2012年9月15・16日、昨日・今日と、中国全土の100以上の都市で、戦後最大の反日デモが吹き荒れました。彼ら若いデモ隊の姿は、まるで1960年代の紅衛兵のようです。
「すべてを破壊せよ!破壊から建設は始まる!」と呼びかける毛沢東の言葉に応じて、残虐行為をエスカレートさせ、縦横無尽に破壊しつづけた「文化大革命」当時の若者たちと、習近平の思惑に乗って無法を繰り返す「反日デモ」の若者たちの姿は、驚くほどよく似ているように思えます。
最初は面白半分で、やがて激情に駆られながら自動車を叩き壊し、デパートが廃墟になるまで破壊と略奪の限りを尽くし、椅子を積み上げて火をつける。その姿は気味の悪いほどに、文革の野蛮な破壊活動のデジャヴです。(と言っても、わたしの脳裏の映像は、ワイルドスワンを読んだり、当時の体験を証言する中国の人々のドキュメントを見て培われたものに過ぎませんが…)
今回の反日デモの主体は、10代・20代・30代初めまでの若者たちです。1980年代以降に生まれたこの若者たちは、一人っ子政策のおかげでろくな躾も受けず、甘やかされ放題に甘やかされ、おまけに1990年代に凶悪化した、江沢民の反日教育だけはみっちり受けて育った世代です。自己中心的で唯物的・即物的な思考に冒され、忍耐力がなく未熟で限度を知らない子供たちです。
その彼らに対して、中国の武装警察は「君たちの愛国心は十分わかった」などと、なだめることしか出来ず、彼らが調子に乗って面白半分に自動車を叩き壊すのを黙って見ているのです。武装警察の消極性の背後には、政府中枢を牛耳ろうとしている習近平の意向が働いていることは間違いありません。事実、警察学校の生徒がデモに参加するように学校側に命じられた、などの証言が出てきており、「官制デモ」としての習近平の画策が明るみに出つつあります。
今回、デモ隊の一部が毛沢東の肖像を掲げていたのが印象的です。毛沢東信奉者である習近平が喜びそうな風景です。毛沢東は現在の中国では建国の父として偶像化されています。その路線を敷いたのが、天安門事件以降の江沢民の歴史教育でした。
しかし、実際には『闘争に次ぐ闘争、終わりなき闘争』こそが毛沢東の望みでした。かつてMAOは、中国全土に10年に渡るこの世の地獄を現出しました。馬鹿な若者たちは、自分たちが何者の肖像を掲げているのかも、本当はわかってはいないのです。あるいは恐ろしいことに、分かっていてワザと毛沢東崇拝の態度を表明しているのかもしれません。だとしたら彼らは、江沢民・習近平の息のかかった保守派の工作員です。
もしも武装警察が秩序の維持を最優先し、あくまで厳しく取り締まる態度を見せていたら、デモの若者たちは、あっという間に逃げ去っていたでしょう。若者たちの多くは、本気で取り締まろうとする警察と争う根性・信念を持ち合わせているようには見えませんでした。しかし、公安警察・武装警察は、ほとんどの都市で本気では狼藉を止めようとはしませんでした。略奪者たちの前でボーッと突っ立っているだけです。そのことからも政府のデモ容認の姿勢は明らかです。
若者たちの叫びは「尖閣は我々のものだ!小日本に宣戦布告せよ!小日本を打倒せよ!日本に核を落とせ!」でした。そして彼らは、青島、深圳、広州、北京などで日の丸を焼き、日系デパートや工場などで破壊と略奪の限りを尽くしました。各地の日本企業の損失は数百億円にのぼると見られます。ところが警察は、彼ら暴徒に「君たちの心情はわかる」と呼びかけていたのです。
若者たちのこうした〝恥知らずな犯罪的行為〟の数々は、かの国の法律では取り締まり対象にはならないようです。それが「愛国無罪」の実態です。かつての毛沢東による〝狼藉お墨付き〟である「造反有理」と何の違いもありはしません。
温家宝首相は「この国には文化大革命の愚行を再び犯そうとしている勢力がある」と述べていますが、その黒幕こそが保守派毛沢東主義の江沢民と習近平なのです。
よく「中国での反日デモは、形を変えた反政府デモだ」という分析を、日本のマスコミは語りたがります。しかし、それは大きな誤り、あるいは意図的な世論誘導です。このデモは明らかに政府主導なのです。
胡錦濤らは、デモを容認することで、習近平ら太子党=上海閥との駆け引きを繰り広げました。しかし、その賭けは裏目に出つつあるようです。ここ10年、理性と礼節を重んじて、中国に融和と寛容の精神を打ち立てようと努力してきた胡錦濤と温家宝の共産党青年団派は、今や習らによって権力中枢から駆逐されようとしているのかもしれません。しかしいずれにしても、まだまだ熾烈な権力闘争は続くでしょう。これからは胡も温も、団派を生き残らせるためには、習らにつけ込まれないように、ことさらに反日を演じるしかありません。
日本人にとっては、恩人である周恩来の遺志を継いで頑張っている胡錦濤さんたちには、もっと長く政治の中枢にいて欲しいのですが…。
そして尖閣には6隻の中国政府の巡視艇と1000隻の漁船が近づいています。中国漁船の連中は「俺たちは漁に出るだけだ。日本の保安庁の船なんか怖くない。阻止しようとしたら争うだけだ」と言っています。また中国政府は「わが国は漁船を守る」と宣言しています。この流れは、南シナ海での中国vsフィリピンの睨み合いとまったく同じです。フィリピンは二ヶ月間の巡視船同士の睨み合いの末、南シナ海を中国に奪われました。
本来ベトナムやフィリピンの海だった南シナ海は、今や中国が軍事的に実効支配する海となってしまっているのです。中国は南シナ海の島々を無法に要塞化し、近隣の国々を強引に黙らせています。
そして今、中国は同じことを東シナ海でも画策しているようです。今回も中国政府は、尖閣近くで漁に出る漁民に対して、一艘につき125万円程度の報償金を出していることが、船長たちの証言から明らかになりつつあります。これもまた、反日デモに続く中国政府の次なる対抗措置なのです。
今回、海上保安庁はこれをどうやって阻止するのでしょう。ここに及んでも、アメリカは同盟国としてなんの助けにもなりません。「日本と中国の間の領土問題には口を出さない」とアメリカは明言しています。ですから日本はこの〝尖閣衝突〟を、独力で切り抜けなければならないのです。
ところが一歩目を転じて、わが国の国内の様子はと言えば、TVも緊急特集の一つを組むわけでもなく、防衛問題についての議論が沸き起こるわけでもありません。TV局は、バラエティやスポーツにうつつを抜かし、国民の方も〝平和ぼけ〟しきっています。
ともかくニュース番組の中ですら特集が組まれないのです。どのテレビ局でも、反日デモの映像を流して、キャスターの言うことは「これはもう無法国家ですねえ。とても先進国とは言えません」という寝ぼけたセリフです。また南海トラフによる来るべき関東大地震に関するニュースを直前に流すことで、問題の深刻さを故意に希釈しようとしているのは見え見えです。
第一、中国が無法国家だなんてことは、とっくの昔からわかっていることです。肝心なことは「それで、わたしたちはどうするんだ?」ってことのはずです。しかし、それについては何も言及せず、「これは長期戦になります。毅然として、しかし冷静にならなければなりません」って何ですか?
そんなことはわかっています。問題は「毅然とするための準備はできているのか?」ってことです。外交上、軍事上、経済上の戦略は立っているのでしょうか?それについて、心配になったり、気にならないとでも言うのでしょうか?何か空恐ろしいほどの欠如を感じます。
日本に留学中の中国人学生が、「日本人は、中国での反日暴動の映像とニュースが繰り返し流れているのに、なぜこれほどまでにみんな冷静で無関心でいられるのだろう?」と不思議に思っていますが、無理もありません。国家的問題へのリアルな関心度が、あまりに低いのです。これはもう「愛国心がない」どころではありません。国民総出で「亡国への道まっしぐら」です。
自分の尻に火がついているのに、それに気づかないのです。このままでは、あれよあれよという間に、東シナ海は中国の海になってしまうでしょう。
「中国は国際社会に恥をさらした」と言う論調もあります。日本的な感覚で考えるとまさにその通りなのですが、それにしては海外の反応も鈍いようです。所詮は他人事ということなのでしょうか。あるいは不用意なことを言うと、とばっちりがこっちに向くと警戒しているのでしょうか。
もしかすると世界は、キリスト圏vsイスラム圏の対立で忙しいのかもしれません。2012年は本当に激動が続きます。
また国内の反応を見ても、これだけ侮蔑の限りを尽くされ、その上「こうなったのは日本のせいだ」などと好き放題に中国政府にも言わせておいて、東京の中国大使館前での日本人の抗議デモはたったの5人だそうです。戦後70年で、これだけ愛国心のない国民を育てられたのですから、左翼と日教組はこの成果を誇っていいと思います。
左翼論客の中にはよく「日本側の歴史認識の歪みが、中国の人々の反日意識を生んでいる」と主張する人がいますが、とんでもない話です。歴史認識を歪めているのは中国の方です。中国の若者たちは、1945年以前の日本兵の残虐さはこれでもかと執拗に刷り込まれていますが、1960年代の紅衛兵やMAOの残虐さは一切知りません。1989年に北京の天安門で、政府が民主化を求める学生たちを戦車で蹂躙したことも知りません。こんなにも歪んだ歴史認識は、日本ではあり得ません。
また日本人の歴史認識が歪んでいるなら、戦後ずっと日本人が喜んで中国に対して行ってきた、膨大な無償援助は何だったのでしょう。正しく認識しているが故に、罪滅ぼしの気持ちで行っていたのです。
ところが、そういう日本人の誠意は中国人には通用しません。それだけ世話しても「未来永劫、千年でも万年でもやられたことは絶対に許さない」と中国人は言います。そういう国を相手にして、さらに謝罪を繰り返すのは、どう考えても愚の骨頂です。
ですから、今回の野中広務さんの中国への謝罪は、実に残念なことです。彼は日本の政治家のことは良く分かっているでしょう。しかし、中国に対しては間違った幻想を抱いているのではないでしょうか。
今の中国の文化の中では、謝罪するということは〝無条件降伏〟と同じなのです。謝罪をした者は、自分の非を認めたのだから、相手に何をされても文句を言う権利もないと見なされます。ですから中国人は、どんなに明白に非がある時も、決して謝りませんよね。彼らにしてみれば、ちょっとしたことでも直ぐに謝る日本人が〝馬鹿〟なのです。その謝罪によって相手は調子づき、ますますかさにかかってきます。ですから中国に対しては絶対に謝ってはならないのです。
外交とは相手に分かる言葉でメッセージを送ることです。その意味では、殴られっ放しで殴り返さないというのは、中国に対して最悪のメッセージを送っているのと一緒です。そのメッセージとは「悪いのは日本です。ですから何をされても文句を言いません」というものです。
中国での同胞への理不尽で無法な虐待に対し、完全に無関心でいられ、その恐怖や無念さを見事に看過できる、日本人の自分本位の身勝手さは、戦後教育の見事な成果です。抗議の声も、憤りの叫びも上げようとしない、不甲斐ない若者たちしかいないのでは、舐められて当然です。
それどころか、下手をすると今の日本の若者たちは、現実の脅威が迫ってきたなら、何に怯えるのか知りませんが、ちょっと脅された程度で「尖閣なんてい~らない」と、意気地なく簡単に譲ってしまいそうです。何事も恐ろしくドライに「自分には関係ないから」と他人事で済ませて知らんぷりができるのです。
逆に自分が不利益や痛手をこうむったら、途端に不平タラタラになります。「こうなったのも石原のせいだ」とか「政府が国有化したから悪い」とか、習近平が喜びそうな恨み言をつぶやき始めます。その軽薄さと無責任さは中国でいう〝小人〟の性格そのものです。これでは中国人に「小日本」と嘲られても仕方がないではありませんか。
また〝媚中〟というのでしょうか、これだけ日本国と日本人が愚弄され続けている時に、中国大使におべっかを使う財界人、経団連の米倉会長などの姿を見ていると、日本人としての意地も誇りも微塵も感じられません。見ていて、ただただ情けなく、恥ずかしく感じます。
所詮「利益!利益!」と叫ぶ輩に、平和を創り出せる訳がないのです。今日9.25に、尖閣に押し寄せた50隻の台湾船に、1200万円を渡して送り出したスポンサーは、中国を市場とする台湾最大の食品メーカーです。そこの会長が中国政府の意向を受けて動いたことは十分考えられます。このメーカーは、テレビ局・新聞社など次々と所有し、台湾の言論を牛耳るようになっているそうです。しかし、節度を失った日本の企業にしても、同じようなことを起こさないとは限りません。
政治家にしても一緒です。この国民にしてこの政治家あり、というのでしょうか。一体誰がこの国を守ってくれるのでしょう。
習近平「日本という国は、未来永劫我々の前にひれ伏しているべき存在なのだ。それを最近は、胡錦濤が手ぬるい対応をしていたために、調子に乗らせてしまっていた。これ以上反抗するなら、日本など虫けらのように踏み潰してくれる。そして最終的には、日本人は皆奴隷化する!」
パネッタ米国防長官「なるほど、お説はごもっともですな。アメリカとしても、歴史的背景のある二国間の問題には、手をださないと約束しますよ。しかし…、なるべく穏便にやっていただきたいのですが…。紛争となりますと、我が国と日本には軍事同盟が存在しますので。」
習「ふん、まったく茶番だ!小日本のくせに無駄な抵抗をするから事が荒だつのだ。こうなったのもすべて日本の責任だ。小賢しい日本鬼子どもが!無駄な抵抗をせずに、素直に我が国の支配を受ければ良いのだ。」
パネッタ「まったく!おっしゃる通りですな。しかし、我が国が半世紀かけて随分慣らしてはおきましたよ。先日もよく言い聞かせて起きました。身のほどをしれ、と。ハッハッハ!」
とまあ、冗談はさておいて。(☝でも、ある意味、本当のことですよ!)
それにしても日本に打てる手は非常に限られています。というのも、日本側のリアクションは、ますます〝融和派〟胡錦濤の力を弱め、〝愛国者〟習近平を調子づかせるだけだからです。恐れていたことですが、またしても日本は、習によっていいように利用されてしまいました。
本来は親日的な胡錦濤も温家宝も、今となっては反日的姿勢を保たなければ、習一派にますます付け込まれてしまいます。
これまでも熾烈な権力闘争が予想される党の大会の直前に、必ず習は反日デモを動員して胡錦濤に圧力をかけ、自分に優位にことを運んできました。本当は中国の庶民にとっても、対外的には軍を後ろ盾として覇権主義外交を志向し、国内的には共産党の既成権力階級を基盤として格差を容認する保守派の習近平は、決して自分たちの味方ではないと、本来ならわかるはずなのです。しかし中国の民衆は、習一派の巧みな情報操作によって、無様に踊らされ続けています。
あえて誤解を恐れずに比喩的な表現をすると、理性と協調と徳治主義を掲げた胡錦濤さんは〝光〟を志向していたと言えます。が、残念ながら闘争を旨とする毛沢東主義を信奉する習近平は〝闇〟へ向かっているように思えてなりません。そしてゾロアスター教的に言うなら、中国では今、新たな10年期に向けて、闇の闘争の神が、光の平和の神を呑み込もうとしている感があります。
1972.9.29の日中国交正常化以来40年間で初めて、今年の大々的に祝われるはずだった記念式典が、中国側の意志で取りやめとなりました。その代わりに、鳩山元首相ら〝親中派〟とされる政治家たちが、北京に招待されているそうですが、ろくなことになりそうもありません。
わたしたちも、そろそろ覚悟を決めましょう。向こう十年、習近平の時代を乗り切っていくために。反日デモやら漁船やらと、姑息な手段で茶番劇を演出する太子党のお坊ちゃんに、これ以上舐められたら日本もおしまいです。
それでも真の愛国者は、中国よりもアメリカよりも、実はこの国に多くいるのではないかとわたしは思うのです。また、今なら装備と技術で勝る自衛隊は、アメリカ抜きで単独でも数では圧倒的な中国軍との紛争に勝てるというのが、米中の軍事専門家の一致した見解です。自衛隊員の練度と士気の高さは、それだけ世界に評価されているのです。
今ならまだ間に合うはずです。自国を防衛するということについて、もっと真剣に考えましょう。軍事力・防衛力を考えるということと、戦争を志向するということは、明白に異なります。わたしたちの生きているこの世界は、そうした曖昧な混同を許さないシビアな世界なのです。
神様、どうかこの国をお守りください。
「すべてを破壊せよ!破壊から建設は始まる!」と呼びかける毛沢東の言葉に応じて、残虐行為をエスカレートさせ、縦横無尽に破壊しつづけた「文化大革命」当時の若者たちと、習近平の思惑に乗って無法を繰り返す「反日デモ」の若者たちの姿は、驚くほどよく似ているように思えます。
最初は面白半分で、やがて激情に駆られながら自動車を叩き壊し、デパートが廃墟になるまで破壊と略奪の限りを尽くし、椅子を積み上げて火をつける。その姿は気味の悪いほどに、文革の野蛮な破壊活動のデジャヴです。(と言っても、わたしの脳裏の映像は、ワイルドスワンを読んだり、当時の体験を証言する中国の人々のドキュメントを見て培われたものに過ぎませんが…)
今回の反日デモの主体は、10代・20代・30代初めまでの若者たちです。1980年代以降に生まれたこの若者たちは、一人っ子政策のおかげでろくな躾も受けず、甘やかされ放題に甘やかされ、おまけに1990年代に凶悪化した、江沢民の反日教育だけはみっちり受けて育った世代です。自己中心的で唯物的・即物的な思考に冒され、忍耐力がなく未熟で限度を知らない子供たちです。
その彼らに対して、中国の武装警察は「君たちの愛国心は十分わかった」などと、なだめることしか出来ず、彼らが調子に乗って面白半分に自動車を叩き壊すのを黙って見ているのです。武装警察の消極性の背後には、政府中枢を牛耳ろうとしている習近平の意向が働いていることは間違いありません。事実、警察学校の生徒がデモに参加するように学校側に命じられた、などの証言が出てきており、「官制デモ」としての習近平の画策が明るみに出つつあります。
今回、デモ隊の一部が毛沢東の肖像を掲げていたのが印象的です。毛沢東信奉者である習近平が喜びそうな風景です。毛沢東は現在の中国では建国の父として偶像化されています。その路線を敷いたのが、天安門事件以降の江沢民の歴史教育でした。
しかし、実際には『闘争に次ぐ闘争、終わりなき闘争』こそが毛沢東の望みでした。かつてMAOは、中国全土に10年に渡るこの世の地獄を現出しました。馬鹿な若者たちは、自分たちが何者の肖像を掲げているのかも、本当はわかってはいないのです。あるいは恐ろしいことに、分かっていてワザと毛沢東崇拝の態度を表明しているのかもしれません。だとしたら彼らは、江沢民・習近平の息のかかった保守派の工作員です。
もしも武装警察が秩序の維持を最優先し、あくまで厳しく取り締まる態度を見せていたら、デモの若者たちは、あっという間に逃げ去っていたでしょう。若者たちの多くは、本気で取り締まろうとする警察と争う根性・信念を持ち合わせているようには見えませんでした。しかし、公安警察・武装警察は、ほとんどの都市で本気では狼藉を止めようとはしませんでした。略奪者たちの前でボーッと突っ立っているだけです。そのことからも政府のデモ容認の姿勢は明らかです。
若者たちの叫びは「尖閣は我々のものだ!小日本に宣戦布告せよ!小日本を打倒せよ!日本に核を落とせ!」でした。そして彼らは、青島、深圳、広州、北京などで日の丸を焼き、日系デパートや工場などで破壊と略奪の限りを尽くしました。各地の日本企業の損失は数百億円にのぼると見られます。ところが警察は、彼ら暴徒に「君たちの心情はわかる」と呼びかけていたのです。
若者たちのこうした〝恥知らずな犯罪的行為〟の数々は、かの国の法律では取り締まり対象にはならないようです。それが「愛国無罪」の実態です。かつての毛沢東による〝狼藉お墨付き〟である「造反有理」と何の違いもありはしません。
温家宝首相は「この国には文化大革命の愚行を再び犯そうとしている勢力がある」と述べていますが、その黒幕こそが保守派毛沢東主義の江沢民と習近平なのです。
よく「中国での反日デモは、形を変えた反政府デモだ」という分析を、日本のマスコミは語りたがります。しかし、それは大きな誤り、あるいは意図的な世論誘導です。このデモは明らかに政府主導なのです。
胡錦濤らは、デモを容認することで、習近平ら太子党=上海閥との駆け引きを繰り広げました。しかし、その賭けは裏目に出つつあるようです。ここ10年、理性と礼節を重んじて、中国に融和と寛容の精神を打ち立てようと努力してきた胡錦濤と温家宝の共産党青年団派は、今や習らによって権力中枢から駆逐されようとしているのかもしれません。しかしいずれにしても、まだまだ熾烈な権力闘争は続くでしょう。これからは胡も温も、団派を生き残らせるためには、習らにつけ込まれないように、ことさらに反日を演じるしかありません。
日本人にとっては、恩人である周恩来の遺志を継いで頑張っている胡錦濤さんたちには、もっと長く政治の中枢にいて欲しいのですが…。
そして尖閣には6隻の中国政府の巡視艇と1000隻の漁船が近づいています。中国漁船の連中は「俺たちは漁に出るだけだ。日本の保安庁の船なんか怖くない。阻止しようとしたら争うだけだ」と言っています。また中国政府は「わが国は漁船を守る」と宣言しています。この流れは、南シナ海での中国vsフィリピンの睨み合いとまったく同じです。フィリピンは二ヶ月間の巡視船同士の睨み合いの末、南シナ海を中国に奪われました。
本来ベトナムやフィリピンの海だった南シナ海は、今や中国が軍事的に実効支配する海となってしまっているのです。中国は南シナ海の島々を無法に要塞化し、近隣の国々を強引に黙らせています。
そして今、中国は同じことを東シナ海でも画策しているようです。今回も中国政府は、尖閣近くで漁に出る漁民に対して、一艘につき125万円程度の報償金を出していることが、船長たちの証言から明らかになりつつあります。これもまた、反日デモに続く中国政府の次なる対抗措置なのです。
今回、海上保安庁はこれをどうやって阻止するのでしょう。ここに及んでも、アメリカは同盟国としてなんの助けにもなりません。「日本と中国の間の領土問題には口を出さない」とアメリカは明言しています。ですから日本はこの〝尖閣衝突〟を、独力で切り抜けなければならないのです。
ところが一歩目を転じて、わが国の国内の様子はと言えば、TVも緊急特集の一つを組むわけでもなく、防衛問題についての議論が沸き起こるわけでもありません。TV局は、バラエティやスポーツにうつつを抜かし、国民の方も〝平和ぼけ〟しきっています。
ともかくニュース番組の中ですら特集が組まれないのです。どのテレビ局でも、反日デモの映像を流して、キャスターの言うことは「これはもう無法国家ですねえ。とても先進国とは言えません」という寝ぼけたセリフです。また南海トラフによる来るべき関東大地震に関するニュースを直前に流すことで、問題の深刻さを故意に希釈しようとしているのは見え見えです。
第一、中国が無法国家だなんてことは、とっくの昔からわかっていることです。肝心なことは「それで、わたしたちはどうするんだ?」ってことのはずです。しかし、それについては何も言及せず、「これは長期戦になります。毅然として、しかし冷静にならなければなりません」って何ですか?
そんなことはわかっています。問題は「毅然とするための準備はできているのか?」ってことです。外交上、軍事上、経済上の戦略は立っているのでしょうか?それについて、心配になったり、気にならないとでも言うのでしょうか?何か空恐ろしいほどの欠如を感じます。
日本に留学中の中国人学生が、「日本人は、中国での反日暴動の映像とニュースが繰り返し流れているのに、なぜこれほどまでにみんな冷静で無関心でいられるのだろう?」と不思議に思っていますが、無理もありません。国家的問題へのリアルな関心度が、あまりに低いのです。これはもう「愛国心がない」どころではありません。国民総出で「亡国への道まっしぐら」です。
自分の尻に火がついているのに、それに気づかないのです。このままでは、あれよあれよという間に、東シナ海は中国の海になってしまうでしょう。
「中国は国際社会に恥をさらした」と言う論調もあります。日本的な感覚で考えるとまさにその通りなのですが、それにしては海外の反応も鈍いようです。所詮は他人事ということなのでしょうか。あるいは不用意なことを言うと、とばっちりがこっちに向くと警戒しているのでしょうか。
もしかすると世界は、キリスト圏vsイスラム圏の対立で忙しいのかもしれません。2012年は本当に激動が続きます。
また国内の反応を見ても、これだけ侮蔑の限りを尽くされ、その上「こうなったのは日本のせいだ」などと好き放題に中国政府にも言わせておいて、東京の中国大使館前での日本人の抗議デモはたったの5人だそうです。戦後70年で、これだけ愛国心のない国民を育てられたのですから、左翼と日教組はこの成果を誇っていいと思います。
左翼論客の中にはよく「日本側の歴史認識の歪みが、中国の人々の反日意識を生んでいる」と主張する人がいますが、とんでもない話です。歴史認識を歪めているのは中国の方です。中国の若者たちは、1945年以前の日本兵の残虐さはこれでもかと執拗に刷り込まれていますが、1960年代の紅衛兵やMAOの残虐さは一切知りません。1989年に北京の天安門で、政府が民主化を求める学生たちを戦車で蹂躙したことも知りません。こんなにも歪んだ歴史認識は、日本ではあり得ません。
また日本人の歴史認識が歪んでいるなら、戦後ずっと日本人が喜んで中国に対して行ってきた、膨大な無償援助は何だったのでしょう。正しく認識しているが故に、罪滅ぼしの気持ちで行っていたのです。
ところが、そういう日本人の誠意は中国人には通用しません。それだけ世話しても「未来永劫、千年でも万年でもやられたことは絶対に許さない」と中国人は言います。そういう国を相手にして、さらに謝罪を繰り返すのは、どう考えても愚の骨頂です。
ですから、今回の野中広務さんの中国への謝罪は、実に残念なことです。彼は日本の政治家のことは良く分かっているでしょう。しかし、中国に対しては間違った幻想を抱いているのではないでしょうか。
今の中国の文化の中では、謝罪するということは〝無条件降伏〟と同じなのです。謝罪をした者は、自分の非を認めたのだから、相手に何をされても文句を言う権利もないと見なされます。ですから中国人は、どんなに明白に非がある時も、決して謝りませんよね。彼らにしてみれば、ちょっとしたことでも直ぐに謝る日本人が〝馬鹿〟なのです。その謝罪によって相手は調子づき、ますますかさにかかってきます。ですから中国に対しては絶対に謝ってはならないのです。
外交とは相手に分かる言葉でメッセージを送ることです。その意味では、殴られっ放しで殴り返さないというのは、中国に対して最悪のメッセージを送っているのと一緒です。そのメッセージとは「悪いのは日本です。ですから何をされても文句を言いません」というものです。
中国での同胞への理不尽で無法な虐待に対し、完全に無関心でいられ、その恐怖や無念さを見事に看過できる、日本人の自分本位の身勝手さは、戦後教育の見事な成果です。抗議の声も、憤りの叫びも上げようとしない、不甲斐ない若者たちしかいないのでは、舐められて当然です。
それどころか、下手をすると今の日本の若者たちは、現実の脅威が迫ってきたなら、何に怯えるのか知りませんが、ちょっと脅された程度で「尖閣なんてい~らない」と、意気地なく簡単に譲ってしまいそうです。何事も恐ろしくドライに「自分には関係ないから」と他人事で済ませて知らんぷりができるのです。
逆に自分が不利益や痛手をこうむったら、途端に不平タラタラになります。「こうなったのも石原のせいだ」とか「政府が国有化したから悪い」とか、習近平が喜びそうな恨み言をつぶやき始めます。その軽薄さと無責任さは中国でいう〝小人〟の性格そのものです。これでは中国人に「小日本」と嘲られても仕方がないではありませんか。
また〝媚中〟というのでしょうか、これだけ日本国と日本人が愚弄され続けている時に、中国大使におべっかを使う財界人、経団連の米倉会長などの姿を見ていると、日本人としての意地も誇りも微塵も感じられません。見ていて、ただただ情けなく、恥ずかしく感じます。
所詮「利益!利益!」と叫ぶ輩に、平和を創り出せる訳がないのです。今日9.25に、尖閣に押し寄せた50隻の台湾船に、1200万円を渡して送り出したスポンサーは、中国を市場とする台湾最大の食品メーカーです。そこの会長が中国政府の意向を受けて動いたことは十分考えられます。このメーカーは、テレビ局・新聞社など次々と所有し、台湾の言論を牛耳るようになっているそうです。しかし、節度を失った日本の企業にしても、同じようなことを起こさないとは限りません。
政治家にしても一緒です。この国民にしてこの政治家あり、というのでしょうか。一体誰がこの国を守ってくれるのでしょう。
習近平「日本という国は、未来永劫我々の前にひれ伏しているべき存在なのだ。それを最近は、胡錦濤が手ぬるい対応をしていたために、調子に乗らせてしまっていた。これ以上反抗するなら、日本など虫けらのように踏み潰してくれる。そして最終的には、日本人は皆奴隷化する!」
パネッタ米国防長官「なるほど、お説はごもっともですな。アメリカとしても、歴史的背景のある二国間の問題には、手をださないと約束しますよ。しかし…、なるべく穏便にやっていただきたいのですが…。紛争となりますと、我が国と日本には軍事同盟が存在しますので。」
習「ふん、まったく茶番だ!小日本のくせに無駄な抵抗をするから事が荒だつのだ。こうなったのもすべて日本の責任だ。小賢しい日本鬼子どもが!無駄な抵抗をせずに、素直に我が国の支配を受ければ良いのだ。」
パネッタ「まったく!おっしゃる通りですな。しかし、我が国が半世紀かけて随分慣らしてはおきましたよ。先日もよく言い聞かせて起きました。身のほどをしれ、と。ハッハッハ!」
とまあ、冗談はさておいて。(☝でも、ある意味、本当のことですよ!)
それにしても日本に打てる手は非常に限られています。というのも、日本側のリアクションは、ますます〝融和派〟胡錦濤の力を弱め、〝愛国者〟習近平を調子づかせるだけだからです。恐れていたことですが、またしても日本は、習によっていいように利用されてしまいました。
本来は親日的な胡錦濤も温家宝も、今となっては反日的姿勢を保たなければ、習一派にますます付け込まれてしまいます。
これまでも熾烈な権力闘争が予想される党の大会の直前に、必ず習は反日デモを動員して胡錦濤に圧力をかけ、自分に優位にことを運んできました。本当は中国の庶民にとっても、対外的には軍を後ろ盾として覇権主義外交を志向し、国内的には共産党の既成権力階級を基盤として格差を容認する保守派の習近平は、決して自分たちの味方ではないと、本来ならわかるはずなのです。しかし中国の民衆は、習一派の巧みな情報操作によって、無様に踊らされ続けています。
あえて誤解を恐れずに比喩的な表現をすると、理性と協調と徳治主義を掲げた胡錦濤さんは〝光〟を志向していたと言えます。が、残念ながら闘争を旨とする毛沢東主義を信奉する習近平は〝闇〟へ向かっているように思えてなりません。そしてゾロアスター教的に言うなら、中国では今、新たな10年期に向けて、闇の闘争の神が、光の平和の神を呑み込もうとしている感があります。
1972.9.29の日中国交正常化以来40年間で初めて、今年の大々的に祝われるはずだった記念式典が、中国側の意志で取りやめとなりました。その代わりに、鳩山元首相ら〝親中派〟とされる政治家たちが、北京に招待されているそうですが、ろくなことになりそうもありません。
わたしたちも、そろそろ覚悟を決めましょう。向こう十年、習近平の時代を乗り切っていくために。反日デモやら漁船やらと、姑息な手段で茶番劇を演出する太子党のお坊ちゃんに、これ以上舐められたら日本もおしまいです。
それでも真の愛国者は、中国よりもアメリカよりも、実はこの国に多くいるのではないかとわたしは思うのです。また、今なら装備と技術で勝る自衛隊は、アメリカ抜きで単独でも数では圧倒的な中国軍との紛争に勝てるというのが、米中の軍事専門家の一致した見解です。自衛隊員の練度と士気の高さは、それだけ世界に評価されているのです。
今ならまだ間に合うはずです。自国を防衛するということについて、もっと真剣に考えましょう。軍事力・防衛力を考えるということと、戦争を志向するということは、明白に異なります。わたしたちの生きているこの世界は、そうした曖昧な混同を許さないシビアな世界なのです。
神様、どうかこの国をお守りください。