彼は福○相互銀行 新長田支店に配属され社会人としてのスタートを切りました。
1955年4月 桜の花が満開の頃でした。
「日掛け、月掛け、心がけ」と毎朝唱和して、得意先係の仕事が始まりました。
彼の金融機関との縁と申せば年賀状を出しに郵便局に行った程度の経験しかなかったのに、いきなり「日掛け、月掛け」の集金をこなし、契約迄獲得するよう上司から指示された時は面喰らいました。
彼は金融関係の仕事を目標に就職活動をしていたわけでなく、父母の長唄の師匠の旦那が製紙会社の社長で、その取引先であった福○銀行へコネで一方的に頼み込み採用されたのであリました。
彼は相互銀行が都市銀行の融資対象からもれた中小企業の為の銀行だということも知らなかったのです。
彼のいい加減は既にこの就職から始まったのです。
相互銀行は勿論銀行には違いないが、集金称して集めてくる資金は預金とはいわず掛け金といい、またその掛け金の利子は給付補填備金といいました。