これほどの名作だったのか。
それが、今、大人の目で、およそ35年ぶりに再読しての正直な感想です。
この「坂道のぼれ!」は、1977~1978年に書かれた高橋亮子さんの代表作です。代表作と言うのは、異論のある方もいらっしゃるでしょう。けれども、今回、30年ぶりに再読してみて、やはり「高橋作品の中でも抜きん出た名作である」という思いが強くなりました。
この作品は、70年代の等身大の高校生が主人公です。とても古い漫画で、絵のスタイルにも時代を感じさせられます。ただし、その描写は、ステレオタイプな通り一遍のものではなく、心の裏側や深い部分の微かな揺れまで、妥協せずにきちんと描かれています。その描き方の繊細さと深さに、この作品にかける作者の並々ならぬ思い入れの強さを感じずにはいられません。
教育熱心な母親に、優秀な姉と常に比較されて育った亜砂子は、名門と言われる有名進学校に、なんとか入学はしたものの、厳しい競争についていけず、すぐに学業につまずき、やがて登校拒否に陥って、数ヶ月で高校を中退してしまいます。それからしばらく自宅で無為の日々を過ごすのですが、翌年の春、心機一転を志して、まったく知らない街にある、今度は進学校ではない私立の女子高へと再入学します。亜砂子がその高校の寮に向かって、ひとりで長い坂道を登っているところから、この物語は始まります。
何というか、今読むと、亜砂子は、元祖〝引きこもり〟的な主人公ではあります。問題児と目されるや否や、亜砂子から離れた友人たち。親も姉も、落ちこぼれの亜砂子を持て余しました。学校にも家にも、自分の居場所がないのです。現代なら、そういう子どもは自分の部屋に閉じこもるでしょう。亜砂子も最初はそうでした。
けれども、そこから、亜砂子は、自分の至らなさを見つめ始めるのです。そして、再出発を期して、自らの意志で家を離れ、誰も知らない街に1人でやってくるあたり、現代のそんじょそこらの並の〝引きこもり〟とは比べものになりません。内なる自分を大切にしつつ、必死で自立を目指す、ある意味、凛々しい〝引きこもり〟なのです。
そして、この学校への長い坂道の登り終えたところで、亜砂子は1人の少年に出会います。その少年、友くんは、繊細で正直な心の持ち主ですが、この街では札付きの不良と見なされていました。
この作品は、「もう一度、やり直そう」と心に強く秘めて、東京から誰も自分のことを知らない街にやってきた少女と、その街で、どうにもならない状況にはまり込んでいて、自暴自棄になりかけていた少年との出会いの物語です。
「誰にもわかってもらえないつらさが、わかるような、わかってもらえるような気がしたの」と、後になって、亜砂子がルームメイトの友人たちに話す場面があります。好きとか、愛しているとか言う前に、そんな2人の出会いでした。
文庫本でたったの三冊、単行本なら四冊。たったそれだけの分量なのに、この内容の濃密さは、いったいなんだろう。単行本一冊分の第一部を読み終わっただけで、ふうっと息をついて、一休みしたくなります。
そして、以前、「はみだしっ子」の再読感想を記事にした時にも書いたことですが、この作品についても言わなければなりません。細部に渡って、すべてのシーンとセリフと表情が、わたしの記憶の中にあることが確認できました。
当時、わたしは繰り返し繰り返し読んでいたのでしょう。この作品が大好きでした。それはきっと、亜砂子や友くんと同じように、その頃のわたしが、とても、ひとりぼっちだったからかもしれません。
わたしもまた、誰にもわかってもらえない悩みやつらさ、喜びや哀しみを、内にいっぱい抱えて生きていました。本や音楽だけが、本当の心の友だったのです。もちろん、友だちがいなかったわけではありません。それでも、本当のことを話せる友だちはいなかったように思います。だから、亜砂子の心の中の言葉が胸に染みたのでしょう。
けれども、当時はそれほど感じなかったのに、今回強く感じたことは、何よりも、読んでいて深く重く胸に迫ってくる、息詰まるような〝つらさ〟です。当時、同年代の学生だったわたしが読んでいて、今と同じようにその〝つらさ〟を感じていたとしても、ここまで強烈ではなかったような気がします。おそらくは、作品から伝わってくるものを、無意識には受け取っていたとしても、「それが何なのか」についての明確な意識化が、今ほどできなかったのかもしれません。
ですから、今わたしが感じているのは、この作品のメッセージを、大人としてよりクリアに意識で捉えられるがゆえの〝つらさ〟なのでしょう。ただ、〝つらい〟とは言っても、それが、決して嫌なつらさではないのです。何か、忘れかけていた大切なものを、鮮明に呼び起こしてくれるような得難い感覚でもあるのです。それも、息苦しいほどの実感をともなって。
人は年を取るにしたがって、現実を思い知るようになり、亜砂子の学校の生活指導の先生や、友くんのお父さんの病院長のように、シビアで「現実的」になる面も確かにあります。そして、何かを守るために、何かを平然と握りつぶす、そんなことが日常的にできてしまう、無慈悲でいやらしい大人になる人もいます。作中の10代の少年少女たちが、大人たちに「君も(おまえも)いずれわかる時がくる」と言われるたびに、くりかえし「あんたみたいな大人には、なりたくない」と言っているような大人に。
けれども、長い年月を、さまざまな喜びや哀しみ、孤独や怒り、屈辱や悔しさ、信頼や献身、共感や思いやりとともに生きてきた大人ならば、その経験から、より深い判断力を身につけているものです。そうして、自分の魂を研ぎ澄ますように、生きている人もいるはずです。
〝人間の成長〟の一部は、幼い頃には頭や心の一部でしか感じきれなかったものを、心と身体の全体で感じることができるようになるという、理解の深まりにもあると思うのです。少なくとも、わたしは、昔、10代に読んだ時よりも、この作品のすべてが強く胸に染みました。
著者である高橋亮子さん自身が、1998年の文庫版のあとがきに「あらためて、この作品を読み返してみて、これは大変な作品だと感じました」と書いておられます。今のわたしには、高橋さんの言いたいことが、とてもよくわかる気がします。
この作品の主人公たちは、それこそ全身全霊をあげて〝生きること〟にもがき苦しんでいます。特に、友くんと亜砂子の2人の視点の高さ、感じ方の深さは、並々ならぬものがあり、時には作品中で、もっとも〝大人〟に感じるほどです。10代の頃には、その孤高の精神の気高さに〝かなわない〟という思いが強かった気がします。そして、40年近く経って、主人公2人の〝大人な心〟に、ようやく自分の〝至らない心〟が、少し追いついてきたのかな、とも思います。
この作品の特徴の一つは、その内容の深さにもかかわらず、セリフがほとんど印象に残らないことです。「作品全体が言葉にならないものを表現している」ということもあるでしょうし、それだけ登場人物のセリフが自然で、奇やてらいがまったくないということでもあります。だから、「はみだしっ子」語録みたいな「坂道のぼれ!」語録は、なかなかつくりにくいのです。
そして、セリフが記憶に残らない代わりに、繊細な絵の奥に広がる〝永遠〟の感覚だけが、心にいつまでも残ります。特に、読んでいる最中などは、亜砂子の目の奥に輝く何かに、吸い込まれそうになります。
高橋亮子さんは、北海道出身のフォークデュオ〝ふきのとう〟のファンらしく、別の作品「水平線をめざせ!」では、そのまんま〝ふきのとう〟というイメージの2人の少年の物語を描いたりもしています。そして、この作品「坂道のぼれ!」でも、樹々の描き方や人物の表情など、随所に〝ふきのとう〟っぽさが感じられます。曲でいうなら、「水色の木漏れ日(1977)」「雨は優しいオルゴール(1977)」「ばあじにあ・すりむ(1979)」「赤い傘(1979)」といったイメージでしょうか。
ただし、作品世界の奥行きの深さや、主人公たちの心の突き抜け方は、はっきり〝ふきのとう〟の作品世界を超えています。そこには高橋さん独自の作品世界が広がっているのです。
少しNSPの感性に触れる部分もあるかな、とは思います。「17才の詩(1975)」「浮雲(1980)」「夕陽を浴びて(1980)」「チケットを握り締めて(1981)」などの歌の中の世界は、「坂道のぼれ!」の作品世界と、どこかで通じ合うものがある気がします。
特に「チケットを握り締めて(1981)」の歌詞は、とても印象的で、友くんと亜砂子のイメージに、ぴったり重なります。「都会の静か、森の静か、どこか、違うよ。行く先不明になって、気ままに過ごそう。束縛されない時間を食べて、時計の針を忘れてしまおう。街の人とバスに乗り込み、本当の風を感じるさ。そこは、誰も僕を知らない。もちろん、君を知る人もいない。君を路上で抱きしめた時に、景色の中に溶け込むさ。」
この作品のテーマは、「人はどこまで深く分かり合えるか?」ということです。さらに言えば、「人は、どこまで深く、他者の哀しみを理解できるのか?」ということでもあります。
世の中には「そんなもの、理解したくもないし、されたくもない」という人もたくさんいます。友くんや亜砂子は、そんな鉄のような神経の人を見ては、「強い人だなあ」と呟きます。自分の求める〝社会的成功〟を目指して、余計なものは振り払い、ためらいなく歩める北沢さんのような人は、本当に強い人です。今でいう〝勝ち組〟の人ですね。
逆に、友くんや亜砂子のように、柔らかい心で、まっすぐに生きようとすればするほど、冷たく頑なな〝人間の壁〟にぶつかって、手ひどくはねのけられ、傷つくことが多くなります。そんな生き方は、橘さんが言うように「オレたちみたいに居直っちまうには正直すぎるし、かと言って、普通のおりこうちゃん生徒じゃ、もういられねえし、純粋っていや純粋だけど、1番へたでソンなやりかただ」と、言われるかもしれません。
でも、彼らは、それでも、たくましく伸びやかな心で生きていきます。互いに寄り添えたから、ではなく、おそらくは、彼らの生き方こそが、大自然が大いなる実りを約束してくれている〝祝福された生き方〟だから、です。
それはちょうど、映画「今を生きる(1989)」の中で、ロビン・ウィリアムス演じるキーティング先生が、生徒たちに伝えたかったことにも通じる気がします。「自分の内なる息吹を感じなさい。」
友くんと亜砂子は、悩み抜いた末に、互いの心の成長のために、今は別れて生きることを選びました。それが、まだ心の未熟な2人にとっては、より〝自然〟だったからです。けれども、それは、決して諦めでもなければ、挫折でもないのです。
別れ別れになった2人は、いつか再び巡り会うでしょう。今度は、北海道の空の下で、かもしれません。その時は、きっと、友くんはお医者さん、亜砂子は学校の先生になっているはずです。そして、迷いのない心で、今度こそ、2人で寄り添って歩んでいける人生を、きっと見つけるに違いありません。
それにしても、あらためて深く感じることですが、心と心が触れ合うこと、人として自然に伸びやかに成長すること、軽やかに真摯に自由に生きることの、なんと難しい時代でしょう。今の世の中では、あたりまえに人と関わることが、さまざまなトラブルを引き起こしてしまうのです。
さらに、今の若い人は、生き方を真面目に問うことをあまりしません。「そんな難しいことを考えてどうするの」とよく言いますよね。「そんな重い話は聴きたくない」とも言います。
何が〝重い〟と言うのか、わたしにはさっぱりわからないのです。軽くてどうでもいい話よりは、中身のある話がしたいとわたしは思うのですが、そういう志向は、今は流行らないのでしょうか。
けれども、こんな時代だからこそ、読み継がれて欲しい名作があります。以前に紹介したゴフスタインの絵本「私のノアの箱舟」や、スピアの「青銅の弓」や、中国映画「變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて」などもそうです。これらの、年月を経ても変わらない、大切な人間の真実を描いている作品が、今では数多く、時の彼方に埋れて、忘れ去られようとしています。
この高橋さんの「坂道のぼれ!」もまた、そうした忘れられて欲しくない作品の一つです。思春期の少女の心のひだにピッタリ寄り添うように、こんなにも細やかに描かれた作品は他にありません。現在、絶版で、古書でしか手に入らないのは、とても残念です。
そう言えば、高橋亮子さんは、三原順さんと同じ、1952年(昭和27年)生まれで、同世代の方なんですね。わたし自身、期せずして、この2人の作品について語りたくなったのは、どこか両者に同じ時代を生きた者の共通点を感じていたためかもしれません。
2人のイメージが重なるのは、心に傷を負いながら、確かな絆を求めて、もがきつづける人々を、深い共感を持って描く創作姿勢です。その描き方から、お二方の生き方そのものも、どこか重なるようにも感じられるのです。しかし、その一方で、お二人の感性には、大きな違いがあります。
北海道出身の三原さんには、北海道人に特有の「誰も到達し得ない果てしない地平に切り込んでいく孤高の魂」を感じます。易学上で言っても、三原さんの魂の色は、「とてつもなく大きなものに立ち向かう」という〝女帝〟の宿命を抱えているのです。たった一人で、斧一本で巨木に立ち向かう樵のサーニンというイメージでしょうか。言葉という武器だけを持って、現実の世界に闘いを挑んだ強い女性です。
そして、新潟県出身の高橋さんの描く主人公亜砂子には、想像を絶する限界まで「耐える女」「尽くす女」という越後女性の忍耐力や包容力、そして賢明さを感じます。亜砂子は、とても辛抱強くて、思いやりのある、芯のある人です。また、この作品のメイン・テーマは、言葉にならない深い苦悩への共感です。
易学上、高橋さんの魂の色からは「砂漠での孤独な無念の死」という前世のトラウマを抱えていることが見て取れます。それで、今世で生きる上での重要なテーマが、「他者に自分の苦しみを共感してもらうこと」なのです。そのせいで、という訳ではないのかもしれませんが、作者である高橋さんご本人の苦悩が、この「坂道のぼれ!」という作品に、特に色濃く反映されているようにも感じます。
結局は、それぞれの作者の魂の色(性質)の違いが、作品そのものの輪郭を形作る強い個性となっているのかもしれません。
坂道のぼれ! コミック 全3巻完結セット (双葉文庫―名作シリーズ)/高橋 亮子

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それが、今、大人の目で、およそ35年ぶりに再読しての正直な感想です。
この「坂道のぼれ!」は、1977~1978年に書かれた高橋亮子さんの代表作です。代表作と言うのは、異論のある方もいらっしゃるでしょう。けれども、今回、30年ぶりに再読してみて、やはり「高橋作品の中でも抜きん出た名作である」という思いが強くなりました。
この作品は、70年代の等身大の高校生が主人公です。とても古い漫画で、絵のスタイルにも時代を感じさせられます。ただし、その描写は、ステレオタイプな通り一遍のものではなく、心の裏側や深い部分の微かな揺れまで、妥協せずにきちんと描かれています。その描き方の繊細さと深さに、この作品にかける作者の並々ならぬ思い入れの強さを感じずにはいられません。
教育熱心な母親に、優秀な姉と常に比較されて育った亜砂子は、名門と言われる有名進学校に、なんとか入学はしたものの、厳しい競争についていけず、すぐに学業につまずき、やがて登校拒否に陥って、数ヶ月で高校を中退してしまいます。それからしばらく自宅で無為の日々を過ごすのですが、翌年の春、心機一転を志して、まったく知らない街にある、今度は進学校ではない私立の女子高へと再入学します。亜砂子がその高校の寮に向かって、ひとりで長い坂道を登っているところから、この物語は始まります。
何というか、今読むと、亜砂子は、元祖〝引きこもり〟的な主人公ではあります。問題児と目されるや否や、亜砂子から離れた友人たち。親も姉も、落ちこぼれの亜砂子を持て余しました。学校にも家にも、自分の居場所がないのです。現代なら、そういう子どもは自分の部屋に閉じこもるでしょう。亜砂子も最初はそうでした。
けれども、そこから、亜砂子は、自分の至らなさを見つめ始めるのです。そして、再出発を期して、自らの意志で家を離れ、誰も知らない街に1人でやってくるあたり、現代のそんじょそこらの並の〝引きこもり〟とは比べものになりません。内なる自分を大切にしつつ、必死で自立を目指す、ある意味、凛々しい〝引きこもり〟なのです。
そして、この学校への長い坂道の登り終えたところで、亜砂子は1人の少年に出会います。その少年、友くんは、繊細で正直な心の持ち主ですが、この街では札付きの不良と見なされていました。
この作品は、「もう一度、やり直そう」と心に強く秘めて、東京から誰も自分のことを知らない街にやってきた少女と、その街で、どうにもならない状況にはまり込んでいて、自暴自棄になりかけていた少年との出会いの物語です。
「誰にもわかってもらえないつらさが、わかるような、わかってもらえるような気がしたの」と、後になって、亜砂子がルームメイトの友人たちに話す場面があります。好きとか、愛しているとか言う前に、そんな2人の出会いでした。
文庫本でたったの三冊、単行本なら四冊。たったそれだけの分量なのに、この内容の濃密さは、いったいなんだろう。単行本一冊分の第一部を読み終わっただけで、ふうっと息をついて、一休みしたくなります。
そして、以前、「はみだしっ子」の再読感想を記事にした時にも書いたことですが、この作品についても言わなければなりません。細部に渡って、すべてのシーンとセリフと表情が、わたしの記憶の中にあることが確認できました。
当時、わたしは繰り返し繰り返し読んでいたのでしょう。この作品が大好きでした。それはきっと、亜砂子や友くんと同じように、その頃のわたしが、とても、ひとりぼっちだったからかもしれません。
わたしもまた、誰にもわかってもらえない悩みやつらさ、喜びや哀しみを、内にいっぱい抱えて生きていました。本や音楽だけが、本当の心の友だったのです。もちろん、友だちがいなかったわけではありません。それでも、本当のことを話せる友だちはいなかったように思います。だから、亜砂子の心の中の言葉が胸に染みたのでしょう。
けれども、当時はそれほど感じなかったのに、今回強く感じたことは、何よりも、読んでいて深く重く胸に迫ってくる、息詰まるような〝つらさ〟です。当時、同年代の学生だったわたしが読んでいて、今と同じようにその〝つらさ〟を感じていたとしても、ここまで強烈ではなかったような気がします。おそらくは、作品から伝わってくるものを、無意識には受け取っていたとしても、「それが何なのか」についての明確な意識化が、今ほどできなかったのかもしれません。
ですから、今わたしが感じているのは、この作品のメッセージを、大人としてよりクリアに意識で捉えられるがゆえの〝つらさ〟なのでしょう。ただ、〝つらい〟とは言っても、それが、決して嫌なつらさではないのです。何か、忘れかけていた大切なものを、鮮明に呼び起こしてくれるような得難い感覚でもあるのです。それも、息苦しいほどの実感をともなって。
人は年を取るにしたがって、現実を思い知るようになり、亜砂子の学校の生活指導の先生や、友くんのお父さんの病院長のように、シビアで「現実的」になる面も確かにあります。そして、何かを守るために、何かを平然と握りつぶす、そんなことが日常的にできてしまう、無慈悲でいやらしい大人になる人もいます。作中の10代の少年少女たちが、大人たちに「君も(おまえも)いずれわかる時がくる」と言われるたびに、くりかえし「あんたみたいな大人には、なりたくない」と言っているような大人に。
けれども、長い年月を、さまざまな喜びや哀しみ、孤独や怒り、屈辱や悔しさ、信頼や献身、共感や思いやりとともに生きてきた大人ならば、その経験から、より深い判断力を身につけているものです。そうして、自分の魂を研ぎ澄ますように、生きている人もいるはずです。
〝人間の成長〟の一部は、幼い頃には頭や心の一部でしか感じきれなかったものを、心と身体の全体で感じることができるようになるという、理解の深まりにもあると思うのです。少なくとも、わたしは、昔、10代に読んだ時よりも、この作品のすべてが強く胸に染みました。
著者である高橋亮子さん自身が、1998年の文庫版のあとがきに「あらためて、この作品を読み返してみて、これは大変な作品だと感じました」と書いておられます。今のわたしには、高橋さんの言いたいことが、とてもよくわかる気がします。
この作品の主人公たちは、それこそ全身全霊をあげて〝生きること〟にもがき苦しんでいます。特に、友くんと亜砂子の2人の視点の高さ、感じ方の深さは、並々ならぬものがあり、時には作品中で、もっとも〝大人〟に感じるほどです。10代の頃には、その孤高の精神の気高さに〝かなわない〟という思いが強かった気がします。そして、40年近く経って、主人公2人の〝大人な心〟に、ようやく自分の〝至らない心〟が、少し追いついてきたのかな、とも思います。
この作品の特徴の一つは、その内容の深さにもかかわらず、セリフがほとんど印象に残らないことです。「作品全体が言葉にならないものを表現している」ということもあるでしょうし、それだけ登場人物のセリフが自然で、奇やてらいがまったくないということでもあります。だから、「はみだしっ子」語録みたいな「坂道のぼれ!」語録は、なかなかつくりにくいのです。
そして、セリフが記憶に残らない代わりに、繊細な絵の奥に広がる〝永遠〟の感覚だけが、心にいつまでも残ります。特に、読んでいる最中などは、亜砂子の目の奥に輝く何かに、吸い込まれそうになります。
高橋亮子さんは、北海道出身のフォークデュオ〝ふきのとう〟のファンらしく、別の作品「水平線をめざせ!」では、そのまんま〝ふきのとう〟というイメージの2人の少年の物語を描いたりもしています。そして、この作品「坂道のぼれ!」でも、樹々の描き方や人物の表情など、随所に〝ふきのとう〟っぽさが感じられます。曲でいうなら、「水色の木漏れ日(1977)」「雨は優しいオルゴール(1977)」「ばあじにあ・すりむ(1979)」「赤い傘(1979)」といったイメージでしょうか。
ただし、作品世界の奥行きの深さや、主人公たちの心の突き抜け方は、はっきり〝ふきのとう〟の作品世界を超えています。そこには高橋さん独自の作品世界が広がっているのです。
少しNSPの感性に触れる部分もあるかな、とは思います。「17才の詩(1975)」「浮雲(1980)」「夕陽を浴びて(1980)」「チケットを握り締めて(1981)」などの歌の中の世界は、「坂道のぼれ!」の作品世界と、どこかで通じ合うものがある気がします。
特に「チケットを握り締めて(1981)」の歌詞は、とても印象的で、友くんと亜砂子のイメージに、ぴったり重なります。「都会の静か、森の静か、どこか、違うよ。行く先不明になって、気ままに過ごそう。束縛されない時間を食べて、時計の針を忘れてしまおう。街の人とバスに乗り込み、本当の風を感じるさ。そこは、誰も僕を知らない。もちろん、君を知る人もいない。君を路上で抱きしめた時に、景色の中に溶け込むさ。」
この作品のテーマは、「人はどこまで深く分かり合えるか?」ということです。さらに言えば、「人は、どこまで深く、他者の哀しみを理解できるのか?」ということでもあります。
世の中には「そんなもの、理解したくもないし、されたくもない」という人もたくさんいます。友くんや亜砂子は、そんな鉄のような神経の人を見ては、「強い人だなあ」と呟きます。自分の求める〝社会的成功〟を目指して、余計なものは振り払い、ためらいなく歩める北沢さんのような人は、本当に強い人です。今でいう〝勝ち組〟の人ですね。
逆に、友くんや亜砂子のように、柔らかい心で、まっすぐに生きようとすればするほど、冷たく頑なな〝人間の壁〟にぶつかって、手ひどくはねのけられ、傷つくことが多くなります。そんな生き方は、橘さんが言うように「オレたちみたいに居直っちまうには正直すぎるし、かと言って、普通のおりこうちゃん生徒じゃ、もういられねえし、純粋っていや純粋だけど、1番へたでソンなやりかただ」と、言われるかもしれません。
でも、彼らは、それでも、たくましく伸びやかな心で生きていきます。互いに寄り添えたから、ではなく、おそらくは、彼らの生き方こそが、大自然が大いなる実りを約束してくれている〝祝福された生き方〟だから、です。
それはちょうど、映画「今を生きる(1989)」の中で、ロビン・ウィリアムス演じるキーティング先生が、生徒たちに伝えたかったことにも通じる気がします。「自分の内なる息吹を感じなさい。」
友くんと亜砂子は、悩み抜いた末に、互いの心の成長のために、今は別れて生きることを選びました。それが、まだ心の未熟な2人にとっては、より〝自然〟だったからです。けれども、それは、決して諦めでもなければ、挫折でもないのです。
別れ別れになった2人は、いつか再び巡り会うでしょう。今度は、北海道の空の下で、かもしれません。その時は、きっと、友くんはお医者さん、亜砂子は学校の先生になっているはずです。そして、迷いのない心で、今度こそ、2人で寄り添って歩んでいける人生を、きっと見つけるに違いありません。
それにしても、あらためて深く感じることですが、心と心が触れ合うこと、人として自然に伸びやかに成長すること、軽やかに真摯に自由に生きることの、なんと難しい時代でしょう。今の世の中では、あたりまえに人と関わることが、さまざまなトラブルを引き起こしてしまうのです。
さらに、今の若い人は、生き方を真面目に問うことをあまりしません。「そんな難しいことを考えてどうするの」とよく言いますよね。「そんな重い話は聴きたくない」とも言います。
何が〝重い〟と言うのか、わたしにはさっぱりわからないのです。軽くてどうでもいい話よりは、中身のある話がしたいとわたしは思うのですが、そういう志向は、今は流行らないのでしょうか。
けれども、こんな時代だからこそ、読み継がれて欲しい名作があります。以前に紹介したゴフスタインの絵本「私のノアの箱舟」や、スピアの「青銅の弓」や、中国映画「變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて」などもそうです。これらの、年月を経ても変わらない、大切な人間の真実を描いている作品が、今では数多く、時の彼方に埋れて、忘れ去られようとしています。
この高橋さんの「坂道のぼれ!」もまた、そうした忘れられて欲しくない作品の一つです。思春期の少女の心のひだにピッタリ寄り添うように、こんなにも細やかに描かれた作品は他にありません。現在、絶版で、古書でしか手に入らないのは、とても残念です。
そう言えば、高橋亮子さんは、三原順さんと同じ、1952年(昭和27年)生まれで、同世代の方なんですね。わたし自身、期せずして、この2人の作品について語りたくなったのは、どこか両者に同じ時代を生きた者の共通点を感じていたためかもしれません。
2人のイメージが重なるのは、心に傷を負いながら、確かな絆を求めて、もがきつづける人々を、深い共感を持って描く創作姿勢です。その描き方から、お二方の生き方そのものも、どこか重なるようにも感じられるのです。しかし、その一方で、お二人の感性には、大きな違いがあります。
北海道出身の三原さんには、北海道人に特有の「誰も到達し得ない果てしない地平に切り込んでいく孤高の魂」を感じます。易学上で言っても、三原さんの魂の色は、「とてつもなく大きなものに立ち向かう」という〝女帝〟の宿命を抱えているのです。たった一人で、斧一本で巨木に立ち向かう樵のサーニンというイメージでしょうか。言葉という武器だけを持って、現実の世界に闘いを挑んだ強い女性です。
そして、新潟県出身の高橋さんの描く主人公亜砂子には、想像を絶する限界まで「耐える女」「尽くす女」という越後女性の忍耐力や包容力、そして賢明さを感じます。亜砂子は、とても辛抱強くて、思いやりのある、芯のある人です。また、この作品のメイン・テーマは、言葉にならない深い苦悩への共感です。
易学上、高橋さんの魂の色からは「砂漠での孤独な無念の死」という前世のトラウマを抱えていることが見て取れます。それで、今世で生きる上での重要なテーマが、「他者に自分の苦しみを共感してもらうこと」なのです。そのせいで、という訳ではないのかもしれませんが、作者である高橋さんご本人の苦悩が、この「坂道のぼれ!」という作品に、特に色濃く反映されているようにも感じます。
結局は、それぞれの作者の魂の色(性質)の違いが、作品そのものの輪郭を形作る強い個性となっているのかもしれません。
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