小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないかって。

でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能を持っていたのです。

モモに話をきいてもらっていると、ばかな人も急にまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。

彼女はただじっとすわって、注意ぶかくきいているだけです。
その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。

モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。
引っ込み思案の人には、きゅうに目の前が開け、勇気が出てきます。

不幸な人、悩みのある人には、希望と明るさがわいてきます。

たとえば、こう考えている人がいたとします。
おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれは何千万もの人間の中のケチな一人で、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。

この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。
するとしゃべっているうちに、ふしぎなことに自分がまちがっていたことがわかってくるのです。

いや、おれはおれなんだ、世界中の人間の中で、おれという人間は一人しかいない、だからおれはおれなりに、この世の中で大切な存在なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

(ミヒャエル・エンデ 「モモ」より)