案の定というか、かねてから懸念されていたとおり、理研の調査委員会の石井俊輔委員長をはじめ、古関明彦氏、真貝洋一氏など5人中4人の委員の過去の論文に、写真切り貼りの事実及び捏造疑惑が持ち上がっています。それに伴って、理研は過去10年分のすべての研究者の論文を、自主調査して〝自己申告〟するように要請しました。一方で、小保方さんの論文の再調査に関しては、研究者の協力が得られない状態ということです。
それというのも、小保方さんの論文の再調査に関わると、自分の過去の論文の切り貼りが指摘されるのではないかと、皆尻込みしてしまったからです。結局、小保方さんを嘲り、嗤いものにし、不正・捏造と決めつけた者たちは、ことごとく、いずれは自分がその憂き目をみることになるのです。
石井委員長は、記者会見で、小保方さんの論文を、悪意ある不正捏造と断定した張本人です。また、古関・真貝両氏は、聞き取り調査で小保方さんを、もっとも厳しく追求した委員です。「バチがあたった」と言ってもいいでしょう。
これはちょうど、イエスにまつわる有名な逸話を連想させる状況です。ある嘘をついた女が責められているところに通りかかったイエスは言いました。「今まで一度も嘘をついたことのない者がいるなら、この女に石を投げつけるがよい」と。そして、女に石を投げつけられる者は一人もいませんでした。
猪瀬氏の一件も、今回の小保方さんの論文の件も、それと同じことです。「この中で、今まで一度も、写真の張り替えも、文章のコピペもしたことのない者だけが、小保方さんに石を投げつけよ」ということです。「現代のパリサイ人(*)、汝の名を〝科学者〟と云う」と言ってもいいでしょう。この科学者の部分を〝政治家〟に替えても〝マスコミ〟に替えても、意味は通じます。
小保方さんは「写真の切り貼りがしてはいけないことだという認識がなかった」と言っていました。それは当たり前のことです。なぜなら〝研究者の皆さんが、みんなやっていた〟からです。それなのに、小保方さんに対してだけ、徹底して尋常でないバッシングを行って、彼女を社会的に抹殺しようとしている連中がいるわけです。そういう輩が、理研の中枢にも巣食っているのです。
その結果、何をもって〝不正捏造〟と言っているのか、まったくはっきりしないまま、「石井元委員長や古関委員、眞貝委員の切り貼りは不正でも捏造でもなく、小保方さんの場合は不正捏造である」という裁定を、理研は無理やり押し通そうとしているのです。そして、そういう理研の恥知らずな〝小保方さん潰し〟を、後押ししている人々(国民)がいます。彼らは猪瀬氏を潰した人々でもあります。
彼らの合言葉は「弱い者を叩け!」ということです。韓国には「川に落ちた犬は、棒で叩け」という諺があります。元々は「悪い奴が何か失敗したら、弱っているうちに追い打ちをかけろ」という意味です。しかし、何をもって〝悪い奴〟としているのか、イエスの逸話のように、実際には釈然としません。むしろ、単に「弱っている者には追い打ちをかけろ!」という〝弱い者イジメ〟になっているのが、現状ではないでしょうか。
日本人たるもの、そのような水に落ちた仔犬を打つような破廉恥極まる民族であって欲しくはないと、わたしは願っています。もういい加減に、そうした〝醜い日本人たち〟を、この国から叩き出してしまいたいものです。
「強い者が弱い者をひねり潰すのが常識」という今の日本社会の現状では、3Dプリンターで銃を製造した若者のように「弱い者は、銃を持つしかない」「それがせめてもの反抗だ」と考える者たちが現れるのも、至極当然と言えましょう。
さらに、今回の小保方さんバッシングの急先鋒に、朝日と並んでフジ・サンケイグループが立っていることを考えても、日本の右派と考えられている人々の多くが、実は利己主義者のリバタリアンであり、利他的な真正保守のコミュニタリアンではないということが、はっきりとわかります。言わば〝エセ保守〟です。大体において、唯物論者の保守だなんて、まったくお笑いです。
リバタリアンは表面的に〝論理的であること〟〝科学的であること〟〝ルールを守ること〟に極端にこだわります。理性を重視する一方で、感性をひどく軽視し、その結果、他者の感覚を理解する想像力に欠けます。想像力に乏しく、すべてにおいて懐疑的なので、論理的整合性と実証を偏重するのです。
だから「STAP細胞はあるのか、ないのか?」と、その一点にしつこいほど執着し、「本当にあれば英雄、なければインチキ」とみなす訳です。さらに「論文を書くルールに〝違反〟があった以上、内容もインチキだ」と勝手に決めつけ、小保方さんの人格まで否定します(**)。
彼らの厄介なところは、表面上(ルール上)取り繕ってさえいれば、自分の行為は、すべて〝正当〟と認められると考えていることです。つまり、自分の内なる〝悪意〟を反省する意識、〝良心〟を持たないのです。だから、他人の些細なルール違反を、徹底してバッシングできてしまうのです。「脇の甘いバカは死ね!」「油断した当然の報いだ!」それが今の理研やマスコミや政治家やネット住民の姿でもあります。まさに、そうした彼らの姿の中には、「世を倦む日々」のように、サイコパスの疑いを強く感じさせられる者達もいます。
誇れる学歴があり、専門的知識もあり、お金を稼ぐ能力もあるかもしれませんが、どこか人間としての深みと知恵に欠ける人々です。無神論者特有の傲慢さが、彼らの内的成長を阻害しているのです。そうした弊害は、今回のフェリー事故で露呈した韓国の抱える問題に、どこか通じるものがあります。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言った親鸞の感覚で云えば、彼らは圧倒的に〝善人〟です。常に自分を反論の余地のない正義の位置に置き、そんな自分に妙な自信を持っているために、人に何を言われてもまったく動じません。他人の批判など、聞き流すだけです。小保方さん批判者たちというのは、煮ても焼いても食えない〝ご立派な人たち〟なんですね。
さらに問題なのは、彼らの〝力強い〟姿に憧れて、すすんで追従する大勢の取り巻きたちの存在です。ジャイアンにかしずくスネ夫のような、あるいはアイン・ランドのコミューンの賛美者たちのような、カルトな人々です。
疑似科学問題で、スピリチュアルな事象や信仰への批判者として、うじゃうじゃと湧いて出てくる連中も、特徴はまったく同じです。唯物論者(***)という点では、彼ら右派リバタリアン(フジサンケイ)と左派リベラル(朝日)は、実によく気が合うのです。
彼らこそが、この国の伝統破壊者であり、仲良く手を取り合って、猛禽のように〝普通の人〟を追い込みます。利己的で近視眼的で冷酷という点でも、彼らは互いに非常に親和性があります。その好例が、疑似科学批判という同じ立場での、菊池誠氏(リバタリアン)と香山リカ氏(リベラル)の出会いです。
彼らは、日本社会に調和と信頼をもたらす者ではなく、逆に不信と分裂をもたらす者なのです。長い目で見て、このままいけば、やがて彼らが、この国を滅ぼすでしょう。
小保方さんは、「自分はSTAP細胞の存在を人類に伝えるために、運命という名の〝見えざる存在〟によって選ばれたのだろうか、と考えたこともあります。けれども今では、それが自分の慢心であり、それゆえにこのような結果になり、厳しい試練を与えられたのだろうか、とも考えています。ですが、STAP細胞は本当にあるのです。」とおっしゃっていました。一字一句正確な言葉遣いではありませんが、記者会見での彼女の言葉です。危機的状況によって内省的感覚が研ぎ澄まされたのでしょうか、実に正直で信じられる言葉だと思います。
小林よしのり氏などは、その言葉をしっかり受け止められたようです。「小保方さんは、記者会見では見事な対応だった」「正直、なぜ小保方さんがバッシングされるのか、わからない」とおっしゃっていましたね。おそらく、ご自身の日頃の内省によって、同様の内的感覚が磨かれていらっしゃるのではないでしょうか。わたしが偉そうに云うことでもありませんが。
一方、今回の再調査拒絶によって、理研はその明治以来の歴史的存在意義を自ら否定しました。大河内所長以来の伝統である理研の存在意義、それは「研究者を守り、日本を守る」ということです。野依理事長以下の理研理事たちは、目の前の〝金〟に釣られて、一時の組織の安泰のために、その大義を捨てたのです。
これにより、短期的には莫大な利権を守れるかもしれません。しかし、長期的には理研の衰微・消滅が確定したと言っていいと思います。
理研調査委員会「小保方氏は、故意に写真を差し替えました。だから、悪意なのです。」
記者「では同じく故意に写真を差し替えた石井元委員長は、悪意ではないのですか?」
理研調査委員会「その件に関しては、本委員会は判断すべき立場にありません。」
記者「委員の多くの過去の論文に、切り貼りの事実や疑惑がある現状で、委員会の判断が適切なものと言えるのですか?」
野依理事長「調査自体は、もともとある規定に則って行われるので、誰が委員になっても同じ判断になります。」
記者「では、自動的に石井氏の不正疑惑についても、悪意の不正捏造であることが確定しますね?」←ここからは筆者の空想
野依理事長「・・・・」
*律法主義者。形式や表面的な決まりごとを、何よりも大切にする一方で、内面の良心の問題を無視する人々。
**例えば、この人格否定の傾向が著しい月刊誌は新潮45で、小保方さんを「サイコパスの疑いがある」「モンスターサイエンティスト」と断定しています。パククネ大統領を野次るのと同時に、それと同じくらいの熱の入れようで、総力をあげて小保方さんバッシングに入れ込んでいる感じです。「新潮は品性下劣」というよりほかありません。逆に、わたしの知る限り、小保方さん擁護の論陣を張っている月刊誌は、月刊Willぐらいです。
***ただ唯物論者としての頑なさと狂信性は、右派リバタリアンより左派リベラルの方が、かなり上です。右派は、まだしも、仏教・神道などのスピリチュアルな伝統を重んじる真正保守のコミュニタリアンとの親和性があるからです。ですから強烈な疑似科学批判者は、だいたい無神論者のリベラルです。もちろん、リバタリアンに強烈な無神論者がいないわけではありません。ちなみにリベラルに多いキリスト教信仰は、唯物論思考の妨げにはならないようです。デカルトの二元論の悪しき影響からか、神秘主義を排する姿勢が強いためです。
理研は終わりましたが、小保方さんの研究人生は、まだ始まったばかりです。狭い世界で封じ込められて、キャリアを終わるべきではありません。人類のために、どうか挫けないで、新天地で頑張って欲しいものです。ただその前に、法廷闘争によって、名誉回復を実現しなければなりません。そして、その裁判を通して、小保方さんの悪意の有無が問われるというよりは、むしろ、この国の品格が問われることになるでしょう。
すでに、日本のマスコミ、新聞、週刊誌、テレビの程度の低さは、今回の騒動を通して、広く知られ尽くした感があります。特に話を不倫問題に仕立て上げようとした週刊文春の低俗さと卑劣さ、及び文藝春秋の姑息さと陰険さは、あまりに際立って顕在化しています。けれども、その低俗記事によって、ますます部数が伸びているとしたら、マスコミが劣化しているという以上に、日本人の精神そのものが、全体として極度に劣化してきているのではないかと、深く危惧しております。
最近のyoutubeでのコメントに「なぜ組織が〝捏造〟認定したものについて、組織よりも容疑者個人の〝ミス〟という弁明を信じるの?」という問いかけがありました。こうした言動こそが、日本人の精神の劣化を示す代表的事例ではないでしょうか。
おそらく、このコメンテイターの理屈は、「容疑者個人は、どこまでも言い逃れしようとするもので、組織の方は、公明正大とは言わなくとも、少なくとも直接の個人的当事者に比べれば、より客観的で公正な結論を導き出すだろう」という、あまりに子供じみた幼稚過ぎる認識が、判断のベースになっているように思われます。
〝公明正大な個人はいるが、公明正大な組織などない〟〝否応無くリスクを背負わされる個人よりも、リスクを背負わない組織こそが、より無責任になりうる〟〝結局のところ、組織の権威は、個人を喰い物にして高まるものだ〟〝たいていの組織は、実は個人以上に、ひたすらシンプルに利権を求めて動く〟〝肥大化を目指す大組織は、個人を容赦無くスケープゴートにする〟〝既得権益にまみれた組織ほど、この世に恐ろしいものはない〟という実社会の真実が、何もわかっていないようです。
同時に、コメンテイター本人の精神の幼稚化と発育不全と想像力の欠如から、大変な全国的バッシングの渦中にいる〝個人〟の極限状況について、本当の意味で想像することも理解することも、できていないのではないかと思います。他者への共感力を育む内的成長の難しい時代なのです。
また「なぜ、ダメなものはダメと言わないのか?」「コピペはマナー違反だ!」というマスコミ・識者・ネット住民の批判も相変わらず目立ちます。中央公論など、この立場ですね。
けれども、誰も「コピペはマナー違反じゃない」とは言っていないのです。「小保方さんの単なるマナー違反と、ノバルティス=医系大学の論文に見られるような、明らかな不正捏造とは根本的にレベルが違う」と言っているだけです。小保方さん批判の言論には、「何がより重大な問題か?」に関して、健全なバランス感覚が欠落しているのです。あるいは、故意に無視しているのかもしれません。ですから、「小保方さんの罪は大きい」と言い張る彼らの主張は、卑劣なバッシングを自己正当化するための、とってつけたような屁理屈にしか聞こえません。
さらに付け加えて言うなら、武田邦彦氏の「小保方さんは、誰に迷惑をかけたのか?」という論評は、実に的を得て秀逸でした。その論評にある通り、小保方さんは、本当は誰にも迷惑をかけていないのです。ですから、記者会見で謝罪する必要など、まったくなかったのです。
むしろ、日本社会そのものに最悪のダメージを与え、この国の科学研究の将来を潰し、日本国民すべてに多大な迷惑をかけたのは、東大など医学系の研究者たちによって始まった小保方バッシングの方であり、また、その尻馬に乗って現在も続く〝識者〟〝研究者〟らの愚かな批判の連鎖であり、さらにそこに追い打ちをかけた質の悪いこの国のマスコミとネット住人たちです。そして、こうした迷惑な連中の中でも極め付けは、この国をリードする研究機関としての自覚もなく、姑息な組織防衛に走った野依氏ら理研トップの方々でしょう。
☆8月、笹井氏の自殺後に、山崎行太郎氏がおっしゃっていた言葉が印象的です。「今に至るまで執拗に小保方晴子へのバッシングを続ける、『集団いじめ』の女性科学者たちの言動が、わたしにはまったく理解できない。ただ一つ、強く感じるのは、彼らには小保方晴子の持つ『科学的発見への情熱』が、決定的に欠如しているということだ。それこそが、彼らが小保方晴子を恐れる最大の理由かもしれない。」
☆2015.3月末、今この時点で、去年、自分の書いた二つの小保方さん擁護の記事を読んでみても、まったく違和感は感じません。むしろ、ますます、当時自分の書いたことは間違っていないと感じています。
小保方さんが、自分の論文をより効果的に見せるために〝飾った(不正をした)〟ことに、間違いはないでしょう。しかし、それは「本当は存在しないSTAP細胞を、あるように見せかけた」ということを、必ずしも意味しません。少なくとも、小保方さんはあると思って研究を続けてきたわけだし、実際にないと証明されたわけでもありません。
また、当時、わたしが何度も書いていたように、STAP細胞があろうがなかろうが、擁護派は擁護するのです。それは、社会の側のバランスの方が、小保方さんの精神よりも、はるかに歪で崩れていると感じているからです。わたしから見ると、論文の作成過程で不正をしたと認めたとされる小保方さんよりも、鬼の首を取ったようにバッシングを続ける連中の方が、はるかに気持ち悪い。
さらに、小保方さんは、すでに十分すぎるほど、社会的制裁を受けたし、理不尽なほど犠牲を払わされています。それについて、上記の考えは、何ら変わっておりません。むしろ、小保方さんに騙されたとか言って、手のひらを返す連中の方が、どうかしていると思わざるを得ません。小ずるい保身の匂いを感じるのです。
🌠2015.10月末に、早稲田大学が小保方さんの博士号取り消しの確定を発表しました。博士号論文での映像及び文章のコピーを不適切であるとして、博士号取り消しに相当すると判断したそうです。論文の訂正猶予期間の延長を求める小保方さんの請求を却下しての確定ということです。昨年10月に、早稲田大学が一年の論文訂正猶予期間を発表した時に、その決定を「甘すぎる」「理解できない」「これだから早稲田は…」などという東大などからの批判や攻撃に晒されたため、早稲田側は、小保方さんの論文訂正のあり方がどんなものであれ、それを認めないとする方針を事前に固めてしまっていたようです。こうして、母校の早稲田大学の手によって、小保方さんのスケープゴート化は完了しました。
2015.11.30、小保方晴子さん、博士号剥奪。残念です。
🌠2015.11,27、アメリカの研究者グループが、「STAP現象を起こす実験に成功した」と発表した論文が、英科学誌「ネイチャー」の出版社の運営するサイト「サイエンス・リポーツ」に掲載されました。この論文によれば、少なくともSTAP現象の存在自体は証明されたと考えるのが自然でしょう。つまり、「STAP細胞はあります!」と会見で述べた小保方さんの言葉は真実であるということが一部証明されたと言えます。
「つくり方が違う」とか、「小保方さんが不正をしたことに変わりはない」などと、学者やサイエンスライターの方が躍起になって書いていらっしゃいますが、科学に携わる者らしからぬくだらない反応の仕方です。
🌠2016.1.28、小保方さんによる手記「あの日」が、講談社から出版されました。手記そのものは、当分手に入りそういないので、内容については論評を避けたいのですが、一部の科学者の方たちからの反応は興味深いものがあります。
「ゲスの極みリケジョ」やら「講談社は生物系の研究者からボイコットされることを覚悟した方がいい」やら「印税を全額、理研あるいは医学系の慈善事業に寄付すべき」などといった、穏当とは言い難いツィートが散見されるようです。
読んだ内容についての激しい批判記事を書く人も多く、その批判の方法論がまた例によって実に香ばしいものが多く見受けられます。よほど小保方さんのことが気に入らないのでしょう。
手記では、NHK(藤原淳登記者)、毎日新聞(須田桃子記者)への理研(若山さん周辺など)からの内部情報リークや、二社の取材の偏向性や過激さについても、詳しく語られているようです。すべての責任を負わされ、名誉と地位と職と資格の一切を剥奪され、文藝春秋や週刊新潮などから、あれだけ激しく人格攻撃されたのだから、若山さん、須田さん、藤原さん含めて、相手方にせめて一矢報いたいと小保方さんが思うのも、人間として当然のことでしょう。
それというのも、小保方さんの論文の再調査に関わると、自分の過去の論文の切り貼りが指摘されるのではないかと、皆尻込みしてしまったからです。結局、小保方さんを嘲り、嗤いものにし、不正・捏造と決めつけた者たちは、ことごとく、いずれは自分がその憂き目をみることになるのです。
石井委員長は、記者会見で、小保方さんの論文を、悪意ある不正捏造と断定した張本人です。また、古関・真貝両氏は、聞き取り調査で小保方さんを、もっとも厳しく追求した委員です。「バチがあたった」と言ってもいいでしょう。
これはちょうど、イエスにまつわる有名な逸話を連想させる状況です。ある嘘をついた女が責められているところに通りかかったイエスは言いました。「今まで一度も嘘をついたことのない者がいるなら、この女に石を投げつけるがよい」と。そして、女に石を投げつけられる者は一人もいませんでした。
猪瀬氏の一件も、今回の小保方さんの論文の件も、それと同じことです。「この中で、今まで一度も、写真の張り替えも、文章のコピペもしたことのない者だけが、小保方さんに石を投げつけよ」ということです。「現代のパリサイ人(*)、汝の名を〝科学者〟と云う」と言ってもいいでしょう。この科学者の部分を〝政治家〟に替えても〝マスコミ〟に替えても、意味は通じます。
小保方さんは「写真の切り貼りがしてはいけないことだという認識がなかった」と言っていました。それは当たり前のことです。なぜなら〝研究者の皆さんが、みんなやっていた〟からです。それなのに、小保方さんに対してだけ、徹底して尋常でないバッシングを行って、彼女を社会的に抹殺しようとしている連中がいるわけです。そういう輩が、理研の中枢にも巣食っているのです。
その結果、何をもって〝不正捏造〟と言っているのか、まったくはっきりしないまま、「石井元委員長や古関委員、眞貝委員の切り貼りは不正でも捏造でもなく、小保方さんの場合は不正捏造である」という裁定を、理研は無理やり押し通そうとしているのです。そして、そういう理研の恥知らずな〝小保方さん潰し〟を、後押ししている人々(国民)がいます。彼らは猪瀬氏を潰した人々でもあります。
彼らの合言葉は「弱い者を叩け!」ということです。韓国には「川に落ちた犬は、棒で叩け」という諺があります。元々は「悪い奴が何か失敗したら、弱っているうちに追い打ちをかけろ」という意味です。しかし、何をもって〝悪い奴〟としているのか、イエスの逸話のように、実際には釈然としません。むしろ、単に「弱っている者には追い打ちをかけろ!」という〝弱い者イジメ〟になっているのが、現状ではないでしょうか。
日本人たるもの、そのような水に落ちた仔犬を打つような破廉恥極まる民族であって欲しくはないと、わたしは願っています。もういい加減に、そうした〝醜い日本人たち〟を、この国から叩き出してしまいたいものです。
「強い者が弱い者をひねり潰すのが常識」という今の日本社会の現状では、3Dプリンターで銃を製造した若者のように「弱い者は、銃を持つしかない」「それがせめてもの反抗だ」と考える者たちが現れるのも、至極当然と言えましょう。
さらに、今回の小保方さんバッシングの急先鋒に、朝日と並んでフジ・サンケイグループが立っていることを考えても、日本の右派と考えられている人々の多くが、実は利己主義者のリバタリアンであり、利他的な真正保守のコミュニタリアンではないということが、はっきりとわかります。言わば〝エセ保守〟です。大体において、唯物論者の保守だなんて、まったくお笑いです。
リバタリアンは表面的に〝論理的であること〟〝科学的であること〟〝ルールを守ること〟に極端にこだわります。理性を重視する一方で、感性をひどく軽視し、その結果、他者の感覚を理解する想像力に欠けます。想像力に乏しく、すべてにおいて懐疑的なので、論理的整合性と実証を偏重するのです。
だから「STAP細胞はあるのか、ないのか?」と、その一点にしつこいほど執着し、「本当にあれば英雄、なければインチキ」とみなす訳です。さらに「論文を書くルールに〝違反〟があった以上、内容もインチキだ」と勝手に決めつけ、小保方さんの人格まで否定します(**)。
彼らの厄介なところは、表面上(ルール上)取り繕ってさえいれば、自分の行為は、すべて〝正当〟と認められると考えていることです。つまり、自分の内なる〝悪意〟を反省する意識、〝良心〟を持たないのです。だから、他人の些細なルール違反を、徹底してバッシングできてしまうのです。「脇の甘いバカは死ね!」「油断した当然の報いだ!」それが今の理研やマスコミや政治家やネット住民の姿でもあります。まさに、そうした彼らの姿の中には、「世を倦む日々」のように、サイコパスの疑いを強く感じさせられる者達もいます。
誇れる学歴があり、専門的知識もあり、お金を稼ぐ能力もあるかもしれませんが、どこか人間としての深みと知恵に欠ける人々です。無神論者特有の傲慢さが、彼らの内的成長を阻害しているのです。そうした弊害は、今回のフェリー事故で露呈した韓国の抱える問題に、どこか通じるものがあります。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言った親鸞の感覚で云えば、彼らは圧倒的に〝善人〟です。常に自分を反論の余地のない正義の位置に置き、そんな自分に妙な自信を持っているために、人に何を言われてもまったく動じません。他人の批判など、聞き流すだけです。小保方さん批判者たちというのは、煮ても焼いても食えない〝ご立派な人たち〟なんですね。
さらに問題なのは、彼らの〝力強い〟姿に憧れて、すすんで追従する大勢の取り巻きたちの存在です。ジャイアンにかしずくスネ夫のような、あるいはアイン・ランドのコミューンの賛美者たちのような、カルトな人々です。
疑似科学問題で、スピリチュアルな事象や信仰への批判者として、うじゃうじゃと湧いて出てくる連中も、特徴はまったく同じです。唯物論者(***)という点では、彼ら右派リバタリアン(フジサンケイ)と左派リベラル(朝日)は、実によく気が合うのです。
彼らこそが、この国の伝統破壊者であり、仲良く手を取り合って、猛禽のように〝普通の人〟を追い込みます。利己的で近視眼的で冷酷という点でも、彼らは互いに非常に親和性があります。その好例が、疑似科学批判という同じ立場での、菊池誠氏(リバタリアン)と香山リカ氏(リベラル)の出会いです。
彼らは、日本社会に調和と信頼をもたらす者ではなく、逆に不信と分裂をもたらす者なのです。長い目で見て、このままいけば、やがて彼らが、この国を滅ぼすでしょう。
小保方さんは、「自分はSTAP細胞の存在を人類に伝えるために、運命という名の〝見えざる存在〟によって選ばれたのだろうか、と考えたこともあります。けれども今では、それが自分の慢心であり、それゆえにこのような結果になり、厳しい試練を与えられたのだろうか、とも考えています。ですが、STAP細胞は本当にあるのです。」とおっしゃっていました。一字一句正確な言葉遣いではありませんが、記者会見での彼女の言葉です。危機的状況によって内省的感覚が研ぎ澄まされたのでしょうか、実に正直で信じられる言葉だと思います。
小林よしのり氏などは、その言葉をしっかり受け止められたようです。「小保方さんは、記者会見では見事な対応だった」「正直、なぜ小保方さんがバッシングされるのか、わからない」とおっしゃっていましたね。おそらく、ご自身の日頃の内省によって、同様の内的感覚が磨かれていらっしゃるのではないでしょうか。わたしが偉そうに云うことでもありませんが。
一方、今回の再調査拒絶によって、理研はその明治以来の歴史的存在意義を自ら否定しました。大河内所長以来の伝統である理研の存在意義、それは「研究者を守り、日本を守る」ということです。野依理事長以下の理研理事たちは、目の前の〝金〟に釣られて、一時の組織の安泰のために、その大義を捨てたのです。
これにより、短期的には莫大な利権を守れるかもしれません。しかし、長期的には理研の衰微・消滅が確定したと言っていいと思います。
理研調査委員会「小保方氏は、故意に写真を差し替えました。だから、悪意なのです。」
記者「では同じく故意に写真を差し替えた石井元委員長は、悪意ではないのですか?」
理研調査委員会「その件に関しては、本委員会は判断すべき立場にありません。」
記者「委員の多くの過去の論文に、切り貼りの事実や疑惑がある現状で、委員会の判断が適切なものと言えるのですか?」
野依理事長「調査自体は、もともとある規定に則って行われるので、誰が委員になっても同じ判断になります。」
記者「では、自動的に石井氏の不正疑惑についても、悪意の不正捏造であることが確定しますね?」←ここからは筆者の空想
野依理事長「・・・・」
*律法主義者。形式や表面的な決まりごとを、何よりも大切にする一方で、内面の良心の問題を無視する人々。
**例えば、この人格否定の傾向が著しい月刊誌は新潮45で、小保方さんを「サイコパスの疑いがある」「モンスターサイエンティスト」と断定しています。パククネ大統領を野次るのと同時に、それと同じくらいの熱の入れようで、総力をあげて小保方さんバッシングに入れ込んでいる感じです。「新潮は品性下劣」というよりほかありません。逆に、わたしの知る限り、小保方さん擁護の論陣を張っている月刊誌は、月刊Willぐらいです。
***ただ唯物論者としての頑なさと狂信性は、右派リバタリアンより左派リベラルの方が、かなり上です。右派は、まだしも、仏教・神道などのスピリチュアルな伝統を重んじる真正保守のコミュニタリアンとの親和性があるからです。ですから強烈な疑似科学批判者は、だいたい無神論者のリベラルです。もちろん、リバタリアンに強烈な無神論者がいないわけではありません。ちなみにリベラルに多いキリスト教信仰は、唯物論思考の妨げにはならないようです。デカルトの二元論の悪しき影響からか、神秘主義を排する姿勢が強いためです。
理研は終わりましたが、小保方さんの研究人生は、まだ始まったばかりです。狭い世界で封じ込められて、キャリアを終わるべきではありません。人類のために、どうか挫けないで、新天地で頑張って欲しいものです。ただその前に、法廷闘争によって、名誉回復を実現しなければなりません。そして、その裁判を通して、小保方さんの悪意の有無が問われるというよりは、むしろ、この国の品格が問われることになるでしょう。
すでに、日本のマスコミ、新聞、週刊誌、テレビの程度の低さは、今回の騒動を通して、広く知られ尽くした感があります。特に話を不倫問題に仕立て上げようとした週刊文春の低俗さと卑劣さ、及び文藝春秋の姑息さと陰険さは、あまりに際立って顕在化しています。けれども、その低俗記事によって、ますます部数が伸びているとしたら、マスコミが劣化しているという以上に、日本人の精神そのものが、全体として極度に劣化してきているのではないかと、深く危惧しております。
最近のyoutubeでのコメントに「なぜ組織が〝捏造〟認定したものについて、組織よりも容疑者個人の〝ミス〟という弁明を信じるの?」という問いかけがありました。こうした言動こそが、日本人の精神の劣化を示す代表的事例ではないでしょうか。
おそらく、このコメンテイターの理屈は、「容疑者個人は、どこまでも言い逃れしようとするもので、組織の方は、公明正大とは言わなくとも、少なくとも直接の個人的当事者に比べれば、より客観的で公正な結論を導き出すだろう」という、あまりに子供じみた幼稚過ぎる認識が、判断のベースになっているように思われます。
〝公明正大な個人はいるが、公明正大な組織などない〟〝否応無くリスクを背負わされる個人よりも、リスクを背負わない組織こそが、より無責任になりうる〟〝結局のところ、組織の権威は、個人を喰い物にして高まるものだ〟〝たいていの組織は、実は個人以上に、ひたすらシンプルに利権を求めて動く〟〝肥大化を目指す大組織は、個人を容赦無くスケープゴートにする〟〝既得権益にまみれた組織ほど、この世に恐ろしいものはない〟という実社会の真実が、何もわかっていないようです。
同時に、コメンテイター本人の精神の幼稚化と発育不全と想像力の欠如から、大変な全国的バッシングの渦中にいる〝個人〟の極限状況について、本当の意味で想像することも理解することも、できていないのではないかと思います。他者への共感力を育む内的成長の難しい時代なのです。
また「なぜ、ダメなものはダメと言わないのか?」「コピペはマナー違反だ!」というマスコミ・識者・ネット住民の批判も相変わらず目立ちます。中央公論など、この立場ですね。
けれども、誰も「コピペはマナー違反じゃない」とは言っていないのです。「小保方さんの単なるマナー違反と、ノバルティス=医系大学の論文に見られるような、明らかな不正捏造とは根本的にレベルが違う」と言っているだけです。小保方さん批判の言論には、「何がより重大な問題か?」に関して、健全なバランス感覚が欠落しているのです。あるいは、故意に無視しているのかもしれません。ですから、「小保方さんの罪は大きい」と言い張る彼らの主張は、卑劣なバッシングを自己正当化するための、とってつけたような屁理屈にしか聞こえません。
さらに付け加えて言うなら、武田邦彦氏の「小保方さんは、誰に迷惑をかけたのか?」という論評は、実に的を得て秀逸でした。その論評にある通り、小保方さんは、本当は誰にも迷惑をかけていないのです。ですから、記者会見で謝罪する必要など、まったくなかったのです。
むしろ、日本社会そのものに最悪のダメージを与え、この国の科学研究の将来を潰し、日本国民すべてに多大な迷惑をかけたのは、東大など医学系の研究者たちによって始まった小保方バッシングの方であり、また、その尻馬に乗って現在も続く〝識者〟〝研究者〟らの愚かな批判の連鎖であり、さらにそこに追い打ちをかけた質の悪いこの国のマスコミとネット住人たちです。そして、こうした迷惑な連中の中でも極め付けは、この国をリードする研究機関としての自覚もなく、姑息な組織防衛に走った野依氏ら理研トップの方々でしょう。
☆8月、笹井氏の自殺後に、山崎行太郎氏がおっしゃっていた言葉が印象的です。「今に至るまで執拗に小保方晴子へのバッシングを続ける、『集団いじめ』の女性科学者たちの言動が、わたしにはまったく理解できない。ただ一つ、強く感じるのは、彼らには小保方晴子の持つ『科学的発見への情熱』が、決定的に欠如しているということだ。それこそが、彼らが小保方晴子を恐れる最大の理由かもしれない。」
☆2015.3月末、今この時点で、去年、自分の書いた二つの小保方さん擁護の記事を読んでみても、まったく違和感は感じません。むしろ、ますます、当時自分の書いたことは間違っていないと感じています。
小保方さんが、自分の論文をより効果的に見せるために〝飾った(不正をした)〟ことに、間違いはないでしょう。しかし、それは「本当は存在しないSTAP細胞を、あるように見せかけた」ということを、必ずしも意味しません。少なくとも、小保方さんはあると思って研究を続けてきたわけだし、実際にないと証明されたわけでもありません。
また、当時、わたしが何度も書いていたように、STAP細胞があろうがなかろうが、擁護派は擁護するのです。それは、社会の側のバランスの方が、小保方さんの精神よりも、はるかに歪で崩れていると感じているからです。わたしから見ると、論文の作成過程で不正をしたと認めたとされる小保方さんよりも、鬼の首を取ったようにバッシングを続ける連中の方が、はるかに気持ち悪い。
さらに、小保方さんは、すでに十分すぎるほど、社会的制裁を受けたし、理不尽なほど犠牲を払わされています。それについて、上記の考えは、何ら変わっておりません。むしろ、小保方さんに騙されたとか言って、手のひらを返す連中の方が、どうかしていると思わざるを得ません。小ずるい保身の匂いを感じるのです。
🌠2015.10月末に、早稲田大学が小保方さんの博士号取り消しの確定を発表しました。博士号論文での映像及び文章のコピーを不適切であるとして、博士号取り消しに相当すると判断したそうです。論文の訂正猶予期間の延長を求める小保方さんの請求を却下しての確定ということです。昨年10月に、早稲田大学が一年の論文訂正猶予期間を発表した時に、その決定を「甘すぎる」「理解できない」「これだから早稲田は…」などという東大などからの批判や攻撃に晒されたため、早稲田側は、小保方さんの論文訂正のあり方がどんなものであれ、それを認めないとする方針を事前に固めてしまっていたようです。こうして、母校の早稲田大学の手によって、小保方さんのスケープゴート化は完了しました。
2015.11.30、小保方晴子さん、博士号剥奪。残念です。
🌠2015.11,27、アメリカの研究者グループが、「STAP現象を起こす実験に成功した」と発表した論文が、英科学誌「ネイチャー」の出版社の運営するサイト「サイエンス・リポーツ」に掲載されました。この論文によれば、少なくともSTAP現象の存在自体は証明されたと考えるのが自然でしょう。つまり、「STAP細胞はあります!」と会見で述べた小保方さんの言葉は真実であるということが一部証明されたと言えます。
「つくり方が違う」とか、「小保方さんが不正をしたことに変わりはない」などと、学者やサイエンスライターの方が躍起になって書いていらっしゃいますが、科学に携わる者らしからぬくだらない反応の仕方です。
🌠2016.1.28、小保方さんによる手記「あの日」が、講談社から出版されました。手記そのものは、当分手に入りそういないので、内容については論評を避けたいのですが、一部の科学者の方たちからの反応は興味深いものがあります。
「ゲスの極みリケジョ」やら「講談社は生物系の研究者からボイコットされることを覚悟した方がいい」やら「印税を全額、理研あるいは医学系の慈善事業に寄付すべき」などといった、穏当とは言い難いツィートが散見されるようです。
読んだ内容についての激しい批判記事を書く人も多く、その批判の方法論がまた例によって実に香ばしいものが多く見受けられます。よほど小保方さんのことが気に入らないのでしょう。
手記では、NHK(藤原淳登記者)、毎日新聞(須田桃子記者)への理研(若山さん周辺など)からの内部情報リークや、二社の取材の偏向性や過激さについても、詳しく語られているようです。すべての責任を負わされ、名誉と地位と職と資格の一切を剥奪され、文藝春秋や週刊新潮などから、あれだけ激しく人格攻撃されたのだから、若山さん、須田さん、藤原さん含めて、相手方にせめて一矢報いたいと小保方さんが思うのも、人間として当然のことでしょう。