人間観察と玉手箱観 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

毎年帰国しているが, 毎回「浦島太郎」ならぬ「浦島花子」だと感じてしまう。いや、「浦シマ子」あたりがいいか?ここは、竜宮城か?!

又、出先での趣味は人間観察。海外生活が長くなると,  自分が日本人でありながら他人様を観察し, 私は同じ人種なのだろうか?と思うことさえ多くなってきた。

電車の中で, 何人携帯メールやってる? 
寝ている人は何人?思わず数えてしまう。

この暑いのに、スパッツ?
足細く見せる前に, 姿勢と歩き方直そうよ。

バッグにどでかいぬいぐるみのマスコット。そういえば、帰国の飛行機で、ぬいぐるみのスヌーピーに窓の外を見せながら、手を振らせていた若い新婚妻(たぶんハネムーン帰り)を見かけた。何かに似ている、何かに似ている・・・とずっと考えていて思い出した。あれは、Mr.ビーンと同じ行動だ。

そのまっピンクのチーク、おかめインコみたいだよ。

帰国すると、はあ・・・?! と思うことが多い。いきなり毒舌になってしまい申し訳ない。

まっそういう私もスタイルは十分変わっていると思うし、目つきが悪いといわれるので, サングラスかけると余計に妖しいんだろうなあ。笑 何かあれば, すぐに「Scusi」(すいません)と出てしまうので、「ママ今, なんていった?」と子供に言われてしまう。逆にいや~ね、外国かぶれして、といわれちゃう? 爆 だからといって、日本人同士で抱き合って、両ほほキスは恥ずかしいと思う。又、ハンズフリーのイヤホンでイタリア人みたいにどこでも構わずジェスチャー一杯で会話することはいたしません。それこそ、「あの人、危険な人?!」と思われちゃうかも。

それにしても、「浦島太郎」では、なぜ乙姫は、別れの場面で、浦島太郎に「決して開けてはいけません」といって玉手箱を渡すのだろう? 鶴の恩返し、パンドラの箱、ギリシャ神話、旧約聖書には似たような話が沢山ある。すべてタブーを破ってしまった結果ということか。

けれど、どれも「今を生きることの幸せを感じなさい」「大切にしなさい」「まっすぐ歩みなさい」というメッセージにも考えられる。今の幸せを感じているにも関わらず、開けるなと言われた扉や箱を開けてしまうことで、それが人間らしい生き方であり、その人間らしさによって人は傷つき、痛みや悲しみを感じるのかもしれない。それでも、取り返しがつかない過去は過去として、悲しみは悲しみとして、人はどこからでもいつでも常に幸せに向かうことができる能力も持っている。

希望をもってまっすぐ歩もう。

文句言いつつ, 理想と現実のハザマにいる。でも、生きるならやはり理想に向かって歩むしかないでしょ?