つまり、「人は、自分がいつか必ず死ぬということを思い知って、初めて、個人として生きていることを真に実感することができる、それはすなわち、心を根源的な真理に目覚めさせることにつながる」と考えられるのです。その真理とは、ハイデッカーによれば、「個人は共同体と民族のために自分の限りある生を奉仕させるべきだ」という「民族の運命に殉じる精神」なのでした。
誰にとっても、人生は常に有限であり、一生の間にできることには限りがあります。その限りある生を自由に主体的に「民族への責任を持って生きよう」と決意する勇敢な意思こそが、ニーチェが「権力への意志(生への意志)」と名付けたものである、とハイデッカーは考えたのです。
第一次世界大戦後の廃墟の中で、人間の理性への信頼を失いかけていた人々に向かって、ハイデッカーは、虚無主義(ニヒリズム)を乗り越えるために必要なのは、この「決然として明晰な意志の力」だと主張しました。そして、そのカリスマ的知性は、当時の多くの学生を魅了したのです。
ニーチェもハイデッカーも、具体的な目標も方向性も持たない原初的な生への衝動とエネルギーを、人間の根源的な生きる力の源泉として、極めて肯定的に捉えていました。ただし、ハイデッカーの場合は、この「権力への意志」は盲目的なものであってはならず、明確な目的を与えられるべきだと考えていました。
このニーチェとハイデッカーの思想は、日本人にはそれほど奇異には感じられないのですが、欧州においてはあまり馴染みのない考え方で、そのせいか、ひどい誤解を受けました。「神のいない現実世界では、倫理的な罪も罰もあり得ないのだから、人間は何をするのも自由であり、自己の生存を保持する上で、他者を支配する権力を獲得するためには、どんな手段を使うのも、無制限に許されている」と受け取られてしまったのです。
同時に、第一次世界大戦という災厄によって、キリスト教精神と人類の進歩への根深い懐疑に囚われていた欧州人の心を動かす道具として、「権力への意志」という煌めくイメージが、民族意識の高揚に利用されたということもあります。
例えば、レニ・リーフェンシュタールによるナチス党大会の記録映画「信念の勝利(1933)」「意志の勝利(1934)」、ベルリン・オリンピックの記録映画「オリンピア(1936)」などの映像作品によって、ナチスの権力掌握の物語として「権力への意志」のイメージは強烈に印象付けられました。
さらに、シュペングラーの著書「西洋の没落(1918〜1922)」に象徴される「生き残りを賭けて、第三極を目指せ!」という当時の欧州諸国の危機意識があり、スペンサーの社会進化論と国家有機体説(**)などの強い影響もあって、国家社会主義思想が注目されるようになりました。こうした情勢を背景に、民族主義と国家優先主義を唱えるヒトラーのナチスは、ドイツの最先端科学技術と芸術を複合的にプロパガンダに利用し、国民の熱狂的支持を得て急速に台頭しました。
その過程で、ニーチェやハイデッカーの哲学が政治的に利用され、結果として、ナチス・ドイツの無神論的な全体主義思想とゲルマン民族至上の優生学思想に権威を与えてしまったのです。また、ハイデッカー自身、事実、ナチスに入党(1933)していました。
当時、多くの文化人や知識人が、初期においては、ナチスを「現代の最も力強い精神運動」として礼賛していたのも事実なのです。中でもハイデッカーは、非常に熱心なナチズムの信奉者であり教育者でした。その他、戦後、ナチズムの本質を「道具的理性(***)」として批判したフランクフルト学派のアドルノも、1934年まではナチス賛美の言論活動に加わっていたと批判されています。
おそらく、ニーチェが生きていたならば、「ナチスの反ユダヤ主義もまた、ルサンチマンに過ぎない」ことを看破していたかもしれませんが。
この激動の時代に、キルケゴールの宗教的実存について、再び考察しなおした哲学者が、ハイデッカーと同世代の哲学者ヤスパース(1883〜1969/ドイツ)です。ヤスパースの妻はユダヤ人であり、ヤスパース自身、大戦末期には妻とともに収容所へ送られる寸前でした。自国の政府により殺される寸前、敵国の政府に助けられることになるのです。この自己の寄って立つ基盤(日常)が崩壊していく生々しい喪失体験(実存の不安)が、ヤスパースの哲学に決定的な影響を与えたと考えられています。
一般に日常的現実の中に埋没している人間は、キルケゴールの言う美的実存を生きており、生活の安定と享楽だけを望んで生きています。難しいことを考えるのは面倒なだけですし、実際、興味もないのです。
しかし、「限界状況(極限状況)を体験した人間は、もはや以前と同じではいられない」とヤスパースは考えました。限界状況とは、人間が耐えうる限界の体験を意味し、生と死の狭間の体験、究極の苦痛や苦悩の体験などをあらわします。
限界状況において決定的挫折に直面した人間は、どうすることもできない孤独と絶望に突き落とされます。誰にもわかってもらえないかもしれない終わりのない苦しみに、独り苛まれるのです。けれども、その極限の苦悩と孤独の中で、人は真実の人と人の深い交わり(実存的交わり)を求めるようになります。それは、深い理解と共感への切実な飢えです。この「飢え」を感じない者は、実存的交わりを求めることもないのです。また、同時に、限界状況にある者は、時として、ショル兄弟やシモーヌ・ヴェイユのように、想像を絶する恐怖と苦痛と絶望の中で、絶対的な存在(超越者)の実在を感じて、真の実存(宗教的実存)に目覚めることもある、とヤスパースは考えたのです。
ちょうど、アンデス山中に飛行機が墜落し、雪山に遭難した「生存者(****)」たちのように、彼らは非日常的な生と死の狭間を体験して、まったく新しい心で世界を感じ、まったく新しい目で世界を見るようになります。これが「実存の目覚め」です。
このように、ハイデッカーとヤスパースは同時代の盟友ではありますが、ハイデッカーが無神論的にドイツ精神の高揚を目指したのに対して、ヤスパースは有神論的に個人の実存を追求したのです。
それにしても、ハイデッカーとヤスパースの晩年は、あまりにも対照的でした。ハイデッカーはナチスへの協力者と非難されて惨めな老後でした。一方で、ヤスパースは、戦後、評価が高まり、華々しく活躍を続けました。
しかし、ハイデッカーとヤスパースの人間性や思想に、それほどの差があったのでしょうか。たまたまヤスパースにはユダヤ人の伴侶がいた。ハイデッカーにはいなかった。けれども、もしも、教え子でもあり恋人でもあったユダヤ人ハンナ・アーレントとの付き合いが続いていたら、そして二人が結ばれていたら、どうだったでしょう。ハイデッカーもまた、早々とナチスと距離をとったかもしれません。すべては〝運〟だったのではないでしょうか。
とはいえ、ハイデッカーやアドルノが、戦後、ナチスへの協力に関して追求を受けた時の言い訳は、かなり見苦しいものでした。打たれ慣れていない人間の脆さが、もろに表出した感があります。
思えば、ニーチェもキルケゴールも、あまりにも真面目で、ある面で精神のひ弱さを感じさせる人でした。ニーチェが発狂したのも、キルケゴールが早死にしたのも、神経が繊細で、性格が純粋すぎるがゆえとも思えます。その反面、生真面目すぎて、くだけた話が通じないというか、言わば、猥談のできない人たちと言うのでしょうか。人間としては、少し面白みに欠けるというか、フーテンの寅さんと友だちになれない人たちと言ってもいいかもしれません。そういう人たちは、どこか打たれ弱い。
そういう点では、孔子やソクラテスやセネカやマルクス・アウレリウス・アントニウスといった古代の先賢たちは、本当に逞しかったと思います。生活臭が濃厚で、なおかつ、日常的に戦場があり、命のやり取りをしていた古代の人たちは、やはり経験値が豊富と言うか、肉体面でも精神面でも鍛え方が違います。精神を支えるバックボーンが重厚で骨太なのです。近代で、これに近い経験値を感じさせる哲学者は、ドストエフスキーぐらいでしょうか。
彼ら先賢たちの逞しく野太い精神を支えたのは、根源的で盲目的な〝生への意思〟と、神(運命)への深く揺るぎない信頼です。
その意思と信頼をもって、彼らは豊かで実りの多い人生を全うしたのです。
*「異邦人(1942)」→フランスの植民支配下にあった北アフリカのアルジェリアが舞台。老人ホームで実の母親が孤独に死んだという通知を受けても、なんの感慨もいだくことのない主人公ムルソーが、同じようになんの感情もなく些細なことから人を殺す。取り調べで、なぜ殺したのかを尋ねられ「太陽が眩しかったから」と答える。
全ての虚構を剥ぎ取り、人間の心の不条理と非共感性の真実の姿(実存)を、一切ごまかすことなく誠実に描ききった、「ペスト(1947)」と並ぶカミュ(1913〜1960)の代表作。
**スペンサー(1820〜1903)→19世紀イギリスの社会学者。
当時、社会を席巻していたダーウィンの進化論を人間社会に当てはめて、「国際社会においても『適者生存の法則』が働いている」つまり「環境によりよく適合した国家だけが生き残ることができる」と考えた。これが『社会進化論』の概念である。また、さらに考えを進め、国家の構造と機能の優劣が国際環境適応力に密接に関係するという『社会有機体説』を生み出した。
こうしたスペンサーのアイディアが、国家の効率性向上を至上目的として、個人に全体(国家)への奉仕を無条件で強いる国家社会主義思想(全体主義/ナチズム)に援用された。
***「道具的理性」→大戦後、ユダヤ系のフランクフルト学派によって、ナチズムの元凶の一つとされた思考形態。ホルクハイマーやアドルノによって作られた概念。
本来、ソクラテスに見られるような健全な信仰心に裏打ちされた知を愛する精神が働かせる理性は、内的にも外的にも「より深く知ろうとする」哲学的意欲によって為される知的思索行為のための道具だった。
しかし、信仰を見失った近代人の心においては、理性が欲望に仕える道具として働く。その場合、思考は単に目的達成の手段を獲得するためにのみ働くのである。そのため、知的関心の範囲は極めて制限され、「これは何なのか」ではなく「どうすればいいのか」だけを考えるようになる。
まとめると、「近代の理性は、正邪を見抜く叡智の働きを宿すことなく、集団と個人の支配欲や成功欲、あるいは保身や防衛の実現のための手段に過ぎないものとなり、つまりは人間の欲望の道具に成り下がってしまっている」というのが、フランクフルト学派の主張である。
そうすると、「どうしたら、人は本来の理性の働きを取り戻せるのか」というのが、次のテーマとなるはずである。しかし、マルクス主義を哲学的に発展させようとしたフランクフルト学派は、道具的理性を乗り越える道を見出すことが、ついにできなかったように思える。第2世代のハーバーマスが提唱したコミュニケーション的理性というのも、何となく本質から逸れた詭弁に聞こえてしまうのだ。
****「生存者(1974)」→P・P・リードによるノンフィクション。映画「生きてこそ(1993)」の原作。冬のアンデス山中で70日間を生き延びた旅客機遭難事故の生存者たちの実話。孤立無援の極限状況の中、次々と仲間が死んでいく。それでも希望を見失わず、仲間の人肉で飢えをしのいで厳しい冬を越え、決死隊が自力で救助を呼びに山を下り、奇跡の生還を果たした人々の物語。
一切の人為が通じない極限の大自然の御手の中から帰ってきた男たちの一人が語る、「山には神がいた」という言葉が胸に刺さる。
しかし、これは山だったからこその言葉であり、もしも、この極限状況が、人間の作り出した悪夢である戦場であったなら、決して起こり得なかっただろう。