ミラノでは、12月7日の聖アンブロージオの祝日にクリスマス・ツリーやプレセピオを飾りだすのが伝統。
というわけで,あちこちでプレセピオが飾り始められている。この馬小屋をはじめて作ったのは、アシジの聖フランシスコだと言われている。1223年グレッチオでイエスの降誕の馬小屋を飾り、村人と共にクリスマスを祝ったという。グレッチオには、岩山の上に修道院があり、洞窟に突き出した岩に、馬小屋を再現した壁画と祭壇が残っている。
ところで,今朝次男の学校へ行くと,ロビーにプレセピオが飾られていた。テーマは「難破船上の聖家族」だった。
筏の上に,マリアとヨセフがおり,幼子イエス•キリストはまだ置かれていない。24日の夜に置かれるのだ。
私は,船旅には出たことがないが,クルージングといえば,ゴージャスな感じがするが,漂流船でやってくる移民の人たちは,げっそり「死」を見たような様相。まさに「死と危険と背中合わせ」の航海だ。
聖書の中には,ガリラヤ湖を舟で横断中,突風が湖に吹き下ろしてきて,弟子達は水をかぶり危険に合う場面がある。うろたえて,眠っていた師イエスを起こすと,「あなた方の信仰はどこにあるのか」と言って叱責される。弟子の中には,漁師もいたし,常にイエスと寝食をともにし,イエスの様々な奇跡や不思議を目のあたりにしていても,こういった危険な状況にあえば,イエス•キリストに対する信仰が浮ついてしまう。
信仰を持つと艱難がなくなるのではなく,周囲の状況が少しも変わらずとも,自分自身に艱難を乗り越える力が与えられるとと信じたい。けれど,実際大きな問題にぶち当たったとき,ぐらつくどころか,泣き叫び,信仰どころじゃなくなってしまうこともあり得るんじゃないだろうか?と思うこと自体,まだまだ信仰がたりないんだな...と実感。
人生,どんな嵐の中にあっても,イエス•キリストに心を向け,真剣に願い求めるならば,必ずや,必要な時に,助けが差し出さされるのではなく,嵐の中に平安と慰めをも与えてくださるだろう。
また,今日のパパ様のツイートにもあったが,家族のメンバーそれぞれが,他者また,世界との関係を学ぶことのできる愛の共同体,それが家庭であるという認識をもち,絆を固めることが出来るように。心が苦しみ,悲しみ,悩みでいっぱいであろうとも,家庭が支え合える場でありたいもの。
