大晦日は毎年恒例の友人宅での年越しパーティが行われた。長男、次男はそのまま友人宅にお泊まり。長女は今朝オランダに発つため、昨夜から同行する友人宅にお泊り。そして、夫は今回長めの出張中。
昨夜というか、今朝は一人で帰宅し、そのまま洋服を着て寝ていたのに気付いたのが、明け方。パジャマに着替えて二度寝。ゆっくりお風呂に入ってから、これまた恒例の初詣のため、サンタンブロージョへ出かけた。そこで、昨夜のメンバーと合流。寝不足顔の次男もぶつぶついいつつ来ていた。
2015年度初のミサのお説教は、年始に際し、「時間」と「(物事が)始まる、始める」という内容であった。
「時は金なり」というが、まさに時間の使い方は命の使い方だと常々思う。時の主人は神です。...以前パパ様も同じことをおっしゃていたことがある。そして、「時」は生きる、生きて行くための希望であるということ。
また、1968年ベトナム戦争中、当時の教皇であり昨年の10月に列福されたパオロ6世が、平和のために特別な祈りを捧げるよう世界のカトリック教会に呼び掛けられ、「世界平和の日」として設定し、その後毎年1月1日には教皇により「世界平和の日」のメッセージが発表される。今年のテーマは、「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」。家族間、国家間において、心の平安を持つように、現代のありとあらゆる形の奴隷制と闘うように呼びかけられていることを紹介された。
閉祭は、毎年お馴染みのグレゴリオ聖歌 Veni Creator "来たれ、創造主なる聖霊よ"を今年はイタリア語版で。
歌詞カードがなく、歌えず。(苦笑)
その後、これまた、恒例のその年1年を守ってくださるという守護聖人のお札頂きに並んだ。司式司祭の他に、別の司祭や助祭が出てきて、列が幾つもに分かれた。お御堂の前の方へ進むたび、司式司祭(サンタンブロージョ主任司祭)の方へ流れる傾向があったが、「あっ!!」黒いコートを着られたサンタンブロージョの最高責任者でおられる司祭を発見!
彼は、ミラノ大司教区の司教代理でもおられるので、秘蹟の一つでもある堅信を授けることができ、長女の洗礼から堅信まですべて執り行ってくださった司祭である。洗礼後一度やはりサンタンブロージョの元旦のミサでお会いした時、ご挨拶したら覚えているよ!と言われ本人の顔をまじまじと見て、お札を選んでくださったが、「是非今朝旅に出た娘のためにもお札をいただけますか?モンシニョーレから洗礼を授かっているんです」とお願いすると、じゃあね、はいこれ!っといって『カッシアの聖リタ』のお札をくださった。
彼は、ミラノ大司教区の司教代理でもおられるので、秘蹟の一つでもある堅信を授けることができ、長女の洗礼から堅信まですべて執り行ってくださった司祭である。洗礼後一度やはりサンタンブロージョの元旦のミサでお会いした時、ご挨拶したら覚えているよ!と言われ本人の顔をまじまじと見て、お札を選んでくださったが、「是非今朝旅に出た娘のためにもお札をいただけますか?モンシニョーレから洗礼を授かっているんです」とお願いすると、じゃあね、はいこれ!っといって『カッシアの聖リタ』のお札をくださった。
ちなみに私は『聖ロザリア』。
聖ロザリア(1130年 - 1166年)は、イタリアのパレルモとベネズエラのミランダ州にあるエルアティジョ市の守護聖人。伝説によるとロザリアは1130年カール大帝の末裔であるノルマン貴族の家系に生まれたそうで、非常に信心深く、ペッレグリーノ山の洞窟の隠者として暮らし、1166年にその場所で死んだとされる。
インドの山奥で修行をしたのは、レインボーマンだが、聖人にはならなかったな。爆 ちなみに、1624年にヨーロッパでペストが流行していた頃、パレルモで病気に罹った女性の前にロザリアが出現し、また次に猟師の前に現れ彼女の遺骸の在り処を示し、行列を作って町を通り彼女の遺骨をパレルモに運ぶよう命じたとされる。言われた通り、猟師はその山の洞窟で遺骨を見つけたので、ロザリアに命じられた通りにしたところ、疫病の流行は終息し、それ以降、ロザリアはパレルモの守護聖人となり、遺骸が発見された洞窟には教会が建てられた...という話。さすがに、私もカトリックのこういう話は、首を傾けてしまうのだが。
何れにしても、今年もよろしくお願いします。
インドの山奥で修行をしたのは、レインボーマンだが、聖人にはならなかったな。爆 ちなみに、1624年にヨーロッパでペストが流行していた頃、パレルモで病気に罹った女性の前にロザリアが出現し、また次に猟師の前に現れ彼女の遺骸の在り処を示し、行列を作って町を通り彼女の遺骨をパレルモに運ぶよう命じたとされる。言われた通り、猟師はその山の洞窟で遺骨を見つけたので、ロザリアに命じられた通りにしたところ、疫病の流行は終息し、それ以降、ロザリアはパレルモの守護聖人となり、遺骸が発見された洞窟には教会が建てられた...という話。さすがに、私もカトリックのこういう話は、首を傾けてしまうのだが。
何れにしても、今年もよろしくお願いします。

