クリスマスを目前にし、今日が空手の年内最後の稽古であった。
学校が先週の金曜日に終了したので、翌日の土曜日の稽古は子供たちがどっと減り、今日は更に減った。(特にイタリア人)大人も同様。
「礼に始まり礼に終わる」。
空手をする動機も各自様々であろうが、やると決めたら空手ファースト!ストイックなメンバーが最後に参加した気がした。笑
毎年初稽古には、各自その年の目標を掲げるが、それが出来たか出来なかったか?検証する必要はないが、皆一応意識したのだろうか?と思う。
空手は空手道訓同様
「己を見つめ、己を正すものである」
それが生き方に通づるものだと思うが、コツコツ努力を続けている人は、やはり日々の稽古の姿にも反映される。
型は打ってなんぼ。
宮本武蔵の「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」は、『五輪書』にある言葉で、地道な反復練習(千日=約3年)で基礎を「鍛え」、さらにその10倍の期間(万日=約30年)の練習で技術を「練り上げる」、つまり、長い時間と継続的な努力こそが真の「鍛錬」であり、上達の秘訣だという教えである。
10年ちょっとかじっただけのものが何言ってんの!ってな感じかもしれないが、それでも単なる練習量だけでなく、「型」をひたすら繰り返すことの重要性や、結果を急がず、諦めずに続けることを現代人にも伝える深い意味なのだと思う。
自分で出来た、覚えた、と思っている人ほど自分に甘く、思い上がりではないかと思う。段数が上がれば上がるほど、求められるものも変わるから、更に自己探求と努力は必要となる。サラッと通りすぎないで欲しいと思う私はこだわりが強すぎるのだろうか?実際、黒帯になってから学んだ型を、黒帯仲間でおさらいしたが、かなり記憶が怪しい型がいくつかあった。まずい、まずい!冬休みの間に復習していかないと!
ところで、空手に限らず武道は神道や仏教の影響を受けており、本来は「稽古納め」は年末の神事や清めの行為と関連し、道場や武具を清める意味が込められていたと言う。
また武道に限らず、稽古事では「納め」としてその年の活動を締めくくる風習があり、特に武道は道場や師範、仲間、そして空手を学べる環境に対して感謝の気持ちを表すことが重視されてきたのだそうだ。その年の学びや鍛錬に感謝し、次の年に向けた決意を新たに、また昨年12月27日に逝ってしまった空手仲間であったF爺を偲ぶため、数人のメンバーと稽古後出かけた。
話題は、もちろん空手。昇級、昇段に関わらず、ストイックに型を打ち続け、身体に染み込ませないと‼︎ 確実に何かが変わっていく。No Katate, No Life。空手のない休暇どうする?ホント、私たち空手バカだよね。と話した。笑
イヤイヤ、家でも練習でしょ?初稽古の日に動きが鈍ってたら、直ぐにバレるからね!まずはクリスマスで食べすぎても体は維持させる!それ基本!年始は思い切り太って、全く練習していなかったのがバレバレの人が多いが、一緒に出かけた仲間はこの1年間、ストイックにかなり体を絞った人たち。
新年の初稽古には恒例の「千本突き」が行われ、来年の目標を壁に掲げて打つ。心に思う目標はいくつかあるが、一つに絞らなくては!
終わりよければ、全て良し!来年もやる気のある門下生たちと成長していけますように。

