死者の月 〜 その3 Momento Mori, Momento Vivere | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

11月1日の「諸聖人の日」の祝日に空手仲間のF爺を訪問しようと思っていた。
 
奥様が帰天され早2年。その後すぐに体調が悪くなり、疲れだよ...と言っていたが、徐々に状況も深刻になっていき、約1年後、丁度昨年の今頃、癌が発覚。闘病生活が始まった。
 
今年85歳。子供もおらず親類もいないわけではないが、彼の難しい性格故に孤立してしまっている。ホント頑固ジジイ‼︎と叫びたくなることも多いが、数人の空手仲間やご近所さん、彼の古い友人夫妻とその友達(偶然にも私のご近所さんで知り合いだった!)がいるんだから、1人じゃないんだよ!といつも彼に言う。
 
私は春の骨折後、この9月には仕事や空手の生活に完全復帰してから、なかなかF爺を訪問するタイミングが取れなくなった。
 
この秋からケミオが始まった彼は、体調がいいと空手の稽古に見学に来ている。もう空手だけが生きる喜び、生きる希望なのだろう。道場に来ると必ず道着の上着だけは着替えて、黒帯を締める。
 
稽古中は私も指導があるため、なかなか彼の元に行ってお喋りはできないが、仕事の行き帰り余裕がある時、彼と数分電話で話すが、それさえも出来ない日々が続いた。だからこそ祝日で予定がなかった日に彼を訪問したかった。
 
...が携帯電話に電話をしても出ない。自宅に電話をしても出ない。携帯電話に問題があり修理中だったが、SIMカードを亡くなられた奥様の携帯電話に入れ使っていたが、使い勝手が分からないからすぐに取れない!と言って、かかってくることもあったが、今回は彼に電話をかけまくったが、様子が変だ。彼を支える仲間たちに連絡をすると、この時期皆多忙で私と同じ状況。全く様子がわからなかったが、仲間の1人が入院中だが、携帯電話を家に置き忘れている様だ、と言っていた。今や携帯電話は命綱と言っても過言ではない。
 
早速病院へ飛んで行ったが、なぜか病棟に入れず。窓口、病棟案内人もなぜかその時は席を外しており、面会者をはじめ、人っこ1人誰もいないがらんとした大病院。どうしようもなく帰宅した。
 
結局3週毎のケミオ治療のため病院に呼び出され入院中だったのだが、高齢者なのでケミオは数日入院して毎回様子を見てから帰される。流石ここはイタリア!と思うのは、独り身や移動に問題のある方は、病院関係のアソシエーション(協会)が送り届けてくれるから安心だ。
 
プライヴァシーに関わることなのでこれ以上は書けないが、彼には多くの事を学ばさせて頂いている。
 
ところで、前置きが長かったが、ラテン語に”momento mori“と”momento vivere”と言う言葉がある。
 
前記は古代ローマにまでさかのぼる格言で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味で、後記もまた「生きることを忘れるな」という意味だと言う。
 
諸説があるが、後記はゲーテの詩の中の言葉。『マイスター・ヴィルヘルムの修業時代』には、そのドイツ語訳“Gedenke zu leben”が出てくるのだそうだ。
 

不可避の死を気晴らしによって忘れ、現在の生を楽しめ、ということではなく、避けがたい死を差し当たり逃れることに汲々として、今、この瞬間、ここで生きることを忘れていないか?今、この各瞬間に無償で恵まれている命を十全に生きることを忘れていないか...と。

 
「私が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である」と言う言葉がを聞く。戦争や紛争では今もなお、多くの子どもたちの命が奪われている。 
 
究極な見方をすれば、人生には、memento moriと memento vivereとのどちらかしかありえない。
 
「生きている」と「生きてい(ゆ)く」とは一文字違いだけれど、意味は全く異なる。
 
一人の人間が「生きていく」ということは、その人の生命力を必要とし、他人からの「愛」や「信頼」が活力になる。
 
F爺は、自分はカトリック信者でないが、キリスト者だと言う。以前は恨みつらみを吐き出されることもあったが、今や今ある状況を受け入れて、”sulla mano del Signore”主の御手にある、と言う様になった。
 

F爺はまさに年齢に関係なく、生命力が必要ではそのためには希望や使命感が重要だが。それを支える周りの愛や信頼がお互いの活力になっているのがよくわかる。


生きて、生きて、生き抜いて、その生き様を見せて欲しい。