浜田省吾さんの詩に関するコラムの第一弾です。

浜田省吾さんが数々のバラードで歌っている主要なテーマのひとつに、〝奪う愛〟〝壊す愛〟というものがあります。このような重苦しいテーマは、日本の他の作詞家が、まず手がけないものです。第一に、商業的に「売れそうもない」ですし、第二に、アーティストとして救いようのない暗いイメージが付きまとうようになる可能性もあります。しかし、それでも彼は、自分の作る曲の中で、繰り返し、この陰鬱なテーマを歌い続けています。
例えば、1981年のアルバム「愛の世代の前に」は、浜田省吾の最も商業的に成功したアルバムの一つですが、その中に収められている不倫をテーマにしたラブソング「陽のあたる場所」には、「奪うだけ奪い、何一つ君に、与えられない僕を、誰よりも許せずにいるのは僕さ」という歌詞があります。別に家庭を持っている男が感じている、彼女に対する拭いきれない〝負い目〟を、隠さず正直に歌っています。愛する人を深く傷つけてしまい、なんの償いもできない苦しさが、うまく表現されています。
それから、1982年のアルバム「PROMISED LAND」には、浜田さんの代表的バラードの一つ「愛しい人へ」が収録されています。愛の成就を歌ったプラスイメージのラブソングで、バラード集「SAND CASTLE」の 末尾を締める曲でもあります。その中で「愛は、いつも傷つくだけの、寂しがり屋のゲームだと、僕は、君を愛するまで、そう信じてた愚か者さ、一人ぼっちの」という歌詞があります。数ある彼のラブ・バラードの中でも、もっとも肯定的に愛を語っている、この曲の中にさえ、こんなかなりひねくれた詩があるのです。まだ「ヤマアラシのジレンマ」なんて専門用語も普及していなかった頃の歌です。
同じアルバム「PROMISED LAND」に、「パーキングメーターに気をつけろ!」という曲が収録されています。この歌では、自分をつれなく振った好きな女の子が、他の男と嬉しそうに腕を組み、街角を歩いていたのを見かけただけで、嵐のようなジェラシーに襲われ、帰り道にあとをつけて、彼女の背中にナイフを突き立ててしまう男の子が主人公です。「どうか彼女を助けて、俺のナイフが彼女の背に」「わからない、わからない、愛していた、それだけさ」という詞には、愛する者を、そのコントロールの効かない激情ゆえに、ナイフで滅多刺しにしてしまう、文字通りの〝殺す愛〟の光景(シーン)が描かれています。
そんなことを本当は望んでいないのに、結果的に愛する者を破壊してしまう、というのは、本人の気付いていない心の歪みのなせるわざです。この「自分では気づけない(自覚できない)」というところに悲劇があります。「押し寄せるわけのわからない苛立ちが、二人の心を引き裂き始めた。」「若すぎたのか、愛を探し出す前に、孤独な心、見つけた二人」(1982年「さよならスウィートホーム」)この曲でも、見えない運命の糸に操られるように、若い夫婦は破局へと突き進んでいきます。
「俺にはどこか心に欠けたところがあるのか、触れるすべてを壊しちまう。強さなのか、もろさなのかわからない。でも気づけば、大切なもの、すべて置き去りにして。」1986年のアルバム「J BOY」に収められている「悲しみの岸辺」という曲の詞です。この歌の中でも、自分自身の心の欠陥によって、周囲の人すべてを傷つけてしまうという、浜田さんが繰り返し歌い続けている〝壊す愛〟のテーマが歌われています。
さらに「まだ若く無防備な君の胸の小さな悲しみの種を育てたのは、この俺」「時をかけて償うこともできず、君が壊れていく」という強烈な無力感と絶望感を表現した歌もあります。これは1988年のアルバム「Father's Son」の中にあるバラード「LONG GOODBYE」の歌詞の一部です。ここでも彼は、自分の歪みによって、愛する者に決定的なダメージを与えてしまう〝奪い、壊す愛〟の焦燥感とジレンマを、ストレートに表現しています。
このような自分自身の人間性への疑いは、「愛というもの」の本質への疑いにリンクしていきます。自分を疑うか、愛を疑うか。でも、いずれにしても、その虚無的な本質にかわりはありません。「『これが〝愛〟なの?』と、俺に尋ねるのはやめてくれ。」(1986年「Lonely~愛という約束事」)
さらに、その虚無感は、この世に自分を繋ぎとめてくれる確かなものが何一つない、という死へ誘うかのような虚しさに通じます。「防波堤に打ち寄せて、砕ける波を見ていた。期待されて、裏切られて、信号が変わるのを待ってる。悲しいほど自由、防波堤の上。」(1981年「防波堤の上」)この詞では、どんなに声を枯らして訴えても、心が通じない人間の壁と、そこにぶち当たって崩れていく自分の想い、そして、もはや、気にかかる人が誰もいない、という究極の孤独と自由を描いています。
「さみしさが、何処からくるのか、わかるまで、さまようつもりなの?」(1981「モダンガール」)

そして、1990年のアルバム「誰がために鐘は鳴る」のラストを飾る「夏の終わり」では、そういう救いのない「壊れた愛」に見切りをつけて、一人ぼっちで逃避行へ旅立つ傷心の男の姿が描かれています。「もう誰の心も傷つけることなんてない、この車もギターも売り払い、海辺の街、潮風と波の音を枕に一人暮らそう。残されたわずかな時、一人静かに暮らそう。」ここでは、周囲の人間との深い関わりを完全に諦めてしまった世捨て人の感覚が表現されています。
確かに、自分が〝奪っている〟という自覚、そして〝壊してしまう〟かもしれないという畏れを持つのは、人としてとても大切な感覚です。世の中の人の大半は、その自覚すらありません。しかし、その痛みを伴う自覚だけでは、遅かれ早かれ、自分にも他人にも絶望してしまいます。苦しみだけを糧にしては、人は生きていくことができないのです。
例えば、同じ1990年に作られた、あまりにも苦しい気持ちを歌ったバラード「太陽の下へ」には、こんな歌詞があります。「痛みを死が断ち切るまで、二人、何を償い続けるの?」「What is love?(いったい愛って何なの?)」
互いに傷つけあった後に、永遠の痛みだけが残るのでは、せつなすぎます。人生には、その痛みと苦しみに見合うだけの喜びが必要なのです。そして人は、ハートから湧き出す真の喜びを求めて、心の旅を続けます。
「家を飛び出し、街をさまよい、恋に落ち、同じような家を手にした。わからないよ、今も何を求めて、この心さまようのか。」1984年のアルバム「Down By The Mainstreet」に収められている「Silence」の歌詞です。ここで書かれているように、真実の喜びを手に入れるのは、今の日本社会では、なかなか難しいことのようです。自分が何を求めているのかさえわからず、みな、さまよっているのではないでしょうか。
「君のぬくもり、それだけでいい、愛にたどりつけなくても。」(1979年「朝のシルエット」)寂しさと詫びしさから、せめて一時のぬくもりを求めて、互いに寄り添ってはみても、それすらも長続きはしません。
「どこへ行くのか、誰に会うのか、知らない。/名前を聞いた。そのとき初めてSmile on me、眩しそうに。/愛と名付けるには暗く激しすぎて、奪っても満たしきれない。」(1986年「Breathless Love」)そこには、けっして互いに心が溶けあうことがない、互いに貪り合うだけの、かりそめの刹那的な関係しかありません。
「『海が見えたら、起こしてあげるから、もう少し眠りなよ、ラジオを消して。』サイドシートに話しかけてみる、そこには誰もいないのに。」(1990年「サイドシートの影」)孤独の影は深く色濃く、寄り添う魂は、自分自身の〝影〟だけです。
「戦い疲れた兵士が、今、帰ってきたよ、帰ってきたよ。」1982年のアルバム「PROMISED LAND」の中の「凱旋門」にある印象的なフレーズです。癒しと救いを求めて、人はさまよい、自分を受け止めてくれる何者かの胸に抱かれることを願って、帰るべき場所を求め続けるのです。この曲は、ある意味では、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」と対になる歌です。
そして、やはり同じ、1982年のアルバム「PROMISED LAND」に収録されているバラード「ロマンスブルー」に「君の無邪気だった笑顔は消えたけど、その眼差しは深く優しい」という詞があります。〝深く優しい眼差し〟には、苦しみや悲しみを経て磨かれた魂の深みが映し出されています。彼女が、彼のすべてを理解し、許していることを、この歌詞は暗示しています。
〝傷つける者〟としての罪を深く自覚できた後には、聖母のような〝無条件に受け止める愛〟そしてイエスのような〝許しの愛〟を与えられなければ、人は生きていくことができないのです。浜田省吾のバラードも、究極においては、その無条件の愛へと向かっていきます。
人を許せないのは、自分自身許されていると感じることができないでいるからです。罪の自覚と、理解され許されている喜びと感謝、この二つは、人の精神に同時にもたらされるのです。ちょうど「罪と罰」の主人公の心に、物語のラストでその覚醒が訪れたように。ただ、残念ながら、その解放と至福と覚醒の瞬間のインスピレーションを見事に表現した浜田省吾の歌を、わたしは思い浮かべることができません。これが日本社会の現状をあらわしているのでしょうか。
誰も人を許さない。誰も人を信じない。都合が悪くなったら、何の躊躇もなく、関係を一瞬で断ち切るだけ。絆なんてどこにもない。齢をいくら重ねても、未だ幼くて悲しみを知らず、人を思いやる気持ちなどかけらもない。心が育たない。そんな社会です。
とは言うものの、わたしは1990年のアルバム「誰がために鐘は鳴る」までの浜田さんの歌しか知らないのです。ですから、もしかしたら、それ以降の歌の中に、〝その瞬間〟は表現されているのかもしれません。
「はじめて出会った日から、何かが違ってた。心の奥に悲しみに似た何かが育っていくよ。」(1990「夜は優し」)

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