NHKBSで放映された澤地久枝さんの100年インタビューを観ました。その内容は素晴らしいものでした。多くの日本人が見るべき内容だと思いました。長いインタビューですが、澤地さんが語られたことの一部を紹介します。
最初に澤地さんは、自分の生い立ちについて語られました。

とにかく家は貧しかったです。父は大工でしたが、10人ぐらいの仲間を連れて仕事を請負い、家を建てても、家主が破産して夜逃げされたり自殺されたりして、一銭もとれないことがよくありました。祖母は文盲で、生涯、字が読めませんでした。それでも、家計を助けるために、海に行ってぎっしり貝をとってきて、それを頭の上に載せて電車に乗って、原宿の路上でその貝を売っていました。働き者で本当に立派な人でしたよ。私は自分が教育のない貧乏な家の子として育ったということを、とても大切なことだと考えています。
母は生涯、着物の生活でしたが、そんな上等な着物は着けられませんでした。母の死をきっかけに、私は50代から着物を着け始めたのですが、それは満足な着物を着けられなかった母の代わりに、自分が着物を着ようと思ったんですね。最初は母への供養の思いからだったのです。
ともかく当時は本当に貧しくて、このままでは生活が立ち行かないので、父は必死に勉強して満鉄(南満州鉄道株式会社)の採用試験に合格して、一家は満州に行くことになりました。満州の自然は本当に素晴らしかったです。あの大きな夕日、どこまでも広がる地平線、今でも心の故郷という気がします。
でも、満州の日本人小学校では、私はかなりのひねくれ者でした。気持ちがいつも晴れなかったのです。というのも、満鉄の社宅は、社員のランクによっていくつにも分かれているのですが、私たち一家は中途採用でしたし、最低ランクの社宅でした。それで、新学期に学校が始まった時には、先生たちの態度は普通なんですが、家庭訪問のあった翌日からは、どの先生の態度もガラッと変わるんです。ランクが上の社宅の子供たちばかりを可愛がるようになるんですよ。

わたしが何よりも感銘を受けたのは、自分の家が貧しかったことも、親や祖母が無学だったことも、澤地さんがすべてを正直に語っていらっしゃることです。それも、ことさらに自己卑下するのでもなく、逆に「こんな環境から自分は成功したのだ」と自分をよく見せるのでもなく、ただただ率直に、むしろ、家族への愛情と誇りを持って語っていらっしゃることです。とても正直で勇気のある方だと感じました。
「貧しいこと、教育のないこと」を理由に、人を軽んじ、見下し、侮蔑する人は、今も昔も、この国にはたくさんいます。教育者にも、銀行員にも、公務員にも、医者にも、学者にも、経営者にも、そういう人たちはたくさんいます。人より財産があることが偉いのでしょうか。人より頭がいいことが偉いのでしょうか。いいえ、金持ちが威張り、学歴の高いものが威張るというのは、本当に見苦しいものです。
「私自身がそうだったのですが、特に『何も知らないのに自分はわかっていると思い込んでいる』のが一番恥ずかしいことです」と澤地さんはおっしゃっています。どれほど学歴が高くとも、世の中のことが何もわかっていないのに、自分の知っている小さな世界が世の中のすべてだと思って、すべてわかっているつもりになっている人が、この国には何と多いことでしょう。
確かに澤地さんは「9条を守る会」の発起人の一人であり、日本の左翼のオピニオン・リーダーの一人ではあります。けれども、この方のおっしゃっていることを、本当に理解している左翼がどれほどいるでしょうか。
身を持って貧しさの意味を知り、差別されることの意味を知っている方の言葉と、まったく知りもしないのに知っているつもりになって、偉そうに格差や差別を非難する一般的な左翼の言葉とでは、雲泥の差があります。
戦後、満州から引き上げてきて、貧しい中でも高校へ進学させてもらい、早稲田大学の学生だった時に、「聴け、わだつみの声」という戦死者のドキュメント映画を見て、それまでの自分の無知を恥じ、自分の一生の方向性が定まったと澤地さんは言います。「名もない市井の人の無念の声を、一生拾い上げていきたい」という澤地さんの熱い思いが伝わってきました。
澤地さんの言葉には、この国のリベラルによく見られがちな、傲慢さや自分可愛さや人間不信の傾向が、かけらも見られませんでした。「どんなに意見が違っても、話し合うことができる」「私は人間を信じます」という言葉は、自らの経験に裏打ちされた確かな言葉です。人に対して曇りのない誠実な態度を貫く姿勢は、まるで、あの周恩来のようです。尊敬できる方だと思いました。
9条に関しても、原発に関しても、わたし自身の意見は、おそらく澤地さんとは異なる部分も多いと思うのですが、インタビューの中で澤地さんが言わんとしていたことの多くは、違和感なく非常にしっくり理解できると感じました。

しかし、このような立派な方は、残念ながら、この国の左翼に、そう多くはいません。
自分は公務員として安穏としながら政府を批判し、自分の学歴や肩書きに優越感を抱く左翼の教員や学者たちのなんと多いことでしょう。自らの〝正義〟に酔いしれ、自らの〝名声〟や〝名誉〟を愛し、自己顕示欲の権化と化している活動家たちもたくさんいます。
名もなく、地位もなく、財産もなく、学歴もなく、ただただ必死で生きている人間を内心は見下している自称リベラルを、これまでわたしは大勢見てきました。そんな〝リベラル〟の言葉は、まったく信用できません。弱い者を自分の分身として慈しむことなど決してできない者が、口だけは弱者の代弁者を自称し、リベラルを名乗ることなど、わたしは絶対に認めない。

澤地さんは、大事なこと、話し合いたいことがあれば、真夜中でも人の家の戸をたたくのだそうです。そのことをもって、「澤地さんは真夜中に他人の家にいきなりやって来る非常識な人だ」と非難した左翼の連中がいます。あるいは「小泉・細川と手を結ぶなんて!」と憤る人もいたようです。物事の優先順位を取り違え、自分が被る些細な迷惑を最重要に考える、いかにも利己的な左翼にありがちな批判の仕方です。
もしも、どうしても本当に話したいこと、話さなければならないことがあったなら、わたしでも同じようにするでしょう。ただ、事が去年の都知事選での反原発候補の一本化に関してだったので、当時は猪瀬都知事支持派だったわたしとしてはかなり複雑な心境でした。猪瀬さんも東電に対して厳しい方でしたが、それゆえに潰されてしまいました。その時、猪瀬さんに追い打ちをかけたのは、自民党と左翼でした。猪瀬氏を追い落とした後、反東電の候補が勝つわけがありません。わたしとしては、もうどうでもいい選挙でした。
それから、傲慢な〈リベラル・リバタリアン〉の左翼が、澤地さんの行動を支持したり弁護したりするのを見るのは、それはそれで本当に嫌になります。彼らは澤地さんの目的を支持しているのです。しかし、わたしとしては、澤地さんのものの感じ方や受け止め方や生きる姿勢に敬意を抱いているのであって、政治的な主義主張はまた別問題と考えています。わたし自身は原発容認派です。
ただ、戦争と平和の問題に関しては、「この国が戦後70年の間、一度も戦争に巻き込まれることがなかったのは、現代史の奇跡のようなものだ」というインタビューでの澤地さんの感慨にはまったく同感です。その奇跡の平和は、日本国民の戦争体験の痛みと平和への祈りのようなものによって守られてきたのだと思うのです。澤地さんは、その国民の祈りの象徴が、憲法9条だと考えていらっしゃるのでしょう。