”師範がやって来た! ~ No Karate, No Life” 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

空手の師範の来伊による座学、特別集中稽古、合間に普通の稽古、大会、そして黒帯との食事会が昨日をもって終了した。怒涛の10日間だった。

 

本来最終日の大会で黒帯の審査予定であった84歳のF爺がいきなり入院。(本来大会翌日に検査入院の予定であった)彼と共に黒帯取得を待ち望んできた仲間も驚愕した。

 

昨年50数年連れ添った奥方が他界。悲しみに耐えつつも週3回の稽古に参加。強くなるためには自分には武道が必要だ、と言い黒帯を彼女にプレゼントするのが夢だったという。だから黒帯を捧げよう。でも道場では決して泣いてはいけない。彼に言った。私も鬼だなあ。苦笑 

 

ただ日に日に体力が落ち、色が白くなり、呼吸も苦しそうだ。昇段審査で8型連続打てるはずがない。私も昨年昇段審査の際、酸欠になるかと思ったくらいだ。だから体に負担がかからないよう一日一型審査が行われていたが、それも途中で断念。「師範に申し訳ない。」F爺は言ったが、自分の体が大事、ここまで来た精神だけでも黒帯に値する。相当な覚悟と努力が必要だ。

 

F爺を支えてきた仲間たちは心に彼を思いながら、稽古に集中した。

 

ところで、私は棒術の集中稽古に3日間参加したが普段師範が不在になってからは月に一度黒帯だけがオンライン稽古で棒術を選択できるが、そうそう覚えられないし、なかなか練習する時間さえない。この3日間では4人の黒帯が参加したが、一人大学生がおり、流石に若い分型を覚えるのは早かった。一人ずつ皆の前で打つが、まず型を覚えていなければ話にならず、必死だった。また何気に体が痛いと思って鏡を見たら、左の肋骨が棒に当たっていたようであざだらけ。たまに腰骨にも当たっていたようであざになっていた!恐ろしすぎる。

 

最終日の大会は、気が重かったが、原則必須参加であったし自分の型を打たなければならない。敵を想定し中年女性として納得のいく型を、と思ったが、入会した時点から既に自分のピークは落ちていく。メリハリも自分の思うものとは全く違う。毎年悩みが増えていく....。どうしても、早さや力強さ、キレをみられがちだが、年齢にあった空手を追求していきたい。

 

とは言え今年のペア型は親子、兄弟以外に友人の個性的なチームが多く見るのも参加するのも楽しみであった。私が一緒に組んだ数歳年上の色帯のイタリア人男性とは週3回3-4週間合わせてきただろうか?股関節が硬かったり、膝が痛かったり、と50代以上になると、体のあちこちに問題が生じてくるが、普段の生活での体の癖もあり、うまい下手というよりも、身体操作として正しいか正しくないか、また型の理合いに対する理解、探求心はどうなのだろうか?と客観的に見ていた。おじさん(?失礼!)と組むのは2回目だが、彼らのモチベーションアップに関われれば良いと常に思う。一歩進んで二歩下がる、それはそれは根気のいるものだったが。

 

そんな彼と色帯のカテゴリーの中で、意外にも案外1位にいけちゃうかも?と思ったが、思ったところで謙遜さがなかったか?苦笑 決勝戦で、型の名称は私の声が大きく、相方の彼がなんといったのかは聞こえなかったが、なんと第一挙動目で私と違う動作に出た。見た瞬間、???思わず、「違う!」と言ったのか「ノー!」と叫んだのか記憶にないが、本来はそこで終了なのだが、とりあえず初めからやり直しで続けて!と主審の師範に言われ、続行した。

 

判定は、型間違いをしているが、お願いします…といわれ、副審の旗が相手方に上がった。そりゃそうだわ…しかし、気持ち的には動揺もなく、どんまい!これが次男とだったら、私が逆切れか?私が間違おうものなら大変なことになっていたことだろう。苦笑 ペア型はストレスなくやりたいものだ。笑

 

2位のトロフィは相方の彼にどうぞ!と渡した。(男前〜!爆)要は大会が終わっても、その彼が身につけたものを忘れずに精進し続けてほしいと願う。

 

バタバタの10日間であった。体もきつかったが、無理して出た分、得たものも大きかった。ただただそこにF爺がいなかったのが悔やまれる。

 

師範はF爺に面会に行き、枕元に何も言わずに黒帯と免状を置き、その意味を考えてほしいとおっしゃっていた。うーん、師範もまた鬼だわあ。しかし、それだけ師弟愛は大きい。

 

また、気合を入れなおし頑張ろう!