来週からItamaが開講する。
前年度からの更新者が48名、新規が83名。しかも今年は5クラスのみ募集。小学校より人口密度が高い。(本来消防法に触れるの?)スパツィオビンビは更新の時点で20名に至り、新規申し込みの約30名がウエイティングになる。申し訳ないがはじめの数人以外に希望は無い。本当に毎年心苦しい。
申し込みの時点で難しいと言っても、当日改めて断ると泣くどころか、怒りまくって机を蹴るものがあったり、昨年はウエイティングの一番上ではあったが、一度は状況説明し、案の定泣かれたが、身内が子供を見てくれるため、託児所が必要なくなった生徒がおり、急遽順番が繰り上がり、次回からお子さん連れて来られますよ!と言った途端に嬉しくて?!気絶したものあり...アラブ系女子の喜怒哀楽は半端じゃ無いのだ。
来週の新規初日に向け段々憂鬱になって来た。
しかも、今年はボランティアが一気に増えており、教師希望者が多い。5クラス2人組にした所で、倍近いフリーター?もといアシスタントが出る。またエドウカトリーチェと呼ばれるシッター要員も増えた。しかし、いくらボランティアといえども、そして子供が好きと言っても、組織に所属し、横のつながりが持てない人が多いのも頭痛の種。
前年度からの更新者が48名、新規が83名。しかも今年は5クラスのみ募集。小学校より人口密度が高い。(本来消防法に触れるの?)スパツィオビンビは更新の時点で20名に至り、新規申し込みの約30名がウエイティングになる。申し訳ないがはじめの数人以外に希望は無い。本当に毎年心苦しい。
申し込みの時点で難しいと言っても、当日改めて断ると泣くどころか、怒りまくって机を蹴るものがあったり、昨年はウエイティングの一番上ではあったが、一度は状況説明し、案の定泣かれたが、身内が子供を見てくれるため、託児所が必要なくなった生徒がおり、急遽順番が繰り上がり、次回からお子さん連れて来られますよ!と言った途端に嬉しくて?!気絶したものあり...アラブ系女子の喜怒哀楽は半端じゃ無いのだ。
来週の新規初日に向け段々憂鬱になって来た。
しかも、今年はボランティアが一気に増えており、教師希望者が多い。5クラス2人組にした所で、倍近いフリーター?もといアシスタントが出る。またエドウカトリーチェと呼ばれるシッター要員も増えた。しかし、いくらボランティアといえども、そして子供が好きと言っても、組織に所属し、横のつながりが持てない人が多いのも頭痛の種。
また、同じ校舎に別の、似たような語学学校が入る予定だったが、急遽近所の別の学校へ移動となったので、一安心したが、今度は、この秋、申し込みが遅れ、幼稚園の空き待ちとなっている子供達を受け入れるクラスができてしまった。以前はルーマニアの子供達を支援するSOS Bambiniという協会が、今度は、地元の子供も対処しているらしい。それはそれで良いのだが、私たちが利用している教室を週に1度、体育で使うので、マットから机、家具まで全て教室から出すようにと学校側から言われたからさあ大変。
私たちは間借りしている身だから何を言われても仕方ないと思っていたが、「私たちはイタマのボランティアであり、子供達の面倒は見るが、机の運び出しなどの仕事はしない!そんなのは、学校の事務員にやらせればいいのだ!」と言い始めるメンバーも出てきた。巨大な校舎はガラガラで、3人の用務員がいるが、掃除やら何やら用事が多すぎる。それを間借りしている身が、机の出し入れに用務員をこき使うのもどうなのだろう?権利ばかりを主張する人々。
私たちは間借りしている身だから何を言われても仕方ないと思っていたが、「私たちはイタマのボランティアであり、子供達の面倒は見るが、机の運び出しなどの仕事はしない!そんなのは、学校の事務員にやらせればいいのだ!」と言い始めるメンバーも出てきた。巨大な校舎はガラガラで、3人の用務員がいるが、掃除やら何やら用事が多すぎる。それを間借りしている身が、机の出し入れに用務員をこき使うのもどうなのだろう?権利ばかりを主張する人々。
来週、本格的な授業が始まる前に、まずは理事会の打ち合わせ兼食事会があり、エドカトリーチェの研修会、そして以前いた仮予約者のみの授業。私は歯医者があるので、初日はパス。大変なのは、金曜日の新規の受け入れ状況発表日。「私だけでも入れてくれ。」「この子はまだ生後⚪️ヶ月だ」と粘る生徒も多い。一人一人の話は聞いていられないし、だからといって世界は救えないのだ。
「ママ、お金にならないのに、なんでそんなことするの?」と次男に聞かれた。そうだよな~。何をしても一銭にもならないことばかり。苦笑 しかも、自己満足だ、自己欺瞞だ、偽善だ、挙げ句の果てに、有閑マダムの暇つぶしだとも言われることがある。
誰かのために何かをする。それは、目に見えない労力と時間を費やすが、戻ってくるものも大きい。それは、仕事として、有料としてするものとは、全く意味が違う。確かに自己満足かも知れない。けれど人とのふれあいは、人間味のある温かいもので、満足というか逆に癒されるものである。最終的には、誰に何を言われようとも、神様が見ていてくださる、と思うのだ。そして、子供達にも今はわかってもらえないとしても、いつか理解できる日が来ることだろう。長女や次男を連れてメルカートへ行くと、「なんでこんなにアラブ人の知り合いが居るの?」と驚かれる。皆生徒、または元生徒。「チャオ!」「コメスタイ?」と声をかけてきてくれる。はじめは皆閉鎖的だが、徐々に心を開いてくれるのが嬉しい。
やる時は喜んでするように。
最良のものを届けられるように。
与えた分自分に返ってくる。
生きている間、誰かにエネルギーを与えられるように。
世のため、人のため、自らの魂を磨き、与え続ける人でありますように。