今日のわたしたちの文明は徹底した科学技術文明です。そのために「科学的根拠があること」を重視する傾向がますます強まっています。が、この〝科学的根拠〟にこだわる風潮が、わたしは最近とても鼻につくと思うようになりました。
例えば昨今のTPPの議論で、「日本の農産物の規制が世界一厳しいのは、輸入農産物に対する根拠のない排斥であり、一種の非関税障壁ではないか」というアメリカ側の主張が取り上げられています。この主張は、果たして正当と言えるのでしょうか?
もともとWTOは「正当な科学的根拠があれば、国際基準と異なる独自の基準を各国が定めることを認める」としています。しかし一方で、アメリカ側は「農産物へのポストハーベストの禁止や表示義務、残留農薬の基準値や食品添加物の認可数がアメリカの10分の1以下であること、さらに遺伝子組み換え農作物に関しても輸入禁止や表示義務が課せられていることなど、日本の厳しい食品安全基準は、正当な科学的な根拠を伴っていない」と非難しています。そして「真に科学的な根拠に基づいて、より適正で緩やかな基準に改正されるべきである」と主張しています。
しかし、そもそも「科学的根拠がなければ輸入品に規制ができない」となると、非常に厄介なことになります。と言うのも、例えば、脱法ハーブや遺伝子組み換え食品において、有害物質の認定が完全に後手後手に回っていることからわかるように、モンサントなどの巨大企業がその資金力にものを言わせて、各研究機関や議員たちに働きかけることによって、いくらでも法の抜け道を見つけられますし、法規制そのものを骨抜きにしてしまうこともできるからです。そのため、近い将来わたしたちは、他の国々同様に、農薬まみれの遺伝子改良作物を、その表示なしに購入させられることになるかもしれません。
実際「規制するなら科学的根拠を示せ!」という巨大企業側の主張は、現代の世界のこの危険な現状を野放しにすることにつながっているのです。1960年代の水俣病の公害裁判や2010年代の子宮頸癌ワクチンの副作用の検証でもわかるように、多くの場合、有害と考えられている物質が人体にどのような影響を与えるか、その因果関係を科学的に立証することはほとんど不可能だからです。
一方で、最近のタバコ産業のアジアへの進出は、欧米や日本に比べて「あまりに規制がないこと」によって促進されています。例えば、インドネシアでは喫煙に年齢制限すらなく、最近2歳の幼児が親に勧められてタバコをふかす映像がyoutubeにのって物議をかもしたように、一般の人々の間に、タバコは有害であるという認識がまったく広まっていません。
そのため、全世界にマールボロを売りまくることで、人類の肺がんの発生率を高めることに貢献してきたフィリップモリス社のような巨大企業が、その規制のなさに目を付けています。彼らは、その資金力にものを言わせて、徹底的なコマーシャル戦略を進めています。そして、主に若年層の取り込みを狙った宣伝〝Go A Head(さあ、タバコを吸おうぜ!)〟によって、インドネシアの若者の間に「タバコはかっこいい」というイメージを浸透させることに成功しているのです。
さらに、タバコ産業が膨大な雇用を生み出していることを理由として、この国では国会議員すらもタバコ産業擁護にまわっています。「たとえタバコによってたくさんの人が死んでいるとしても、タバコ産業は多くの雇用を生み出し、インドネシア経済を潤してくれている」と言うのです。
しかし「経済的な利益を鑑みて、科学的に根拠のない規制は行うべきではない」というインドネシア政府の明らかに誤った選択は、対岸の火事として簡単に片付けられない問題です。彼らタバコ産業関係者やインドネシアの政治家たちの主張は、そっくりまるごと日本の農産物への規制を非難するアメリカの主張そのものだからです。またそれは、日本国内のTPP推進派の論理でもあります。
わたしたちがこうした考え方に対して明確に対抗するために大切なことは、「科学的根拠があるということは、独自の規制を強めることを認めうる正当な理由の一つにすぎない」という価値観を確立し、それを新たに広めていくことです。殊に食品・医薬品・有害物質などに関しては「疑わしきは規制すべき」なのです。
また、モンサント社の種子のように、自家受粉した第二世代、第三世代が急激に劣化していくように調整されている種子の輸入を食い止められないとしたら、農家が目先の利益に目を眩まされて、永遠に種子の入手を企業に依存する構造を作るのに手を貸すことになります。「研究投資分を回収するためには、農家に種子を毎年買ってもらわないと採算が取れない」というのは、企業の論理としては正当に思えます。しかし、食糧生産者からすると、それは生命のサイクルを無視した大変理不尽なことと感じられます。ですから企業の論理を食糧生産に単純に当てはめて、安部首相のように「産業として強い農業を作ろう」と主張するのは、〝生きる〟という観点を無視した不自然な思考に基づいており、それを推進することは実はとても危険なことなのです。
わたしたちは、科学的根拠や実際的利益を絶対的な価値として信奉し、それらの価値を論理的かつ実証的に追求することを〝善〟とする社会に暮らしています。しかし今日、わたしたちが手にする〝科学的根拠〟は、相応の報酬に応えて働く職業科学者たちによって周到に用意され、企業や個人や特定の利益集団の〝実際的利益〟を確保するために徹底的に利用されています。その利益は、純粋に金銭的利益である場合もあれば、地位・名誉といった社会的ステイタスの獲得が絡む場合もあるでしょう。しかし、いずれにしても、その構図において、人を動かすモチベーションとして働いているのは〝欲望の方程式〟であり、いかなる〝善(倫理)〟や〝公共性〟とも、本質的には何の関係もありません。
それなのに己の利益のために規制緩和を進めたい人々が、ことさらに〝科学的根拠に基づいた適正な規制〟を主張するのを見ていると、とても腹立たしく感じます。それはちょうど、マールボロを吸っていて肺ガンになった人に対して、フィリップモリス社が賠償をする義務を一切認めないことに似ています。統計的な傾向は認めたとしても、個人の発病と喫煙との直接的な因果関係を、医学的に立証することは不可能である上に、「あらかじめ警告はしてある」と言うわけです。
「個人の判断で、自己責任で吸ってくれ」と言いながら、若年層にターゲットを絞ったお洒落なコマーシャルで、子どもたちにタバコに対する誤った〝爽やかなイメージ〟を与える企業戦略は、本当に邪悪なものです。そして、往々にして〝科学的根拠〟は、こうした企業や政府や個人による不当で悪質な行為を覆い隠すための〝隠れ蓑〟として利用されているものです。
例えばアンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子検査によって乳がんの発生率が87%と測定されたことから乳房切除を行い、卵巣がんの発生率が50%であることから卵巣摘出も予定していると報じられています。世界的に物議を醸している一方で、こうした決断はアメリカではさして珍しくないとも伝えられています。
遺伝子情報の解析に基づく予防手術は保険もききませんし、その後のケアも含めて多額のお金がかかります。また身体を切り開き、器官を切除することで、新たなダメージを身体に与えていることも確かです。現に乳房の感覚は一切喪失します。しかも将来にわたってそのダメージがどう身体に影響を広げていくか、誰にも予測はできません。そして、一番気になることは「この癌発生確率%が一体どのようにはじき出された数値なのか」ということです。
しかし、医療業界にとっては、遺伝子解析の広まりはビジネスチャンスを格段に広げていると言えるでしょう。この〝科学的根拠〟〝正確な情報(?)〟が人々に不安を与え、ついには大金を払ってでも自分の身体の切り開いてもらい、健康な身体の一部をえぐり取るように導くのです。
大麻解禁に関する議論についても、わたしは同様の危惧を感じています。確かに大麻はアルコールやタバコよりも常習性や依存性が低く、健康への害も小さいことが、医学的に証明されています。しかし、わたしはもともとアルコールもタバコも脱法ハーブもすべて禁止した方がいいと考えています。ここでなぜ今大麻まで解禁しなければならないのか、まったく意味がわかりません。「〝科学的にアルコールやタバコよりも害が少ないことがわかっている〟から解禁してよい」というのでは、納得できません。
教養があって裕福で悩みやストレスの少ない上流階級の人たちなら、適度に嗜むことができるかもしれません。しかし、貧困の中で悩みやストレスの多い生活をしている庶民にとっては、節度を持って使用するのは難しいでしょう。人間は弱いものです。たとえ深い教養を身に付けた人であっても、挫折してアルコール依存に陥る人もいます。脱法ハーブで気を紛らわせている人もいます。そういう常習・依存の深みから、自力で這い上がれる人は滅多にいないと思うのです。
オランダで20年前から解禁されているから、あるいはアメリカでは2012年12月からニューヨーク州とコロラド州で解禁されたからといって、それが日本においても正しい選択になるとは限りません。インフォームドコンセント(正しい情報を与えられた上での自己決定)が社会システムの中で定着しているオランダや、解禁しようがしまいが麻薬大国である上に、アイン・ランドの自由主義の思想がのさばるアメリカで解禁されているとしても、日本は断じて解禁すべきではないとわたしは思います。
例えば昨今のTPPの議論で、「日本の農産物の規制が世界一厳しいのは、輸入農産物に対する根拠のない排斥であり、一種の非関税障壁ではないか」というアメリカ側の主張が取り上げられています。この主張は、果たして正当と言えるのでしょうか?
もともとWTOは「正当な科学的根拠があれば、国際基準と異なる独自の基準を各国が定めることを認める」としています。しかし一方で、アメリカ側は「農産物へのポストハーベストの禁止や表示義務、残留農薬の基準値や食品添加物の認可数がアメリカの10分の1以下であること、さらに遺伝子組み換え農作物に関しても輸入禁止や表示義務が課せられていることなど、日本の厳しい食品安全基準は、正当な科学的な根拠を伴っていない」と非難しています。そして「真に科学的な根拠に基づいて、より適正で緩やかな基準に改正されるべきである」と主張しています。
しかし、そもそも「科学的根拠がなければ輸入品に規制ができない」となると、非常に厄介なことになります。と言うのも、例えば、脱法ハーブや遺伝子組み換え食品において、有害物質の認定が完全に後手後手に回っていることからわかるように、モンサントなどの巨大企業がその資金力にものを言わせて、各研究機関や議員たちに働きかけることによって、いくらでも法の抜け道を見つけられますし、法規制そのものを骨抜きにしてしまうこともできるからです。そのため、近い将来わたしたちは、他の国々同様に、農薬まみれの遺伝子改良作物を、その表示なしに購入させられることになるかもしれません。
実際「規制するなら科学的根拠を示せ!」という巨大企業側の主張は、現代の世界のこの危険な現状を野放しにすることにつながっているのです。1960年代の水俣病の公害裁判や2010年代の子宮頸癌ワクチンの副作用の検証でもわかるように、多くの場合、有害と考えられている物質が人体にどのような影響を与えるか、その因果関係を科学的に立証することはほとんど不可能だからです。
一方で、最近のタバコ産業のアジアへの進出は、欧米や日本に比べて「あまりに規制がないこと」によって促進されています。例えば、インドネシアでは喫煙に年齢制限すらなく、最近2歳の幼児が親に勧められてタバコをふかす映像がyoutubeにのって物議をかもしたように、一般の人々の間に、タバコは有害であるという認識がまったく広まっていません。
そのため、全世界にマールボロを売りまくることで、人類の肺がんの発生率を高めることに貢献してきたフィリップモリス社のような巨大企業が、その規制のなさに目を付けています。彼らは、その資金力にものを言わせて、徹底的なコマーシャル戦略を進めています。そして、主に若年層の取り込みを狙った宣伝〝Go A Head(さあ、タバコを吸おうぜ!)〟によって、インドネシアの若者の間に「タバコはかっこいい」というイメージを浸透させることに成功しているのです。
さらに、タバコ産業が膨大な雇用を生み出していることを理由として、この国では国会議員すらもタバコ産業擁護にまわっています。「たとえタバコによってたくさんの人が死んでいるとしても、タバコ産業は多くの雇用を生み出し、インドネシア経済を潤してくれている」と言うのです。
しかし「経済的な利益を鑑みて、科学的に根拠のない規制は行うべきではない」というインドネシア政府の明らかに誤った選択は、対岸の火事として簡単に片付けられない問題です。彼らタバコ産業関係者やインドネシアの政治家たちの主張は、そっくりまるごと日本の農産物への規制を非難するアメリカの主張そのものだからです。またそれは、日本国内のTPP推進派の論理でもあります。
わたしたちがこうした考え方に対して明確に対抗するために大切なことは、「科学的根拠があるということは、独自の規制を強めることを認めうる正当な理由の一つにすぎない」という価値観を確立し、それを新たに広めていくことです。殊に食品・医薬品・有害物質などに関しては「疑わしきは規制すべき」なのです。
また、モンサント社の種子のように、自家受粉した第二世代、第三世代が急激に劣化していくように調整されている種子の輸入を食い止められないとしたら、農家が目先の利益に目を眩まされて、永遠に種子の入手を企業に依存する構造を作るのに手を貸すことになります。「研究投資分を回収するためには、農家に種子を毎年買ってもらわないと採算が取れない」というのは、企業の論理としては正当に思えます。しかし、食糧生産者からすると、それは生命のサイクルを無視した大変理不尽なことと感じられます。ですから企業の論理を食糧生産に単純に当てはめて、安部首相のように「産業として強い農業を作ろう」と主張するのは、〝生きる〟という観点を無視した不自然な思考に基づいており、それを推進することは実はとても危険なことなのです。
わたしたちは、科学的根拠や実際的利益を絶対的な価値として信奉し、それらの価値を論理的かつ実証的に追求することを〝善〟とする社会に暮らしています。しかし今日、わたしたちが手にする〝科学的根拠〟は、相応の報酬に応えて働く職業科学者たちによって周到に用意され、企業や個人や特定の利益集団の〝実際的利益〟を確保するために徹底的に利用されています。その利益は、純粋に金銭的利益である場合もあれば、地位・名誉といった社会的ステイタスの獲得が絡む場合もあるでしょう。しかし、いずれにしても、その構図において、人を動かすモチベーションとして働いているのは〝欲望の方程式〟であり、いかなる〝善(倫理)〟や〝公共性〟とも、本質的には何の関係もありません。
それなのに己の利益のために規制緩和を進めたい人々が、ことさらに〝科学的根拠に基づいた適正な規制〟を主張するのを見ていると、とても腹立たしく感じます。それはちょうど、マールボロを吸っていて肺ガンになった人に対して、フィリップモリス社が賠償をする義務を一切認めないことに似ています。統計的な傾向は認めたとしても、個人の発病と喫煙との直接的な因果関係を、医学的に立証することは不可能である上に、「あらかじめ警告はしてある」と言うわけです。
「個人の判断で、自己責任で吸ってくれ」と言いながら、若年層にターゲットを絞ったお洒落なコマーシャルで、子どもたちにタバコに対する誤った〝爽やかなイメージ〟を与える企業戦略は、本当に邪悪なものです。そして、往々にして〝科学的根拠〟は、こうした企業や政府や個人による不当で悪質な行為を覆い隠すための〝隠れ蓑〟として利用されているものです。
例えばアンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子検査によって乳がんの発生率が87%と測定されたことから乳房切除を行い、卵巣がんの発生率が50%であることから卵巣摘出も予定していると報じられています。世界的に物議を醸している一方で、こうした決断はアメリカではさして珍しくないとも伝えられています。
遺伝子情報の解析に基づく予防手術は保険もききませんし、その後のケアも含めて多額のお金がかかります。また身体を切り開き、器官を切除することで、新たなダメージを身体に与えていることも確かです。現に乳房の感覚は一切喪失します。しかも将来にわたってそのダメージがどう身体に影響を広げていくか、誰にも予測はできません。そして、一番気になることは「この癌発生確率%が一体どのようにはじき出された数値なのか」ということです。
しかし、医療業界にとっては、遺伝子解析の広まりはビジネスチャンスを格段に広げていると言えるでしょう。この〝科学的根拠〟〝正確な情報(?)〟が人々に不安を与え、ついには大金を払ってでも自分の身体の切り開いてもらい、健康な身体の一部をえぐり取るように導くのです。
大麻解禁に関する議論についても、わたしは同様の危惧を感じています。確かに大麻はアルコールやタバコよりも常習性や依存性が低く、健康への害も小さいことが、医学的に証明されています。しかし、わたしはもともとアルコールもタバコも脱法ハーブもすべて禁止した方がいいと考えています。ここでなぜ今大麻まで解禁しなければならないのか、まったく意味がわかりません。「〝科学的にアルコールやタバコよりも害が少ないことがわかっている〟から解禁してよい」というのでは、納得できません。
教養があって裕福で悩みやストレスの少ない上流階級の人たちなら、適度に嗜むことができるかもしれません。しかし、貧困の中で悩みやストレスの多い生活をしている庶民にとっては、節度を持って使用するのは難しいでしょう。人間は弱いものです。たとえ深い教養を身に付けた人であっても、挫折してアルコール依存に陥る人もいます。脱法ハーブで気を紛らわせている人もいます。そういう常習・依存の深みから、自力で這い上がれる人は滅多にいないと思うのです。
オランダで20年前から解禁されているから、あるいはアメリカでは2012年12月からニューヨーク州とコロラド州で解禁されたからといって、それが日本においても正しい選択になるとは限りません。インフォームドコンセント(正しい情報を与えられた上での自己決定)が社会システムの中で定着しているオランダや、解禁しようがしまいが麻薬大国である上に、アイン・ランドの自由主義の思想がのさばるアメリカで解禁されているとしても、日本は断じて解禁すべきではないとわたしは思います。