先週まで空手の師範夫妻が3週間ほど不在であり、その間黒帯保持者を中心に道場を任されていた。(といってもはじめの週は月末の第5週だったので休みであり、実質上2週間。)
とはいえ、私は黒帯でも一番下っ端。指導者のアシスタントのアシスタント的役割で、自分の稽古をしつつも、後輩を見ていた。
人に指導をし、打てば響く人に教えるのは面白い。しかしそれはごく一部であって、私もいまだに何年もかかっても出来ないこともある。だからどちらかと言うと、打たれても響かない人間かもしれぬ。
いずれにしても、わかっていてもできないのと始めからわからないのは別の話。
指導とは、もしかすると、もがいている人にその面白さを教えるのが醍醐味なのかもしれない。
しかし、集中できない子供は多いし、大人でもかなり厳しい時もある。
そんなわけで、師範不在の間、後輩を指導しつつも、自分自身と向き合い、自分の強みと弱みを分析、理解するよう課題が出ていた。
人に教えることで自ら学ぶ。経験上相手の問題が見えて来て、指摘するのは簡単だ。しかしなぜ出来ないのか?分析してみる。門下生の状況に対応した指導、これが本来重要なのだと思うが、とはいえ人数が多くなると、指導するにも限界がある。
今はまだまだその分析の時点で躓いているので、自分の弱みは沢山わかっても強みなどわからない。
課題の発表は皆的確にしていた。私の先輩にあたる黒帯の人たちは優秀な方たちが多いので、特に自分には何ができる、他の人とは何が違うかを認識をしていた。しかし、発表は技術面が多かったので、そうだ、私は別の面を押し出そう!と急遽考え直した。
子供に武道を習わせると躾が身につくと考えている親も多いようだが、決してそうではない。武道はスポーツではないし、道場に入った時点で神聖なピリッとした空気が必要なのではないか?と私は思うが、師範はあまり厳しい道場にはしたくないとおっしゃる。しかし、そこはイタリア人やイタリア育ち、イタリア生活の長い日本人が多くなると、どうしてもおおらかに?なりがち。それはそれでいいが、とめどもなくなってしまったり、なんちゃって武道ではいけないと思うのだ。
おしゃべりや態度など稽古中、大会中でも気になることが多いのだが、なかなか注意しづらかったり、してもまた数秒後には元の状況になりがちで、どうしたらわかるのだろう?と常々思う。アクセサリーをつけていたり、挨拶に関しても、師範に挨拶しても他の人に挨拶できなければ本末転倒で、一時期入口の靴の脱ぎ方も綺麗だったが、また乱れ始めている。そっと直したところで、彼らが気づかれなければ意味はない。上級者が模範を見せたところで、それに気づかなければ道場も各門下生の質もよくはならない。悲しいかな、やはりそこは直接注意しかないのだ。
もうこれは年の功。うるさいおばちゃんに徹するしかない、と思った。とはいえ、言い訳されたり、言い返されると、萎えてしまいがちだが、そこは心を鬼にするしかない。そこは師範にも、他の黒帯のママさんたちが優しいから、中でも物怖じせず口に出せる私が言うことが、私の強みだと言われた。褒められているんだかそうじゃないのか?なんだかな...。苦笑
とはいえ、怖いおばちゃんと思われているか?と思うと、意外に小、中学生の門下生に、よく声をかけられる。それはたわいのないことだったり、時に自分の型を見てください、といってくるのだ。ということは、意外に声をかけやすい?と思うと、逆に嬉しくもなる。先日は、ミット蹴りの間に逆立ちしててもいいですか?と中学生が聞いてきたので、逆立ちは怪我をするといけないからダメ!というと、壁に向かってするので...というので、じゃあ腕立ててしてて!と言ったら、真面目に腕立て伏せをしていた。しかし、翌週はすっかり忘れられていたが...苦笑。
自分の強みを考えるというのは、自分の特長を認識するということ。自分自身を客観視することは、指導をしていく上でとても重要になる。それは空手道訓第二条「空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである」ことになる。
「自分の強み」はだれかと比べるものではなく、自分を見つめ直すことで見えてくるものだろう。「厳しく」あっても「寛容」であるように。
色々な意味で今後が楽しみだ。