聖書の集いとミサ 2015 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今年も帰国中の恒例行事の一つ、東京目白の聖母病院内で行われている, ヴァレンタイン・デ・スーザ神父による聖書の集いとごミサにあずかってきた。

今年で4回目。もともと出会いは20年近く前、帰国中イグナチオ教会で神父様の勉強会に出席したのがきっかけであるが、わりに巡礼にミラノにいらしていた噂は伺っていても、なかなかお一人で自由になる時間がないということで、直接お会いしたことはなかった。サヴァティカルでミラノにいらしているけれど、日中ミラノを案内してもらえないか? と共通の友人から頼まれ再会したのが5年前。あれか5年か?と思ってしまう。その後は、帰国の度に, 神父様がチャプレンとしていらっしゃる聖母病院へ伺うが, 大抵は聖書の集いも夏休み前の最終回、または翌週が最終回、というのがほとんど。あと半年で、僕も70ですよ, とおっしゃっていたが, 60歳前半、いや50歳代と いっても おかしくないくらいお若く見える。

今年も沈黙からクラスは始まった。それが3分なのか5分なのか、またはそれ以上なのか、目を閉じてしまうと感覚がなくなる。 心と呼吸を整え, 神様との出会いを意識し、クラスは始まる。 静かな、そして流暢な日本語で心に訴えかけられる。

今日は, ヨハネによる福音書2章第49節から朗読。

一節一節, 聖書の時代背景、そしてアラマイ語の意味合い(あいまい且つ幅広い!)等を私たちの身近な生活にあわせてお話くださる。

素直さがなくなると反抗が始まります。
ひねくれた状態は、 心の姿。
夏休みの間、自分の心の手入れをしましょう。信じるものによって生活は変わります。

聖書には「見る」という言葉が良く出てくるが, 視覚的な「見る」だけではなく、 気づき、成長、培うこと, 悟る、 心に刻む...そういった意味があるそうだ。気づきによって生活を豊かにすることが出来るだろう。

そして、とどめの一撃として、最近は家庭での気づきが鈍っているのでは? と一言。確かに家庭が壊れていると, 社会が壊れていくとおっしゃる。

子供が望んでいるものは, 物質的なものではなく, 愛・気づき・親しさが必要です。ファミリーは家庭と訳されるが、「家」と「庭」のある家庭ではなく, 同じ血族の『家族』という言葉を好むとおっしゃっておられ、 ほ~っと納得してしまった。また『住所』は「住む」所ではなく、「人」が「主」であるところ。ほ~ほ~ほ~っ。

この夏休み、家族の一人ひとりに愛を注ぐよう努力しましょう。

そして、神の恵みへの賛美と感謝をこめて, 再び沈黙のうちに終了。

その後大聖堂に移動し, ごミサにあずかった。

人間は過ちや問題を恐れがちだが、そこに留まると熟すことが出来ません。失敗の中にも恵みはあります。ひとつひとつの出来事にサプライズが含まれているんです。過ちや問題があるからこそ、人は豊かになれるんですね。年を重ねつつどのような生き方をしてきたかが大切です。

また、私たち、個人個人は神様の作品。個性を生かし、生き生きと生きること。また自分と同じ神様の作品である隣人を愛しましょう。

この夏休みの間、気づき、悟りが今後の成長につながるように。

自分のために何かしよう。