昨今は、旅行で沖縄に来る中国人・韓国人が、ますます増えている。
本島北部の本部半島の「美ら海水族館」の近くで、民宿兼レストランを営んでいる中国人の女将さんが、韓国人の若い女性たちの食べ終えた夕食の後片付けをしながら、「やっぱり残している」と呟いた。
韓国人旅行者の3人の女の子たちは、楽しそうに食事をして帰ったばかりだったが、全員、どの料理も少しづつ皿に残していたのである。そのレストランの御主人(女将さんの夫)は、以前はロンドンで和洋折衷の創作料理を出して成功していたシェフの方なので、女将さんとしては、いたくプライドを傷つけられていたのだ。
やはり、料理というものは、洋の東西を問わず、美味しければペロリと平らげるもの。その点、日本人のお客さんは、いつも、みんな、出した料理を残さず食べてくれるので、とても行儀よく礼儀正しいと、女将さんは思っている。
一方、女将さんの故郷の上海では、主人は客人に食べきれないほど振る舞うのがマナーだが、一方で、客人は食べきれなかった料理を必ず折り詰めにして持ち帰るのがマナーである。せっかくの美味しい料理を決して無駄にはしない。
また、中国のマナーの基本は、相手の体面を潰さないことにあるので、主人は客人に対して「あなたは大切なお客さまです」と心底思っていることをアピールするために、食べきれないほど豪勢に料理を出し、一方で、お客は「あなたの振る舞ってくれた料理は本当に美味しいです」ということを示すために、出された料理の食べ残しは、必ず、すべて持ち帰るのだ。料理を家に持ち帰ることが、主人の顔を潰さないための最善の作法なのである。
ところが、韓国人の場合は、いつも、どのお客さんも、必ず、皿に料理を食べ残したまま帰ってしまう。それで、作った側は面目を潰され気分を害すことになる。その時も、「この人たちだけじゃないのよ、韓国の人は、どうしてだろうね、みんな、本当にマナーが悪い」と女将さんは首を振った。
そこで、「実は、韓国では、出された食事を、残さず、ぜんぶ平らげるのは、『まだ食べ足りない』という意思表示を示す悪い作法なんです」「逆に、どの料理も、少しづつ皿に残して食べ終えるのが、よいマナー」「少しづつ食べ残すことで、『もう食べきれません、本当に美味しかったです、素晴らしく豊かな食事にわたしは満足です』ということを示すんです」と説明すると、「ホント?」と言って、女将さんは笑い出した。韓国人の食べ残しが「美味しくない!不味くて食べられない!」という不満を示す意味ではないと知って、とても喜んでいたのだ。
このように、互いの文化(マナー)の違いに気づかず、相手の意思表現を誤解して、相互不信に陥る例は数多い。どんなに距離的に近いと言っても、やはり、文化の違いはなかなか侮れないものである。
韓国では、中国同様に客人には食べきれないほどの料理を振る舞うのが主人のマナーだが、中国と違って、客人はそれを食べ残して帰る。そうすると、結局、韓国人の会食の後には、大量の食べ残しが出て、やむなく捨てられることになる。これは、食べ物を捨てるのを〝もったいない〟〝申し訳ない〟と感じる日本人や中国人には、ぜんぜん納得がいかない。
ともかく、見栄のためには、大切な食べ物までも粗末に捨て去る、韓国人の〝ミエの文化〟は筋金入りである。こうして、韓国全土で、毎日、大量の食べ残しが、無駄に捨てられているのだ。
ただ、中国・韓国と違って、大盤振る舞いする感覚がほとんどなく、主人が客人に、ほんの軽食しか出さないとか、お茶しか出さないという対応が、一部日本人の間(内地)では一般的である。そんな内地のケチ臭い貧相な感覚は、沖縄県民にとっても、まったく納得がいかない。中国人や韓国人が「この待遇は、馬鹿にされているのでは?」「自分は相当軽く見られてるのでは?」と疑心暗鬼になるのも無理はない。
実際、自分が奢られたり、ご馳走されるときは、当然のようにその手厚い歓待楽しみながら、いざ、自分が相手を迎える段になると、とても話にならないような貧相な迎え方をする日本人が少なくない。貧乏だから、というわけではない。お金はあっても、他人のためには出そうとしない、ただのケチである。
およそ、どこの国の国民だろうと、大盤振る舞いされて、気分を害する人はいない。それは、マナーの問題というよりも、むしろ、気持ちの問題ではないだろうか。もともと東アジア一帯の特徴だった〝情〟を大切にする文化が失われていくのは、本当に寂しいものである。
この点に関しては、わたしは中国人の情の厚さが、好ましく感じられる。日本人も、学ぶべきではないだろうか。東京オリンピックも近いというのに「日本のおもてなしの心って、そんなもんですか?」と外国人に言われたら、おしまいだ。


🌃日韓友好の架け橋たらんとして努力を続け、通算12年間韓国に住み、流暢な韓国語を話し、韓国の大学でも教授として教え、韓国政府から勲章まで授与された、武藤正敏・元駐韓日本大使の著書「韓国人に生まれなくてよかった」が、韓国では大きな話題を呼んでいる。
朴槿恵大統領を引きずり下ろし、文在寅政権を成立させた、韓国国民の現状に強い危機感を抱き、批判や反発は覚悟の上で書いたのだと氏は述べている。「韓国は韓国人のものであり、今日の韓国を作り上げたのは、韓国人自身の努力によるのだ」「韓国の未来は韓国人が作っていくのだから、今の現状への不満を誰かのせいにしてはいけない」と言うのが氏のメッセージである。
この心からの苦言を受け止める度量があるのなら、韓国の未来も開けるのだろうが、残念ながらそういう気配は微塵も感じられない。シンシアリー氏が韓国を捨てたのも、その絶望からだろう。
「日本もまた、日本人のものであり、今日の日本を作り上げたのは日本人自身の努力による」「日本の未来もまた日本人自身が作っていくのだから、現状への不満を誰かのせいにしてはいけない」「これは、あなた自身の生き方の問題なのだ」と、我国のサヨク・ネトウヨ諸氏にも言いたい。
自分自身の内面の不満を、外の世界に反映させ、外的理由に転嫁し、不信と闘争の神に心を支配されて、無残な人生を生きるのは、本人の勝手ではあるが、それによって攻撃や呪詛の対象となる相手は、たまったものではない。また、その騒動が、国を混乱させ、その理不尽な怒りや見当違いの嘆きが、国政の方向をあやまらせるのは、すべての国民を不幸に巻き込む、恐るべき脅威である。
また、吉田清治氏の息子のように、父親の狂った所業のために苦しみ続け、少しでもその誤りを是正しようと努力し続けることを強いられる子孫もいる。彼は、父親が韓国に建てた〝妄想〟謝罪碑を取り壊そうと試みているが、韓国が国を挙げて拒んでいるために、その悲願を果たせずにいる。今回も、謝罪碑の碑文の上から慰霊碑文を貼り付けた行為によって、韓国では逮捕状が出る騒ぎになっている。韓国側は、正義の人吉田清治の息子が、日本軍国主義に洗脳されて、極右勢力に取り込まれたとみている。しかし、吉田清治氏の済州島での〝慰安婦狩り〟証言が、まったくの嘘であったことには決して触れない。自分にとって都合の悪い相手側の主張は、たとえ真実であっても、徹底的に無視していいと考えるのが、韓国人の常識・常道だからです。
一方で、日本のマスコミ、特に朝日新聞始め左派マスコミは、なぜこれを一切報道しないのか。韓国人社会の欧米での慰安婦像設置の動きについても、日本のマスコミはほとんど報じない。こうした彼らの無責任な態度に、韓国社会との親和性を見ることができる。同時に、報道機関の誤った報道と反省のなさが、末代まで祟る例がここにある、と感じる。
日本の左翼運動家と左翼政治家と左翼メディアによる壮大なマッチポンプが、歴史の真実を捻じ曲げ、子々孫々まで災厄を及ぼそうとしているのだ。
わたしは、韓国の人や中国の人にも、良い人はいっぱいいることを知っている。しかし、残念ながら、両国国内の歪んだナショナリズムが、互いに深く理解しあい信頼しあうのを阻んでいる。そして、何よりも、日本国内の左翼的なメディアとムーブメントが、日本人が海外へ出た時、最大の障害となって立ちはだかる。
「日本人が言っているんだから本当だろう。」この言葉に多くの日本人が泣かされている。日本人が、わざと嘘までついて、事実を捻じ曲げてまで、日本のことをこき下ろすワケがない、と外国人なら誰でも思う。しかし、現実はそうではない。そりゃ、普通に考えたら、理解できるわけもないが。自らのルーツを、自分から切り離して攻撃の対象とし、悪の象徴として唾棄すべしと考えるなどという、罰当たりな所業を、正義の正しい振る舞いと信じている人々のことなど。