宮古島空港の近くに、新城さんの「石庭」があります。ここを訪れるのも三度目ですが、今回、三度目にして、石庭の雰囲気が、とても明るい浄化されたものになっている気がしました。石庭の中にいて、初めてとても気持ちがいいと感じたのです。
前回訪れた時には、とても弱っていて寝込んでいた新城さんも、今回はかなり元気になっていたのでビックリしました。93歳にして、まだまだしっかりしていらっしゃいます。そして、「入りなさい」と中に招かれて、じっくり話を伺うことができました。
「どうして、この庭を作ろうと思ったんですか」と訊くと、新城さんは当時のことを話してくださいました。
「石庭を作り始めようと思ったきっかけは、その当時、私は沖縄で小さなホテルをやっていたんだが、各部屋にテレビを置くのは経費がかかるので、みんなでテレビを観れる部屋を作ったんだ。その部屋である番組を観ていた時に、ヒマラヤで不思議な生き物を何年も追いかけている男が取材を受けていた。雪男みたいな伝説の生き物を追いかけていると言ってたが、もし見つけたらどうするんですか、と訊かれて、殺して剥製にすると言うんだね。それを聞いて、激しい怒りを覚えた。何十年探したって、お前には絶対に見つからないさと思ったね。その時、なぜかわからないが、故郷の宮古島の先祖の土地にあるはずの御嶽を掘り起こさなければならないと、突然思い立ったんだ。それで、妻にホテルを任せて、私は一人でここに戻ってきた。」
「でも、あれだけの大きな石を機械も使わずに一人で掘り起こしたのは、本当に大変だったでしょう。どうやってあんなにたくさん掘り出したんですか。」
「自分でも、よくわからないね。ともかく夢中だったから。ただ、一度はどうしても石が動かなくて、一旦は諦めたんだ。ちょうど、大神島での周回道路の工事が頓挫した時期でね。ああ、やっぱり、神様がやるなと言っているんだな。私の庭も神様が掘るなと言っているのかもしれん、と思って。ところが、しばらくすると、やはり、どうしても掘り起こさなければいけない気がしてきてね。それで、息子が帰ってくるのを待って、一緒に掘ってみようと考え直した矢先だった。あと三日で息子が来るという夜に、『お前はどうして息子を頼るのだ。一人でやりなさい』という声が聴こえてきた。そして、テコの原理を使うようにと、細かくやり方を教えるんだ。それで、木の棒を一本だけ持って庭に出て、ほんの数分で掘り起こした。それまで何日も、ピクリとも動かなかった大きな石が、簡単に起き上がったんだよ。」
「あの庭の石は、ぜんぶそうして一人で掘り出したんですか。」
「そうだ。ぜんぶ一人でやった。道具は木の棒一本でね。」
「それはすごい。それにしても、さっき大神島の話が出ましたが、あの島はやはり何か特別な島なのでしょうか。」
「そうだ。あの島からすべては始まった。神様が最初に天から降り立った島だ。最初は、大神島が十分な広さがあるか、調べに降ろしたんだ。だが、そうではないとわかったので、その周辺に人が住める大きな島を作るために、五本の木の棒を持ってきて、大神島の周囲に立てた。それが、宮古、伊良部、池間、下地、来間の五つの島になった。こうして、宮古に人が住むようになったのだ。やがて、神様は大和へ向かって出発した。まずは九州の日向(宮崎)に向けて刳船(くりぶね)で旅立ったんだが、まっすぐ向かうには遠いので、途中で伊平屋島に立ち寄ったんだ。」
「なるほど、伊平屋島には天の岩戸伝説の洞窟(クマヤ洞窟)もありますね。それにしても、大神島はすべての始まりの島なんですね。この国で、最後までノロ(巫女)が生き残っていて、神事を行っている唯一の島ですし。以前は宮古島の狩俣部落でも、ノロが神事を行っていたと聞きましたが。」
「狩俣は、もうみんな散り散りになってしまって、ノロ(神女)の伝承が途絶えてしまった。」
「残念ですよね。でも、大神島でも、ノロはみんな80歳を超えてしまっていて、ここまで続いてきた伝承が、そのうち途絶えてしまいそうなんですよね。」
「いや、大神島は大丈夫だ。あそこは伝承を受ける若い者がいるようだ。」
「そうなんですか。知りませんでした。それは良かったですね。」
新城さんは、とても、元気そうでした。やはり、以前来た時とは、何かが大きく変わったという気がしました。それが何なのかはわかりませんが、ともかく、わたしは、もう一度、ここに来る機会があって、本当に良かったと思いました。
基本的に縦社会であり、平良第一小学校(ヘイイチ)の出身者とその他の地域の出身者、公務員とその他の民間の人々、学校の先生や医者とそうでない人々など、ただでさえ階級・格差意識の強烈な宮古島で、新城さんは目に見える格差に意識を支配される人々の頑迷固陋な価値観に、たった一人で闘いを挑んできたのだと、わたしは感じています。誰の助けも借りずに、内に聴こえる神様の声だけを支えにして。
「自分でも、なぜ、こんなことをしたのか、よくわからない」と新城さんは言います。けれども、「最初に自分を突き動かした衝動は、激しい怒りだった」と、彼ははっきり言いました。
以来、それこそ、何かに取り憑かれたように、これでもか、これでもかと、石を掘り起こし続けてきたのです。目に見えないものの存在を一切信じない人々に、長い間地中に埋まっていて目に見えなかったものを、次々と掘り出して見せる。その営為を通じて、思い上がった人間の心に、圧倒的な真実の世界の姿を示して見せようと、新城さんはたった一人で戦い続けてきたのでしょう。この「石庭」は、彼の戦いの場であり、戦いの証でもあり、つまりは戦士としての存在証明だともいえます。
けれども、新城さんは、今も本当に孤独な人に見えます。彼のやむにやまれぬ思いを、本当に理解できる人は、おそらく、この地上に一人もいないかもしれません。彼の孤独な戦いは、今も続いているのです。
そして、戦場というものは、さまざまな思念によって汚れやすいものです。この石庭も、安易にパワー・スポットなどと言って、簡単に褒めそやして済ませられる場所ではないという気がします。そこは人間の情念・執念が渦巻く場所でもあったのではないでしょうか。しかし、この「石庭」という古戦場が、浄化されたということは、新城さんの孤独な戦いが、新たな段階に入ったということなのかもしれません。
それから、これは今回購入した新城さんの本に書いてあったことですが、なぜ宮古島にはエネルギーが充満しているのかについての考察が、とても興味深いものでした。火山の噴火でできた土地では、岩石の内部の生命力が粉砕されてしまっている。だから火山島の大地には生命力が薄いのだと言うのです。宮古島は大地の侵食と沈降と堆積と隆起によってできた(*)サンゴの島なので、岩石自体に強い生命力が宿っているのだそうです。
これは、なんとなくわかる気がします。わたしは宮古島に一歩足を降ろした瞬間から、何か暖かいエネルギーに包まれているような感覚が常にあります。これは、他の土地ではまったく感じられないものです。これが島の持つエネルギーの差なのかもしれません。
それにしても、新城さんが話してくれた古神道のルーツのお話は、とても興味深い話でした。実際、大神島の地層は、宮古島周辺で、もっとも古い地層なのだそうです。その次に古いのが、対岸の島尻・狩俣辺りということです。「大神島こそが最初の島だ」というのは、地質学的にも正しいのです。
大神島から伊平屋島を経て日向へ、それから大和へという天照大神の旅の道筋も、なんとなくしっくりくる気がしました。古神道の源流がこの琉球弧にあるということは、民俗学者の柳田国男さんもその著書で注目していました。古代において大和朝廷の成立に、琉球の海洋民族が関わったことは、おそらく確かだと思うのです。
大神島にもう一度、行ってみたくなりました。そして同時に、次は沖縄本島の北にある伊平屋島にも行ってみたくなりました。伊平屋島は、神武天皇の母が生まれた地とも言われ、古代史において重要な島です。
ところで、伊平屋島のすぐ南に位置する伊是名島と宮古島には、不思議と共通点が多いのです。まず、地形がとてもよく似ています。どちらも全体的に平板な山のない地形です。(伊是名島は、少し山があるようですが。)海岸線がまた特徴的で、美しい砂浜海岸と岩の切り立った海岸の両方があります。そして、珊瑚礁が隆起してつくられている、エネルギーの強い島です。
*実際、宮古島には現在、ハブが生息していないのですが、昔はいたことがわかっています。島が沈降した時に、ハブは死に絶えたのでしょう。同様に、伊是名島にもハブがいません。この二つの島は、沖縄諸島の中で、数少ないハブのいない有人島なのです。ちなみに、伊平屋島は、石垣島に似て山がちで、ハブも生息しています。
🌠2015.12.23、新城定吉さんが亡くなったそうです。94歳の天寿を全うして大往生ですね。それでも、3月にお会いした時には、とても元気そうだったので、突然の訃報に驚いています。あの時、とても饒舌に、普段にも増して色々な話をしてくださったのは、貴重な遺言を残してくださったのかな、という気もします。新城さんの遺した石庭は、お世話をしていた方が、そのまま管理してくださるのだという話です。ご家族には理解者がいらっしゃらなかったのではないでしょうか。
今年、大切な人が次々と逝きました。少し寂しいです。ご冥福をお祈りいたします。



前回訪れた時には、とても弱っていて寝込んでいた新城さんも、今回はかなり元気になっていたのでビックリしました。93歳にして、まだまだしっかりしていらっしゃいます。そして、「入りなさい」と中に招かれて、じっくり話を伺うことができました。
「どうして、この庭を作ろうと思ったんですか」と訊くと、新城さんは当時のことを話してくださいました。
「石庭を作り始めようと思ったきっかけは、その当時、私は沖縄で小さなホテルをやっていたんだが、各部屋にテレビを置くのは経費がかかるので、みんなでテレビを観れる部屋を作ったんだ。その部屋である番組を観ていた時に、ヒマラヤで不思議な生き物を何年も追いかけている男が取材を受けていた。雪男みたいな伝説の生き物を追いかけていると言ってたが、もし見つけたらどうするんですか、と訊かれて、殺して剥製にすると言うんだね。それを聞いて、激しい怒りを覚えた。何十年探したって、お前には絶対に見つからないさと思ったね。その時、なぜかわからないが、故郷の宮古島の先祖の土地にあるはずの御嶽を掘り起こさなければならないと、突然思い立ったんだ。それで、妻にホテルを任せて、私は一人でここに戻ってきた。」
「でも、あれだけの大きな石を機械も使わずに一人で掘り起こしたのは、本当に大変だったでしょう。どうやってあんなにたくさん掘り出したんですか。」
「自分でも、よくわからないね。ともかく夢中だったから。ただ、一度はどうしても石が動かなくて、一旦は諦めたんだ。ちょうど、大神島での周回道路の工事が頓挫した時期でね。ああ、やっぱり、神様がやるなと言っているんだな。私の庭も神様が掘るなと言っているのかもしれん、と思って。ところが、しばらくすると、やはり、どうしても掘り起こさなければいけない気がしてきてね。それで、息子が帰ってくるのを待って、一緒に掘ってみようと考え直した矢先だった。あと三日で息子が来るという夜に、『お前はどうして息子を頼るのだ。一人でやりなさい』という声が聴こえてきた。そして、テコの原理を使うようにと、細かくやり方を教えるんだ。それで、木の棒を一本だけ持って庭に出て、ほんの数分で掘り起こした。それまで何日も、ピクリとも動かなかった大きな石が、簡単に起き上がったんだよ。」
「あの庭の石は、ぜんぶそうして一人で掘り出したんですか。」
「そうだ。ぜんぶ一人でやった。道具は木の棒一本でね。」
「それはすごい。それにしても、さっき大神島の話が出ましたが、あの島はやはり何か特別な島なのでしょうか。」
「そうだ。あの島からすべては始まった。神様が最初に天から降り立った島だ。最初は、大神島が十分な広さがあるか、調べに降ろしたんだ。だが、そうではないとわかったので、その周辺に人が住める大きな島を作るために、五本の木の棒を持ってきて、大神島の周囲に立てた。それが、宮古、伊良部、池間、下地、来間の五つの島になった。こうして、宮古に人が住むようになったのだ。やがて、神様は大和へ向かって出発した。まずは九州の日向(宮崎)に向けて刳船(くりぶね)で旅立ったんだが、まっすぐ向かうには遠いので、途中で伊平屋島に立ち寄ったんだ。」
「なるほど、伊平屋島には天の岩戸伝説の洞窟(クマヤ洞窟)もありますね。それにしても、大神島はすべての始まりの島なんですね。この国で、最後までノロ(巫女)が生き残っていて、神事を行っている唯一の島ですし。以前は宮古島の狩俣部落でも、ノロが神事を行っていたと聞きましたが。」
「狩俣は、もうみんな散り散りになってしまって、ノロ(神女)の伝承が途絶えてしまった。」
「残念ですよね。でも、大神島でも、ノロはみんな80歳を超えてしまっていて、ここまで続いてきた伝承が、そのうち途絶えてしまいそうなんですよね。」
「いや、大神島は大丈夫だ。あそこは伝承を受ける若い者がいるようだ。」
「そうなんですか。知りませんでした。それは良かったですね。」
新城さんは、とても、元気そうでした。やはり、以前来た時とは、何かが大きく変わったという気がしました。それが何なのかはわかりませんが、ともかく、わたしは、もう一度、ここに来る機会があって、本当に良かったと思いました。
基本的に縦社会であり、平良第一小学校(ヘイイチ)の出身者とその他の地域の出身者、公務員とその他の民間の人々、学校の先生や医者とそうでない人々など、ただでさえ階級・格差意識の強烈な宮古島で、新城さんは目に見える格差に意識を支配される人々の頑迷固陋な価値観に、たった一人で闘いを挑んできたのだと、わたしは感じています。誰の助けも借りずに、内に聴こえる神様の声だけを支えにして。
「自分でも、なぜ、こんなことをしたのか、よくわからない」と新城さんは言います。けれども、「最初に自分を突き動かした衝動は、激しい怒りだった」と、彼ははっきり言いました。
以来、それこそ、何かに取り憑かれたように、これでもか、これでもかと、石を掘り起こし続けてきたのです。目に見えないものの存在を一切信じない人々に、長い間地中に埋まっていて目に見えなかったものを、次々と掘り出して見せる。その営為を通じて、思い上がった人間の心に、圧倒的な真実の世界の姿を示して見せようと、新城さんはたった一人で戦い続けてきたのでしょう。この「石庭」は、彼の戦いの場であり、戦いの証でもあり、つまりは戦士としての存在証明だともいえます。
けれども、新城さんは、今も本当に孤独な人に見えます。彼のやむにやまれぬ思いを、本当に理解できる人は、おそらく、この地上に一人もいないかもしれません。彼の孤独な戦いは、今も続いているのです。
そして、戦場というものは、さまざまな思念によって汚れやすいものです。この石庭も、安易にパワー・スポットなどと言って、簡単に褒めそやして済ませられる場所ではないという気がします。そこは人間の情念・執念が渦巻く場所でもあったのではないでしょうか。しかし、この「石庭」という古戦場が、浄化されたということは、新城さんの孤独な戦いが、新たな段階に入ったということなのかもしれません。
それから、これは今回購入した新城さんの本に書いてあったことですが、なぜ宮古島にはエネルギーが充満しているのかについての考察が、とても興味深いものでした。火山の噴火でできた土地では、岩石の内部の生命力が粉砕されてしまっている。だから火山島の大地には生命力が薄いのだと言うのです。宮古島は大地の侵食と沈降と堆積と隆起によってできた(*)サンゴの島なので、岩石自体に強い生命力が宿っているのだそうです。
これは、なんとなくわかる気がします。わたしは宮古島に一歩足を降ろした瞬間から、何か暖かいエネルギーに包まれているような感覚が常にあります。これは、他の土地ではまったく感じられないものです。これが島の持つエネルギーの差なのかもしれません。
それにしても、新城さんが話してくれた古神道のルーツのお話は、とても興味深い話でした。実際、大神島の地層は、宮古島周辺で、もっとも古い地層なのだそうです。その次に古いのが、対岸の島尻・狩俣辺りということです。「大神島こそが最初の島だ」というのは、地質学的にも正しいのです。
大神島から伊平屋島を経て日向へ、それから大和へという天照大神の旅の道筋も、なんとなくしっくりくる気がしました。古神道の源流がこの琉球弧にあるということは、民俗学者の柳田国男さんもその著書で注目していました。古代において大和朝廷の成立に、琉球の海洋民族が関わったことは、おそらく確かだと思うのです。
大神島にもう一度、行ってみたくなりました。そして同時に、次は沖縄本島の北にある伊平屋島にも行ってみたくなりました。伊平屋島は、神武天皇の母が生まれた地とも言われ、古代史において重要な島です。
ところで、伊平屋島のすぐ南に位置する伊是名島と宮古島には、不思議と共通点が多いのです。まず、地形がとてもよく似ています。どちらも全体的に平板な山のない地形です。(伊是名島は、少し山があるようですが。)海岸線がまた特徴的で、美しい砂浜海岸と岩の切り立った海岸の両方があります。そして、珊瑚礁が隆起してつくられている、エネルギーの強い島です。
*実際、宮古島には現在、ハブが生息していないのですが、昔はいたことがわかっています。島が沈降した時に、ハブは死に絶えたのでしょう。同様に、伊是名島にもハブがいません。この二つの島は、沖縄諸島の中で、数少ないハブのいない有人島なのです。ちなみに、伊平屋島は、石垣島に似て山がちで、ハブも生息しています。
🌠2015.12.23、新城定吉さんが亡くなったそうです。94歳の天寿を全うして大往生ですね。それでも、3月にお会いした時には、とても元気そうだったので、突然の訃報に驚いています。あの時、とても饒舌に、普段にも増して色々な話をしてくださったのは、貴重な遺言を残してくださったのかな、という気もします。新城さんの遺した石庭は、お世話をしていた方が、そのまま管理してくださるのだという話です。ご家族には理解者がいらっしゃらなかったのではないでしょうか。
今年、大切な人が次々と逝きました。少し寂しいです。ご冥福をお祈りいたします。


