1945年の8月6日は、広島原爆投下の日、昨日8月9日は長崎原爆投下の日でした。
日本は唯一、実験ではなく、戦争の中で原子爆弾を使用された国です。その理由は何だったのでしょう。アメリカ政府の公式見解は「戦争を早く終わらせるため」でした。しかし、ドイツの教科書では、「都市の上空で原爆を炸裂させる人体実験だった」と書かれています。その証拠に、広島ではウラン型、長崎ではさらに威力の強いプルトニウム型が使用されました。それぞれに使用後のデータが欲しかったからです。
さらに言えば、有色人種に対する強烈な差別意識が、そうした非人道的実験を可能にしたことも明らかです。当時のアメリカでは、白人以外の有色人種は、白人と同じバスに乗ることも、同じトイレに入ることも、同じレストランに入ることもできませんでした。また、同じ公園で遊ぶことも、同じビーチで遊ぶこともできませんでした。もちろん選挙権も市民権も、有色人種にはありません。南部では学校も分かれていました。
ちょうど、南アフリカで1990年代まで続いたアパルトヘイト(人種隔離政策)と、なにも変わりない状況がそこにあったのです。そしてこの状況は、キング牧師らの努力で、1964年に公民権法が改正されるまで続いたのです。
そんな国で生まれ育ち、白人至上主義に骨の髄まで冒され、特権意識と優越意識に満ち満ちたアメリカ人が、日本に原爆を投下することへの〝痛み〟を感じたとは思えません。だから、ナチス・ドイツの科学者たちですら、悪魔の兵器として開発を拒絶した核兵器を、アメリカは嬉々として完成させ、無邪気に使用することができたのです。
下等人種の日本人は、おあつらえ向きの被験体でした。同じ敵国とは言え、ドイツは白人の国です。たとえ、ドイツが日本と同じくらい粘って降伏しなかったとしても、アメリカはフランクフルトやミュンヘンに原子爆弾を投下したでしょうか?
あれから68年の歳月が流れました。しかし、今に至るまで、アメリカの白人たちは、彼らの内面に色濃いアジア人への差別意識から、あれだけの非人道的無差別虐殺をしてのけたのだということを、認めようとはしません。そもそも、「アジア人に対して、自分たちが何をしたか」など、そんな瑣末なことに彼らは興味がないのです。
それどころか、当の我々日本人が、アメリカに対して、そのことを、一度たりとも、強気でしっかり突きつけられたためしがありません。「日本人は、世界で類を見ない残虐性を発揮したのだから、原爆を落とされても当然ではないか」と言われても、それに対して、しっかりした反論すらできないでいるのです。
オリバー・ストーンが、「わたしの出会った日本人は、皆、礼儀正しく親切なのに、どうして当時の日本人は、中国人・韓国人に対して、世界史上稀に見る鬼畜のような残忍な所業ができたのだ?」「まったくしっくりこない、解せないことだ。誰か、そのわけを教えて欲しい」と言っていましたが、その時も、彼にしっかり教えることのできる日本人は、その場にいなかったようです。
「日本人は、今も昔も、公共心厚く、心優しい民族です。肝心の部分では何も変わりはありません。『当時の日本人が、世界の他の民族より残虐だった』と言うのは、日本国内の左翼・中国・韓国による捏造、印象操作、イメージ創造の産物です。」と真実を伝えることはできませんでした。
そして「我々はあなた方アメリカ人と違って、slave system(奴隷制度)など持ったことはない。だから、『日本軍が中国人・韓国人の少女20万人をsex slave(性奴隷)にした』などという、悪意に満ちたとんでもないmyth(デマ)を信じないでいただきたい。」と、キッパリと中韓の嘘を正す絶好の機会をみすみす見逃したのです。
その時、オリバー・ストーンの周囲にいた日本人が、頑迷固陋の左派マスコミ関係者だけだったからです。本当に悔しい限りです。妄想の中で生きている人たちに何を聞いても、まともな返事が返ってくるわけがありません。まったくの時間の無駄というものです。
それからもう一つ、重要な事実があります。それは、「もしも日本が、当時すでに原爆開発に成功していたら、それを知っていてなお、それでもアメリカは日本に原爆を投下しただろうか?」ということです。
朝鮮戦争の時に、アメリカが北京に原爆を落とさなかったのは、スターリンが原爆を開発し次第、毛沢東にそれを渡すのが目に見えていたからです。だからマッカーサーは、北京への原爆投下を進言したことから、先が読めない愚か者と見做されて、トルーマンによって更迭され、日本を去ったのです。
イラクのフセインに関しては、二つの戦争を起して執念で滅ぼしたアメリカが、北朝鮮の金王朝の存続を許しているのは、北朝鮮がすでに核兵器を保有しているからです。その逆に、フセインが核兵器を持っていないことは、あらかじめわかっていました。
もちろんイラクは、アメリカの最大の同盟国イスラエルの敵でしたし、原油というめぼしい宝も持っていました。それに引き換え北朝鮮にはたいした資源もなく、その背後には、同盟国である中国が控えています。そして、中国という国は、カンボジアのポルポト政権の時がそうでしたが、どんなに極悪非道の政権であろうと、たとえ大虐殺を行おうと、いったん援助を始めた政権は、徹底して援助を続けるのです。
しかし、その一方で、中国の援助を受けることは、チベットやウイグルがそうであるように、最終的には中国に飲み込まれてしまう危険を冒すことでもあります。この不安こそが、北朝鮮が中国の核の傘の下に甘んじず、独自の核武装を行ったもう一つの理由だったのです。
およそ中国やロシアと国境や領海を接している国で、ある程度の力のある国であれば、独自の核武装を夢見ない国はないでしょう。カザフスタンやチベットやウイグルなど、どこの国においても、それは密かな悲願のはずです。韓国人などは、北朝鮮の保有する核兵器を、同胞のもつ核として自慢する人すらいます。「少なくとも、我が民族は丸腰ではない」と。
一方で、日本は、戦後ずっとアメリカの核の傘の下にいます。そして、守ってもらっている代償として、基地を差し出し、思いやり予算を献上し、地位協定に甘んじて、今日まで屈辱の中で暮らしてきました。我が国に核を落とした国の庇護下に甘んじてきたのです。
そういうプライドのなさが、アメリカに舐められる最大の理由なのです。戦後レジームを脱却すると言うのなら、まずはこのアメリカとの関係を対等のものとしなければなりません。それは簡単なことではありませんが。
特に今は、強烈な反日政権である習近平・朴槿恵(パク・クネ)政権のおかげで、史上最悪の対日感情を持つ二つの隣国と、領土問題で対峙しなければならなくなっている状況から、アメリカとの対決は非常に困難になってきています。
中国との対立を考えると、この深刻な状況で、憲法9条を維持しようというのが、そもそもナンセンスなのです。中国人の多くは、今現在、日本を「覇権主義」「軍国主義」の国と考えています。そして遅かれ早かれ日本との軍事衝突は免れないと考えています。そんな状況下で、軍隊を持たないなどという選択肢があり得るでしょうか。
もちろん、アメリカは中国との紛争など望んでいません。なので、尖閣で日中紛争が起きても、アメリカは中立の立場で調停に回るでしょう。その時、中国の国をあげての恐るべき宣伝力がものをいうのです。「すべての責任は日本側にある!」と彼らは主張するでしょう。そして、持てるあらゆる政治力と経済力を用いて、日本を潰しにかかってくるでしょう。アメリカの世論は、中国との友好を望み、日本を非難する論調が目立ってくるかもしれません。
その時、日本の世論はどのようなものになるでしょうか?
おそらくは「日本を脱出せよ!」といった論調が、増えてくるのではないでしょうか。戦争ということになれば、福島の放射能どころの話ではなくなってきます。「日本に核を落とせ!」という中国の世論も、現実味を帯びてくるでしょう。この国の人々にも、その脅威がより切迫感をもって迫ってくるに違いありません。
与えられるばかりで、自分から与えることを知らない今の日本の若者たちは、自分の都合だけを考えて、「大事をとって、日本を離れます」と言い始めるでしょう。その時に至って初めて、核の抑止力すら外国に頼っている、この国の悲しい現実が、ひしひしと感じられるようになるのです。
集団的自衛権など、実はたいした問題ではないのです。真の問題は、日本が本当の意味で独立を獲得できるかどうか、ということです。そうでなければ、憲法9条がどうしたとか、集団的自衛権を認めるとか、認めないとか議論したところで、実は何の意味もないのです。
かくも長い間、我々日本人は、ある者は中国との交流に夢や贖罪意識を持ち、またある者は隣国韓国への夢や親近感を抱き、さらに多くの者が、世界最強国家アメリカの圧倒的力に幻惑され、ヨーロッパ文明の巨大な光に飲み込まれて、自分を見失ってきました。そのように外の権威におもねるのは、自分に自信を持てないからでもあります。
しかし、本来、自分に自信のない者は、無理な虚勢を張っては、何度か丸裸にされてしまうような経験を経て、より謙虚になり、真摯に等身大の自分自身と向き合うことができるようになります。そして、己を知るにつれて、相手のことも客観的に的確に判断できるようになるものです。
ところが、現状ではそうはなっていません。欧米への強烈なコンプレックスと、その反動としての中途半端な見せかけのプライドが、内面の成長を妨げているのです。もちろん、韓国人ほど極端で節操がないわけではありませんが、我々日本人にも、往々にしてそういうところがあります。
南アのアパルトヘイトの時も、日本人は〝名誉白人〟として、唯一white onlyの場所に入ることを許されたことで、自らを「白人ではない、白人(名誉白人)」と位置づけ、白人のアジア人蔑視の視線から免れていると思い込んでいました。コンプレックスとプライドの奇妙に入り混じった尊大さが邪魔をして、等身大の自分を素直に認めようとしないのです。
それが我々の世界を見つめる目を曇らせ、核兵器の問題に関しても、まともに論じ合う機会を逸し続けています。「一身独立して一国独立す」と言ったのは福沢諭吉ですが、逆もまた真なりだと思うのです。「一国独立して一身独立す」ということもあるのではないでしょうか。
アメリカとの軍事同盟を将来見直さなければいけなくなった時、わたしたち日本人は弱肉強食の国際関係の中で、独立を維持できる力と意志を有しているでしょうか。そのことが、目下のところ、わたしの最大の関心事の一つです。しかし、どうしたことか、この問題の重大さを共感しあえる相手が、残念ながら今のところ、そう多くはいないのです。
「核兵器は廃絶すべき」
それはその通りです。ニュースの特集で流れる被爆者たちの声にも胸が痛みます。ただ、その一方で、わたしはマスコミの報道のあり方に、イライラがつのります。マスコミは、被爆者たちの声を、自分たちの都合のいいように利用しています。身勝手な価値観でガチガチに固めて、不誠実な報道をしています。それがわたしにはムカつくのです。
現実の世界は、いっこうに核兵器の廃絶には向かっておりません。そして、「9条があれば日本は決して戦争に巻き込まれない」と言い切れる状況でもありません。それなのに、日本のマスコミは、決してそうした日本を取り巻く深刻な国際情勢を、しっかり報道しようとはしません。
また例えば「日本人の歴史認識が問題だ」と、中韓は考えているとマスコミは繰り返ししつこく報道します。しかし、その一方で、「米中韓日台の歴史教科書の中で、もっとも客観的で公正な内容を有しているのは日本の教科書であり、もっとも偏向した独りよがりの歴史教科書は韓国・中国の教科書である」(スタンフォード大名誉教授ピーター・ドウズ)ことを、しっかり検証して大きく報道しようとはしません。
実際、韓国・中国のほとんどの教科書には、広島・長崎への原爆投下の記述がないのです。両国とも自分の国のことにしか興味がなく、歴史教科書が自国の立場のプロパガンダの手段になっているのです。そんな国々の人々が、歴史認識について語るというのは、どういうんでしょうね。なぜ日本のマスコミは、そういうことをまったく報道しないのでしょうか。
彼ら左派マスコミの価値観にとって、それはできれば国民に広めたくない〝不都合な真実〟だからです。またさらに、「世界中の国々の中で、中国と韓国だけが極端に日本のことを嫌っており、この二国だけが、歴史問題を叫び続けていること」(米世論調査)への疑問も、日本のマスコミは取材しようとはしません。そこからも、不都合な真実は見えてくるからです。
今、マスコミは、自分たちの活動が国の害にしかなっていないことに、一刻も早く気づかなければ、自ら滅びていく以外に道はないでしょう。それは学者たちも同じです。「企業の言いなりに論文を書かせて金儲けに利用する以外、大学教授たちにろくな使い道はない」ということが、遠からず国民の共通認識となるのです。
実際、日本のマスコミの日中関係に関する報道を、適切で公平だと感じている日本国民は、今現在、わずか25%しかいないのです。(第9回 日中世論調査)中国・韓国の学者やマスコミの質に比べたら、はるかにましとか、そんなことを言っている場合ではないはずです。
海外の華僑マスコミが、「日本は中国を軍国主義復活の道具に利用している」などと報じ、それを例によって国内左派マスコミがさも大層なことのように報道していますが、まったくナンセンスな話で、呆れかえった意味不明の世迷いごとと言わざるを得ません。
日本は唯一、実験ではなく、戦争の中で原子爆弾を使用された国です。その理由は何だったのでしょう。アメリカ政府の公式見解は「戦争を早く終わらせるため」でした。しかし、ドイツの教科書では、「都市の上空で原爆を炸裂させる人体実験だった」と書かれています。その証拠に、広島ではウラン型、長崎ではさらに威力の強いプルトニウム型が使用されました。それぞれに使用後のデータが欲しかったからです。
さらに言えば、有色人種に対する強烈な差別意識が、そうした非人道的実験を可能にしたことも明らかです。当時のアメリカでは、白人以外の有色人種は、白人と同じバスに乗ることも、同じトイレに入ることも、同じレストランに入ることもできませんでした。また、同じ公園で遊ぶことも、同じビーチで遊ぶこともできませんでした。もちろん選挙権も市民権も、有色人種にはありません。南部では学校も分かれていました。
ちょうど、南アフリカで1990年代まで続いたアパルトヘイト(人種隔離政策)と、なにも変わりない状況がそこにあったのです。そしてこの状況は、キング牧師らの努力で、1964年に公民権法が改正されるまで続いたのです。
そんな国で生まれ育ち、白人至上主義に骨の髄まで冒され、特権意識と優越意識に満ち満ちたアメリカ人が、日本に原爆を投下することへの〝痛み〟を感じたとは思えません。だから、ナチス・ドイツの科学者たちですら、悪魔の兵器として開発を拒絶した核兵器を、アメリカは嬉々として完成させ、無邪気に使用することができたのです。
下等人種の日本人は、おあつらえ向きの被験体でした。同じ敵国とは言え、ドイツは白人の国です。たとえ、ドイツが日本と同じくらい粘って降伏しなかったとしても、アメリカはフランクフルトやミュンヘンに原子爆弾を投下したでしょうか?
あれから68年の歳月が流れました。しかし、今に至るまで、アメリカの白人たちは、彼らの内面に色濃いアジア人への差別意識から、あれだけの非人道的無差別虐殺をしてのけたのだということを、認めようとはしません。そもそも、「アジア人に対して、自分たちが何をしたか」など、そんな瑣末なことに彼らは興味がないのです。
それどころか、当の我々日本人が、アメリカに対して、そのことを、一度たりとも、強気でしっかり突きつけられたためしがありません。「日本人は、世界で類を見ない残虐性を発揮したのだから、原爆を落とされても当然ではないか」と言われても、それに対して、しっかりした反論すらできないでいるのです。
オリバー・ストーンが、「わたしの出会った日本人は、皆、礼儀正しく親切なのに、どうして当時の日本人は、中国人・韓国人に対して、世界史上稀に見る鬼畜のような残忍な所業ができたのだ?」「まったくしっくりこない、解せないことだ。誰か、そのわけを教えて欲しい」と言っていましたが、その時も、彼にしっかり教えることのできる日本人は、その場にいなかったようです。
「日本人は、今も昔も、公共心厚く、心優しい民族です。肝心の部分では何も変わりはありません。『当時の日本人が、世界の他の民族より残虐だった』と言うのは、日本国内の左翼・中国・韓国による捏造、印象操作、イメージ創造の産物です。」と真実を伝えることはできませんでした。
そして「我々はあなた方アメリカ人と違って、slave system(奴隷制度)など持ったことはない。だから、『日本軍が中国人・韓国人の少女20万人をsex slave(性奴隷)にした』などという、悪意に満ちたとんでもないmyth(デマ)を信じないでいただきたい。」と、キッパリと中韓の嘘を正す絶好の機会をみすみす見逃したのです。
その時、オリバー・ストーンの周囲にいた日本人が、頑迷固陋の左派マスコミ関係者だけだったからです。本当に悔しい限りです。妄想の中で生きている人たちに何を聞いても、まともな返事が返ってくるわけがありません。まったくの時間の無駄というものです。
それからもう一つ、重要な事実があります。それは、「もしも日本が、当時すでに原爆開発に成功していたら、それを知っていてなお、それでもアメリカは日本に原爆を投下しただろうか?」ということです。
朝鮮戦争の時に、アメリカが北京に原爆を落とさなかったのは、スターリンが原爆を開発し次第、毛沢東にそれを渡すのが目に見えていたからです。だからマッカーサーは、北京への原爆投下を進言したことから、先が読めない愚か者と見做されて、トルーマンによって更迭され、日本を去ったのです。
イラクのフセインに関しては、二つの戦争を起して執念で滅ぼしたアメリカが、北朝鮮の金王朝の存続を許しているのは、北朝鮮がすでに核兵器を保有しているからです。その逆に、フセインが核兵器を持っていないことは、あらかじめわかっていました。
もちろんイラクは、アメリカの最大の同盟国イスラエルの敵でしたし、原油というめぼしい宝も持っていました。それに引き換え北朝鮮にはたいした資源もなく、その背後には、同盟国である中国が控えています。そして、中国という国は、カンボジアのポルポト政権の時がそうでしたが、どんなに極悪非道の政権であろうと、たとえ大虐殺を行おうと、いったん援助を始めた政権は、徹底して援助を続けるのです。
しかし、その一方で、中国の援助を受けることは、チベットやウイグルがそうであるように、最終的には中国に飲み込まれてしまう危険を冒すことでもあります。この不安こそが、北朝鮮が中国の核の傘の下に甘んじず、独自の核武装を行ったもう一つの理由だったのです。
およそ中国やロシアと国境や領海を接している国で、ある程度の力のある国であれば、独自の核武装を夢見ない国はないでしょう。カザフスタンやチベットやウイグルなど、どこの国においても、それは密かな悲願のはずです。韓国人などは、北朝鮮の保有する核兵器を、同胞のもつ核として自慢する人すらいます。「少なくとも、我が民族は丸腰ではない」と。
一方で、日本は、戦後ずっとアメリカの核の傘の下にいます。そして、守ってもらっている代償として、基地を差し出し、思いやり予算を献上し、地位協定に甘んじて、今日まで屈辱の中で暮らしてきました。我が国に核を落とした国の庇護下に甘んじてきたのです。
そういうプライドのなさが、アメリカに舐められる最大の理由なのです。戦後レジームを脱却すると言うのなら、まずはこのアメリカとの関係を対等のものとしなければなりません。それは簡単なことではありませんが。
特に今は、強烈な反日政権である習近平・朴槿恵(パク・クネ)政権のおかげで、史上最悪の対日感情を持つ二つの隣国と、領土問題で対峙しなければならなくなっている状況から、アメリカとの対決は非常に困難になってきています。
中国との対立を考えると、この深刻な状況で、憲法9条を維持しようというのが、そもそもナンセンスなのです。中国人の多くは、今現在、日本を「覇権主義」「軍国主義」の国と考えています。そして遅かれ早かれ日本との軍事衝突は免れないと考えています。そんな状況下で、軍隊を持たないなどという選択肢があり得るでしょうか。
もちろん、アメリカは中国との紛争など望んでいません。なので、尖閣で日中紛争が起きても、アメリカは中立の立場で調停に回るでしょう。その時、中国の国をあげての恐るべき宣伝力がものをいうのです。「すべての責任は日本側にある!」と彼らは主張するでしょう。そして、持てるあらゆる政治力と経済力を用いて、日本を潰しにかかってくるでしょう。アメリカの世論は、中国との友好を望み、日本を非難する論調が目立ってくるかもしれません。
その時、日本の世論はどのようなものになるでしょうか?
おそらくは「日本を脱出せよ!」といった論調が、増えてくるのではないでしょうか。戦争ということになれば、福島の放射能どころの話ではなくなってきます。「日本に核を落とせ!」という中国の世論も、現実味を帯びてくるでしょう。この国の人々にも、その脅威がより切迫感をもって迫ってくるに違いありません。
与えられるばかりで、自分から与えることを知らない今の日本の若者たちは、自分の都合だけを考えて、「大事をとって、日本を離れます」と言い始めるでしょう。その時に至って初めて、核の抑止力すら外国に頼っている、この国の悲しい現実が、ひしひしと感じられるようになるのです。
集団的自衛権など、実はたいした問題ではないのです。真の問題は、日本が本当の意味で独立を獲得できるかどうか、ということです。そうでなければ、憲法9条がどうしたとか、集団的自衛権を認めるとか、認めないとか議論したところで、実は何の意味もないのです。
かくも長い間、我々日本人は、ある者は中国との交流に夢や贖罪意識を持ち、またある者は隣国韓国への夢や親近感を抱き、さらに多くの者が、世界最強国家アメリカの圧倒的力に幻惑され、ヨーロッパ文明の巨大な光に飲み込まれて、自分を見失ってきました。そのように外の権威におもねるのは、自分に自信を持てないからでもあります。
しかし、本来、自分に自信のない者は、無理な虚勢を張っては、何度か丸裸にされてしまうような経験を経て、より謙虚になり、真摯に等身大の自分自身と向き合うことができるようになります。そして、己を知るにつれて、相手のことも客観的に的確に判断できるようになるものです。
ところが、現状ではそうはなっていません。欧米への強烈なコンプレックスと、その反動としての中途半端な見せかけのプライドが、内面の成長を妨げているのです。もちろん、韓国人ほど極端で節操がないわけではありませんが、我々日本人にも、往々にしてそういうところがあります。
南アのアパルトヘイトの時も、日本人は〝名誉白人〟として、唯一white onlyの場所に入ることを許されたことで、自らを「白人ではない、白人(名誉白人)」と位置づけ、白人のアジア人蔑視の視線から免れていると思い込んでいました。コンプレックスとプライドの奇妙に入り混じった尊大さが邪魔をして、等身大の自分を素直に認めようとしないのです。
それが我々の世界を見つめる目を曇らせ、核兵器の問題に関しても、まともに論じ合う機会を逸し続けています。「一身独立して一国独立す」と言ったのは福沢諭吉ですが、逆もまた真なりだと思うのです。「一国独立して一身独立す」ということもあるのではないでしょうか。
アメリカとの軍事同盟を将来見直さなければいけなくなった時、わたしたち日本人は弱肉強食の国際関係の中で、独立を維持できる力と意志を有しているでしょうか。そのことが、目下のところ、わたしの最大の関心事の一つです。しかし、どうしたことか、この問題の重大さを共感しあえる相手が、残念ながら今のところ、そう多くはいないのです。
「核兵器は廃絶すべき」
それはその通りです。ニュースの特集で流れる被爆者たちの声にも胸が痛みます。ただ、その一方で、わたしはマスコミの報道のあり方に、イライラがつのります。マスコミは、被爆者たちの声を、自分たちの都合のいいように利用しています。身勝手な価値観でガチガチに固めて、不誠実な報道をしています。それがわたしにはムカつくのです。
現実の世界は、いっこうに核兵器の廃絶には向かっておりません。そして、「9条があれば日本は決して戦争に巻き込まれない」と言い切れる状況でもありません。それなのに、日本のマスコミは、決してそうした日本を取り巻く深刻な国際情勢を、しっかり報道しようとはしません。
また例えば「日本人の歴史認識が問題だ」と、中韓は考えているとマスコミは繰り返ししつこく報道します。しかし、その一方で、「米中韓日台の歴史教科書の中で、もっとも客観的で公正な内容を有しているのは日本の教科書であり、もっとも偏向した独りよがりの歴史教科書は韓国・中国の教科書である」(スタンフォード大名誉教授ピーター・ドウズ)ことを、しっかり検証して大きく報道しようとはしません。
実際、韓国・中国のほとんどの教科書には、広島・長崎への原爆投下の記述がないのです。両国とも自分の国のことにしか興味がなく、歴史教科書が自国の立場のプロパガンダの手段になっているのです。そんな国々の人々が、歴史認識について語るというのは、どういうんでしょうね。なぜ日本のマスコミは、そういうことをまったく報道しないのでしょうか。
彼ら左派マスコミの価値観にとって、それはできれば国民に広めたくない〝不都合な真実〟だからです。またさらに、「世界中の国々の中で、中国と韓国だけが極端に日本のことを嫌っており、この二国だけが、歴史問題を叫び続けていること」(米世論調査)への疑問も、日本のマスコミは取材しようとはしません。そこからも、不都合な真実は見えてくるからです。
今、マスコミは、自分たちの活動が国の害にしかなっていないことに、一刻も早く気づかなければ、自ら滅びていく以外に道はないでしょう。それは学者たちも同じです。「企業の言いなりに論文を書かせて金儲けに利用する以外、大学教授たちにろくな使い道はない」ということが、遠からず国民の共通認識となるのです。
実際、日本のマスコミの日中関係に関する報道を、適切で公平だと感じている日本国民は、今現在、わずか25%しかいないのです。(第9回 日中世論調査)中国・韓国の学者やマスコミの質に比べたら、はるかにましとか、そんなことを言っている場合ではないはずです。
海外の華僑マスコミが、「日本は中国を軍国主義復活の道具に利用している」などと報じ、それを例によって国内左派マスコミがさも大層なことのように報道していますが、まったくナンセンスな話で、呆れかえった意味不明の世迷いごとと言わざるを得ません。