最近、沖縄には多くの内地からの〝漂流者〟が訪れ、うろうろさまよったり、住みついたりしています。
ここで言う〝漂流者〟は、途上国の経済難民のような、困窮して流れてくる人たちのことではありません。多少はそういう人もいるとは思います。沖縄は冬でも暖かいし、たとえ見知らぬ人でも困っている人はほっとかないので、ホームレスにとっては過ごしやすいからです。しかし、最近目立つのは、むしろ経済的には余裕のある人たちが、住み慣れたはずの地元を離れてやって来る、精神的な漂流者の方なのです。
彼らは一様に、孤独で頼る人もなく、寂しげで寄る辺ない様子をしています。それなりに財産もあり、経済的には何の不安もないのに、なぜひとりぼっちでさまよっているのでしょうか。聞いてみると、それぞれに事情はあるのです。
母親が癌で病院から見離されたのだと、なぜか沖縄に来てホテルに滞在を続けている母と息子。以前旅行で来た時に、食事をした食堂の女将さんとのふれあいが忘れられず、今回絶望の淵に落とされた時、なぜか顔が浮かんで、頼ってきたというのです。
あるいは年老いた母親を連れて沖縄に移り住んだ独身の女性がいます。気候のいい沖縄で母親の介護を続けるのだそうです。
他にもたくさんの人たちがやって来ますが、一つの特徴として、経済的に裕福ではあっても、頼ったり相談のできる信頼できる親族や友だちのいない〝さみしい人たち〟であるということがあります。昨今は、たとえ身近な人であっても、本当に困っている人に手を差し伸べようと 〝振り向かない〟時代です。みんな〝ひとりぼっち〟なのです。

そして、彼ら〝漂流者〟のもう一つの特色は、他人の内面への関心がないことです。ディックの言うところの〝共感力〟に欠けると言ってもいいでしょう。恐らくは、世の中全体において、他者の内面に興味を持たない風潮が強くなっているために、そうなってしまうのであって、彼らは決して特別異常というわけではないのでしょう。
しかし、他人の内面への理解がまるで及ばないもの同士の間では、深いコミュニケーションは成り立ちません。ですからどうしても人間関係は、薄っぺらなものになってしまいます。ディックの言う〝アンドロイド(共感能力の欠落した人々)〟の社会ですね。
日本企業が、技術も蓄積も個々の才能も抜きん出たものを保持していながら、なぜ中国や韓国など他国の企業にいいようにしてやられるのか。それは、今までのストック(蓄積)を利用して、しっかりしたマネジメント(運営)のできる人材が、圧倒的に不足しているからです。アンドロイドには、人間社会でのまともなマネジメントは不可能だということです。
人は機械ではないので、誰しも本当は〝互いに支え、支えられる〟ことを望んでいます。今、最も必要とされているマネジメントは、そうした〝人を活かし、救う〟空間の創造です。そのために先ず必要なことは、「誰かのために何が出来るのだろうか」という発想です。また、それを考えるためには、「この人は何を心底求めているのか」をキャッチする感情移入能力が不可欠です。ところが、この能力が、人々の間で余りにも乏しいところに、今の世の不幸があります。
他者の心の内を想像する能力がないので、他者の内面への興味も関心もないということなのでしょうか。それとも関心がないので、能力も育っていないのでしょうか。ともかくひどいことになっています。

逆に、少数の「人を生かす」マネジメント能力を持つ、共感力の豊かな人のところには、あえて当人が稼ごうと思わなくとも、幾らでもお金は集まってきます。支えられたい人、救われたい人はたくさんいるからです。しかし、紛い物ではだめです。
新興宗教、スピリチュアルヒーリング、心理カウンセリング、心療内科などが、今そうしたニーズに対して寡占状態にあります。たくさんのお金が、そこで使われています。
でも、それらの商売のうち、いったいどこに本物があるのでしょう。本来〝人を生かす〟マネジメントは、お金に換算することが不可能です。救いを求める他者と、どこまでも関わり合う勇気と決断と信仰に支えられた世界だからです。そうでなくてどうして人に寄り添えるでしょう。
ところが偽物の世界では、その換算があたかも可能なように取り扱われています。お布施の額が、信者のステイタスになる新興宗教。60分いくらで〝癒し〟を提供するスピリチュアルヒーリング。週一回30分いくらのカウンセリングで悩みの解決を助けようという心理カウンセリング。患者の悩みを聞くことを拒絶し、ただ診断して薬を出すだけの心療内科の医師。皮肉なことに、一般に資格のしっかりしたものほど、マネジメントのお金への換算はあからさまなものになります。
そんな世間の〝一般常識〟に慣らされて、今やあなたは、すべての「ありがとう」を、残らず〝お金〟にすり替えてはいないでしょうか?
言い換えれば、自分を支えてくれている他者を理解し、他者に感謝するというプロセスを、お金でかたをつけることによって、都合よく省いてはいないでしょうか?
もし、あなたがそういう自己本位な生き方をしているなら、そんな人間を誰が心から支えたいと思うでしょう。あなたが本物の〝支え(マネジメント)〟を見つけたいなら、まずあなた自身が本物の〝感謝(共感)〟を知らなければなりません。
ところが情けないことに、他者への共感力と理解力に乏しい現代人には、何が〝本物のマネジメント(他者の真実の心)〟なのかを見分ける判断力すらないのです。ですから、最終的には何も信じられなくなり、怯えて殻にこもるしかなくなります。人を信じず、お金だけを握りしめて、です。結局は、そういう人が〝漂流者〟となっているのです。

今の世では「『世のため、人のため』などと言うのは、すべて〝嘘〟なんだ」「人のことを心から思うなんて、現実にはない、きれいごとの建前にすぎないんだ」と、多くの大人たちが信じており、子どもにもそう教育しています。
だから今の子どもは説教が耐えられません。「勉強しなさい」と言う大人が、自分のためを思って諭してくれていると、信じていないからです。無理もありません。説教している大人自身が、子どものためにしているわけではないと、たいていは自分が安心し、満足したいからだと知っているのですから。
また、一番厄介なのは、〝人の心〟を信じていないのに、表面上信じているふりが上手な人たちです。特に団塊の世代の人たちに多いですね。中には凝り固まってしまって、煮ても焼いても食えない人たちもいます。行動や目に見える事実によって裏付けられない〝心〟など、まったく無視して歯牙にもかけない人たちです。彼らは自分が正しいと頭から信じ込んでいて、他人の言葉を一切聞かないのです。
こうした根っからの唯物論者で、目に見えない一切のものを軽んずる人たちの中には、彼ら自身、本当は心の深いところで全く信じていないことを、意識の浅瀬では信じていると都合よく思い込んでいる場合があります。例えば〝人の心にある深い他者への思いやり〟など本当は信じていないのに、ある場面(たいていは人が自分によくしてくれている間)では、それを信じているかのように自分に都合よく思い込むのです。
あるいは、人の感謝も思いやりも信じていないのに、それを〝きれいごと〟としてしゃあしゃあと演説する、大嘘つきの恥知らずもいます。「わたしはあなたのご厚意にとても感謝しています」と言いながら「これはギブアンドテイクの関係ですよね」と暗に念を押している場合もあります。
誤解を恐れずに言えば、彼らこそが、この国を滅ぼす悪性の〝癌〟なのです。
角田美代子被告の事件のような信じられない悪夢のような事件が、次々と起こってくる時代です。世の中に悪がはびこるのは、誰も正義の存在を信じていないからです。神も仏も霊も心も信じない人々が、みんなでよってたかって、この社会の姿を悪夢そのものへと変貌させているのです。

手遅れになる前に「人間が幸福に生きられる社会を作るために、あなたに何ができるのか」が問われているのに、みみっちく「自分のことだけ考えなさい」と親も教師も教えています。それでは『姑息で自己中心的な人間になりなさい』と教えているようなものです。
受験勉強のあり方など、その最たるものです。よく「世の中のことや、人生について思い悩むのは、受験が終わってからにしなさい」「人のことはいいから、今は自分のことだけやりなさい」と言う親がいますね。そんな精神で、これからの世の中、子どもが人生の成功を勝ち得ることができると本当に思っているのでしょうか?
子どもに良かれと思って、そんな下品な教育をしているなら、それこそ、大きな勘違いというものです。これからの教育は、「どうしたら他者を支えられるのか」「どうしたら人を救えるのか」を一心に考えなさい、という〝大きな生〟へ向かう教えでなければなりません。そして、何よりも大人自身がそのように生きることができなければなりません。そうでなければ、一億総〝漂流者〟化を食い止めることはできないでしょう。
また、そうした〝大きな自己実現への道〟を追求することが、スピリチュアル(霊的・精神的)な生き方の本質でもあります。オーラソーマもバッチ・フラワーレメディーも、そのためにあると言って過言ではありません。
ですから、先に例にあげたような身勝手な親が、オーラソーマやバッチレメディーを学んだとしても、表面的な意味のない知識を得ただけで、何の役にもたちはしません。本質を何も学んでいないからです。
人間とは、本当に弱くて他愛なく、脆くて儚い存在です。だからこそ、わたしたち人間は、祈りの中でしか、生の本質に向き合うことができないのです。
以前にもどこかで引用したとは思うのですが、最後にディックの遺したわたしの大好きな一節を記して、このコラムを終ります。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という悪夢のような小説、今思うと、現実のこの世界の悪夢のような側面を見事に描き切った作品の序文として掲載されている主人公の独白です。ディックは、この文章を自分自身の信仰告白であると、別のインタヴューで述べています。

つまりこうなんだ結局。人間が塵から作られたことを、諸君はよく考えてみなくちゃいかん。たしかに、元がこれではたかが知れとるし、それを忘れるべきじゃない。しかしだな、そんな惨めな出だしのわりに、人間はまずまずうまくやってきたじゃないか。だから、われわれがいま直面しているこのひどい状況も、きっと切り抜けられるというのが、わたしの個人的信念だ。わかるか?