「一度、試験に受かってしまえば、一生涯のライセンス保持が保証される」というのは、大いに問題があります。日本の公務員と医師は、あまりに優遇され、ぬるま湯の中にいます。このままでは、日本の医師の技量の保持・発達は望めませんし、公共サービスの効率化や応対の改善も望めません。教員もそうですが、かたちばかりのライセンス更新制ではなく、アメリカのように本格的なライセンス更新制を導入すべきです。
長い間、この国では、伝統的に医師・公務員が優遇されてきましたし、しかも、それが当然だと考えられてきました。つまり、福沢諭吉以来、「学問をする人は偉い」という儒教的な先入観があって、医師も公務員も〝偉い人たち〟であり、特権があって当然という感覚が、あたかも常識であるかのように、社会全体に蔓延しているのです。そして、医師や公務員当人も、「自分たちは試験に受かったのだから、国に優遇されて当然だ」と考えており、世間でも、それが正論であるかのように思われていて、彼らの思い上がった考えが許容されている感があります。そして、本来なら許されるべきでない高慢な態度が、堂々とまかり通っているのです。
こうした彼ら(医師・公務員)の優越感は、この国の発展にとって百害あって一理なしと言っていいでしょう。中国の科挙制度を真似して、官吏・医師の職を永久ライセンス化している我が国の制度の現状は、かつて清帝国を滅ぼしたのと同じ亡国の道です。
絶えず自分自身の技量を磨き続けること、評価を受ける立場に置かれて、謙虚であり続けることは、誰にとっても成長のために絶対に必要なことです。しかし、今の医療の現状においては、外科手術以外に医師の技量や見識が試される場面はほとんどありません。教師についてはなおさらです。
〝学ぶ〟ということの本来の意味を知らず、学問を軽んじて内なる自分を見つめることを怠り、人として何ら成長しない人間たちが、世間からは「先生」と呼ばれています。そして、かけがえのない人の命をあずかったり、子どもの教育を受け持ったりしているのは、何かひどくおかしい話です。これは、ある意味、非常に深刻で危うい状況です。
その上、医師や公務員は、大方において、給与面でも生涯保障においても、ずいぶんと恵まれています。日本は健康保険制度がしっかりしている上に、医師は薬の処方について特権を持っているので、能力の有無にかかわらず、開業すればこれほど儲かる仕事は他にありません。公務員の共済年金の額も、自営業者には望むべくもない金額です。日々 、手術に追われている産婦人科医や外科医など、一部の猛烈に忙しい人たちを別にすれば、医師や公務員が、仕事の内容に関わらず、これほどまでに身分・生活・収入が保障されている現状は、どう考えても一般社会の常識からは逸脱しています。
現行のシステムは、医師や公務員を怠惰な特権階級にしています。怠け者のダメ医者やダメ公務員を生み出すだけです。この状況を放置しておくと、この国の根幹をじわじわと腐食させ、いずれは国を滅ぼすに至るでしょう。それを防ぐため、この国の医師制度や公務員制度は、早急に改めるべきです。その点では、特権を排した自由競争を重んじるアメリカのリバタリアニズム(自由主義)を、少しは真似て欲しいものです。
ただ、ライセンスの更新制を導入したとしても、「何を学び、何を追求するのか」という中身が、やはり一番の問題です。「医師とは、教師とは、公務員とは、どうあるべきか?」という問題に、当人自身が否応無く直面せざるを得ない環境を創り出すことが、一番大切なことです。
そして、その「中身を問う」生き方は、その土地その土地に息づいているコミュニタリアニズム(共同体主義)に、しっかりと根ざしたものでなければなりません。例えば、個人的な強い信仰心や哲学的信念に拠って立つとしても、その確信は大地に根ざしたものでなければ、ただの妄信・狂信となってしまうでしょう。
ところが、今、この国では(あるいは現代の世界全体でも)、その部分が、実は一番心もとない点なのです。わたしたちは、日々、自らの大地(故郷・home)を失いつつあるからです。「自分はこの土地で死にたい(骨を埋めたい)」「ここに満足しているから、ここ以外のどこにも行きたくない(興味がない)」と言える土地に生きている人が、一体どれぐらいいるでしょうか?
根を持たない者にとって、「自分はどうあるべきか、どう生きるか」を真摯に考え続けることは、とても難しいことです。そして、ただただ「お金のため、生活のステイタスを守るため、自分が価値ある存在であることを、周囲にも自分自身にも認めさせるために、忙しく働き続ける」だけです。それで、たとえどれほど成果を出し、実績を打ち立てたとしても、本当のところは、とても〝虚ろ〟で寂しい惨めな人生です。
医師や公務員は、そういう自分の真実の姿を直視し、人生のあり方を省みる機会が、他の人々に比べても非常に少ないのです。「わたしは試験に受かったのだ」「世間からそれなりに評価されている人間だ」「だからOKだ」と、心のどこかで思っているからです。しかし、それは単なる言い訳、都合のいい自己弁護にすぎません。彼らは、まるで、盲目のまま、自分自身のみすぼらしい姿に満足している人のようです。
しかし、世間の高い評価、具体的な特権や保障、金銭的な余裕、老後への不安のなさが、内面の貧困を見事に覆い隠してしまうのです。彼らは、自分の生き方について、悩むということがありません。また、人に何か言われても、毛ほども感じません。「だから何?」と、無視するだけです。それでもしつこく言う相手は、自分に害をなす者と排除にかかります。煮ても焼いても食えない人たちです。
けれども、外見は、いかにも自信に満ちていて、権威ある人のように振舞ってはいても、彼らの心の奥底には、虚しい空っぽの暗闇があって、その干からびた空洞では、乾いた冷たい風が吹き、底に降り積もった埃が舞っています。それが、魂の成長を拒んだ者、他者を蔑ろにしてきた者、家族すらも喰い物にしてきた者たちが、払わされる代償なのです。
しかし、そんな文学的なことを言っても、どうせ通用しないのはわかっています。医者や公務員に、心底わからせるためには、やはり「永久ライセンスの剥奪」「特権の剥奪」、これしかないのです。
宗教法人やNPO法人の法人税免除の問題もそうですが、経済的に分不相応に保護されすぎると、途端に精神的な堕落が始まります。これまで当然の事として享受してきた特権を、剥ぎ取られて初めて、少しはハッとするかもしれません。
長い間、この国では、伝統的に医師・公務員が優遇されてきましたし、しかも、それが当然だと考えられてきました。つまり、福沢諭吉以来、「学問をする人は偉い」という儒教的な先入観があって、医師も公務員も〝偉い人たち〟であり、特権があって当然という感覚が、あたかも常識であるかのように、社会全体に蔓延しているのです。そして、医師や公務員当人も、「自分たちは試験に受かったのだから、国に優遇されて当然だ」と考えており、世間でも、それが正論であるかのように思われていて、彼らの思い上がった考えが許容されている感があります。そして、本来なら許されるべきでない高慢な態度が、堂々とまかり通っているのです。
こうした彼ら(医師・公務員)の優越感は、この国の発展にとって百害あって一理なしと言っていいでしょう。中国の科挙制度を真似して、官吏・医師の職を永久ライセンス化している我が国の制度の現状は、かつて清帝国を滅ぼしたのと同じ亡国の道です。
絶えず自分自身の技量を磨き続けること、評価を受ける立場に置かれて、謙虚であり続けることは、誰にとっても成長のために絶対に必要なことです。しかし、今の医療の現状においては、外科手術以外に医師の技量や見識が試される場面はほとんどありません。教師についてはなおさらです。
〝学ぶ〟ということの本来の意味を知らず、学問を軽んじて内なる自分を見つめることを怠り、人として何ら成長しない人間たちが、世間からは「先生」と呼ばれています。そして、かけがえのない人の命をあずかったり、子どもの教育を受け持ったりしているのは、何かひどくおかしい話です。これは、ある意味、非常に深刻で危うい状況です。
その上、医師や公務員は、大方において、給与面でも生涯保障においても、ずいぶんと恵まれています。日本は健康保険制度がしっかりしている上に、医師は薬の処方について特権を持っているので、能力の有無にかかわらず、開業すればこれほど儲かる仕事は他にありません。公務員の共済年金の額も、自営業者には望むべくもない金額です。日々 、手術に追われている産婦人科医や外科医など、一部の猛烈に忙しい人たちを別にすれば、医師や公務員が、仕事の内容に関わらず、これほどまでに身分・生活・収入が保障されている現状は、どう考えても一般社会の常識からは逸脱しています。
現行のシステムは、医師や公務員を怠惰な特権階級にしています。怠け者のダメ医者やダメ公務員を生み出すだけです。この状況を放置しておくと、この国の根幹をじわじわと腐食させ、いずれは国を滅ぼすに至るでしょう。それを防ぐため、この国の医師制度や公務員制度は、早急に改めるべきです。その点では、特権を排した自由競争を重んじるアメリカのリバタリアニズム(自由主義)を、少しは真似て欲しいものです。
ただ、ライセンスの更新制を導入したとしても、「何を学び、何を追求するのか」という中身が、やはり一番の問題です。「医師とは、教師とは、公務員とは、どうあるべきか?」という問題に、当人自身が否応無く直面せざるを得ない環境を創り出すことが、一番大切なことです。
そして、その「中身を問う」生き方は、その土地その土地に息づいているコミュニタリアニズム(共同体主義)に、しっかりと根ざしたものでなければなりません。例えば、個人的な強い信仰心や哲学的信念に拠って立つとしても、その確信は大地に根ざしたものでなければ、ただの妄信・狂信となってしまうでしょう。
ところが、今、この国では(あるいは現代の世界全体でも)、その部分が、実は一番心もとない点なのです。わたしたちは、日々、自らの大地(故郷・home)を失いつつあるからです。「自分はこの土地で死にたい(骨を埋めたい)」「ここに満足しているから、ここ以外のどこにも行きたくない(興味がない)」と言える土地に生きている人が、一体どれぐらいいるでしょうか?
根を持たない者にとって、「自分はどうあるべきか、どう生きるか」を真摯に考え続けることは、とても難しいことです。そして、ただただ「お金のため、生活のステイタスを守るため、自分が価値ある存在であることを、周囲にも自分自身にも認めさせるために、忙しく働き続ける」だけです。それで、たとえどれほど成果を出し、実績を打ち立てたとしても、本当のところは、とても〝虚ろ〟で寂しい惨めな人生です。
医師や公務員は、そういう自分の真実の姿を直視し、人生のあり方を省みる機会が、他の人々に比べても非常に少ないのです。「わたしは試験に受かったのだ」「世間からそれなりに評価されている人間だ」「だからOKだ」と、心のどこかで思っているからです。しかし、それは単なる言い訳、都合のいい自己弁護にすぎません。彼らは、まるで、盲目のまま、自分自身のみすぼらしい姿に満足している人のようです。
しかし、世間の高い評価、具体的な特権や保障、金銭的な余裕、老後への不安のなさが、内面の貧困を見事に覆い隠してしまうのです。彼らは、自分の生き方について、悩むということがありません。また、人に何か言われても、毛ほども感じません。「だから何?」と、無視するだけです。それでもしつこく言う相手は、自分に害をなす者と排除にかかります。煮ても焼いても食えない人たちです。
けれども、外見は、いかにも自信に満ちていて、権威ある人のように振舞ってはいても、彼らの心の奥底には、虚しい空っぽの暗闇があって、その干からびた空洞では、乾いた冷たい風が吹き、底に降り積もった埃が舞っています。それが、魂の成長を拒んだ者、他者を蔑ろにしてきた者、家族すらも喰い物にしてきた者たちが、払わされる代償なのです。
しかし、そんな文学的なことを言っても、どうせ通用しないのはわかっています。医者や公務員に、心底わからせるためには、やはり「永久ライセンスの剥奪」「特権の剥奪」、これしかないのです。
宗教法人やNPO法人の法人税免除の問題もそうですが、経済的に分不相応に保護されすぎると、途端に精神的な堕落が始まります。これまで当然の事として享受してきた特権を、剥ぎ取られて初めて、少しはハッとするかもしれません。