9月1日朝、羽田空港の国内線から国際線への乗り継ぎバスの中から、ROYAL AIR FORCE の目立つ文字の入った英国空軍の旅客機を間近で見ました。一見、軍の輸送機のようにも見えるカーキ色の機体は、メイ首相を乗せてきた政府専用機だと思われました。メイ首相、いつまで日本にいるんだろう、などと思いながら、軍用機の横を通り過ぎ、ANAの国際線の旅客機で、ドイツのミュンヘンへと旅立ちました。
今回、初めてプレミアム・エコノミーを試してみたのですが、座席は、かつての旧型のビジネスクラスのシートとよく似た感じで、完全に横になって熟睡するのは無理ですが、それなりに快適な座り心地ではあります。ただし、食事やサービスのレベルは、エコノミーレベルですから、たいしたことはありません。それに、12時間の旅では、やはり、新型ビジネスクラスのシートの方が、はるかに楽ではあります。
ミュンヘンでは、空港の印象としては、機能性を重視した設計が、清潔で開放感がある一方、殺風景で無機質な空間を生み出しているという感じでした。子どものプレイルームのようなスペースやブランド品売り場などは、全体的に綺麗で機能的で気持ちの良い空間と感じられるのですが、その一方で、ゲート前の待合スペースなどは、ひたすら規則的に椅子が並ぶだけで、売店の一つもなく、花一つ飾られていない、面白みのない非人間的な空間とも感じるのです。
最大の問題点は、空港内売店での買い物が、店員の手際が悪すぎて、お客の行列が先に進まず、異常に時間がかかることです。一般的に、建物の空間設計自体は、いかにもドイツ的で機能性が高くても、お客の応対に関する〝おもてなしシステム〟の方は、無駄が多過ぎて全く機能的ではありません。せめて、飲み物の自動販売機を空港内に設置してくれれば、水分補給のためペットボトルの水を一本買うのにも、20分もかかるという劣悪な状態は、すぐにでも改善されると思うのですが、残念ながら、空港内に自動販売機は一つもありません。
ドイツならば、空港内なら治安上置こうと思えば置けるはずですが、そういうものは、構内景観を汚すという観点から、初めから排除されているような気もします。まさに、機能美溢れる非人間的な空間というわけです。何と言うか、ドイツ人の創る空間は、合理的で人間工学的に優れた、人に優しい空間を目指しながらも、どこか人に優しくないところがあるような気もするのです。
ミュンヘンからは、ルフトハンザ航空で最終目的地のローマに向かったのですが、この飛行機の中が、また、大変でした。ドイツ最大の航空会社でありながら、まるで格安航空会社のようで、すべてをコンパクトに納めるために、通路や座席上の収納スペースが、とても狭い旅客機でした。また、この日は満員だったので、みんなバッグやスーツケースを収納スペースに収めるのに苦労していました。飛行機が動き始めても、まだトランクを収めるスペースを探し出せない人たちが、通路をうろうろして、悪戦苦闘していました。
わたしの横のシートは空席だったので、荷物の置き場がなくて困っていた女の子に「ここに置けば?」と言ったのですが、「係員の指示に従わないと」と迷った末に、係員の指示に従って、飛行機の正反対側の遠く離れた収納棚に、ボストンバッグを入れさせられていました。妙に杓子定規で融通がきかないのも、生真面目すぎるドイツ人の特徴です。
それからルフトハンザの機内で出るサンドイッチですが、ベジタリアン用のチーズサンドが不味すぎます。生ニンジンのみじん切りが妙に固いパンに挟まれている意味がわかりません。ハムサンドの方がまだマシですが、何れにしても工夫のない人に優しくないサンドイッチです。


9月のローマの気温は、26,7度で湿気は低く、過ごしやすい気候です。
ホテルの玄関にかかっている大きな4つの国旗の一つが日章旗だったので、理由を聞いてみると、日本人のお客が多いからだと言っていました。それ以外の3つの旗は、自国イタリアと隣国フランスの国旗にEUの旗でしたから、なんとなく良い気分で1日をスタートすることができました。
ただ、ホテルの朝食について言えば、ニューヨークやパリはもちろん、ロンドンやサンフランシスコに比べても、お粗末なものでした。スープはおろか、目玉焼き・炒り卵などの卵料理すら一切なく、サラダやフルーツやヨーグルトもなく、クロワッサンと食パンと、チーズとハムと魚肉ソーセージに、コーンフレークとミルクとコーヒーがあるだけです。ともかくシンプルです。
レストランでも、パスタとピザ以外に食べるものがないのは覚悟していたのですが、その肝心のパスタとピザが不味いのです。これには参りました。
パリやロンドン、ニューヨークやサンフランシスコやホノルルなどは、イタリアンの他、チャイニーズや日本食レストランなどが多い上、日本人が調理していることで味に信用がおける店も多く、そういう店は味にハズレがありません。しかし、保守的なイタリアの街には、ローマでもフィレンツェでもナポリでも、そもそも中華や和食の店などほとんどありません。
最近は、ようやく、マクドナルドが流行りはじめているという、時代に極端に遅れた状態なのです。マックの定番フィレオ・フィッシュやビッグ・マックが、イタリアでは1000円(7.7€)ぐらいします。ただし、テイクアウトの店だと2個で4.5€(600円ぐらい)というところもあります。テリヤキマックバーガーとか、えびフィレオなどはありません。メニューの品数は、日本の半分以下、しかし、それでも流行っているのです。あと、バーガーキングも流行ってます。ビッグキングが4.5€(600円ぐらい)です。しかし、イタリアでは、現地の地元の食べ物よりは味が多少複雑なので、チェーン店のハンバーガーがとても美味しく感じるのです。
その他、食べ物では、魚肉ソーセージのホットドックが、飲み物では、なぜかコーラが一番流行っています。今のところ、スターバックスもなく、コンビニもなく、カップラーメンさえほとんど売っていないので、旅行中、本当に食べるものがありません。各地のバールには、自家製サンドイッチを置いてある店が多いですが、味はシンプルすぎて、なかなか微妙な味です。
ともかく、日本人の求める〝旨味〟という味付けは、どんな高級リストランテへ行っても絶対に期待してはいけません。ステーキでも子羊のローストでも、味付けは岩塩のみです。それでも、ステーキは、ミディアムレアでもかなり固めで一部焦げてますが、肉自体は歯ごたえがあって食べ応えがあり、脂身がフレッシュで美味しい素材ではあります。子羊は肉が柔らかくジューシーです。焼き方は年季が入っているんですよね。ボリュームもかなりのものです。ただ、味付けに凝るという発想はないんです。
そもそも、イタリア人には、温かいスープを飲むという習慣がないので、レストランにもマックにもスープ類は一切メニューにありません。リストランテのスープも、塩味のみなので原始的で微妙な味です。これが、日本人には、ことのほか辛いのです。三つ星ホテルの部屋には、湯を沸かすポットさえありませんし。四つ星ならあったのかな。
スーパーや雑貨店の中には、メイド・イン・イタリーのカップラーメン(2014年発売)を売っている店もありますが、食べている人を見たことはありません。しかし、味は、なかなか美味しいです。スープがビミョーと言う人もいますが、そもそもイタリアでスープが味わえるというだけで、感謝感激で合格点をあげたくなります。
イタリアのレストラン事情で唯一救いなのは、話好きで気さくなおばちゃんが、近所の人たちのために安く料理を出している街の定食屋さんのような店があって、そういうおばちゃんの手料理の店は、味にそうハズレがないということです。
ちょうど、沖縄に、おばちゃんのおでん屋や沖縄そばメインの定食屋さんがあるのと同じことです。そういうおばちゃんの店は、どこも本当に美味しいのですが、残念ながら、昨今はその手の店の数が、すっかり減ってしまいました。沖縄でも東京でもヨーロッパでも、グローバルな観光地化が本格的なものになると、地元の絆を大切にする民間の個人経営の店は、どんどん消えていってしまうようです。
また、イタリアの場合、かつてホテル業やレストラン業や露店業を多く営んでいたポルトガル人が姿を消して、代わりにアフガニスタン・インド・バングラデシュ・フィリピンなど、アジア系の接客業労働者が、とても増えています。そして、彼らのつくるイタリアンの料理が、かなり雑なのです。結局、マンマの味をまったく知らない外国人にイタリアンを作らせているのが問題ということです。
ただし、ナポリ湾の地元の漁師たちは、昔ながらの小舟で漁やムール貝の養殖などしていて、その周囲の海は、ともかく海水が澄んでいて綺麗です。漁師がその日に水揚げした魚介類を、すぐ隣で調理しているカステル・デローヴォ(卵城)の周囲のレストランでは、ムチムチプリプリの最高に美味しいシーフードが食べられます。
それから、ナポリの場合は、最高に美味しいデザート(ドルチェ)「ババ」があります。ババは、フランスからナポリに伝わったお菓子で、沖縄のサーターアンダギーっぽいエリンギ状のケーキをラム酒にたっぷり漬けたもので、イタリアの他の土地では味わえない大人の味です。
また、ローマ郊外の住宅地には、庶民の経営する軽食屋さんがまだまだ多く、そういう店では5€以内でパスタとかリゾットとか美味しい食事ができる店もあります。採算取れているんだろうか、と不安にもなりますが。


イタリアの街並みは、全体的にグレイや白亜の石造りの建物が多いパリやロンドンと違って、建物はレンガ色や焦げ茶色、壁はオレンジやイエロー、または肌色やクリーム色と暖色系が多く、窓枠や扉はグリーンや茶に塗られています。 窓は、どの家も小さめです。ともかく都市も郊外も農村地帯も、古い家も新しい家も、判で押したように茶色の屋根に黄色や肌色の壁、それにグリーンの窓枠というイメージで、他の国のように黒や灰色や白や赤やピンクや緑の壁の建物などは、まず見かけません。家屋や建物の色に関しては、イタリア人は非常に保守的なのです。
ところが古いものに限って、建物や倉庫の壁やシャッター、駅のホームや鉄道車両などに、落書きやペインティングが非常に目立ちます。都市部では、およそ、落書きのない壁が見当たらないという感じです。明るいけれど、乱雑で汚いというか、保守的な建築物の色遣いに対して、ペインティングが反逆しているというか。イタリア人的には、それでバランスがとれているのでしょうか。ある意味、刺青(タトゥー)もまた、イタリアの場合、壁にペインティングする延長で、身体にもペイントしてみました、というノリにも感じられてしまいます。
ローマの旧市街の道は、ほとんど、どこも古い石畳です。趣はとてもありますが、クルマで走っていると、ガタガタがひどくて、乗り心地はすこぶる悪いです。フィレンツェの場合は、その石畳の道が、さらに狭く入り組んでいて、細かい迷路のようです。
交通機関としては、鉄道とタクシーとバスがありますが、都市と都市を移動するなら、鉄道が断然便利です。ローマ〜フィレンツェ間は、平均時速250㎞の高速特急乗れば、ほぼノンストップで1.5hで着きます。価格は片道46€です。ローマ〜ナポリ間も、平均時速300㎞で1h強で着きます。価格は片道39€です。鉄道は全席指定で予約が必要ですが、朝の6時から夜10時まで、30分おきに運行しているので、ローマ・テルミニ駅に朝のうちに行けば、往復の当日券を余裕で買うことができます。
ローマの都市区域の中を運行しているバスも、チケットを前もって買う必要があるのですが、最初わからず乗ってしまった時、目的地の終点に着いて運転手に「いくら払えば良いですか」と聞くと「いいよ」と言うのです。「どうして?」と効くと、「僕はイタリアーノだから」と答えて、それでおしまいです。ちょっと感動してしまいました。
イタリア人は、とても優しいですが、ともかく話好きで、ゆんたくが多いです。テルミニ駅で客待をしているタクシーの運転手たちも、友だち同士が会うと、すぐクルマから降りてきて、話が始まるので、少しぐらい客を待たせようが、渋滞しようがまったく平気です。バスや列車の中など、しょっちゅう誰かの電話が鳴っては、あちこちで長電話が始まります。路上でも住宅街でも、イタリア人が2人出会うと、立ち話が始まるのです。男も女も、老いも若きも、ともかく話を聞いてほしい人が多いみたいです。聴く方も、じっくり聴いてあげるんですよね。住宅地に床屋が多いのも、そうした話好きの国民性と関係しているのかもしれません。
気候が良くて暖かいのに、ホームレスをほとんど見かけないのは、人が見捨てないせいかもしれません。実感としては、大観光都市のホームレスの多さは、サンフランシスコ>パリ> ニューヨーク>ローマという順位です。(ただ、南部のナポリは、セネガル・モロッコ・カメルーンなどからの黒人のホームレスが相当多いです。)
ローマの歴史的建築物としては、やはり、コロッセオの威容が目立ちます。特に、BC2世紀〜AD5世紀にかけての古代ローマの遺跡群「フォロ・ロマーノ」から隣接するコロッセオを観ると、その威容は圧倒的で、ともかく素晴らしいです。
ところで、そのフォロ・ロマーノの散策中に、ペルー人の母娘と出会いました。お母さんは御歳84歳なのですが、なんとフォロ・ロマーノの傾斜のある広大な敷地を、娘さんと一緒に歩いたというのです。このお母さんは、ペルーで祈祷師として仕事をしながら、7人の娘を育てたとおっしゃっていましたが、今回は、その娘たち7人とマドリードに旅行に来ていて、さらに4泊の日程で、娘の一人とローマまで足を延ばしたのだというのです。
祈祷師というのは、沖縄のユタのようなものだと思うのですが、今回、ローマに来たのも、フォロ・ロマーノで祈るためだったそうです。それで、祈りながら遺跡を巡ってきたのだとか。ただでさえ歩きにくい古代の石畳みを、それも坂も多くて決して平坦ではない道なのに、本当に足腰の丈夫な体力のあるおばあさんです。それとも、それは祈祷師としての使命感だったのでしょうか。いずれにしても、快活で元気な方でした。
フォロ・ロマーノは、古代ローマ市の中心部の遺構です。5世紀末に西ローマ帝国が滅亡して以降は、土砂に埋もれて完全に忘れ去られ、放牧地の下に1000年間ほぼ完全な形で眠っていたのだそうです。それが、14世紀以降のルネサンス(文芸復興)の進展によって、イスラム文化を吸収する過程で、イタリア人はかつて地元にあった古代の大帝国の存在を知るようになり、言わば、フォロ・ロマーノを1000年ぶりに再発見したのです。
しかし、14〜15世紀当時の歴代法王は、バチカンの教会建築の飾り付けや建築資材として、大ローマの遺構を転用し続けたため、フォロ・ロマーノの遺構は徹底的な略奪と破壊を免れませんでした。こうして、貴重な装飾や大理石などを、すっかり奪い尽くされた後、かろうじて形を留めている遺跡の残骸が、現在のフォロ・ロマーノなのです。紀元1世紀に建設されたコロッセオにしても、もともと綺麗な円型だったのが、歴代法王の命で、まるで石切場のように扱われ、教会建築の資材として次々と切り出され、現在の惨状になったわけです。ルネサンスさえなければ、ほとんどの建築物が、手付かずのまま、現在までほぼ完璧なかたちで残っていたでしょうに、本当に残念なことです。


ローマやフィレンツェやナポリなど、イタリアの主要観光都市の観光地では、どこでも軍の強力な警備が日常的にあります。兵士の銃口は、普通斜め下に向けられていますが、時々、真横を向いていることがあって、銃口が観光客の顔をかすめます。一度などは、生まれて初めて、正面からの銃口を、50cmほどの至近距離から、まともに見るという経験をさせてもらいました。
こうした警備が、いつ頃から行われるようになったのかは、よくわかりませんが、恐らくはテロ対策として、2000年代に入って、常時、行われるようになったのではないでしょうか。
ローマ近郊にとったホテルの近所のフルーツ店主のインド人のおじさんが「自分はインドからローマに来て24年になるけれど、来た当初の1990年代までは、本当にローマはいい街だったよ」と言っていました。「安全で自由でノンビリした素晴らしい街だった」と言うのです。それは、実際、私自身の当時の記憶とも重なります。
けれども、EUが成立して以降、状況は悪くなる一方です。「外国から人間が集まりすぎて、治安も悪くなるし、街は汚くなるし、クルマも増えすぎて、何もかもがカオスだ」と、そのおじさんは首を振りながら言いました。そうした状況の激変は、パリやロンドンでも一緒です。けれども、一つ違いがあるとしたら、中国人・韓国人が、パリほどにはいないということです。
イタリアの観光客のほとんどは、国内北部や欧米諸国からの白人富裕層です。そもそも、たいていのアジア人は、バチカンやローマ帝国に、さほど興味はないでしょうし、美術鑑賞やショッピングなら、パリの方が絶対に優れていますから、ね。
生粋のイタリア人の性質は、今でもノンビリしていて、あまり焦るということがありません。よほどのことがない限り、イライラしたり神経質になってピリピリした態度をとることもありません。
常に状況に柔軟に対応できて、素早く機転がきくところがあって、たとえアクシデントにあっても鷹揚な態度をとれるのが普通です。
けれども、親しげになればなるほど、最後はかまされる(お金をふんだくられる)可能性も高くなります。カモだと見ると、急に、態度がにこやかに親しげになる人も多いので、そこは一番注意が必要です。逆に、一見無愛想な人こそが、本当はとても優しくて、一番信頼できる人だったりするものです。
タクシーの場合は、メーターのないぼったくりタクシーや、メーターはあっても、初乗り料金の小細工をしたり、目的地までわざと遠回りする悪どいタクシーが結構いますので、注意が必要です。
後、最も注意が必要なのは、パリと同じく、観光スポットでの少女スリ団です。通常14,5,6歳の少女たち4人1組で行動しますが、携帯で連絡を取り合っていて、実は総勢10人以上のグループということもあります。最悪のスポットは、ピサの斜塔前のマクドナルド店内とバス停です。 日本人はよく狙われます。彼女たち不良少女スリ団は、フランスやイギリス同様に、地元ではロマ(ジプシー/ルーマニア人)と呼ばれていますが、実際のところはよくわかりません。ともかく手が速いです。スリのプロ集団ですね。
その他、駅では物乞いはよく見かけます。ナポリからソレント行きのホームで、幼稚園児ぐらいの幼い女の子の物乞いに声をかけられてショックを受けたこともあります。地元のイタリア人や欧米の旅行者の徹底した無視ぶりにも、慣れてはいても相変わらずショックを感じてしまいます。たいていの欧米人は「彼らは、嘘つきだ。」「本当のホームレスじゃない、そのフリをしているだけだ。」と言って、絶対に相手にしません。詐欺師もいれば本物もいると思うのですが。要は関心がないということでしょう。
一方、ナポリ湾では、小学3、4年生ぐらいの男の子が、エンジン付きの船を一人で操っていて、網に入ったひと山のムール貝を指して、鋭い口調で「買うか?」と話しかけてきます。精悍な顔つきで、無造作にムール貝を船着き場に「どうだ!」という勢いで降ろすのです。突然のことに戸惑っていると、「なんだ、イタリア語が話せないのか、ほら、向こうの男は英語が話せるよ!」と、とても積極的です。海の男(?)の小気味の良い元気さが、少年の堂々とした態度や口調から滲み出ているのです。貝の詰まった網を船に舫止める時のロープの扱いのテキパキと手慣れた様子が、今も目に焼き付いています。
もしも地元に住んでいるのだったら、この新鮮な採れたてのムール貝を、是非とも買って食べたいところでしたが。ともかく、その少年からは、身に付いた生活感が強く感じられて、日本の小学生とのあまりの違いに、強烈な印象を受けました。
何というか、日本人よりも、イタリア人の方が、本当に〝生きている〟という感じがしたのです。表面に見せている姿に〝ウソ〟がない、というか。逆に、日本人は、いつもどこかに〝ウソ〟がある、という気がします。それが、話していて消耗させられるのです。イタリアにいると、そういう気疲れがまったくありません。


9月の中部イタリアの気候は、昼も夜も27度前後で、そう違いはありません。湿度も適度に低い上に、サンフランシスコのように、夜になると急激に冷えるとか、そういうことはありませんから、極めて過ごしやすい気候だと言えるでしょう。
果物では、時季なのか、ともかくブドウとメロンが、とても美味しいです。まったくエグ味がなく、スッキリとした甘さと鮮やかな香りが漂います。逆にトマトと桃は、甘みが少なく、果肉が固くて みずみずしくなく、あまり美味しくありません。ただし、ミニトマトはパスタやピザの食材としてはgoodです。あと、平べったい小振りの桃がとても美味しいです。皮も厚くてむきやすく、昔の桃の味がします。
外は一日中爽やかな空気ではあるのですが、ただ、人の多い列車の車両の中とか、レストランの中とかは、クーラーが弱いせいか、屋内の方が、かえってもわっと蒸し暑くてまいります。ちょっと、のぼせやすくなるのです。
また、列車は、皮のシートが硬いのとツルツルして滑りやすいのが難点です。バスやローカル鉄道の車両などは、座席がすべてプラスチック製なので、座りにくくてまいります。イタリア人は意外とプラスチック好きで、ホテルや駅の草木のプランターなども、一見焼き物風でも、実は全部プラスチック製です。あと、軽食堂の外の椅子も。
それから、駅の構内のトイレは基本的に有料(1€/0.5€)です。ピサの斜塔前のマックのトイレも有料(0.5€)です。しかし、トイレの前に係の男が立っていて0.5€受け取るというのも、人件費はどうなんだ、と思います。それに、有料のくせに、ウォッシュレットもないし、便座すらなかったりしますから、なんだかムカつきます。相当にいい加減なのです。
あと、フランス同様に、屋外は喫煙天国です。駅のプラットホームは、停車している列車から、喫煙のため一時的に降りてきている人たちで溢れます。例によって、老いも若きも、おしゃべりをしながら、喫煙を満喫しています。レストランの外の座席も、喫煙者のためにあります。
また、どこへ行っても、ゴミ袋の設置量は、パリ同様に半端じゃなく多いです。列車の車掌さんも、ゴミ袋を持って、座席の乗客のゴミ回収にまわります。そうしないと、自分のゴミに責任を持たない人が多くて、どんどん汚れてしまうのです。住宅街には、高さも幅も1.5m程もある巨大なゴミ箱が4台づつ、あちこちの道沿いに並んでいて、ごみ収集車が来るまではゴミが溢れていて結構臭い。気候的に湿気が少ないのが救いです。
この季節、日の入りはまだとても遅く、夜の8時を過ぎても、外は意外と明るいです。また、夜の10時を過ぎても、たいていの店やレストランは、まだやっていて、お客でいっぱいです。沖縄以上に、完全に夜型社会なのです。ただし、一般のイタリア人は、そんなに外食はしないように思います。マンマの手料理への国民的なこだわりもあるでしょうが、基本的に、貧しい国なのです。おそらく、外食はかなりの贅沢のはずです。
ところで、イタリア人は、甘いものが大好きです。コーヒーも濃厚なエスプレッソ(1€)が普通で、当然、砂糖を入れて飲みます。クロワッサン(1€)も砂糖菓子風の甘いものが一般的です。なにしろ、朝食にチョコレートケーキというのが普通の国ですから。
甘い物好きも、プラスチック好きも、ホームレスが少ないのも、結局は「貧しいから」なのかもしれません。実際、EUユーロ圏内の貧困国として、イタリアは下位7国の一つに挙げられています。他の国はギリシャ・キプロス・ルーマニア・アイルランド・ポルトガル・スペインです。これらの国々では、貧富の格差の一層の拡大が問題となっています。
また、南北の地方格差というのも、確かに実感として感じられます。ナポリ、ソレントと、南に向かうにしたがって、窓から見える風景が貧しくなっていきます。廃墟と生活家屋の境界線が薄いというのでしょうか、壁もぼろぼろで、一部は崩れているのに、人が住んでいたりします。一見して「これは絶対廃墟だろ!」と思ったのに、実際は生活家屋だったということがよくあるのです。
イタリア人の甘い物好きに関してですが、ナポリには、1€のエスプレッソを飲むときに、「誰か貧しい人に飲ませてあげて」という意味で、2€払うという「留保コーヒー」の文化があります。が、この一口サイズのエスプレッソも、砂糖を入れるからこそ、いくばくかの栄養になるわけです。糖分は重要なエネルギー源です。(ところで、このエスプレッソもナポリ起源なんですよね。)
また、貧富の格差の拡大する背景として、移民の増加の問題もあります。南イタリアへの北アフリカからの移民は、バルカン半島のルートが閉ざされた2014年以降、今年2017年に至るまで増加する一方で、「毎月数万人規模の移民は限度を超えている」と、イタリア政府も受け入れ中止を検討している状況です。
実際、ナポリのアフリカ系移民の増加は、確かに目立つものがありました。これから、いったいどうなるのでしょうね。