ここ最近の舛添要一東京都知事に関する〝公私混同問題〟〝辞任〟報道について、強く疑問を感じています。舛添さん、とうとう辞任に追い込まれてしまいましたけれど、本当に辞めなきゃならないほど、そんなに悪いことしたのでしょうか?
私用なのに、公用と称して、お寿司屋さんで領収書もらったら、そこまで責められることなのでしょうか? 褒められることではないとは思いますけど、視察と称して美術館見学三昧したら、そこまで極悪人なのでしょうか? 海外への視察にファーストクラスに乗ったら、そんなに大罪なのでしょうか?
日本国首相や東京都知事が、海外視察にエコノミークラスに乗ったら、むしろ、それこそおかしくはないですか? 長旅で疲れ切った状態で、それで公務が務まるでしょうか?
それどころか、海外出張費をどう使っているか、なんてことを追求しはじめたら、困ったことになる公務員は、たくさんいると思いますけど。20人で行った海外出張の費用が5000万円ってことは、1人あたり250万円ですよね。欧州旅行で、ビジネス・クラスで行っても、時期と場所によっては、そのぐらいします。会議と称して政治資金で家族旅行をしてたとか、別荘まで公用車に乗っているとか、政治資金で美術品を買ったとか、ピザ屋に領収書切ってもらった総額が20万円?
セコイと言えば、確かにチャッカリしたケチなやり方だとは思いますけど、う~ん、マスコミが、ここまで連日、大騒ぎしている意味が、何だか、わたしには、さっぱりわかりません。
説明責任って、いったいなんですかね。政治資金を私用に流用してない政治家って、そんなにいますかね。月の小遣いが1000万円以上ある鳩山さんとか、財閥持ってる岡田さんとか麻生さんは別でしょうけど。結局は、知事を辞めるまで、まな板の鯉というかサンドバック状態でいろってことだったのでしょうか?
舛添さんが、ひどく韓国びいきなのは、まったく理解できないけれど、それとこれとは、また別の話です。別荘に公用車で行く舛添さんがセコイというなら、その程度のことで、「いつ、知事を辞めるんですか?」「どうしたら、辞めていただけるんですか?」と迫るマスコミや都議会議員たちは、とんでもなくせこいネタで他人を責める、嫌らしい偽善者たちにしか見えません。誰にも文句を言われなかった石原慎太郎さんは、では、ファーストクラスに乗らなかったのでしょうかね。何れにしても、そこまでして、辞めさせなきゃいけないことを、舛添さんはしたのでしょうか。苦情の電話をかける都民って、いったい何なのでしょう? 舛添さんは、都民の税金を、そんなにたくさん(何億も何十億も)無駄に使ったのですか?
二転三転しているオリンピック計画に関わる無駄遣いに比べたら、微々たるものでしょうに。それとも、都庁に抗議の電話をかけている人は、言い掛かりをつけているだけのモンスター都民ですかね。可能ならば、誰だって経費で落としたいのは人情じゃないですか?
それなのに、マスコミも、個人も、誰も舛添さんを擁護しない。これだけの数の人間がいるのに、支えようとする人が誰もいないというのは、本当に恐ろしいことです。小林よしのり氏が、よってたかって舛添さんに辞任を迫る都民の様子を、「舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆」という文章の中で、〝民主主義の病〟と表現していますが、まったくその通りだと思います。

共産党は、もちろん最大の癌ですが、公明党も最低です。自分が支持して当選させた人間を、ここまで手のひらをかえすのは、本当に見苦しいです。同じことは、支持して当選させた自民党にも都民にも言えることです。どうしてここまで「辞任せよ!」一色になってしまうのでしょうか。「心を入れ替えて、続投してもらおう」という意見が、なぜまったく出てこないのか、情けないというか、不気味というか、おぞましいというか、言葉がありません。
猪瀬さん辞任の時も、同じことを感じたものですが、つくづく人間を大切にしない時代・社会になりました。他人を平気で貶める、窮地にある人を笑いものにする、冷酷で気の狂った人間たちが、世論を支配しているようです。誰一人として、心から庇うものはいないのです。悲しいですね。
猪瀬都知事を辞任に追い込んだ仕掛けは、猪瀬さんの脱原発・反東電の姿勢を快く思わなかった勢力によって用意され、その後、声高に責め続けた共産党と自民党都議会議員たちの怒声と嘲笑によって達成されました。後押ししたのは、定見のない冷笑的なマスコミの報道でした。それを、石原慎太郎氏含めて猪瀬さんを支持していたはずの都民のほとんどが、いとも簡単に見捨てたのです。たかだか、5000万円、徳洲会の徳田虎雄から借りたことを責められて、です。
今回も、やれ、クレヨンしんちゃんを政治資金で買っただの、セコイから知事やめろ、だのと、酷薄な教条主義者の共産党メンバーが声高に叫び、日和見の民主党議員たちが責めたてました。そして、まるで倒れた牛に群がるカラスやハイエナのようにマスコミが騒ぎたてたことで、その雰囲気に迎合して真っ先に公明党と都民が舛添さんを見捨てたのです。そして、ついには自民党都議連も続投を諦めた(?)ようです。
舛添さんは、元々左翼からは嫌われていましたが、最近は韓国に不必要に迎合的だったために、右翼からの嫌われ方が激しかったので、前都知事の猪瀬さんの時と同様に、左右から挟撃される状態だったことは確かです。けれども、ここまで四面楚歌になってしまったのは、マスコミの責任も大きいし、都民の定見のなさも大きいとは思います。
では、果たして、舛添さんを辞任にまで追い込んだ仕掛けとシナリオは、いったいどういう勢力によって用意されたのでしょうか。やはり、東京オリンピック関係者(ゼネコンやら政府自民の土建族)が、ケチで締まり屋の舛添さんを邪魔に思ったからでしょうか。そうすると、次に都知事になる人は、土建族の森喜朗氏と通じている人でしょうかね? 今度は東京都のお金が、オリンピック施設建設費に、スムーズにチェックや検証なく湯水のように使われるかもしれません。
あるいは、都庁とマス・メディアに巣食う共産党勢力による、都議会掌握と都知事追い落としの策略だったのでしょうか。もしかすると、その双方の思惑が働いた結果なのかもしれません。
何かもう、つくづくうんざりです。舛添さんの子どもたちも、本当に可哀想です。「君たちのお父さんは、ここまで非難され、馬鹿にされなきゃならないほどの、そんな酷いことはしていないよ。」と、言ってあげたいところです。
「子どもを殺す!」というような脅迫文を寄越す汚い連中(勘違い野郎ども)が出てくるのも、すべては教育が悪いのです。まず、公務員がおかしい。特に学校の校長連中が最悪です。「君のお父さんは、悪いことなどしていないし、君がいじめられる理由は一切ない!」と、子どもを徹底してかばう、まともな教師が一人でもいるでしょうか?
そして、マスコミがおかしい。罪のない子どもを追いかけ回してどうするんですか。ほかにすることはないのですか?

わたしはむしろ、日本学生支援機構(旧日本育英会)の遠藤勝裕理事長の態度や方針や指示や言動の方が、舛添さんよりも、はるかに傲慢であこぎだと思います。
NHKの「クローズアップ現代」で尾木ママが言っていた「遠藤氏のやり口が、サラ金よりひどい」というのは、日本学生支援機構の回収方針の厳しさに関して、実に的を得た意見です。滞納三ヶ月で個人情報がブラックリスト入りし、未払い9ヶ月で裁判に持ち込むというのは、民間のシビアな感覚すら逸脱しています。
支援機構の回収部門の責任者の応対も、上司に似て横柄極まりない、まったく酷いものです。お上の権威を盾にして、民間であれば、あり得ないような高飛車な口の利き方をします。まだ20代前半の子どもたちに、裁判をちらつかせて、ヤミ金より酷いやり口で、脅しをかけてくるのです。知人の交渉を引き受けた経験から、はっきり言えることですが、本当にロクデモナイ組織です。総じて「貧乏人は死ね!」と言わんばかりの態度ですからね。
さらに、2016年度からは、奨学金返済滞納者名を学校別に公表することになっているそうですが、まさに意地の悪い〝脅し〟です。外国人留学生には、返済義務なしで毎月17万円もの奨学金を無条件で与えて、甘い汁を吸わせている一方で、税金を納めている自国民には、年利3%(延滞金は+5~10%)の教育ローン待遇の奨学金(?)しか与えず、なおかつ取り立ては街金融より酷いというこの仕打ちかよ、と憤りを禁じ得ません。
月々5万円の奨学金を4年間もらったら、卒業時には240万円の借金を背負うことになります。これで大学院まで行ったら、卒業時には360万円の借金です。もし、月々7万円を受けたなら、6年で504万円、返済金額は利息だけでも月々12,500円になります。元利金等で月々3万円づつ返すなら、20年近くかかります。その間に病気にでもかかって仕事ができなくなったら、たちまち裁判沙汰です。
結局のところ、日本学生支援機構が支援しているのは、銀行など富裕な出資者と、アコギでヤクザな負債回収業者だけです。そして、関心があるのは、機構自身の回収率実績を積み上げることだけです。それによってさらなる出資を呼び込み、自ら肥大化することを目的としているのです。
彼らこそが、社会奉仕の精神など欠片もない真の金と権力の亡者です。本来の趣旨を捨てて、あこぎなビジネスに徹するのであれば、まずは、心にもない『学生支援』の四文字を消して、『日本学生向け高額高利長期融資機構(回収率100%!ガッチリ取り立てます!融資者の信頼を大切にします!返済滞納者は即公表!滞納者は犯罪者!裁判でキッチリ落とし前をつけます!)』とかに、早急に改名していただきたいと思います。
この〝日本学生高利貸し機構〟のやり口のような、「〝強き〟を助け、〝弱き〟を挫く」「強い者に巻かれ、弱い者を貶める」世の風潮に、マスコミも庶民も迎合する、本当に嘆かわしい時代です。

結局のところ、これは現代日本人全体の問題だと思うのです。今回の場合、いずれにしても、法的には問題のない話なのですが、『日本学生支援機構(旧日本育英会)』という実態とあまりにもかけ離れた名称を持つ巨大金融システムの方は野放しにして、まったく追及せずに、窮地に陥った舛添さんの方は〝大罪人〟として追及するのが、今の日本人のダメダメな在り方です。
いつものことですが、NHK含めて、この国の酷薄で野心的で姑息で情けないマスコミは、追及する相手を完全に間違っています。一番悪いのは、それを許して、面白がっている国民ですけどね。宇野常寛氏は『いじめエンターテイメント』とおっしゃっていますが、その通りだと思います。
大した罪を犯しているわけでもない猪瀬さんや甘利さんや舛添さんを、理不尽に人格否定してまで責めたてたところで、日本の政治はまったく良くならないでしょう。それは、小保方さんを、執拗に人格攻撃して責めたてたところで、この国の教育や学問が良くならないのと、構造はまったく同じです。何の罪もないみのもんたさんを責めたてても、報道番組が良くならないというのも同じですよね。
それより、ノヴァルティスなどの薬品メーカーと医師や大学病院との癒着とか、上記の育英会資金の運用方法とかに、もっと深い関心を持っていただきたい。医療と教育の問題点を世に知らしめる方が、意味のわからない不毛かつ有害なイジメ活動に熱中するより、はるかに価値があることは言うまでもないでしょう。
あるいは、中国海軍の領海侵入とか、北朝鮮の動向とか、韓国の反日活動とか、アメリカの大統領選とか、中印国境緊張とか、緊急に報道すべきことは、ほかにたくさんあるでしょうに。
マスコミの報道責任というものについても考えてみたいです。性懲りも無く、舛添さんいじめ抜いて、都知事辞めさせて、それからどうするつもりなんでしょうね。
ホリエモンの「舛添さんが無駄遣いした分なんて、東京都の予算全体からしたら、誤差みたいなもんだ。たいした問題じゃない。それより、50億もかけて選挙して、清貧だけど無能という人が都知事になるのが一番怖い」という意見に関しては、わたしはまったく妥当な意見だと思います。
猪瀬さんも、都議会の総務委員会は理不尽な吊るし上げの場(人民裁判)に過ぎないとおっしゃっていますが、その通りだと思います。マスコミは、それを面白おかしく演出しているだけです。
「人を小馬鹿にすることが正しいし、虐めるのが面白い」「落ち目の人間は、徹底的に痛めつけてよい」という現代日本社会の悪しき傾向を最大限に助長しているのが、今のマスコミやネット言論の姿勢です。舛添さんも、猪瀬さんも、小保方さんも、冤罪レベルの叩かれ方です。報道や情報発信の仕方が、酷すぎるのです。人格否定も甚だしい。子供たちの〝いじめ問題〟なんて、どのツラ下げて語れるのでしょうか。
そして、もちろん、一番悪いのは、そのイジメを見て楽しむ都民及び国民です。最悪なのは二代にわたって自分たちの投票で決めた都知事をくだらない理由で辞めさせた都民の方であって、それに比べたら、舛添さんは何も悪くない。
糸井重里氏が「『みんなで石を投げたら、こんなことまでできてしまうんだぞ』という物語が、みんな大好きなんだ」と述べていますが、本当にくだらない物語です。

ところで、古文に『なのめならず(並々ならない/尋常でない/普通でない)』という言葉があります。元々『斜めなり(普通だ/並だ/いい加減だ/適当だ)』に由来する言葉です。
この言葉が使われていた当時は、何か片付けをしていても、きちんと整理されたはずのモノが、実際にはいい加減に(斜めに)置かれているという状態が普通であって、「斜めでない(きちんとしている/真っ直ぐブレなく置かれている)」のは、むしろ普通でないと考えられていたのです。
つまり、昔は、少々いい加減なぐらいが人間の自然な状態であって、生真面目過ぎて清廉潔白な人は、世間的には普通じゃないと思われていたということです。四角四面で融通の効かない人は、何かと敬遠されて、世間では通用しません。付き合っても、面白みも味もない人は、人から嫌われます。逆に、昔は、寅さんや浜ちゃんみたいな、〝斜め〟に生きる人がいっぱいいたのです。
『斜めに生きる』というのは、人間の本来のリズムで、自然な感情のままに、生身の呼吸で生きるということです。最近の日本人は、思い込みの中で、この自然なリズムを見失っているのではないでしょうか。そして、普通じゃないハイペースで、不規則な呼吸で、自然な感情を押し殺して生きるのが、当たり前と考えられています。
普通じゃないことを、誰もが義務としてしなければいけない社会は、かなりいびつでピリピリしたストレス社会です。今の日本は、誰もが無理を強いられる窮屈で不自然な社会になっている気がします。このようなギスギスした余裕のない社会は、とても生きにくい社会ですし、個人を病いや死に追いやる可能性も、それだけ大きいのではないでしょうか。
自然なままでは社会についていけない自分はおかしいのだろうか、と劣等感を抱いて自信を失っている人も多いかと思います。進学校などに通っている生徒などでも、学校に行きたくないのに、無理して通っている子も多いでしょう。落ちこぼれたくないという一心で。常に〝いい子〟を演じ続けてきたせいで、自然な自分を見失っているという人もいるでしょう。でも、おかしいのはあなたではなく、もしかしたら〝いい子〟であることを要求する社会の方かもしれません。
それに、いかがわしくとも当たり前で自然で率直なこと(なのめ)が通らず、見栄え良く人聞きの良いウソや綺麗事ばかりが横行する社会は、人類の歴史においては、もう国の滅亡が近い末期頃に多いようです。裏では誰もが調子のよいことをやっているくせに、表ではいい加減が許されない不自由で不寛容な偽善社会では、根本からの真摯な社会改革が、とうてい実現不可能だからです。
今回の政治資金流用疑惑問題における舛添さんバッシングなどは、まさにそうした典型的な『なのめならず』社会の問題の顕在化ではないかと思われるのです。「政治資金規正法を改正して、クレヨンしんちゃんを買えないようにしよう!」などという意識や発想など、本当に息苦しいです。
だいたい「何が政治活動にあたるのか?」を法律で規定してしまうなど、菅野完氏がおっしゃる通り、自由な政治活動を規制するという民主主義の否定にも繋がる愚の極みと言えましょう。



「白河の清きに魚も住みかねて、元のにごりの田沼恋しき」
*江戸期に、あまりに清廉潔白で堅物の老中松平定信(旧白河藩主)が行った苛烈極まる寛政の改革(財政引き締め)を批判した狂歌。汚い政治と庶民にも憎まれ、政敵に潰されて、無残に失脚した前老中田沼意次の寛容で老練な政治(規制緩和)が恋しいと嘆いている。「白河様のあまりの清らかさに、煩悩多き庶民はとてもついていけません。それに比べれば、以前の老中田沼様の政治は、ほどよく濁っていて、わたしらには居心地が良かった。ああ、田沼様が懐かしい。」という意味。
ワイロ政治を行ったとして、悪徳政治家の代表のように言われる田沼意次は、実はお江戸のダ・ビンチ平賀源内の親友で、蘭学を大いに奨励した。また、商売を奨励する一方で、商人たちに税を納めさせて、その資金で干拓事業を推進し、飢饉に備えて新田開発に余念がなかった。さらに、領土保全とロシアの動向を探るため、北海道探検を進めていた。また、金銀流出を避けつつも長崎貿易を振興するために、アワビ・フカヒレなど俵モノの輸出を奨励した。実に理にかなった頭の良い政策だった。しかし、浅間山噴火による冷害から天明の大飢饉となり、人々は、田沼の悪徳政治に天が怒っていると、飢饉を田沼のせいにした。田沼は失脚し、政敵松平定信が権力を握ることとなった。
ところが、名君と言われる松平定信は、蘭学禁止令を出し、北海道探検を中止し、出版物を統制して文化活動を取り締まった。さらに、商業活動にも強い統制を加えて、経済を停滞させた。世界情勢を見極める判断力もなく、海防の必要性を説いた名著「海国兵談」を版木ごと焼き捨てさせて、著者の林子平を憤死に追い込んだ。その直後に、エカチェリーナ2世の親書を携えたロシア船が根室に来航し、幕府の重臣たちを真っ青にさせた。結局、定信も失脚した。
松平定信は、質素倹約に徹し、慎み深く、清廉潔白であっても、政治家として適材ではなかった。田沼意次は、老中として豪勢な遊びもしたかもしれないが、政治家としては江戸時代で最も有能な逸材だった。けれども、当時の人々は、そのことがまったく理解できず、武士も庶民も、誰もが田沼を憎み、呪い、謗った。
その呪いは凄まじく、意次の長男は城内で殺刃され、意次自身も着の身着のままで江戸城から放り出されることになる。庶民は、この残酷な仕打ちを、拍手喝采をもって歓迎した。息子を失い、財産を没収されて、江戸城をおわれた意次に同情する声はなかった。
ところが、その後、松平定信の寛政の改革が進むにつれて、定信のあまりの融通の効かなさに「こんなはずじゃなかった」と、上記の狂歌が書かれるようになるわけだ。「田沼さんの方がずっと良かった」と。
時代は変わっても、今も昔も、人間のやっていることは、何も変わらない。



🌠舛添さん、せめてきっちりボーナスも退職金も持っていくのは、大正解です。ただで倒れちゃいけない。勝ち逃げ、上等です。

🌠ハーバードビジネスオンラインの菅野完氏の6/14の記事「舛添叩きが衆愚の極みである理由」に、8439のFacebookのいいね!がついていて、少し慰められます。

🌠2016.7.31の都知事選では、小池百合子さん(291万票)が、初の女性都知事に選出されましたが、まあ、順当な結果だったのではないでしょうか。対立候補だった自公推薦の増田寛也さん(179万票)と民進・共産・社民推薦の鳥越俊太郎さん(135万票)の政治手腕が、都民の信頼を得られなかったということです。また、両候補の支持母体である自民都連や民進党への強い不信感も、無党派層の票の流れに多いに影響したものと思われます。
自民都連は、東京都の予算は自分たちで牛耳れるものと長年考えてきました。それで、自分たちの意のままにならない都知事を、二代続けて抹殺してきたわけです。今度も、また同じことになると考えているでしょう。けれども、そうそう上手くいくでしょうか。
「奢れる都連はひさしからず、ただ、風に舞う塵のごとし」来年6月の都議選に向けて、自民都連をどうやって解体するか、が今後の都政のキーポイントとなるでしょう。