わたしは20年ほど前から、5年間学校の先生をしていたことがありました。
どうして学校の先生をしていたかというと、
お母さんに学校の先生になりなさいと言われたからです。
ものすごく恥ずかしくて最悪な理由…。
そうじゃなくて、自分から 心からそうなりたくてなっていたら
もっといい先生になっていたと思うけど、
今思うと、わたしはあまりいい先生じゃなかったかもしれない。
だからちょっぴりほろ苦い思い出。
あの頃は自分の主義主張とか美学とか理想とか軸が無くて
周りのことをすごく気にして、
知りません、わかりません、できません。って言えなくて
プライドだけはすごく高くて自分を良く見せることに必死で
頭でっかちでいい人のふりをして
すごくストレスを感じていたなぁ…。
それでも見る人がみれば、バレバレだったみたいだけど。
でも、自分で自分のことがわかっていなかった。
今でも自分で自分のことが完璧にわかっているわけではないけど、
180度に近いくらい、わたしは自分が変わったと思っている。
そして、今の自分が好き。
ちょっと前までは、あの頃わたしに関わってくれた生徒たちに
申し訳ない。っていう罪悪感があったけど、今はほとんどない。
わたしのせいで人生が悪い方に変わっちゃった子なんていないよね。
って開き直っている。
大人になってからも、わたしのことを恨んでいる子はいないだろう。
よくも悪くも、わたしはその程度しか生徒たちと関われなかったから。
それで、今一番あの頃のことを思い出してストレスに感じることは
成績をつけることだったということ。
公立の、三学期制の学校だったから
毎学期末ごとに通知表に成績をつけるのだけど
その頃は(今でも?)相対評価の5段階制で
1~5まであって、富士山みたいな形で
「5」 は クラスの人数の 7%
「4」 は クラスの人数の 24%
「3」 は クラスの人数の 38%
「2」 は クラスの人数の 24%
「1」 は クラスの人数の 7%
たとえば、40人のクラスだとすると
「5」 は 40×0.07=2.8 で2人か3人
「4」 は 40×0.24=9.6 で9人か10人
「3」 は 40×0.38=15.2で15人か16人
「2」 は 40×0.24=9.6 で9人か10人
「1」 は 40×0.07=2.8 で2人か3人
って決まっていたのです。
必ずみんなをそのどれかに当てはめなければいけない。
わたしがそれを決めなくちゃいけないの。
教科の成績、って割り切ればいいのかもしれないけど
1をつけた子には恨まれたよ、きっと。
そして、そのフォローの仕方がわからなかった。
そこがめちゃくちゃストレスに感じたわけです。その頃のわたしには。
ストレス過ぎて太ってハゲちゃったくらい。
男性ホルモン過剰だったのかな…?
背が高い順とか体重の重たい順とかお金持ちの順とか…
どこにいっても、それはつきまとってくるのかもしれない。
でも、幸せを感じる度数はそれで測ることはできないと今は思ってる。
五段階の相対評価に無理やり当てはめようとすることが無理があるわけで。
幸せっていうのは相対評価じゃなくて、絶対評価、
昨日の自分と比べるのならアリなのかもしれないけど、
他の誰かと比べるものじゃないんじゃないかと今は思う。
また教育の場に戻ってそういう主張をするのもありかもしれないけど
そんな根性も実力もないし、
わたしは誰かを教育したり教えたりできるほど
立派じゃないって自覚しているから(#^.^#)。
立派じゃない自由な立場で
言いたいことを言いたい放題言える今の状態が心地いいのです(#^.^#)。
憧れは、一休さんや良寛さんや西行法師さん\(^o^)/。
風来坊の傾奇者になりたい♡。
どうして学校の先生をしていたかというと、
お母さんに学校の先生になりなさいと言われたからです。
ものすごく恥ずかしくて最悪な理由…。
そうじゃなくて、自分から 心からそうなりたくてなっていたら
もっといい先生になっていたと思うけど、
今思うと、わたしはあまりいい先生じゃなかったかもしれない。
だからちょっぴりほろ苦い思い出。
あの頃は自分の主義主張とか美学とか理想とか軸が無くて
周りのことをすごく気にして、
知りません、わかりません、できません。って言えなくて
プライドだけはすごく高くて自分を良く見せることに必死で
頭でっかちでいい人のふりをして
すごくストレスを感じていたなぁ…。
それでも見る人がみれば、バレバレだったみたいだけど。
でも、自分で自分のことがわかっていなかった。
今でも自分で自分のことが完璧にわかっているわけではないけど、
180度に近いくらい、わたしは自分が変わったと思っている。
そして、今の自分が好き。
ちょっと前までは、あの頃わたしに関わってくれた生徒たちに
申し訳ない。っていう罪悪感があったけど、今はほとんどない。
わたしのせいで人生が悪い方に変わっちゃった子なんていないよね。
って開き直っている。
大人になってからも、わたしのことを恨んでいる子はいないだろう。
よくも悪くも、わたしはその程度しか生徒たちと関われなかったから。
それで、今一番あの頃のことを思い出してストレスに感じることは
成績をつけることだったということ。
公立の、三学期制の学校だったから
毎学期末ごとに通知表に成績をつけるのだけど
その頃は(今でも?)相対評価の5段階制で
1~5まであって、富士山みたいな形で
「5」 は クラスの人数の 7%
「4」 は クラスの人数の 24%
「3」 は クラスの人数の 38%
「2」 は クラスの人数の 24%
「1」 は クラスの人数の 7%
たとえば、40人のクラスだとすると
「5」 は 40×0.07=2.8 で2人か3人
「4」 は 40×0.24=9.6 で9人か10人
「3」 は 40×0.38=15.2で15人か16人
「2」 は 40×0.24=9.6 で9人か10人
「1」 は 40×0.07=2.8 で2人か3人
って決まっていたのです。
必ずみんなをそのどれかに当てはめなければいけない。
わたしがそれを決めなくちゃいけないの。
教科の成績、って割り切ればいいのかもしれないけど
1をつけた子には恨まれたよ、きっと。
そして、そのフォローの仕方がわからなかった。
そこがめちゃくちゃストレスに感じたわけです。その頃のわたしには。
ストレス過ぎて太ってハゲちゃったくらい。
男性ホルモン過剰だったのかな…?
背が高い順とか体重の重たい順とかお金持ちの順とか…
どこにいっても、それはつきまとってくるのかもしれない。
でも、幸せを感じる度数はそれで測ることはできないと今は思ってる。
五段階の相対評価に無理やり当てはめようとすることが無理があるわけで。
幸せっていうのは相対評価じゃなくて、絶対評価、
昨日の自分と比べるのならアリなのかもしれないけど、
他の誰かと比べるものじゃないんじゃないかと今は思う。
また教育の場に戻ってそういう主張をするのもありかもしれないけど
そんな根性も実力もないし、
わたしは誰かを教育したり教えたりできるほど
立派じゃないって自覚しているから(#^.^#)。
立派じゃない自由な立場で
言いたいことを言いたい放題言える今の状態が心地いいのです(#^.^#)。
憧れは、一休さんや良寛さんや西行法師さん\(^o^)/。
風来坊の傾奇者になりたい♡。