古代日本の和歌の特色の一つとして、月を愛でる歌は数多くあれど、星を愛でる歌はほとんど皆無であったということがあります。平家の若者を愛した女性が、壇ノ浦で若者が命を落とした後、「これまで月の美しさを長く愛でてきたけれど、星の夜の美しさを今夜初めて知りました」という歌をのこしています。
月は辺りを隈なく照らし、闇を追い払ってしまいます。古来日本人は闇を嫌い、真昼の明るさを好んできたのかもしれません。今でも、欧米と違って、蛍光灯で夜の部屋を、真昼の光度に変えるのを好む人が多いように思います。共同体の濃密な絆の中で生きる古代の日本人の感覚では、包み隠しのない清く明るい心こそが尊いものとされていました。月の清らかな光は、とりわけ日本人の情緒に訴えかけるものがあったようです。
けれども西欧では、狼男の例にも見られるように、月の強すぎる光は、安心感よりも不安をかきたてるものであるようです。星の光は微かなもので、闇を追い払うことはできません。けれども、その闇の中で、星は確かに煌めいています。それはちょうど、一人孤独の中で、微かな希望を頼りに歩む人の心の世界に重なります。
明治以降、西洋の個人主義の影響が深まるにつれて、ようやく日本人も星空の美しさに気づくようになりました。自己の確立を目指して、孤独の中で道を探す近代人にとっては、隈のない月の光よりは、闇の中で輝く星の光の方が、自分の心象風景にしっくりくるものとなったのです。
しかし、当時の日本の伝統的な文化の中には、こうした近代人の孤独な精神を支える力をもった歌が不足していました。そこで、スコットランド民謡やドイツ民謡や欧米の当時の作曲家の手による曲のメロディに、新しく書かれた日本語の歌詞をつけて、唱歌や童謡が数多く作られるようになりました。「蛍の光(スコットランド民謡)」「故郷の空(スコットランド民謡)」「旅愁(米オードウェイ)」「埴生の宿(英ビショップ)」「菩提樹(墺シューベルト)」などがそうです。さらに日本人の優れた作曲家によって書かれた曲に詩がつけられるようになりました。「荒城の月」「ふるさと」「赤とんぼ」「浜辺の歌」などがそうです。
これらの歌は、故郷を遠く離れて、たった一人で自分の生きる道を切り開いていく、明治・大正・昭和の人々にとって、大切な心の友となりました。ひとりぼっちの淋しさに耐え、志を果たして一人前の人間になろうと、歯を食いしばって生きる若者たちにとって、心の深い琴線に触れる歌は、ともすれば崩れそうになる気持ちを支えてくれる拠り所でした。
さらに昭和になると、そうした歌の役割は、歌謡曲が担うようになりました。「麦と兵隊」「影を慕いて」「故郷の丘」「島育ち」「りんご村から」「ああ、上野駅」「柔」など、多くの歌が日本人の心を掬い上げてきました。昭和30年代、当時、中学を卒業して集団就職の若者たちは、故郷の親に送金しながら、孤独に耐えて仕事をしていました。
「ガード下の靴磨き」「ハモニカ小僧」「ヨイトマケの唄」といった、もっと幼い子どもたちの心の言葉を歌った歌もありました。幼くても、必死に生きる子どもたちの切実な気持ちを歌った歌です。日本人は、大人も子どもも、激動の時代を「歌」とともに生きてきたのです。
けれども昭和40年(1965年)以降、「歌」は徐々にその力を失っていきました。社会の産業化が進展し、労働がシステマティックになり、人と人の結びつきが弱まって、世の中に他者を無視する利己主義が幅を利かすようになるにつれて、世に流れる歌もまた、薄っぺらなものになっていったのです。あるいは中島みゆきや山崎ハコや大友裕子などは、そうした状況がますます進展した1970年代末の世の中の鬱屈を、そして行き場をなくした言霊の断末魔の悲鳴を、歌っていたのかもしれません。
さらに1980年代に入って、昭和の終わりから平成にかけて、とうとう歌の詩の中に「歌のない国」というフレーズが現れるようになりました。〝歌のない国〟では、誰も歌を聴かず、歌いもしません。誰も生きる糧として「歌」を必要としない時代になったということです。
人々の心の中で、想像力も共感力も枯渇してしまい、日本の歴史上、初めて〝言葉(詩・歌)〟が、ほぼ完全に力を失った時代とも言えるでしょう。昭和の歌姫と言われた美空ひばりさんも、亡くなりました。そして、わずかに、その「歌を喪った時代」に逆行するように、素朴でストレートな言葉を紡ごうとした尾崎豊やBlue Heartsが、最後の歌人として一刹那の光を放っていました。
1990年代以降、状況は、ますます悪化の一途をたどりました。キロロやCoccoや夏川りみが、事態の悪化がそれほど進んでいなかった辺境の沖縄から、いくつかの素直で正直な歌を紡ぎ出しましたが、それも長くは続きませんでした。沖縄の若者たちも、急速に内地の色に染まってしまったからです。
そして2014年の今、この国には、まともな歌と言えるような歌はほとんど存在しません。とりわけ若者は、歌を〝言の葉(言霊)〟として聴くことがなくなりました。そして巷には、意味のない記号の羅列のような音が氾濫しています。唯物論者・無神論者の世界では、言葉も精霊であることをやめて、ただの記号の羅列として扱われることになるのです。
歌を必要としないということは、他者に共感できないという以前に、無味乾燥な自己の内面世界を、まったく見つめることができないということでもあります。他者をはねのけ、内なる自分をも完全に無視してしまうために、彼らの心には反省も理解も一切ありません。自分にも、他人にも、そもそも人間というものに興味がないのです。他者に支えられているちっぽけな自分を意識しないために、人の痛みも有り難みもわからないからです。
好むと好まざるとに関わらず、一瞬一瞬に、自分の心の中で生まれる言の葉は、思念(魂魄)というかたちをとり、やがては言霊(歌・祈り・呪詛)となって、内面世界から外の世界へと飛び出していきます。そして言霊の力を信じようと信じまいと、たとえ一言も口から出して声にしなくとも、内なる言霊の力は世界のかたちを刻一刻と変えていきます。
わたしたちを取り巻く、この自然界の法則の一つとして、この言霊の作用はあるのです。人々の内から生まれた霊(歌)が、良きにつけ悪しきにつけ、世界を動かしています。恨みの歌もあれば、呪いの歌もあります。悲しみの歌もあれば喜びの歌もあります。
そうした歌の霊は、古来、人から人へと伝わり、心に受け止められてきました。いつの時代も、歌は人の心を満たし、そこから人は、深い喜びを味わうことができました。祈りや信仰もまた、歌から生まれたのです。
けれども今は、歌の言葉のもつ深い味わいに、人はなかなか気づきにくくなっています。今や、すっかり無神論・唯物論の世となり、人は霊に向かって願うことも祈ることもなくなってしまいました。信仰のない世界では「歌」もまた意味を失います。霊(歌)のもつ力を、誰も信じないからです。
こうして、人々の心に受け止めてもらえなくなった霊たちは、行き場を失って彷徨うようになります。しかも、霊というものは、人の心の中で、絶えず清められなければ、どんどん汚れていってしまうものです。自ら浄化する場を失った霊たちは、やがて怨霊(魔)となり、世の中にも人の心の内にも、さまざまな障りをなすようになります。
人の心にとって、そこにないものとされ、完全に無視されて、踏みにじられていくことほど、恨めしいことは、ほかにありません。霊とて同じことです。浄化されない鬱屈を溜め込んだまま、誰からも顧みられず、行き場をなくして魔と化していく霊(念・魂魄)たちは、世の中を歪め、人の心を捻じ曲げて、徐々に狂わせていくのです。
それが今、際限のない猪瀬さんバッシングや小保方さんバッシングを生んだり、むき出しの憎悪を表現するヘイトスピーチやシバキ隊を生んだり、イジメや自殺や鬱病やストーカー殺人を生んだり、数限りない悲惨を生み出しています。これが「歌のない国」の実相です。
今、わたしたちの生きるこの世界では、誰もがひとりぼっちで淋しく生きています。そして死ぬ時も、独り虚しく逝くのです。なぜと言って、誰も歌わないし、誰も歌(霊の声)を聴かない、さびしいこの国では、心(魂)の声を聴くことのできる人が、非常に少ないからです。
自分の霊も他者の霊も感じきれない人が、いったいどうやって、死にゆく人の心に、寄り添うことができるというのでしょう。寄り添えはしません。肉親が逝く時も、別れを別れと感じることもなく、悲しみが胸に込み上げることもないのです。
歌のないこの国で、どんな子供たちが育っているのか、わたしはそれが不安なのです。何も感じることのない子供たちに、わたしたちは何を語り聞かせることができるでしょう。コンピューターにインプットするように、行動規範をデータとして打ち込むのでしょうか。どう振る舞うべきか、マニュアルを条件毎に記憶させるのでしょうか。行動規範を記憶させて、不具合は矯正して、滑らかに作動するように調教して、出来上がった完成品を社会に送り込むなんて、機械人間の製造過程みたいです。味も素っ気もない〝無味乾燥〟な機械人間が、この国では、今、大勢育っているようです。
「志を果して、いつの日にか帰らん」と歌ってはみても、いったいどこへ帰ればよいのでしょう。懐かしい故郷はもう、わたしの心の中だけにしかないのに。
紀元5世紀、東晋の詩人陶淵明は、「この現世に身の置きどころもなく、いにしえの国を夢見ても、そこは遥かに遠く、求めてもどうしようもない」と嘆きました。ちょうど、今のわたしたちにとって、昭和も明治も遠すぎて手が届かないのに似ています。
窓打つ嵐に夢も破れ、遥かな想いに心が惑うこともあります。記憶の中の夢は、今も時折、心の中にあまりに鮮やかに蘇ってきて、そんな時には一人涙があふれてくるのです。淋しい、と。
ひとえにお国(家族・会社・大切な存在・愛情の対象)に尽くしたくとも、今の無力なわたしには、その術がまるでわからないのです。自分の大切なものについて、久しく考えていないという人もいるでしょう。いったい何が本当に相手のためになることなのか、そんなことももう思わなくなったという人もいるでしょう。歌の響かない人には、どう働きかけたって通じないのですから。
朝、無理して起きて、昼、無理して笑って、夜、何も考えずに眠るのです。そんな風に日々を過ごしているうちに、終いには、もう何も感じられなくなります。この歌の響かない国で、ひとりぼっちで。
これは、正確には、わたし自身の心の内の呟きというわけではありません。けれども、昭和を生きてきた人の中には、そんな風に感じている人もいるのではないかと思います。干からびた冷たいからっ風が、心の中でカラカラと音を立てて吹いているようで、すべてが虚しく感じられるのです。日々、自分の言葉がまったく通じない人々に囲まれて、いったいわたしはここで何をしているのだろうか、と思い惑いながら。
できるなら、わたしは、そんな場所から、遠く離れていたいのです。歌が聴こえる世界で、歌を歌う人と手を取り合って、生きていきたいのです。
月は辺りを隈なく照らし、闇を追い払ってしまいます。古来日本人は闇を嫌い、真昼の明るさを好んできたのかもしれません。今でも、欧米と違って、蛍光灯で夜の部屋を、真昼の光度に変えるのを好む人が多いように思います。共同体の濃密な絆の中で生きる古代の日本人の感覚では、包み隠しのない清く明るい心こそが尊いものとされていました。月の清らかな光は、とりわけ日本人の情緒に訴えかけるものがあったようです。
けれども西欧では、狼男の例にも見られるように、月の強すぎる光は、安心感よりも不安をかきたてるものであるようです。星の光は微かなもので、闇を追い払うことはできません。けれども、その闇の中で、星は確かに煌めいています。それはちょうど、一人孤独の中で、微かな希望を頼りに歩む人の心の世界に重なります。
明治以降、西洋の個人主義の影響が深まるにつれて、ようやく日本人も星空の美しさに気づくようになりました。自己の確立を目指して、孤独の中で道を探す近代人にとっては、隈のない月の光よりは、闇の中で輝く星の光の方が、自分の心象風景にしっくりくるものとなったのです。
しかし、当時の日本の伝統的な文化の中には、こうした近代人の孤独な精神を支える力をもった歌が不足していました。そこで、スコットランド民謡やドイツ民謡や欧米の当時の作曲家の手による曲のメロディに、新しく書かれた日本語の歌詞をつけて、唱歌や童謡が数多く作られるようになりました。「蛍の光(スコットランド民謡)」「故郷の空(スコットランド民謡)」「旅愁(米オードウェイ)」「埴生の宿(英ビショップ)」「菩提樹(墺シューベルト)」などがそうです。さらに日本人の優れた作曲家によって書かれた曲に詩がつけられるようになりました。「荒城の月」「ふるさと」「赤とんぼ」「浜辺の歌」などがそうです。
これらの歌は、故郷を遠く離れて、たった一人で自分の生きる道を切り開いていく、明治・大正・昭和の人々にとって、大切な心の友となりました。ひとりぼっちの淋しさに耐え、志を果たして一人前の人間になろうと、歯を食いしばって生きる若者たちにとって、心の深い琴線に触れる歌は、ともすれば崩れそうになる気持ちを支えてくれる拠り所でした。
さらに昭和になると、そうした歌の役割は、歌謡曲が担うようになりました。「麦と兵隊」「影を慕いて」「故郷の丘」「島育ち」「りんご村から」「ああ、上野駅」「柔」など、多くの歌が日本人の心を掬い上げてきました。昭和30年代、当時、中学を卒業して集団就職の若者たちは、故郷の親に送金しながら、孤独に耐えて仕事をしていました。
「ガード下の靴磨き」「ハモニカ小僧」「ヨイトマケの唄」といった、もっと幼い子どもたちの心の言葉を歌った歌もありました。幼くても、必死に生きる子どもたちの切実な気持ちを歌った歌です。日本人は、大人も子どもも、激動の時代を「歌」とともに生きてきたのです。
けれども昭和40年(1965年)以降、「歌」は徐々にその力を失っていきました。社会の産業化が進展し、労働がシステマティックになり、人と人の結びつきが弱まって、世の中に他者を無視する利己主義が幅を利かすようになるにつれて、世に流れる歌もまた、薄っぺらなものになっていったのです。あるいは中島みゆきや山崎ハコや大友裕子などは、そうした状況がますます進展した1970年代末の世の中の鬱屈を、そして行き場をなくした言霊の断末魔の悲鳴を、歌っていたのかもしれません。
さらに1980年代に入って、昭和の終わりから平成にかけて、とうとう歌の詩の中に「歌のない国」というフレーズが現れるようになりました。〝歌のない国〟では、誰も歌を聴かず、歌いもしません。誰も生きる糧として「歌」を必要としない時代になったということです。
人々の心の中で、想像力も共感力も枯渇してしまい、日本の歴史上、初めて〝言葉(詩・歌)〟が、ほぼ完全に力を失った時代とも言えるでしょう。昭和の歌姫と言われた美空ひばりさんも、亡くなりました。そして、わずかに、その「歌を喪った時代」に逆行するように、素朴でストレートな言葉を紡ごうとした尾崎豊やBlue Heartsが、最後の歌人として一刹那の光を放っていました。
1990年代以降、状況は、ますます悪化の一途をたどりました。キロロやCoccoや夏川りみが、事態の悪化がそれほど進んでいなかった辺境の沖縄から、いくつかの素直で正直な歌を紡ぎ出しましたが、それも長くは続きませんでした。沖縄の若者たちも、急速に内地の色に染まってしまったからです。
そして2014年の今、この国には、まともな歌と言えるような歌はほとんど存在しません。とりわけ若者は、歌を〝言の葉(言霊)〟として聴くことがなくなりました。そして巷には、意味のない記号の羅列のような音が氾濫しています。唯物論者・無神論者の世界では、言葉も精霊であることをやめて、ただの記号の羅列として扱われることになるのです。
歌を必要としないということは、他者に共感できないという以前に、無味乾燥な自己の内面世界を、まったく見つめることができないということでもあります。他者をはねのけ、内なる自分をも完全に無視してしまうために、彼らの心には反省も理解も一切ありません。自分にも、他人にも、そもそも人間というものに興味がないのです。他者に支えられているちっぽけな自分を意識しないために、人の痛みも有り難みもわからないからです。
好むと好まざるとに関わらず、一瞬一瞬に、自分の心の中で生まれる言の葉は、思念(魂魄)というかたちをとり、やがては言霊(歌・祈り・呪詛)となって、内面世界から外の世界へと飛び出していきます。そして言霊の力を信じようと信じまいと、たとえ一言も口から出して声にしなくとも、内なる言霊の力は世界のかたちを刻一刻と変えていきます。
わたしたちを取り巻く、この自然界の法則の一つとして、この言霊の作用はあるのです。人々の内から生まれた霊(歌)が、良きにつけ悪しきにつけ、世界を動かしています。恨みの歌もあれば、呪いの歌もあります。悲しみの歌もあれば喜びの歌もあります。
そうした歌の霊は、古来、人から人へと伝わり、心に受け止められてきました。いつの時代も、歌は人の心を満たし、そこから人は、深い喜びを味わうことができました。祈りや信仰もまた、歌から生まれたのです。
けれども今は、歌の言葉のもつ深い味わいに、人はなかなか気づきにくくなっています。今や、すっかり無神論・唯物論の世となり、人は霊に向かって願うことも祈ることもなくなってしまいました。信仰のない世界では「歌」もまた意味を失います。霊(歌)のもつ力を、誰も信じないからです。
こうして、人々の心に受け止めてもらえなくなった霊たちは、行き場を失って彷徨うようになります。しかも、霊というものは、人の心の中で、絶えず清められなければ、どんどん汚れていってしまうものです。自ら浄化する場を失った霊たちは、やがて怨霊(魔)となり、世の中にも人の心の内にも、さまざまな障りをなすようになります。
人の心にとって、そこにないものとされ、完全に無視されて、踏みにじられていくことほど、恨めしいことは、ほかにありません。霊とて同じことです。浄化されない鬱屈を溜め込んだまま、誰からも顧みられず、行き場をなくして魔と化していく霊(念・魂魄)たちは、世の中を歪め、人の心を捻じ曲げて、徐々に狂わせていくのです。
それが今、際限のない猪瀬さんバッシングや小保方さんバッシングを生んだり、むき出しの憎悪を表現するヘイトスピーチやシバキ隊を生んだり、イジメや自殺や鬱病やストーカー殺人を生んだり、数限りない悲惨を生み出しています。これが「歌のない国」の実相です。
今、わたしたちの生きるこの世界では、誰もがひとりぼっちで淋しく生きています。そして死ぬ時も、独り虚しく逝くのです。なぜと言って、誰も歌わないし、誰も歌(霊の声)を聴かない、さびしいこの国では、心(魂)の声を聴くことのできる人が、非常に少ないからです。
自分の霊も他者の霊も感じきれない人が、いったいどうやって、死にゆく人の心に、寄り添うことができるというのでしょう。寄り添えはしません。肉親が逝く時も、別れを別れと感じることもなく、悲しみが胸に込み上げることもないのです。
歌のないこの国で、どんな子供たちが育っているのか、わたしはそれが不安なのです。何も感じることのない子供たちに、わたしたちは何を語り聞かせることができるでしょう。コンピューターにインプットするように、行動規範をデータとして打ち込むのでしょうか。どう振る舞うべきか、マニュアルを条件毎に記憶させるのでしょうか。行動規範を記憶させて、不具合は矯正して、滑らかに作動するように調教して、出来上がった完成品を社会に送り込むなんて、機械人間の製造過程みたいです。味も素っ気もない〝無味乾燥〟な機械人間が、この国では、今、大勢育っているようです。
「志を果して、いつの日にか帰らん」と歌ってはみても、いったいどこへ帰ればよいのでしょう。懐かしい故郷はもう、わたしの心の中だけにしかないのに。
紀元5世紀、東晋の詩人陶淵明は、「この現世に身の置きどころもなく、いにしえの国を夢見ても、そこは遥かに遠く、求めてもどうしようもない」と嘆きました。ちょうど、今のわたしたちにとって、昭和も明治も遠すぎて手が届かないのに似ています。
窓打つ嵐に夢も破れ、遥かな想いに心が惑うこともあります。記憶の中の夢は、今も時折、心の中にあまりに鮮やかに蘇ってきて、そんな時には一人涙があふれてくるのです。淋しい、と。
ひとえにお国(家族・会社・大切な存在・愛情の対象)に尽くしたくとも、今の無力なわたしには、その術がまるでわからないのです。自分の大切なものについて、久しく考えていないという人もいるでしょう。いったい何が本当に相手のためになることなのか、そんなことももう思わなくなったという人もいるでしょう。歌の響かない人には、どう働きかけたって通じないのですから。
朝、無理して起きて、昼、無理して笑って、夜、何も考えずに眠るのです。そんな風に日々を過ごしているうちに、終いには、もう何も感じられなくなります。この歌の響かない国で、ひとりぼっちで。
これは、正確には、わたし自身の心の内の呟きというわけではありません。けれども、昭和を生きてきた人の中には、そんな風に感じている人もいるのではないかと思います。干からびた冷たいからっ風が、心の中でカラカラと音を立てて吹いているようで、すべてが虚しく感じられるのです。日々、自分の言葉がまったく通じない人々に囲まれて、いったいわたしはここで何をしているのだろうか、と思い惑いながら。
できるなら、わたしは、そんな場所から、遠く離れていたいのです。歌が聴こえる世界で、歌を歌う人と手を取り合って、生きていきたいのです。