パリから戻って、あらかじめ録画予約しておいた映画「バベットの晩餐会」を観ました。旅行中、NHKBSで放映されたものです。原作はデンマークの女流作家イサク・ディネーセン(本名カレン・ブリクセン)の同名の中編小説です。
ディネーセン原作の映画としては、ハリウッドで撮影されて1985年にアカデミー作品賞を受賞したメリル・ストリープ主演、ロバート・レッドフォード共演の映画「愛と悲しみの果て(原題「アフリカの日々」)」が有名ですが、この作品の方はかなり地味なデンマーク映画です。けれども、実は、この映画も、1987年度のアカデミー最優秀外国映画賞を受賞しているので、玄人筋には評価の高い映画と言えます。
原作者イサク・ディネーセンは大好きな作家の一人です。特に好きな作品は、第二次世界大戦中のナチス支配下のデンマークで、密かにベストセラーになったと言われる長編小説「復讐には天使の優しさを」です。二人の少女が、邪悪で狡猾な男の支配下から、知恵と勇気を振り絞って脱出する美しい物語です。
もちろん、この映画のもとになった中編小説「バベットの晩餐会」も、若い頃に興味深く読んだ記憶があります。でも、映画を観るのはこれが初めてでした。


デンマークのユトランド半島にある小さな漁村に、信仰を生活の中心とする小さな共同体を作り上げたカリスマ的聖職者がいました。その聖職者には2人の美しい娘がいました。娘たちは、結婚もせずに父のそばで布教活動を手伝い、父の死後は、父の残した小さな宗教共同体の世話を続けて暮らしています。
ある日、この姉妹のもとに、フランスから一人の女性がやってきます。彼女はパリ・コミューンの動乱の中で、家族も仕事も失い、以前姉妹と親交のあった音楽家の伝手で、姉妹を頼ってこの漁村までやってきたのです。
彼女はフランスでの生活について、何一つ語りませんでした。内戦ですべてを失ったということを除いては。そして、家政婦として、家に住まわせて欲しいと姉妹に頼みます。
後に明らかになりますが、実は、このフランスからきた女性は、パリ一の料理人と名高かった芸術的料理人だったのです。姉妹は、そうした事実を一切知らないまま、この家族を失った身寄りのないフランス人女性(バベット)を受け入れました。
バベットは、姉妹の家で、一切の家事を引き受けて、家を切り盛りして働きながら、18年を過ごします。そして、ある日、彼女は宝くじに当たって1万フランを手にいれます。この金額は、おそらく、現在の日本円にして、1000万円ぐらいの価値でしょうか。
ちょうど、この時、姉妹は、亡き父の生誕100年祭を企画していました。年をとって愚痴っぽくなり、信仰心の衰えてしまった共同体のメンバーの心を再び一つにするために。そして、バベットは、その聖誕祭の晩餐会を、すべて取り仕切ることを、姉妹に申し出ました。
「費用は全額自分が負担する」と言うバベットの条件に渋る姉妹に向かって、バベットは言いました。「わたしは、今まで、何一つお二人に願い事をしたことはありません。これが最初で最後のお願いです。」
それからバベットは、一週間暇をもらって、フランスまで買い出しに出かけ、海亀やら鶉やらワインやらシャンパンやらを山のように買ってきます。バベットが買い込んできた見たこともないような異様な食材の山を見て、姉妹も信者たちも、どんな料理が出されるものやらと、気が気ではありません。彼らは、聖誕祭を台無しにしないために、会食の間、一切料理の話をしないことを誓い合いました。
そして、晩餐会が始まります。賓客として、パリでの生活が長かった貴族の将軍がひとりいました。彼は以前、パリの有名レストランで、バベットの創作料理を食べたことがありました。
出される料理の数々を賞味しながら、将軍は思わず唸ります。「うむ、これは、まさか!そう、確かに、この料理は以前、パリで食べたことがある。これこそ、まさに芸術!それがなぜ、今、ここに?」けれども、将軍の話を誰も聞こうとしません。
「このワインは実に素晴らしい!そうは思いませんか?」
「ええ、今日は本当に良い天気ですねえ。」
「この鶉を見てください!この味は、まったく!本当に見事ではありませんか?」
「ええ、ええ、本当に今夜は星が綺麗で。」
「…。」
けれども、口には出しませんが、誰もがこの奇跡のような素晴らしい料理を楽しんでいました。そして、誰もが未だかつてないほどに幸せでした。会食の雰囲気は、愛と優しさと共感に満ちていました。こうして聖誕祭は大成功のうちに終わりました。その美しい夜の思い出は、それぞれの心に深く刻み込まれ、忘れ難い印象を残しました。
次の日、姉妹はてっきりバベットが村を出て行くものと思っていました。ところがバベットは、お金もないし出て行かないと言います。姉妹がビックリして「1万フランは?」と聞くと、全部会食の費用に使ったと言います。
それから、次のような会話がなされます。(*わたしの想像も入っています)
「わたしがパリで料理長をしていた店では、1人分の食事の値段が1000フラン(100万円)でした。」
「どうして、あなたは、私達に食べさせるために、自分のお金を全部使ってしまったの?」
「芸術家にとっては、自分の才能を発揮する場所を与えられることが重要なのです。」
「でも、たった一夜のために?」
「一瞬でも良いのです。その瞬間、確かにわたしは、本当に自分自身でいられたのですから。」
「でも、そのおかげで、あなたは貧乏になってしまったわね。」
「芸術家には、貧乏などありません。魂の自由だけが、本当に大切なものなのです。」


以前、この作品を小説で読んだ時も、それなりに興味深く読みましたが、今回、パリから帰ってきてこの映画を見たとき、初めて本当にバベットの気持ちが理解できた気がしました。実に自然に、バベットの気持ちに感情移入できたのです。
バベットの行動の底にある思い、「たとえ一瞬でも、魂の奥底を解放することができたら、本当に〝生きている〟という感覚が得られたなら、何も惜しくはない。」という心は、生粋のパリっ子の感覚ではないかと思います。それは、わたしがモンマルトルで出会ったパリの貧しい芸術家たちの本音でもあるでしょう。
日本ではあまり馴染みのない感覚かもしれません。世間には「たかが芸術、所詮しがない人間の営みに過ぎない」と、考える人もいます。「芸術家など、自分のたいしたことない創作活動を、いかにも大層なもののように、もっともらしくカッコつけて見せて、周囲に褒めそやされて思い上がっているだけの鼻持ちならない人種だ」と言う人もいるでしょう。そういう高慢な芸術家も、実際にいないわけではありません。
「やっぱり、お金がすべてでしょ」と言う人は、芸術を投資の対象としてしか考えないでしょうし、美術品の市場価格にしか興味がないかもしれません。「芸術などくだらない」と言い捨てる人もいます。
けれども、内なる真実を表現することは、自分の魂を解放することです。「一瞬一瞬の表現こそが、自分が生きている証だ」という感覚は、人間の生の真実ではないでしょうか。わたしたちはみな、自分を表現するために生きているのです。
パリで、ピカソ美術館をまわっている時、底抜けに正直なピカソの表現に囲まれていると、自然にそんな風に思えてきます。ピカソの画風を真似ることは簡単ですが、誰もピカソのようには描けません。
赤子のように自由に無邪気に描くなんてことは、賢い大人はなかなかできないものです。それでも、ピカソの絵を見ているだけで、私もまた知らないうちに無邪気に自由になることができます。それが芸術の凄みです。それだからこそ、ピカソは天才と呼ばれるのでしょう。
つまり、天才の手による自由な表現は、その表現に触れる凡人の心をも自由にするのです。そして、日常に埋没して見失っていた生の実感を取り戻させてくれます。それは、誰にとっても、得難い〝心の洗濯〟の時間です。やはり、「一瞬の〝生きている〟という実感こそが、人生の中で最も価値あるものだ」という芸術家の価値観は、普通の人間にとっても大切なものなのではないでしょうか。
バベットが、一瞬の命を燃やすために、なけなしの1万フランを惜しげも無く使ってしまった気持ちが、今はわたしにもなんとなくわかる気がします。おぼろげながら、ではありますが。
わたしは芸術家ではありません。けれども、素朴で素直で正直な心からの表現は、何の飾りも技巧もなくとも、それだけで一個の芸術たりうるのではないか、と考えるようになりました。そして、名もない一人一人の人生もまた、この世に一つきりの芸術(art)と言えるのではないか、と。
そう考えれば、「人はみな、魂の芸術家である」と言うこともできるはずです。皆さんも、一人の魂の芸術家として、「一度きりのかけがえのない人生を、悔いなく生きたい」とは思いませんか?


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