てぃんさぐぬ花 歌詞 現代日本語意訳
[一]
てぃんさぐぬ花や 【ホウセンカの紅い花は】
爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ 【爪先を染めるのに使うけれど】
親(うや)ぬ諭(ゆ)し事(ぐとぅ)や 【親の教え諭す言葉は】
肝(ちむ)に染(す)みり 【心に染めなさい】
[二]
天(てぃん)ぬ群星(むりぶし)や 【天の星々の動きがあらわす森羅万象の変動は】
読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが 【知ろうと思えば、何とかできないこともない】
親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や 【けれども、親の教えと愛情の深さは】
読(ゆ)みやならん 【とても測ることはできない】
[三]
夜(ゆる)走(は)らす舟(ふに)や 【夜の海を帆走する舟は】
子(に)ぬ方星(ふぁぶし)見当(みあ)てぃ 【北極星を頼りにして船を進める】
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 【わたしを生んだ親は】
我(わ)んどぅ見当(みあ)てぃ 【わたしの存在を心の支えに生きている】
[四]
宝玉(たからだま)やてぃん 【宝玉といえども】
磨(みが)かにば錆(さび)す 【磨かなければ錆びてしまう】
朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨(みが)ち 【朝夕心を磨いて】
浮世(うちゆ)渡(わた)ら 【浮世を渡っていきましょう】
[五]
誠(まくとぅ)する人(ひとぅ)や 【正直に誠実に生きる人々は】
後(あとぅ)や何時(いち)迄(までぃ)ん 【後々の時代の子孫までも】
思事(うむくとぅ)ん叶(かな)てぃ 【願いが叶って】
千代(ちゆ)ぬ栄(さか)い 【末長く栄えるでしょう】
[六]
なしば何事(なんぐとぅ)ん 【何事も、為せば】
なゆる事(くとぅ)やしが 【成ることではあるけれども】
なさぬ故(ゆい)からどぅ 【為さぬからこそ】
ならぬ定(さだ)み 【成らぬのです】
この歌は、もともと沖縄本島の民謡ですが、石垣島の民謡「デンサー節」、宮古島の民謡「なりやまあやぐ」とともに、沖縄三大教訓歌と並び称されています。教訓歌というのは、子孫に教え諭すべき大切なことを伝えるために歌われる歌のことです。
ところで石垣島、宮古島、沖縄本島の方言は、それぞれに違いが大きく、そのためもあって、「デンサー節」と「なりやまあやぐ」は、時代が下ったり本島に伝わることで、歌詞がかなり変わってしまい、時代によって歌詞の意味の捉え方さえも変わってきました。それで、わたしは、明治時代に歌われていた、もともとの歌詞とその解釈を、以前このブログで紹介したことがあります。
しかし、この「てぃんさぐぬ花」は、三つの教訓歌の中で最も有名な歌であり、歌詞も他の二曲と違って変遷や異説が少なく、現在では完全に定まっています。また、歌詞の意味も、本島の方言であることもあって比較的易しく、意味の取り違えもほとんど起こっていないように思います。夏川りみさんや古謝美佐子さんなど、多くの歌手が歌っていることもあって、県民には最も馴染み深い民謡の一つです。2012年には、県民愛唱歌「うちなぁかなさうた」に制定されました。
この歌は、もともと十番まで歌詞があるのですが、わたしが特に好きなのは一番、二番、三番の詞です。親の愛情の深さは、どんな言葉にも例えようがないことを歌っている部分です。
一番では、「ホウセンカの紅い花は、マニキュアのように爪先を赤く染めるのに使いますが、親の教えは心に染めなさい」と歌われています。けれども、今の人に「自分の心を他人の教えで染める」という意味が、実感としてわかるでしょうか。なんとも心許ない気がします。
二番の歌詞は、直訳すると「天の星を数えることはできるが、親の教えは数えることができない」という詞になります。かつて、星を読むことは、占星術に通じ、森羅万象や個人の運命の変転を読むことでもありました。そのような秘儀に通じる人でも、親の教えの深さを測ることはできないのだと考えると、「星は読めるが、親の教えは読めない」というのは、「母の愛は海よりも深し」にも通じて、本当にすごいことを言っている気がします。
三番の歌詞では、「子の方角にある星」という表現で北極星のことを歌っています。天球上不動の位置にある北極星は、古代中国では宇宙の中心に座す神として「天皇大帝(てんこうたいてい)」と呼ばれていました。飛鳥時代の日本では、この天皇大帝(天の王)に由来して、大王(おおきみ)を天皇と呼ぶようになります。ですから「夜の海をゆく舟は、偉大な天の王北極星を目印に航海するが、私の親は、子であるわたしの存在を生きがいとして、心の支えとして生きている」という詞も、とても味わいの深い言葉であることがわかります。
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[一]
てぃんさぐぬ花や 【ホウセンカの紅い花は】
爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ 【爪先を染めるのに使うけれど】
親(うや)ぬ諭(ゆ)し事(ぐとぅ)や 【親の教え諭す言葉は】
肝(ちむ)に染(す)みり 【心に染めなさい】
[二]
天(てぃん)ぬ群星(むりぶし)や 【天の星々の動きがあらわす森羅万象の変動は】
読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが 【知ろうと思えば、何とかできないこともない】
親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や 【けれども、親の教えと愛情の深さは】
読(ゆ)みやならん 【とても測ることはできない】
[三]
夜(ゆる)走(は)らす舟(ふに)や 【夜の海を帆走する舟は】
子(に)ぬ方星(ふぁぶし)見当(みあ)てぃ 【北極星を頼りにして船を進める】
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 【わたしを生んだ親は】
我(わ)んどぅ見当(みあ)てぃ 【わたしの存在を心の支えに生きている】
[四]
宝玉(たからだま)やてぃん 【宝玉といえども】
磨(みが)かにば錆(さび)す 【磨かなければ錆びてしまう】
朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨(みが)ち 【朝夕心を磨いて】
浮世(うちゆ)渡(わた)ら 【浮世を渡っていきましょう】
[五]
誠(まくとぅ)する人(ひとぅ)や 【正直に誠実に生きる人々は】
後(あとぅ)や何時(いち)迄(までぃ)ん 【後々の時代の子孫までも】
思事(うむくとぅ)ん叶(かな)てぃ 【願いが叶って】
千代(ちゆ)ぬ栄(さか)い 【末長く栄えるでしょう】
[六]
なしば何事(なんぐとぅ)ん 【何事も、為せば】
なゆる事(くとぅ)やしが 【成ることではあるけれども】
なさぬ故(ゆい)からどぅ 【為さぬからこそ】
ならぬ定(さだ)み 【成らぬのです】
この歌は、もともと沖縄本島の民謡ですが、石垣島の民謡「デンサー節」、宮古島の民謡「なりやまあやぐ」とともに、沖縄三大教訓歌と並び称されています。教訓歌というのは、子孫に教え諭すべき大切なことを伝えるために歌われる歌のことです。
ところで石垣島、宮古島、沖縄本島の方言は、それぞれに違いが大きく、そのためもあって、「デンサー節」と「なりやまあやぐ」は、時代が下ったり本島に伝わることで、歌詞がかなり変わってしまい、時代によって歌詞の意味の捉え方さえも変わってきました。それで、わたしは、明治時代に歌われていた、もともとの歌詞とその解釈を、以前このブログで紹介したことがあります。
しかし、この「てぃんさぐぬ花」は、三つの教訓歌の中で最も有名な歌であり、歌詞も他の二曲と違って変遷や異説が少なく、現在では完全に定まっています。また、歌詞の意味も、本島の方言であることもあって比較的易しく、意味の取り違えもほとんど起こっていないように思います。夏川りみさんや古謝美佐子さんなど、多くの歌手が歌っていることもあって、県民には最も馴染み深い民謡の一つです。2012年には、県民愛唱歌「うちなぁかなさうた」に制定されました。
この歌は、もともと十番まで歌詞があるのですが、わたしが特に好きなのは一番、二番、三番の詞です。親の愛情の深さは、どんな言葉にも例えようがないことを歌っている部分です。
一番では、「ホウセンカの紅い花は、マニキュアのように爪先を赤く染めるのに使いますが、親の教えは心に染めなさい」と歌われています。けれども、今の人に「自分の心を他人の教えで染める」という意味が、実感としてわかるでしょうか。なんとも心許ない気がします。
二番の歌詞は、直訳すると「天の星を数えることはできるが、親の教えは数えることができない」という詞になります。かつて、星を読むことは、占星術に通じ、森羅万象や個人の運命の変転を読むことでもありました。そのような秘儀に通じる人でも、親の教えの深さを測ることはできないのだと考えると、「星は読めるが、親の教えは読めない」というのは、「母の愛は海よりも深し」にも通じて、本当にすごいことを言っている気がします。
三番の歌詞では、「子の方角にある星」という表現で北極星のことを歌っています。天球上不動の位置にある北極星は、古代中国では宇宙の中心に座す神として「天皇大帝(てんこうたいてい)」と呼ばれていました。飛鳥時代の日本では、この天皇大帝(天の王)に由来して、大王(おおきみ)を天皇と呼ぶようになります。ですから「夜の海をゆく舟は、偉大な天の王北極星を目印に航海するが、私の親は、子であるわたしの存在を生きがいとして、心の支えとして生きている」という詞も、とても味わいの深い言葉であることがわかります。
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