茨城県水戸市に来ています。茨城県の水戸近郊は、民家・住宅のおよそ九割が、お寺や神社のような瓦屋根の伝統的な日本家屋の造りをしている映画の時代村のような地域です。沖縄や東京や北海道などと比べると、古式ゆかしい江戸期の雰囲気を、格段に色濃く残しています。さすがに徳川御三家の一つ、水戸徳川家のお膝元として、庶民の家の造り一つにも、強く武家の伝統を感じるのです。
江戸期の徳川家の繁栄を偲ぶ場所というと、お隣栃木の日光の方が、観光地としてもはるかに有名ですが、考えてみると一番有名な江戸期の時代劇は『水戸黄門』ですものね。水戸に武家の気風が漂うのも当然かもしれません。
そして、幕末の水戸家の名君徳川斉昭が創設した日本三大庭園の一つである偕楽園は、三大庭園の中で唯一、入園料は無料という心意気のある大庭園です。多くの市民の憩いの場として、格好の散歩コースとなっているようです。同時に、水戸市最大の観光スポットの一つでもあります。
この庭園の杉林にある『太郎杉』は、樹齢800年の見事な大木です。昔は次郎杉から五郎杉まで、五本の巨木が揃っていたのだそうですが、最大の巨木である太郎杉を除いて、残念ながら、すべて倒れてしまったのだそうです。すぐそばに、昭和39年の台風で倒れたという次郎杉の根元の残骸だけが、わずかに残っています。2000年以降、気象変動で、屋久島の翁杉やら永平寺の道元杉やら鎌倉の大銀杏やら、日本中の御神木が、次々と倒れていく中で、「この太郎杉が、いつまでも元気に立っていますように」と祈らずにはいられません。
さらに、この杉林の奥には、これも見事に育った竹林があります。この庭園内に隣り合う杉林と竹林は、ともに強いエネルギーを感じる場所です。なんというか、徳川260年の伝統の重みが醸し出す霊的な力というのでしょうか、特に竹林の方には、格別にそうした強烈な霊気漂う雰囲気が、まとわりついているように感じます。
さて、この偕楽園の東門を出たところには、偕楽園レストハウスという名の、比較的ゆっくり時間を過ごせるレストランがあるのですが、そこに『光圀ラーメン』というメニューがあります。何でも、「水戸黄門様は、日本で初めてラーメンを食した人である」ということで、水戸ラーメンはなかなか由緒があるらしいのです。注文してみると、クコの実と絹さやと青梅が具として入っている、あっさりしたスープの醤油ラーメンなのですが、麺とスープと具材のバランスが絶妙で、とても美味しかったです。それから、梅アイスと納豆アイスというのをいただいたのですが、これがまた、もろに「梅!」「納豆!」という不思議な味で、それぞれになかなかいける(?)アイスでした。
水戸は、納豆と梅が特産物として有名ですが、基本的に食べ物全般の美味しいところです。何よりも味付けが上品でクセがなく、どの料理も造りが繊細で丁寧です。甘すぎず、辛すぎず、ダシがきいていて、塩加減が絶妙なのです。さすが徳川御三家のお膝元です。
また、近くに産地があるということで、新鮮な湯葉・蒟蒻の刺身が格別です。それから、北海道と並ぶ蕎麦の産地ということで、手打ち蕎麦の美味しい店がたくさんあります。さらに、味が淡白で脂っぽくないローズポーク(茨城県産豚)も、食べやすいです。ともかく、素材の素晴らしさを生かした『これぞ、ザ〝和食〟!』というか、あっさりしたキレの良い美味の食べ物が多いのです。
あとはなぜか、珈琲が美味しいのです。なんでも水戸藩主でもあった15代将軍徳川慶喜公は、とても新し物好きの人で、最初にタイツを履いたとか、最初に珈琲を飲んだとか、逸話が色々あるのだそうです。それで、店によっては「将軍コーヒー」というメニューもあるとききました。


さて、その偕楽園レストハウスの隣には、徳川光圀公を祀る常盤神社と、光圀公所縁の品々を展示する歴史博物館「義烈館」があります。水戸徳川家の徳川光圀公(義公)、斉昭公(烈公)などの直筆の書簡や書の掛け軸などの他、水戸学の大成者である藤田東湖の直筆の書簡や書の掛け軸などが、展示されています。また、西郷隆盛直筆の漢詩の掛け軸もあります。
特に、光圀公が酔って彰考館の障子に書いたという漢詩を、後に木版に写したものという、なんとも自由で洒脱な書の美しさが印象に残ります。それから、斉昭公と東湖の書の達筆なことにも驚かされます。昔の人は、本当に字が美しいです。
さらに、光圀公が侍医に命じて書かせたという元禄八年版の「救民妙薬」という薬草書や、明治時代に完成した木版の「大日本史」など、印刷物も充実しています。そして、それらの書物を通して、ともかく、江戸期の木版技術の細かさ、精巧さには本当に感嘆させられます。「なるほど、ここに日本の丹念で精緻な技術力のルーツがあるのだなあ」と考えさせられるのです。
その他、藤田東湖の着用した鎧兜や、ペリー来航の際に、江戸湾防衛のために斉昭の命で鋳造された、江戸時代最大の大砲の現物なども展示されており、小さいけれど見所の多い博物館です。近くには、もっと大きな『歴史館』という施設や、水戸学の本拠地である藩校『弘道館』などもあったのですが、時間の関係で、そちらの方には行きませんでした。
水戸のすべてを観たとは言い難いですが、それでも今回、「水戸という土地は、本当にお武家様の街なのだなあ」とつくづく感じさせられました。街の人の立ち振る舞いが、男性も女性も、老いも若きも、皆どことなくキビキビしていて凛々しいのです。少しせっかちな感もありますが、道端でちょっとモノを訊いても、誰もがハキハキと丁寧に答えてくれます。みなさん、とても愛想が良く親切です。
夜も7時を過ぎれば就寝という人が多いのか、8時頃には住宅街は真っ暗です。『規律正しく、質実剛健を重んじる気風』というのでしょうか、やはり水戸学の影響もあるかもしれません。観光的には目立たない県ですが、実はものすごく個性的な県なのです。
ただ、茨城県は、幹線道路や新幹線などが通っておらず、大規模交通網の狭間にあって、水戸への高速バスが通る道路なども、沖縄の北部〝ヤンバル〟並に狭くて交通量も少なく、道路沿いの風景もかなりひなびています。
お隣の千葉県は、成田空港もあって、情報や物流の最先端に位置しているのに、利根川を渡った途端に感じる、この違いは何なのだろうと不思議な気もします。東北新幹線や東北自動車道が、まるで水戸を迂回するように、これもお隣の栃木宇都宮を通って仙台へと向かう経路を設定されていることなど、考え合わせると、やはり徳川15代将軍慶喜公(烈公の子息)のお膝元ということで、明治以降の政府に警戒され冷遇され続けてきた可能性も否定できません。そして、政府に無視されている県の英雄である黄門さまが、かえって庶民の味方の象徴として、虐げられた人々に崇められるようになったのかもしれません。
しかし、水戸藩は、徳川御三家の一つであり、将軍慶喜公を輩出した藩でありながら、同時に『大日本史』編纂事業や水戸学に代表される随一の尊皇藩でもありました。そのため、江戸期の最後には、幕府への忠誠心と天皇への忠誠心の狭間で真っ二つに引き裂かれてしまった悲劇の藩です。現在でも、靖国神社に直結する護国神社があり、水戸は英霊信仰の根深い土地なのです。
右へも左へも軽々しく行くことはできない、そんな水戸の人々に残された道は、祖先を崇拝し武士道を重んじる、険しい求道の歩みだったのかもしれません。


🌠短い滞在でしたが、とても充実した楽しい時間を過ごさせていただきました。案内していただいた吉田夫妻には本当に感謝申し上げます。有難うございました。