今日、琉球少林流空手道月心会イタリア本部に新黒帯が生まれた。
イタリア人としては二人目だが、一人目は子供の頃から始めており、多流派では既に黒帯保持者。しかも日本語ペーラペラ。そういう意味では、未経験者として始め、生え抜きの黒帯は、イタリア人第一号。日本語は解さないが非常に研究熱心。昨年、空手に関する日本語を教えていたが、空手道訓を深読みし、武士道、論語にまで興味を持ち、教える方も勉強しないと追いつかない!という状況ではあったが、逆に刺激的だった。
黒帯というのは型や技のうまさも去ることながら、風格、人格も求められる。
世阿弥の風姿花伝に「稽古は強かれ」という言葉がある。空手でも同じことが言えるだろう。けれど、強く激しく稽古をするだけではない。
また同花伝書に「時分の花」と「まことの花」という言葉があるが、人間の成長を花の成長、自然の中のプロセスと重ねている。年齢とともに表れ、盛りが過ぎると散ってしまう花。空手では、帯の色、年齢に見合った稽古と工夫によって初めてまことの花を咲かせられるだろう、という思い。
若い頃は力強く、キレッキレな型を打ち、見るからに華やかだが、何か足りない。しかし、年を重ね、型を重ねて自分のものになっていく。そして型を通して切磋琢磨するからこそ精神も成長すると師範(奥様の方)がおっしゃっていた。
ところで、空手を休み2ヶ月。やっと熱と腫れが引いたが、思うように膝が曲がらずいつ復帰できるのか?!とやきもきしていたが、ここ数日嘘のように痛みもなく、スムーズに歩ける。痛い、怖いと言って歩かないほうが良くない、と言われていたが、やっと炎症が落ち着いたので、軽いスクワットをし始めるよう言われた。ただ無茶はいけない。未だ正座もできないし。
話は戻るが、上記新黒帯のAと彼の奥さんと演武後食事に出かけた。その時、彼の夢として、今後は自分も含め高齢者もできる(続けられる)空手について追求したいと言っていた。加齢と共に稽古で体を駆使しているため、膝や腰が痛い、と言っている40歳以上の門下生は実に多い。
今、怪我をし私は躓きもがくことで、スムーズに昇級,昇段する場合とは何か違うものを得ている最中だと思う。まだ両手を上げて喜ぶことは出来ないが、すたすた歩けるようになり痛みも消え、今度は筋肉をつける番。そして、ぶり返さないよう、正しい体軸、運足によって膝の軟骨の消耗,腱が伸びないようにしないといけない。元に戻るには、どれくらい時間がかかるのかはわからない。
時分の花を誠の花と知る心が真実の花になほ遠ざかる心なりけりby世阿弥
一過性の成功で有頂天にならないよう戒めているのかもしれない。「初心忘れるべからず」。「時分の花」から「まことの花」を咲かせたいもの。
