幼い頃から、わたしには、世界はとても寂しいところに見えていました。
どんなに想っているつもりでも、心の底ではどこか冷めている自分がいました。
なぜ、こんな風に心の中が冷たいのだろうと、いつも自分のことが嫌でした。
それから、人生の紆余曲折の中で、大切な出会いがあり、
やがて暖かいものが、わたしに注がれるようになりました。
わたしは分かち合うことと、感謝することと、愛することと、祈ることを知りました。
そうして、今になって分かるのです。
あの頃のわたしは、
感謝することも、愛することも、祈ることも知らなかったのだ、ということを。
そして、幼い頃からわたしが、世界を見つめてどんな風に感じていたのか、
今ならもっとよく表現できるような気がするのです。
当時心の奥底に在ったはずの、言葉にならなかった本当の気持ちを、
今のわたしが言葉にしたなら、こんな風になるかもしれません。
こんなにも愛の少ない世界で、なぜ人は生きているのだろう。
どうして、相手を想うことを知らない人たちに向かって、
無理して笑いかけなければならないのだろう。
いつまで、本当はわたしのことなど、何とも思っていない人たちの中で、
平気なふりをして過ごさなければならないのだろう、と。
あの頃のわたしは、きっとそんな風に感じていたのです。
それが、どうしてはっきり分かるのかというと…。
今もわたしは、何処へ行っても、同じように感じているからです。
やっと差し出すことができた、わたしのなけなしの思いやりや友情は、
素っ気なくどぶに打ち捨てられてしまいます。
この世の中、どっちを向いても、ショックの連続です。
何をこんなに、愛も信頼もない世界で、わたしたちはもがいているのだろう。
なぜ、みんなこんな状態に我慢していられるのだろう。
一生懸命這い上がろうと努力したって、一体どこにたどり着けるというのだろう。
日々の暮らしの中で、悲哀と寂しさと虚しさを感じずにはいられません。
そんな日常的な裏切りの数々に見舞われて、
幼い子供なら、なおさら深く傷ついたでしょう。
ゆっくりと深いトラウマが、無意識の領域にまで、刻まれていったかもしれません。
何も信じられず、希望も喜びもありません。
見渡せば何処までも、人のことをかえりみない人間たちの、
寂しい世界が広がっているだけなのですから。
ただ、今は、その寂しい世界を見つめる気持ちの奥に、
強烈な焦燥感や無力感が湧いてくるのです。
こんなところで、年老いて死にたくはない。
虚しいものはすべて後ろに振り捨てて、はやく旅立たなければいけない、と思うのです。
でも一体どこへ?
目の前には、何処までも寂しい世界が広がっているだけなのに。
互いに受け止め合うことを知らない人々の中で、
わたしの愛と祈りは、どこへ向けたらよいのでしょう。
何処かにあるのでしょうか。
ざわめきのない落ち着きの中、この想いを鎮めることのできる土地が。
何処かにいるのでしょうか。
余裕のないせかせか忙しい人たちでなく、この想いを黙って分かち合うことのできる人々が。
どんなに想っているつもりでも、心の底ではどこか冷めている自分がいました。
なぜ、こんな風に心の中が冷たいのだろうと、いつも自分のことが嫌でした。
それから、人生の紆余曲折の中で、大切な出会いがあり、
やがて暖かいものが、わたしに注がれるようになりました。
わたしは分かち合うことと、感謝することと、愛することと、祈ることを知りました。
そうして、今になって分かるのです。
あの頃のわたしは、
感謝することも、愛することも、祈ることも知らなかったのだ、ということを。
そして、幼い頃からわたしが、世界を見つめてどんな風に感じていたのか、
今ならもっとよく表現できるような気がするのです。
当時心の奥底に在ったはずの、言葉にならなかった本当の気持ちを、
今のわたしが言葉にしたなら、こんな風になるかもしれません。
こんなにも愛の少ない世界で、なぜ人は生きているのだろう。
どうして、相手を想うことを知らない人たちに向かって、
無理して笑いかけなければならないのだろう。
いつまで、本当はわたしのことなど、何とも思っていない人たちの中で、
平気なふりをして過ごさなければならないのだろう、と。
あの頃のわたしは、きっとそんな風に感じていたのです。
それが、どうしてはっきり分かるのかというと…。
今もわたしは、何処へ行っても、同じように感じているからです。
やっと差し出すことができた、わたしのなけなしの思いやりや友情は、
素っ気なくどぶに打ち捨てられてしまいます。
この世の中、どっちを向いても、ショックの連続です。
何をこんなに、愛も信頼もない世界で、わたしたちはもがいているのだろう。
なぜ、みんなこんな状態に我慢していられるのだろう。
一生懸命這い上がろうと努力したって、一体どこにたどり着けるというのだろう。
日々の暮らしの中で、悲哀と寂しさと虚しさを感じずにはいられません。
そんな日常的な裏切りの数々に見舞われて、
幼い子供なら、なおさら深く傷ついたでしょう。
ゆっくりと深いトラウマが、無意識の領域にまで、刻まれていったかもしれません。
何も信じられず、希望も喜びもありません。
見渡せば何処までも、人のことをかえりみない人間たちの、
寂しい世界が広がっているだけなのですから。
ただ、今は、その寂しい世界を見つめる気持ちの奥に、
強烈な焦燥感や無力感が湧いてくるのです。
こんなところで、年老いて死にたくはない。
虚しいものはすべて後ろに振り捨てて、はやく旅立たなければいけない、と思うのです。
でも一体どこへ?
目の前には、何処までも寂しい世界が広がっているだけなのに。
互いに受け止め合うことを知らない人々の中で、
わたしの愛と祈りは、どこへ向けたらよいのでしょう。
何処かにあるのでしょうか。
ざわめきのない落ち着きの中、この想いを鎮めることのできる土地が。
何処かにいるのでしょうか。
余裕のないせかせか忙しい人たちでなく、この想いを黙って分かち合うことのできる人々が。