私たちにできること ~ その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


Mixiでのマイミク・あいさんは、いつも心を打つ言葉を紹介してくださる。

今日の言葉は、村上和雄氏という、日本の分子生物学者、筑波大学名誉教授のお言葉。彼は、83年に、高血圧を引き起こす原因となる酵素「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功し、世界的に注目を集めた人物らしい。

http://www.earth-words.net/human/murakami-kazuo.html

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人には『できること』と『できないこと』がありますが、
自分で自分の枠をつくってしまって、
『できない』と思っていることのほうが圧倒的に多い。

いままで『できない』と思って『やらなかったこと』のなかに、
どれだけ『できること』があったか。


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カトリックでは、「ゆるしの秘跡」いわゆる告解、懺悔というものしなければならない。洗礼の時に、それまでの罪はすべてゆるされるが、その後、罪を犯した場合は、慈悲深い神の呼びかけに心を開き、許しの秘跡の豊かな恵みをいただくことにより、罪が許されるという。

まず、大切なのは、心の糾明。そして悔い改め、…告白、司祭からの勧め、悔い改めの祈り、許しの言葉・・・と続き、生活の改善により、同じことを繰り返さないようにする、というのが理想だが、人間は(少なくとも私は)愚かなので、気づくと毎回同じことばかり繰り返してしまっているのが現実。

まあ…私のことはどうでもいいのだけれど、心の糾明とは?

カトリックでは、ミサに与るたびに、「わたしは、思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」と唱える。罪って、盗んだり、人を殺したり、だましたりすることだけじゃないんですね。そうなると、完璧な人間などいなくなってしまう。

上記4つの罪のうち、意外にうっ・・・と思うのは、「怠り」。
生きていくうえで、するべき努力をしなかった。というのは、意外に多いのではないだろうか?何もしないということは努力の経験がまったく積めないということ。自分の義務を十分に果たせない。生まれてきた目的に最も反する行為ではないだろうか。

ちなみに怠りの罪を犯した人が死ぬと、霊界に行くとそんな人は「タヌキの姿」になっていることが多いといっている人がいた。(カトリックとは関係なし)なんか間抜けな姿ではないだろうか?爆

>いままで『できない』と思って『やらなかったこと』のなかに、
どれだけ『できること』があったか。

痛いですね・・・きっとそれは謙遜ではないんですよね。たんなる怠慢。

私たちにできること、なんだろう?

例えば、震災後誰でもが、一度は考えたことだとは思うが、ある提案をメールで一斉に流したら、「寄付はしましたから」「子供の習い事にぶつかりますから」などなどの意見。それ以前に多くの人が返事なし・・・所詮そんなもんかいな、とがっくり来た。

『私たちにできること、なんだろう?』
改めて考えてみる必要があるんじゃないかな?