なりやまあやぐ(宮古民謡)

サーなりやまや なりてぃぬ なりやま
(すべての世の中の道理、物事の成り立ちを)
すみやまや すぅみてぃぬすみやま
(教訓として心に染めてくださいね)
イラユマーン サーヤーヌ すぅみてぃぬすぅみやま
(ああ、本当にそうだよ、大切な教えをしっかり心に染めてくださいね)

サーなりやま んみゃいすてぃ なりぶりさまずなしゅ
(慣れている山だからといって、すべてを承知していると思い込んではいけない)
すみやま んみゃいすてぃ すみぶりさまずなしゅ
(馴染んでいる山だからといって、自分が一番よくわかっていると驕り高ぶってはいけないよ)
イラユマーン サーヤーヌ すぅみぶりさまずなしゅ
(本当にそうだよ、自分は神様みたいに何でも分かっているなんて、偉そうに思い上がってはいけない、きっと痛い目に遭うからね)

サーぬうまんぬらば たずなゆ ゆるすなしゅ
(馬に乗る時は、気を抜かずに手綱をしっかり持たなくてはいけない)
みやらびやーいき くくるゆるすなしゅ
(①それと同じで、16、17、18の年頃の若い娘には、あんまり美しいからと心を奪われてはいけないよ)
(②それと同じで、16、17、18の年頃の若い娘は、簡単に殿方に心を許してはいけないよ)
イラユマーン サーヤーヌ くくるゆるすなしゅ
(①本当にそうだよ、家庭があるのに美しい娘に夢中になってはいけないよ)
(②本当にそうだよ、殿方には簡単に心を許してはいけないね、油断しないで、いつでも身持ちを良くして品よく振る舞うんだよ)

サーぬうまぬかぎさや しろさどかぎさ
(馬の美しさは、その白さこそが美しさだ)
みやらびかぎさや いろどぅかぎさ
(それと同じで、16、17、18の頃の若い娘の美しさは、肌の色の白く輝く美しさだよ)
イラユマーン サーヤヌ いろどぅかぎさ
(年頃の娘は本当に肌が美しいよ)
(①だから、心をしっかり保って、娘の美しさに惑わされてはいけないよ)
(②だから、人生の若く美しい時間を、大切に生きなければいけない、決して自分を安売りしてはいけないよ)

サーぶりゆしなんみゃ あまいどぅ ゆしず
(寄せては返す波が、何度でも繰り返し、微笑って寄せてくるように)
ばんぶなりゃ あまいどぅ んかい
(①私の妻は、わたしがどんな悪さをして、浮気をしてしまった後でも、変わらず笑顔で迎えてくれる)
(②私は妻として、あの人がどこで何をしていても、どんなに遅くなっても、変わらず笑顔で迎えるのです)
(③私の親は、わたしがどんな悪さや親不孝をしてしまった後でも、変わらず笑顔で迎えてくれる)
イラユマーン サーヤーヌ あまいどぅんかい
(①そうだね、変わらず笑顔で迎えてくれるね)
(②そうだね、笑って迎えるわ)
(③そうだね、決して変わることなく、いつでも微笑って優しく迎えてくれる、親というものは本当にありがたいね、親の深い情には感謝しかないよ)


*なりやまあやぐは、宮古民謡を代表する教訓歌です。この歌は、沖縄本島の「てぃんさぐぬ花」、石垣島の「デンサー節」と並んで、沖縄地方の〝三大教訓歌〟のひとつとされています。デンサー節と同じで、この歌も、時代や場所によって、歌詞はさまざまです。ここにわたしが記した歌詞とは全く違う歌詞で歌われていることもあるようです。ここでは、わたしが明治時代の宮古のお祖母さんに教わった歌詞を記しておきます。
また、この歌は、特に歌詞の解釈が難しいらしく、歌う人の立場によって、さまざまに異なる解釈があります。中には、首を傾げざるを得ない珍解釈も多いようです。ここに記した解釈の一つは、明治のお婆さんの時代に実際に歌われていた〈明治版〉解釈です。その他、いくつかの解釈を併記しました。
教訓歌というのは、歌の中に、子孫に伝えたい深い教えが込められているものです。ですから、歌詞の本当の意味を知って、その意味を噛みしめる(心に染める)ということが、とても大切なのことなのです。
この歌は、母親が息子に語りかけるように、あるいは、お祖母さんが、孫娘に語りかけるように、教え諭しています。特に味わい深いのは5番の歌詞です。
現代では、多くの人が、妻が夫に向かって「浮気するな!」と歌っているものと受け止めているようですが、その場合には「夫の浮気を戒める」教訓歌ということになります。そして、5番の歌詞などは、見方によってはホラーになってしまいます。(この見方は①の解釈に記したものです。)
本来は、あくまでも、年長者が教え諭すのが教訓歌です。歌い手が妻であってもよいのですが、その場合でも、あくまでも年上の姉さん女房が、頼りない夫に対して教え諭すという感じになるのかな、とイメージされます。