ミラノ再発見 〜 ポルタ・ロマーナ散策 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

久々の北イタリア日本人会企画の「ミラノ再発見ツアー」に参加してきた。

 

今回は、ドウモより徒歩5分ほど離れたミッソーリ広場から始まるコルソ・ポルタ・ロマーナ散策。

 

かつてのメディオラヌムの帝国の玄関口であり、歴史的な宮殿や16世紀のポルタ・ロマーナ門が建ち並んでいる。(下の地図は当時のもので、ピンクのラインがポルタ・ロマーナ通り。小さな丸の部分に門があった)

 

 

余談だが、長年聖書研究で通った修道院がその近くにあるので、馴染みのある通り。

  

ミッソーリ広場には、サン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会の後陣と地下聖堂の遺構が残されている。この教会は、ミラノにおける最も重要な初期キリスト教の礼拝堂の一つを基盤として、11世紀から13世紀にかけてロマネスク様式で再建されたものだと言う。ちなみに、この教会は、ミラノの領主であったベルナボー・ヴィスコンティ自身の霊廟として定めていた教会であった。
 

 

また、遺跡の反対側にある石像は、ジュゼッペ・ミッソーリの記念碑。ミッソーリ(1829-1911)は、イタリアの著名な愛国者であり軍人であり、リソルジメントにおいて重要な役割を果たしたことで知られている。彼はミラノの五日間の戦いや千人の遠征に参加し、ミラッツォの戦いではジュゼッペ・ガリバルディの命を救った。

 

しかし、その記念碑をよく見ると青銅の馬が放つ、抗いがたいほどの倦怠感…。ミラネーゼは疲れた顔の人を見ると「ミッソーリの馬のよう」と言うそうだ。

 

 

コルソ・ポルタ・ロマーナ。ローマへの道である。通り沿いには、象徴的なポルタ・ロマーナ門、名高いフランコ・パレンティ劇場、カルカーノ劇場、そしてサン・ナザロ教会などの重要な宗教建築物が並んでいるが、17世紀の城壁から戦後の再建された建物、リベリティー様式(アール・ヌーヴォ)の宮殿から工場、田園の農家からローマ時代のミラノの名残に至るまで、その様相は多岐に渡り、非常に興味深いものがあった。

 

コルソ・ポルタ・ロマーナ6番地

長いファサードは、厳格でありながら豊かな表情を湛えている。これは、ブニャート装飾(イタリアの伝統的建築技法)を施した基壇部の両翼の間に深く切り込まれた玄関と、高い窓の円形と三角形のティンパヌムが交互に配された主階によって生み出されている。両側にトスカーナ式の柱が並ぶ柱廊付き中庭から、大階段を上がると、格天井を備えた主階の連続する広間へと至る。内部にはアーチ型窓が面しており、その上部の装飾帯は中二階とコーニスへと溶け込んでいる。(ロンバルディア州・文化財HPより抜粋)

 

 

 

 

 
コルソ・ポルタ・ロマーナ20番地
その内装の特徴、使用された素材、そして平面構成から見て、この建物は、イタリア統一後の最初の10年間に、台頭しつつあったミラノの中産階級のために建てられた典型的な「賃貸住宅」の一例である。ファサードには、複線アーチ型の二連窓と、ガリバルディやヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を配した祖国史の場面を刻んだ浅浮き彫りが施されている。ネオ・ゴシック様式の中庭にも著名なイタリア人のメダリオンがいくつか見られる一方、2つ目の中庭はより親密で、格式ばった雰囲気は少ない。(これまたロンバルディア州・文化財HPより抜粋)

 

 

 

トーレ・ヴェラスカ。

 

 

 

トーレ・ヴェラスカ(ヴェラスカ・タワー)は、独特のシルエットが有名。1950年代に建設されたこのタワーは、イタリアの建築会社BBPR(バンフィ、ベレトルド、ペレッティ、ロジャースの頭文字)の作品であり、高さ約106メートルのユニークなデザインは、基部が細く上部が広がった特徴的な形状。このデザインは、中世の要塞や塔にインスパイアされたものだそうで、ミラノの歴史的建築物との調和を図っていると言う。まさに、伝統とモダニズムを融合させたものだが、当初は悪評高かったそうだ。
 
建物の上部には、オフィスや住宅があり、下部には商業スペースが配置されている。来週から始まる、ミラノ・サローネ国際家具見本市のイベントの一環として、期間限定でこのヴェラスカタワーの最上階がティー・ルームとして公開される。早速予約しようと試みたが、空きがあるはずもなく...。とほほ。涙
 
ちなみに、ミラノ・コルティーナ冬季オリンピック時のミラノのオフィシャルピンバッジにもトーレ・ヴェラスカがイメージされたほど、ミラノを象徴するものの一つとして認識されている。
 

 

続く…。