今、9月3日、ハワイ諸島のマウイ島にいます。
とても過ごしやすい気候の島です。湿気が少ないせいで、日中の気温が高くても、肌はまったくベタつきません。そして、木陰に入れば、昼間の強い日差しの下でも、驚くほど涼しいのです。霧や靄がかかることがなく、空気はいつも澄みきっていて、頭上にはどこまでも青い空が広がっています。
ここマウイ島は、ハワイアン音楽の至宝であり、フラダンスの最高峰のマスターでもあるケアリイ・レイシェルの出身地であり、現居住地でもあります。ですから今回、わたしは、ハワイアンミュージックとフラダンスのルーツの島を訪ねるということで、かなりの期待を持ってやってきました。しかし、残念ながら、伝統的なハワイアンの生活は、ここではほとんど見られませんでした。
カアナパリ地区には近代的なホテルが立ち並び、古い街並みが残るダウンタウンのラハイナ地区でも、観光客の雑踏の中で、忙しく商売が繰り広げられていました。そして、ホテルでも、レストランでも、タクシーに乗っても、お店に入っても、どこへ行っても目につくのは、ハワイアンではなく、アジア系の移民のワーカーばかりです。特にホテル関係は、フィリピン系ワーカーが多く、なぜか繁華街に多い宝飾店では、ベトナム系の人々の店が多いようでした。その他、フィリピン系・中国系の人の店もありました。現地の土着のハワイアンの人は、お店を構えることは少なく、路上で土産物などを売っています。いずれにしても、どこを振り向いても、商売根性がギラギラしていて、その騒がしさの中には、ケアリイ・レイシェルの歌の中の、穏やかな〝癒し〟の世界は、どこにも感じられません。
ホテルの位置するマウイ島東部は、いたるところにゴルフ場や刈り込まれた人工的な芝が広がり、沖縄の米軍基地内のような単調な風景が、ともかくどこまでも続きます。そして、伝統的なハワイアンの住居らしき建物はどこにもありません。繁華街のフロントストリートの様子は、どことなく古い昔のコザの街のような雰囲気、つまり古風なアメリカンの趣きがあふれています。ところが、なぜかそこを走っている車は、日本車のトヨタや日産ばかりなのです。タクシーの運転手に聞くと、日本車を選ぶのは、アメリカ車とは燃費が違いすぎるからだそうです。
結局のところ、白人や日本人のもたらしたものは街にあふれていても、もはや伝統的なハワイアンの世界は、ケアリイの歌の中にしか残っていないのかもしれません。ちょうど、沖縄の社会と沖縄人の心から、沖縄民謡に歌われているような、ゆったりと人を思いやる精神が薄れてしまっているように。その沖縄以上に、マウイ島からは、かつてのアロハの精神の面影が、すっかり消え果ててしまっているようでした。ただ、今回は島の西側の開発され尽くしている地域だけしか回っていないので、わたしの知らない島の東側には、まったく別世界が広がっているのかもしれません。
今回の旅を通して、マウイ島の空気から、かろうじてかつてのハワイ独特の〝落ち着き〟の残滓は感じられたものの、もしも魂の求める〝静寂〟を感じたいなら、いっそのこと沖縄の宮古島へ行った方が、費用もはるかに割安だし、内面に受ける〝手応え〟にしても、ずっとはっきり感じられると思いました。
ハワイの物価に関しては、メインランド(アメリカ本土)の方が安いと、アメリカ人自身が口々に言っていましたが、わたしが地元の沖縄と比べても、やはりハワイはすべてがかなり割高に感じます。その辺のハンバーガーショップに入って、少しお腹を満たしたら、15~20%のチップを加えると、すぐに1500円はかかってしまうのです。
また、日本人が特に閉口するのは、値段はさておき、味の方です。こちらにきて感じるアメリカの料理の特徴は、味覚に関する何もかもがあまりにシンプルに過ぎるということです。すべての料理が、ともかく強烈に甘いか、塩っぱいか、辛いか、それとも味がまったくないかのいずれかです。そして、それは、日本人やヨーロッパ人の好みからすると、あまりに味が単純すぎ、きつすぎるか、さもなければ、まったく味がしないかのいずれかなのです。たとえ、物珍しさから、一瞬美味しいと感じたとしても、そんな感動は、せいぜい一日しか持ちません。あまりに代わり映えなく、同じ単調な味が続くので、二日目にもなればすぐに飽きてしまいます。
最初からどうにも我慢できないのは、デザートの甘味のきつさと単純さです。ともかく「ただ強烈に甘すぎるだけ」なのです。かき氷など日本の五倍ぐらいシロップがかかっていて、氷の白いところが一切ありません。アイスクリームは、チョコクッキーの生地の上にバニラアイスのかたまりをのせ、その上に同量のホイップクリームをのせ、さらにその上からチョコレートペーストを振りかけます。しかも、クリームもアイスも、砂糖を大量に使用していて、何を食べても甘すぎ、まったく楽しめません。
そして、おそらくはそのせいで、街を歩く人に肥満の多いこと多いこと。それもただの肥満ではありません。町中、小錦や曙や髙見山だらけです。彼らの途轍もない肥満ぶりは、恒常的な砂糖の取り過ぎとしか思えません。食べ物だけは、どこへ行っても日本にはかなわないだろうとは思っていたものの、ここの食事で一番美味しかったのが、「照り焼きチキン」ですからね。それが、わたしがマウイ島で味わえた、甘さと辛さが混ざり合った、シンプルでない唯一の料理でした。
ただ、大味であろうと、ともかく「大きいことはいいことだ!」というのが、アメリカの精神なのかもしれません。そのおかげで、ホテルの部屋は、ベッドも窓もソファーもトイレもバスタブも、何もかもが、とっても広々としていて、大いにくつろぐことができました。この空間的な余裕は、日本にはないもので、わたしはホテルではとても贅沢な時間を過ごすことができました。
オアフ島の観光客は、全体の30%が日本人だと聞きました。一方で、マウイ島の観光客の内訳では日本人は3%しかいないそうです。確かにマウイ島の街を歩いていても、日本人はほとんどいなく、ホテルのロビーで見かける観光客は白人ばかりです。
マウイ島近辺は、アメリカ本土のミリオンダラーやセレブに人気が高く、ビルゲイツもここで結婚式をあげたし、億万長者が土地や島を買ったりしているそうです。「セレブにマウイ島が人気なのは、オアフ島に比べて人が少なくのんびりしているからだ」とガイドの人が言っていました。それで、この島では、潜水艦に乗ったり、ヘリコプターに乗ったり、フラダンスを鑑賞しながらディナーを楽しんだりという、かなり贅沢なレジャーが盛んなようです。
つまり、マウイ島は、白人のマネーによって、白人のための一大レジャーランドへと作り変えられてきたのです。現在の空港が出来たのが25年前(1988年)のことで、さらに遡って白人による開発が始まったのは1960年代の終わり頃だそうです。しかし、実際のところ、マウイ島の伝統的なハワイアンの生活が失われ出したのは、おそらく1980年代の中頃、今から30年ほど前のことではないかと思います。というのも、今から40年前、1970年代の中頃には、まだオアフ島でさえ、伝統的なハワイアンの生活が根付いていて、白人旅行者さえも、その地元ののんびりとした生活に溶け込んでいたからです。
そう思うと、ケアリイが愛する、かつてのマウイ島のような場所は、もはやこの地上のどこにも存在しないのだろうということが胸に迫ってきました。そして、考えてみると、わたし自身、今まで折に触れて、わけもなく深い悲しみに襲われることがしばしばあるのですが、その理由がわかったような気がしました。「もはやこの地上に、わたし自身が夢見ているような、しみじみとした情感をもって人と人が共感し合える土地は、どこにもないのだ」ということに、本能的に気づかされた時に、胸の内に悲しみが襲ってきたのだろうと思うのです。
カアナパリ地区の海岸は、近年ハワイでもっとも美しい海岸に選ばれているということで、ホテルだらけの割には、確かに静かで落ち着いたところでした。ただ、火山島であるためか、浜の砂は黒っぽくキメが粗く、海も濃い紺色をしていて、打ち寄せる波も荒い感じがしました。例えば、砂浜の白く細かい砂や、穏やかなエメラルドの水面がきらめくサンゴ礁の海を楽しむなら、断然、宮古島の方が上です。
ただ、空に占める雲の範囲は、日本と比べて圧倒的に小さいので、空の青さは際立ちます。そして、雲の形も日本には見られない不思議なかたちをしていて見飽きません。遠くの島も、くっきりはっきりとても近く見えます。海は、少し波が荒くてサーフィン向きですが、人が少なくて、海岸にいて、とても落ち着くのは、宮古島といっしょです。
こうしたマウイ島の自然は、オアフ島ホノルルの、人の多すぎる〝落ち着かない〟ワイキキ観光ビーチなどに比べれば、はるかにましな〝くつろげる場所〟でした。でも、それは後になってわかったことです。
次なる出会いに期待を寄せていたわたしは、9月4日、オアフ島のホノルルに来てみて初めて、その期待がまったくの幻想であったことに気づきました。林立するビル群、行き交う車、ワイキキ・ビーチの人の群れ、ハワイ最大のショッピングモールであるアラモアナセンターを歩く日本人観光客。それらを見て、わたしの頭に浮かんだ思いは「これなら確かにマウイ島の方がはるかにましではないか」という感慨でした。
オアフ島にくる観光客のうち日本人は30%、マウイ島には日本人が3%と、昨日マウイ島でガイドの人に言われました。そして今、オアフ島にいて、わたしは「この高層ビルだらけの開発され尽くした島だけにたむろして、マウイ島には行かない日本人の方が、白人よりよっぽど愚かではないか」と感じています。
確かに日本人にとっては、ここハワイでしか手に入らないブランドものの製品も多いですし、関税がかからないのも魅力です。しかし、巨大なセンターでショッピングに興じ、人でごった返す海で泳ぐだけのために、日本語の通じる便利なオアフ島だけで遊ぶなんて、その土地の文化を体感して味わいたい人間にとっては、あまりに無味乾燥で退屈でつまらないと思うのです。
確かにワイキキでなら、ハワイにいながら贅沢な日本食も味わうことができるし、甘すぎるだけのスウィーツ以外の、日本並みの高品質のスウィーツを楽しむこともできます。店員さんもあちらこちらで日本語がある程度は通じるので、そういう意味では、オアフ島は至れり尽くせりで気安いのです。便利さという点では、ちょうど、マウイ島が宮古島なら、オアフ島は沖縄本島のような感じでしょうか。
ただし、沖縄は地元の土着経済がまだ生きているので、本州より物価がはるかに安いです。それとは逆に、ハワイは白人やアジア系の人口・資本の流入が激しく、地元の土着経済はすでに壊滅しているので、そのためにかえってアメリカ本土より物価が高いという点は大きく異なります。
ハワイに来て、島の風景を車窓から見ていて不思議に感じることの一つは、マウイ島でもオアフ島でも、どこまで走っても、まったく畑(耕作地)が見当たらないということです。現地の人たちが牧場も畑もやっていないということは、地元ハワイ産の肉や野菜がないということです。聞いてみると、食糧はすべてアメリカ本土(メインランド)からの空輸だということでした。だから輸送費がかかる分、どうしても物価が高くなるのです。
さらに言えば、土着経済の解体は、持てる者と持たざる持たざる者との間に強烈な格差を生じ、地元のコミュニティ(共同体)を徹底的に解体していきます。こうしてハワイから、いつの間にか土着文化の濃厚な香りは消失してしまったのでしょう。その過程で、ハワイアン・スピリチュアルの伝統も、生きた日常生活の中ではすっかり霧散してしまったようです。
ここオアフ島では、ショッピングセンターの従業員・店員、ホテルマン、タクシードライバーなど、労働者のほとんどは移民のフィリピン人です。しかし、ワイキキの繁華街の道を、ゆっくりリヤカーを押して、廃品を拾い歩く、ボロを着たお爺さんやお婆さんのホームレスは、地元のハワイアンなのです。
この〝金臭い街〟〝遊び人の街〟のいったいどこに、古代からの叡智を引き継ぐ呪術師カフナが住んでいるというのでしょう。このハワイでは、摩天楼の最上階で、めくるめく「お金のパワー」をまざまざと感じることは出来ても、さらにより高いところで働く「神の力」を感じることは、もはやないでしょう。
摩天楼の上から、40年前とはすっかり様変わりしてしまったホノルルの街を見下ろしながら、もはや「金の力以外何も信じない」という人々の営みを、そこに感じています。昔は一般的だった伝統的な木の屋根の家は、ビルの谷間にほんの一部分、ひっそりと残っているだけで、それらの古い家も、改築する時、木製の屋根をつけることは、法律上禁止されているそうです。
ハワイでは全般的に物価が高いのですが、特に医療費とか電気代が高いのだと言います。またホノルルでは住宅が不足していて、ワイキキでは2LDKの家賃が月2000ドル(20万円)もするのだそうです。一生懸命働いても、みんな家賃に消えてしまうとぼやいている人も多いと聞きました。
ここホノルルは、本当に大都会です。お金さえ出せば、本当に美味しい日本食を食べることもできます。素材にも気を使っていて、沖縄の塩やモズク、和牛のステーキも食べられ、至れり尽くせりではあります。しかし、そんな店に入れるのは、お金にある程度余裕のある日本人だけです。
富裕層にとっては、ここは〝癒しの島〟なのでしょうが、一般の庶民にとっては、生活は苦しく、のんびりするどころではないと、みな口々に言います。しかし、そうやって頑張って稼いでいるのは、フィリピン人はじめ、働き者のアジア系の移民たちばかりです。
もともとお金がなくてものんびり気ままに生きていた地元のハワイアンの人々は、そのせかせかしないゆったりした性格がたたって、貧困層に甘んじ、ホームレスに身を落とす人も多いのです。もともと彼らは、常夏の穏やかな気候の島で、何不自由ない自給自足の生活を営んでいたのです。彼ら、カメハメハ大王、リリウオカラニ女王の末裔である土着のハワイアンの人々にとっては、このオアフ島は、白人に凌辱され尽くし、食い尽くされて、すでに破滅してしまった島なのかもしれません。
そして、ハワイの素晴らしい癒しの技術も、すっかり商業主義に汚れ果て、病める者からお金をむしり取る手段に堕落してしまったようです。
街を歩いていると、アジア系・白人に関わらず、肌の目立つところに大きく刺青を入れている若い男女の多さに驚きます。伝統的な日本人の感覚からすると、刺青を入れるのはやくざ者の証拠です。堅気の人で、刺青を入れようなどと考える人は、かつてはまずいませんでした。
だから、ハワイで刺青を入れた人をあちこちで見ると、アメリカ人は、みんな平気で肌を汚すんだなと感じます。しかし、彼らにしてみれば、「自分の身体なのだから、それをどう扱うのも自分の自由・勝手だ」というわけです。あるいは「度胸をつけるために」という人もいます。
沖縄でも、米兵の彼女になったり、結婚したりすると、アメリカの文化に他愛なく染まって、平気で肌を傷つける人がいます。そういう風に刺青を入れた肌をさらして、堂々と道を歩く若い日本女性を見ると、この国が、アメリカ文化によって、繰り返し陵辱されているように感じるのです。ハワイの場合には、さらに無残に感じます。ネイティブ・ハワイアンには、抵抗する術がなかったのです。
車窓からの風景を見ていて、ハワイの山々は、ともかく木が生えていません。なぜか、おおかた木を切り倒してしまって、むき出しの禿山になってしまっているところが多いのです。雨が少ない乾燥した気候のため、もともと木が少ないのかもしれません。マウイ島で聞くと、数年前に大きな山火事があって、山が全部焼けてしまったと言うのですが、どこまでが焼けた部分で、どこまでがもともと木が生えていなかったのか、あるいは以前に木を切り倒してしまった部分なのか、わたしには判然としません。
日本と違って、気候上、木の生育速度も違うでしょうし、森を〝神〟の宿る場所として大切にしたり、木そのものを〝御神木〟として敬う土着の風習は、今ではほとんど消滅しているようにも思えます。少なくともこの地で支配的な白人の価値観には、もともとそのようなスピリチュアルな感覚は皆無です。自然を徹底的に支配し管理するのが、支配階層の白人の好みの流儀です。地元の原種ではない木を一部に植え、あとはすべて刈り込んで芝生にするのです。このハワイの地では、すでに「神は死んでいる」のかもしれません。
オアフ島の街の中で働く人たちは、その振る舞いや声や表情が、自然な豊かな感情を失ったアンドロイドのように見えて仕方がありませんでした。
ただ、ハワイの空だけは本当に綺麗でした。湿度が低いせいか、常に空は澄み切っていて、信じられないほど雲が美しいのです。一つ一つの雲の形が、キャンパスにダイナミックに描かれているようで、それ自体が素晴らしいアートなのです。夜も星が地平線まで広がっていて、とても綺麗でした。この空の美しさだけは、40年前と少しも変わりません。
ホノルルのショッピング街は、本当に日本人観光客が多く、日本人の店員さんも多くて、「ここは本当に外国なのだろうか?」と首をかしげたくなるほどです。しかし、日本人がほとんど行かない有名な観光地が一箇所あります。それは真珠湾(パールハーバー)にある、アリゾナ・メモリアルを中心とするアメリカ海軍の博物館群です。
アリゾナ・メモリアルは、太平洋戦争の初戦で日本軍の真珠湾奇襲攻撃によって撃沈されたアメリカ海軍の戦艦アリゾナの錆びた骸の上に造られた、海上に浮かぶ軍艦の墓標のようなものです。同時にそこには、戦死したアリゾナの乗組員1177名の慰霊碑も作られています。毎年12.7に政府主催の追悼式が行われるこのメモリアルは、ある意味、アメリカにとっての〝靖国神社〟のようなものです。
さらに、その横には、太平洋戦争で、学童疎開船対馬丸をはじめ、多くの日本の船を沈め、「真珠湾の復讐者」と呼ばれた潜水艦ボウフィンが、展示されています。そして、もっとも有名な、あの戦艦ミズーリがあります。硫黄島・沖縄戦に参加し、日本の降伏文書の調印の舞台として使用され、その後、朝鮮戦争で使用され、さらに改装されて現役を続け、湾岸戦争でもトマホークを発射し、1992年に退役したこの殊勲の軍艦を、アメリカは、1998年にパールハーバーに停泊させて博物館としているのです。
『アリゾナからボウフィンを経てミズーリへ 』という博物館めぐり、それは、アメリカが描く、アメリカにとって都合のいい太平洋戦争の物語です。悲劇と屈辱の戦艦アリゾナから、栄光の戦艦ミズーリへというストーリーには、アメリカ人が優越意識をくすぐられるツボがいくつもあります。その上、極上のカタルシスを得られる気持ちの良い旅路となるのでしょう。
この真珠湾の博物館めぐりには、連日、早朝から多くのアメリカ人が長蛇の列を作る、人気の観光コースになっています。アメリカ人の他に、よくここを訪れるのは、戦争当時も今も、軍事的に密接なつながりを持つフィリピンの人々です。敷地内の施設の係員も、フィリピン人ばかりですし、観光客としても、館内ではアメリカ人の次に目立っています。あと目立つ外国人は中国人です。中国人が、この施設を訪れるのを好むのは、やはり、世界を牛耳る二大国として、アメリカとの当時の同盟関係を強く意識するようになっているのかもしれないし、江沢民の反日教育のせいもあるかもしれません。オバマの中国びいきも、大いに影響している気がします。
しかし、日本人としては、「アメリカは中国を助けるために参戦したのだ」という都合のいい説明には、「より多くの犠牲者を出さないために原爆を投下したのだ」という説明同様に、ぜんぜんなっとくできません。本当は、ルーズベルトは、太平洋方面にはまったく関心がなく、ただひたすらイギリスの要請に応えて、対独参戦する方法を模索していただけなのですから。
いずれにせよ、この場所は、日本人には複雑すぎる感情をいだかせるところです。わたしたち日本人は、いつまで〝戦勝国〟の面々に対して、小さくなっていなければならないのでしょうか。ホノルルでいちばんお金を落としているのは日本人です。それなのに、お金だけ使わされて、実は内心では軽んじられ、蔑まれているのです。
いろいろとハワイの文句ばかりを書き連ねてきました。ハワイを嫌いになりたくはないし、本当は好きになりたいのです。短い間でしたが、この旅の途中、素敵な出会いがいくつもありました。白人の悪口をたくさん言ってきた気もしますが、実は、本当に話が合う人は、白人に多いのです。人によりますが、本当に真面目な人、深い教養のある人、物事をいい加減には考えない人、丁寧に人と向き合える誠実な人は、日本人を除けば、白人にこそよく見られるからです。マウイ島のホテルのフロントにいたボストン出身の男性は、ケアリイの大親友と言っていましたが、とても素敵な人でした。
今回の旅の中で、白人よりも、むしろフィリピン人や日系人の方が、日本人に対して意地悪だったり、傲慢だったり、アメリカの威光をかさにきて威丈高になったりするのを見てきました。日本人を一番バカにするのは、実は日系二世や三世の人たちなのです。そのつっけんどんな態度の裏には、彼らの日本人としてのルーツに対する、複雑なコンプレックスが見え隠れしています。
しかし、その一方で、ひどいタガログ訛りのブロークンな英語で、タクシーを運転中、一生懸命、話してくれたフィリピン人のお爺さんもいました。「戦争の後、日本は貧乏で、フィリピンは豊かだった。でも、日本は教育が優れているから、今では成功している。逆にフィリピンは、教育がないからどうにもならない」と言っていました。
また、マウイ島では、優雅な宿泊施設で、贅沢で落ち着いた時間を過ごすことができました。それはとても貴重な体験でした。それに、この旅すべてが、わたしにとって、日頃味わうことのできないことを学べる大切な時間になりました。
それに、わずかな時間の経験で、わかったつもりになってはいけないと、考えてもいます。ハワイの島々、ハワイの人々、ハワイの文化を、たかだか数日間の滞在で、すべて理解したつもりになったり、簡単に判断できると過信したりしてはいけないとも思うのです。
しかし、それにしても現在、ハワイ語を、ネイティブとして、自在に話すことができるのは、ケアリイを含めて、ほんの数十人しかいないのだそうです。今、滅亡の危機にあるハワイ語とハワイ文化が、どうにか救われますように。そう願うのみです。
とは言え、沖縄の方言が失われ、歌が失われ、心が失われ、祈りが失われていくその先、開発が進み、観光化され、自然が失われ、すべてが人工物で覆われていくその先に、このハワイの現状があるような気がしてなりません。ここでは、人間がいきいきと楽しく生きていくことができません。いきいきしているのは、観光客だけです。住民は、ハワイアンも移民たちも、まるで世捨て人のように「どうしようもないから、仕方なく生きている」だけなのです。
生きる喜びを根っこから消失してしまった人々ばかりの無機質で乾燥した潤いのない世界、フィリップ・K・ディックの描くアンドロイドのような人々が歩き回る世界に、このわたしたちの地球が、今、静かに移行しつつあるのかもしれません。そして、内なるものに気を配る人々は、いよいよ少なくなっているという気もします。しかし、そんな世界で生きていかねばならないとしても、たとえどんなにささやかであっても、わたしは内なるともしびを見つめて生きていきたいと、改めて強く感じさせられた旅でした。
とても過ごしやすい気候の島です。湿気が少ないせいで、日中の気温が高くても、肌はまったくベタつきません。そして、木陰に入れば、昼間の強い日差しの下でも、驚くほど涼しいのです。霧や靄がかかることがなく、空気はいつも澄みきっていて、頭上にはどこまでも青い空が広がっています。
ここマウイ島は、ハワイアン音楽の至宝であり、フラダンスの最高峰のマスターでもあるケアリイ・レイシェルの出身地であり、現居住地でもあります。ですから今回、わたしは、ハワイアンミュージックとフラダンスのルーツの島を訪ねるということで、かなりの期待を持ってやってきました。しかし、残念ながら、伝統的なハワイアンの生活は、ここではほとんど見られませんでした。
カアナパリ地区には近代的なホテルが立ち並び、古い街並みが残るダウンタウンのラハイナ地区でも、観光客の雑踏の中で、忙しく商売が繰り広げられていました。そして、ホテルでも、レストランでも、タクシーに乗っても、お店に入っても、どこへ行っても目につくのは、ハワイアンではなく、アジア系の移民のワーカーばかりです。特にホテル関係は、フィリピン系ワーカーが多く、なぜか繁華街に多い宝飾店では、ベトナム系の人々の店が多いようでした。その他、フィリピン系・中国系の人の店もありました。現地の土着のハワイアンの人は、お店を構えることは少なく、路上で土産物などを売っています。いずれにしても、どこを振り向いても、商売根性がギラギラしていて、その騒がしさの中には、ケアリイ・レイシェルの歌の中の、穏やかな〝癒し〟の世界は、どこにも感じられません。
ホテルの位置するマウイ島東部は、いたるところにゴルフ場や刈り込まれた人工的な芝が広がり、沖縄の米軍基地内のような単調な風景が、ともかくどこまでも続きます。そして、伝統的なハワイアンの住居らしき建物はどこにもありません。繁華街のフロントストリートの様子は、どことなく古い昔のコザの街のような雰囲気、つまり古風なアメリカンの趣きがあふれています。ところが、なぜかそこを走っている車は、日本車のトヨタや日産ばかりなのです。タクシーの運転手に聞くと、日本車を選ぶのは、アメリカ車とは燃費が違いすぎるからだそうです。
結局のところ、白人や日本人のもたらしたものは街にあふれていても、もはや伝統的なハワイアンの世界は、ケアリイの歌の中にしか残っていないのかもしれません。ちょうど、沖縄の社会と沖縄人の心から、沖縄民謡に歌われているような、ゆったりと人を思いやる精神が薄れてしまっているように。その沖縄以上に、マウイ島からは、かつてのアロハの精神の面影が、すっかり消え果ててしまっているようでした。ただ、今回は島の西側の開発され尽くしている地域だけしか回っていないので、わたしの知らない島の東側には、まったく別世界が広がっているのかもしれません。
今回の旅を通して、マウイ島の空気から、かろうじてかつてのハワイ独特の〝落ち着き〟の残滓は感じられたものの、もしも魂の求める〝静寂〟を感じたいなら、いっそのこと沖縄の宮古島へ行った方が、費用もはるかに割安だし、内面に受ける〝手応え〟にしても、ずっとはっきり感じられると思いました。
ハワイの物価に関しては、メインランド(アメリカ本土)の方が安いと、アメリカ人自身が口々に言っていましたが、わたしが地元の沖縄と比べても、やはりハワイはすべてがかなり割高に感じます。その辺のハンバーガーショップに入って、少しお腹を満たしたら、15~20%のチップを加えると、すぐに1500円はかかってしまうのです。
また、日本人が特に閉口するのは、値段はさておき、味の方です。こちらにきて感じるアメリカの料理の特徴は、味覚に関する何もかもがあまりにシンプルに過ぎるということです。すべての料理が、ともかく強烈に甘いか、塩っぱいか、辛いか、それとも味がまったくないかのいずれかです。そして、それは、日本人やヨーロッパ人の好みからすると、あまりに味が単純すぎ、きつすぎるか、さもなければ、まったく味がしないかのいずれかなのです。たとえ、物珍しさから、一瞬美味しいと感じたとしても、そんな感動は、せいぜい一日しか持ちません。あまりに代わり映えなく、同じ単調な味が続くので、二日目にもなればすぐに飽きてしまいます。
最初からどうにも我慢できないのは、デザートの甘味のきつさと単純さです。ともかく「ただ強烈に甘すぎるだけ」なのです。かき氷など日本の五倍ぐらいシロップがかかっていて、氷の白いところが一切ありません。アイスクリームは、チョコクッキーの生地の上にバニラアイスのかたまりをのせ、その上に同量のホイップクリームをのせ、さらにその上からチョコレートペーストを振りかけます。しかも、クリームもアイスも、砂糖を大量に使用していて、何を食べても甘すぎ、まったく楽しめません。
そして、おそらくはそのせいで、街を歩く人に肥満の多いこと多いこと。それもただの肥満ではありません。町中、小錦や曙や髙見山だらけです。彼らの途轍もない肥満ぶりは、恒常的な砂糖の取り過ぎとしか思えません。食べ物だけは、どこへ行っても日本にはかなわないだろうとは思っていたものの、ここの食事で一番美味しかったのが、「照り焼きチキン」ですからね。それが、わたしがマウイ島で味わえた、甘さと辛さが混ざり合った、シンプルでない唯一の料理でした。
ただ、大味であろうと、ともかく「大きいことはいいことだ!」というのが、アメリカの精神なのかもしれません。そのおかげで、ホテルの部屋は、ベッドも窓もソファーもトイレもバスタブも、何もかもが、とっても広々としていて、大いにくつろぐことができました。この空間的な余裕は、日本にはないもので、わたしはホテルではとても贅沢な時間を過ごすことができました。
オアフ島の観光客は、全体の30%が日本人だと聞きました。一方で、マウイ島の観光客の内訳では日本人は3%しかいないそうです。確かにマウイ島の街を歩いていても、日本人はほとんどいなく、ホテルのロビーで見かける観光客は白人ばかりです。
マウイ島近辺は、アメリカ本土のミリオンダラーやセレブに人気が高く、ビルゲイツもここで結婚式をあげたし、億万長者が土地や島を買ったりしているそうです。「セレブにマウイ島が人気なのは、オアフ島に比べて人が少なくのんびりしているからだ」とガイドの人が言っていました。それで、この島では、潜水艦に乗ったり、ヘリコプターに乗ったり、フラダンスを鑑賞しながらディナーを楽しんだりという、かなり贅沢なレジャーが盛んなようです。
つまり、マウイ島は、白人のマネーによって、白人のための一大レジャーランドへと作り変えられてきたのです。現在の空港が出来たのが25年前(1988年)のことで、さらに遡って白人による開発が始まったのは1960年代の終わり頃だそうです。しかし、実際のところ、マウイ島の伝統的なハワイアンの生活が失われ出したのは、おそらく1980年代の中頃、今から30年ほど前のことではないかと思います。というのも、今から40年前、1970年代の中頃には、まだオアフ島でさえ、伝統的なハワイアンの生活が根付いていて、白人旅行者さえも、その地元ののんびりとした生活に溶け込んでいたからです。
そう思うと、ケアリイが愛する、かつてのマウイ島のような場所は、もはやこの地上のどこにも存在しないのだろうということが胸に迫ってきました。そして、考えてみると、わたし自身、今まで折に触れて、わけもなく深い悲しみに襲われることがしばしばあるのですが、その理由がわかったような気がしました。「もはやこの地上に、わたし自身が夢見ているような、しみじみとした情感をもって人と人が共感し合える土地は、どこにもないのだ」ということに、本能的に気づかされた時に、胸の内に悲しみが襲ってきたのだろうと思うのです。
カアナパリ地区の海岸は、近年ハワイでもっとも美しい海岸に選ばれているということで、ホテルだらけの割には、確かに静かで落ち着いたところでした。ただ、火山島であるためか、浜の砂は黒っぽくキメが粗く、海も濃い紺色をしていて、打ち寄せる波も荒い感じがしました。例えば、砂浜の白く細かい砂や、穏やかなエメラルドの水面がきらめくサンゴ礁の海を楽しむなら、断然、宮古島の方が上です。
ただ、空に占める雲の範囲は、日本と比べて圧倒的に小さいので、空の青さは際立ちます。そして、雲の形も日本には見られない不思議なかたちをしていて見飽きません。遠くの島も、くっきりはっきりとても近く見えます。海は、少し波が荒くてサーフィン向きですが、人が少なくて、海岸にいて、とても落ち着くのは、宮古島といっしょです。
こうしたマウイ島の自然は、オアフ島ホノルルの、人の多すぎる〝落ち着かない〟ワイキキ観光ビーチなどに比べれば、はるかにましな〝くつろげる場所〟でした。でも、それは後になってわかったことです。
次なる出会いに期待を寄せていたわたしは、9月4日、オアフ島のホノルルに来てみて初めて、その期待がまったくの幻想であったことに気づきました。林立するビル群、行き交う車、ワイキキ・ビーチの人の群れ、ハワイ最大のショッピングモールであるアラモアナセンターを歩く日本人観光客。それらを見て、わたしの頭に浮かんだ思いは「これなら確かにマウイ島の方がはるかにましではないか」という感慨でした。
オアフ島にくる観光客のうち日本人は30%、マウイ島には日本人が3%と、昨日マウイ島でガイドの人に言われました。そして今、オアフ島にいて、わたしは「この高層ビルだらけの開発され尽くした島だけにたむろして、マウイ島には行かない日本人の方が、白人よりよっぽど愚かではないか」と感じています。
確かに日本人にとっては、ここハワイでしか手に入らないブランドものの製品も多いですし、関税がかからないのも魅力です。しかし、巨大なセンターでショッピングに興じ、人でごった返す海で泳ぐだけのために、日本語の通じる便利なオアフ島だけで遊ぶなんて、その土地の文化を体感して味わいたい人間にとっては、あまりに無味乾燥で退屈でつまらないと思うのです。
確かにワイキキでなら、ハワイにいながら贅沢な日本食も味わうことができるし、甘すぎるだけのスウィーツ以外の、日本並みの高品質のスウィーツを楽しむこともできます。店員さんもあちらこちらで日本語がある程度は通じるので、そういう意味では、オアフ島は至れり尽くせりで気安いのです。便利さという点では、ちょうど、マウイ島が宮古島なら、オアフ島は沖縄本島のような感じでしょうか。
ただし、沖縄は地元の土着経済がまだ生きているので、本州より物価がはるかに安いです。それとは逆に、ハワイは白人やアジア系の人口・資本の流入が激しく、地元の土着経済はすでに壊滅しているので、そのためにかえってアメリカ本土より物価が高いという点は大きく異なります。
ハワイに来て、島の風景を車窓から見ていて不思議に感じることの一つは、マウイ島でもオアフ島でも、どこまで走っても、まったく畑(耕作地)が見当たらないということです。現地の人たちが牧場も畑もやっていないということは、地元ハワイ産の肉や野菜がないということです。聞いてみると、食糧はすべてアメリカ本土(メインランド)からの空輸だということでした。だから輸送費がかかる分、どうしても物価が高くなるのです。
さらに言えば、土着経済の解体は、持てる者と持たざる持たざる者との間に強烈な格差を生じ、地元のコミュニティ(共同体)を徹底的に解体していきます。こうしてハワイから、いつの間にか土着文化の濃厚な香りは消失してしまったのでしょう。その過程で、ハワイアン・スピリチュアルの伝統も、生きた日常生活の中ではすっかり霧散してしまったようです。
ここオアフ島では、ショッピングセンターの従業員・店員、ホテルマン、タクシードライバーなど、労働者のほとんどは移民のフィリピン人です。しかし、ワイキキの繁華街の道を、ゆっくりリヤカーを押して、廃品を拾い歩く、ボロを着たお爺さんやお婆さんのホームレスは、地元のハワイアンなのです。
この〝金臭い街〟〝遊び人の街〟のいったいどこに、古代からの叡智を引き継ぐ呪術師カフナが住んでいるというのでしょう。このハワイでは、摩天楼の最上階で、めくるめく「お金のパワー」をまざまざと感じることは出来ても、さらにより高いところで働く「神の力」を感じることは、もはやないでしょう。
摩天楼の上から、40年前とはすっかり様変わりしてしまったホノルルの街を見下ろしながら、もはや「金の力以外何も信じない」という人々の営みを、そこに感じています。昔は一般的だった伝統的な木の屋根の家は、ビルの谷間にほんの一部分、ひっそりと残っているだけで、それらの古い家も、改築する時、木製の屋根をつけることは、法律上禁止されているそうです。
ハワイでは全般的に物価が高いのですが、特に医療費とか電気代が高いのだと言います。またホノルルでは住宅が不足していて、ワイキキでは2LDKの家賃が月2000ドル(20万円)もするのだそうです。一生懸命働いても、みんな家賃に消えてしまうとぼやいている人も多いと聞きました。
ここホノルルは、本当に大都会です。お金さえ出せば、本当に美味しい日本食を食べることもできます。素材にも気を使っていて、沖縄の塩やモズク、和牛のステーキも食べられ、至れり尽くせりではあります。しかし、そんな店に入れるのは、お金にある程度余裕のある日本人だけです。
富裕層にとっては、ここは〝癒しの島〟なのでしょうが、一般の庶民にとっては、生活は苦しく、のんびりするどころではないと、みな口々に言います。しかし、そうやって頑張って稼いでいるのは、フィリピン人はじめ、働き者のアジア系の移民たちばかりです。
もともとお金がなくてものんびり気ままに生きていた地元のハワイアンの人々は、そのせかせかしないゆったりした性格がたたって、貧困層に甘んじ、ホームレスに身を落とす人も多いのです。もともと彼らは、常夏の穏やかな気候の島で、何不自由ない自給自足の生活を営んでいたのです。彼ら、カメハメハ大王、リリウオカラニ女王の末裔である土着のハワイアンの人々にとっては、このオアフ島は、白人に凌辱され尽くし、食い尽くされて、すでに破滅してしまった島なのかもしれません。
そして、ハワイの素晴らしい癒しの技術も、すっかり商業主義に汚れ果て、病める者からお金をむしり取る手段に堕落してしまったようです。
街を歩いていると、アジア系・白人に関わらず、肌の目立つところに大きく刺青を入れている若い男女の多さに驚きます。伝統的な日本人の感覚からすると、刺青を入れるのはやくざ者の証拠です。堅気の人で、刺青を入れようなどと考える人は、かつてはまずいませんでした。
だから、ハワイで刺青を入れた人をあちこちで見ると、アメリカ人は、みんな平気で肌を汚すんだなと感じます。しかし、彼らにしてみれば、「自分の身体なのだから、それをどう扱うのも自分の自由・勝手だ」というわけです。あるいは「度胸をつけるために」という人もいます。
沖縄でも、米兵の彼女になったり、結婚したりすると、アメリカの文化に他愛なく染まって、平気で肌を傷つける人がいます。そういう風に刺青を入れた肌をさらして、堂々と道を歩く若い日本女性を見ると、この国が、アメリカ文化によって、繰り返し陵辱されているように感じるのです。ハワイの場合には、さらに無残に感じます。ネイティブ・ハワイアンには、抵抗する術がなかったのです。
車窓からの風景を見ていて、ハワイの山々は、ともかく木が生えていません。なぜか、おおかた木を切り倒してしまって、むき出しの禿山になってしまっているところが多いのです。雨が少ない乾燥した気候のため、もともと木が少ないのかもしれません。マウイ島で聞くと、数年前に大きな山火事があって、山が全部焼けてしまったと言うのですが、どこまでが焼けた部分で、どこまでがもともと木が生えていなかったのか、あるいは以前に木を切り倒してしまった部分なのか、わたしには判然としません。
日本と違って、気候上、木の生育速度も違うでしょうし、森を〝神〟の宿る場所として大切にしたり、木そのものを〝御神木〟として敬う土着の風習は、今ではほとんど消滅しているようにも思えます。少なくともこの地で支配的な白人の価値観には、もともとそのようなスピリチュアルな感覚は皆無です。自然を徹底的に支配し管理するのが、支配階層の白人の好みの流儀です。地元の原種ではない木を一部に植え、あとはすべて刈り込んで芝生にするのです。このハワイの地では、すでに「神は死んでいる」のかもしれません。
オアフ島の街の中で働く人たちは、その振る舞いや声や表情が、自然な豊かな感情を失ったアンドロイドのように見えて仕方がありませんでした。
ただ、ハワイの空だけは本当に綺麗でした。湿度が低いせいか、常に空は澄み切っていて、信じられないほど雲が美しいのです。一つ一つの雲の形が、キャンパスにダイナミックに描かれているようで、それ自体が素晴らしいアートなのです。夜も星が地平線まで広がっていて、とても綺麗でした。この空の美しさだけは、40年前と少しも変わりません。
ホノルルのショッピング街は、本当に日本人観光客が多く、日本人の店員さんも多くて、「ここは本当に外国なのだろうか?」と首をかしげたくなるほどです。しかし、日本人がほとんど行かない有名な観光地が一箇所あります。それは真珠湾(パールハーバー)にある、アリゾナ・メモリアルを中心とするアメリカ海軍の博物館群です。
アリゾナ・メモリアルは、太平洋戦争の初戦で日本軍の真珠湾奇襲攻撃によって撃沈されたアメリカ海軍の戦艦アリゾナの錆びた骸の上に造られた、海上に浮かぶ軍艦の墓標のようなものです。同時にそこには、戦死したアリゾナの乗組員1177名の慰霊碑も作られています。毎年12.7に政府主催の追悼式が行われるこのメモリアルは、ある意味、アメリカにとっての〝靖国神社〟のようなものです。
さらに、その横には、太平洋戦争で、学童疎開船対馬丸をはじめ、多くの日本の船を沈め、「真珠湾の復讐者」と呼ばれた潜水艦ボウフィンが、展示されています。そして、もっとも有名な、あの戦艦ミズーリがあります。硫黄島・沖縄戦に参加し、日本の降伏文書の調印の舞台として使用され、その後、朝鮮戦争で使用され、さらに改装されて現役を続け、湾岸戦争でもトマホークを発射し、1992年に退役したこの殊勲の軍艦を、アメリカは、1998年にパールハーバーに停泊させて博物館としているのです。
『アリゾナからボウフィンを経てミズーリへ 』という博物館めぐり、それは、アメリカが描く、アメリカにとって都合のいい太平洋戦争の物語です。悲劇と屈辱の戦艦アリゾナから、栄光の戦艦ミズーリへというストーリーには、アメリカ人が優越意識をくすぐられるツボがいくつもあります。その上、極上のカタルシスを得られる気持ちの良い旅路となるのでしょう。
この真珠湾の博物館めぐりには、連日、早朝から多くのアメリカ人が長蛇の列を作る、人気の観光コースになっています。アメリカ人の他に、よくここを訪れるのは、戦争当時も今も、軍事的に密接なつながりを持つフィリピンの人々です。敷地内の施設の係員も、フィリピン人ばかりですし、観光客としても、館内ではアメリカ人の次に目立っています。あと目立つ外国人は中国人です。中国人が、この施設を訪れるのを好むのは、やはり、世界を牛耳る二大国として、アメリカとの当時の同盟関係を強く意識するようになっているのかもしれないし、江沢民の反日教育のせいもあるかもしれません。オバマの中国びいきも、大いに影響している気がします。
しかし、日本人としては、「アメリカは中国を助けるために参戦したのだ」という都合のいい説明には、「より多くの犠牲者を出さないために原爆を投下したのだ」という説明同様に、ぜんぜんなっとくできません。本当は、ルーズベルトは、太平洋方面にはまったく関心がなく、ただひたすらイギリスの要請に応えて、対独参戦する方法を模索していただけなのですから。
いずれにせよ、この場所は、日本人には複雑すぎる感情をいだかせるところです。わたしたち日本人は、いつまで〝戦勝国〟の面々に対して、小さくなっていなければならないのでしょうか。ホノルルでいちばんお金を落としているのは日本人です。それなのに、お金だけ使わされて、実は内心では軽んじられ、蔑まれているのです。
いろいろとハワイの文句ばかりを書き連ねてきました。ハワイを嫌いになりたくはないし、本当は好きになりたいのです。短い間でしたが、この旅の途中、素敵な出会いがいくつもありました。白人の悪口をたくさん言ってきた気もしますが、実は、本当に話が合う人は、白人に多いのです。人によりますが、本当に真面目な人、深い教養のある人、物事をいい加減には考えない人、丁寧に人と向き合える誠実な人は、日本人を除けば、白人にこそよく見られるからです。マウイ島のホテルのフロントにいたボストン出身の男性は、ケアリイの大親友と言っていましたが、とても素敵な人でした。
今回の旅の中で、白人よりも、むしろフィリピン人や日系人の方が、日本人に対して意地悪だったり、傲慢だったり、アメリカの威光をかさにきて威丈高になったりするのを見てきました。日本人を一番バカにするのは、実は日系二世や三世の人たちなのです。そのつっけんどんな態度の裏には、彼らの日本人としてのルーツに対する、複雑なコンプレックスが見え隠れしています。
しかし、その一方で、ひどいタガログ訛りのブロークンな英語で、タクシーを運転中、一生懸命、話してくれたフィリピン人のお爺さんもいました。「戦争の後、日本は貧乏で、フィリピンは豊かだった。でも、日本は教育が優れているから、今では成功している。逆にフィリピンは、教育がないからどうにもならない」と言っていました。
また、マウイ島では、優雅な宿泊施設で、贅沢で落ち着いた時間を過ごすことができました。それはとても貴重な体験でした。それに、この旅すべてが、わたしにとって、日頃味わうことのできないことを学べる大切な時間になりました。
それに、わずかな時間の経験で、わかったつもりになってはいけないと、考えてもいます。ハワイの島々、ハワイの人々、ハワイの文化を、たかだか数日間の滞在で、すべて理解したつもりになったり、簡単に判断できると過信したりしてはいけないとも思うのです。
しかし、それにしても現在、ハワイ語を、ネイティブとして、自在に話すことができるのは、ケアリイを含めて、ほんの数十人しかいないのだそうです。今、滅亡の危機にあるハワイ語とハワイ文化が、どうにか救われますように。そう願うのみです。
とは言え、沖縄の方言が失われ、歌が失われ、心が失われ、祈りが失われていくその先、開発が進み、観光化され、自然が失われ、すべてが人工物で覆われていくその先に、このハワイの現状があるような気がしてなりません。ここでは、人間がいきいきと楽しく生きていくことができません。いきいきしているのは、観光客だけです。住民は、ハワイアンも移民たちも、まるで世捨て人のように「どうしようもないから、仕方なく生きている」だけなのです。
生きる喜びを根っこから消失してしまった人々ばかりの無機質で乾燥した潤いのない世界、フィリップ・K・ディックの描くアンドロイドのような人々が歩き回る世界に、このわたしたちの地球が、今、静かに移行しつつあるのかもしれません。そして、内なるものに気を配る人々は、いよいよ少なくなっているという気もします。しかし、そんな世界で生きていかねばならないとしても、たとえどんなにささやかであっても、わたしは内なるともしびを見つめて生きていきたいと、改めて強く感じさせられた旅でした。