ピアノの思い出 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日実家にあったピアノが処分された。 

ピアノを習い始めたのは、私が5歳くらいだったかな。そして数年後KAWAIのアップライトピアノを買ってもらった。はじめKAWAIのピアノ教室に通っていて、先生が何度も変わり、10歳くらいから家に先生が来てくれるようになった。その後は、10年ちょっとその先生についていた。 

高校生の頃、一瞬音大に行こうかな?と考えた事もあったけれど、先生に「あなたは音大に行くタイプではない」といわれた。確かにピアニストになろうなんぞとは夢にも思っていなかったし、ましてやピアノの先生というのも私の性には合わない。さっさと進路を変えた。それは正解だったと今でも思っているけれど、ピアノは幾つになっても弾けたら素敵。働きながら、20歳代前半回数は減りつつも先生のお宅へ通っていた。 

子供にも音楽に触れていて欲しい、と思っていた。長女はクラリネットからフルートに変更。学校のオーケストラにも参加していたが、今年はもう時間が無く、続けないそうだ。長男は学校でクラシック・ギターを習っているが、将来はエレキ・ギターを弾きたいそう。次男にいたってはずっとピアノを習いたい、と言っていたけれど、友人のS子さんに習いたいといっていたので、引っ越したらピアノを置こうね・・・と言っていたのに、いざ引っ越してきて、物を置くと、そんな場所さえないし、今の生活リズムだと次男には無理。本人も忘れてしまったのか、何もいわなくなった。 

でもやはりピアノは弾けたらいいな・・・と思う。昨年末友人宅で忘年会を開き、酔った勢いで友人と連弾をしてみたが、指が思うように動かず。そんなもんだろう。 

実家のピアノは、帰国してもほとんど触れてなかった。でもいざ、無くなる・・・と思うと、何気に寂しい。買ってくれた父は最期まで処分することを、承知しなかったようだが、2人きりの生活になり、今後いざ何かがあったとき、少しでも負担を減らすためにも今片付けておこう、と思ったらしい。それも分かるから仕方ない。今日、母にメールを送ると、白い壁が寂しい・・・と言っていた。ちなみに最後に写真撮っておいた、とのこと。これまた変な感覚。仏壇に位牌と一緒に置く写真じゃないんだからさ・・・笑 

ところで、私のピアノの思い出・・・ 
小学校低学年の時(たしか2年生?)、初めて出たピアノの発表会で弾いた曲。ストリーボック/すみれ http://www.youtube.com/watch?v=pq0Vp5hEpZM  
実家に行けば録音されたレコードがまだ残っているはず。そして、ツェルニーが嫌いだったな。こつこつと基礎の練習。いや、練習の基礎だったのか?! 

又、中学生の時、合唱コンクールで伴奏をした。自由曲「木琴」は脳裏に焼きついている。http://www.youtube.com/watch?v=cOJN0zto_vs  

学生の頃、謝恩会で友人と連弾したシュトラウスの「春の声」・・・あ~過去の栄光。今は、指ががっちがち。最後に付いたピアノの先生とは、今でも年末年始の挨拶はやりとりしているが、お嬢さんは芸大の学生さんでチェロ奏者。いずれイタリアにも留学に来るかもしれない。その時はあなたが伴奏をしてあげてね、といわれたことがある。先生、申し訳ありませんが、期待に添えそうもありません。今は、PCのキーボードを叩くのが専門で・・・?!爆