人の行動の原動力って、
無 以外は 愛か 恐れにつながるんだって。

愛が原動力の時、自分が感じる感情は
・ワクワク
・やさしい
・楽しい
・ほっこり
・嬉しい
・ドキドキ
などなど。

恐れが原動力の時、自分が感じる感情は
・苦しい
・ビクビク
・ザワザワ
・つらい
・恐い

…などなど。

たとえば、わたしがブログやFacebookに何かを書くときに、
「こんなこと書いて、誰かに批判されたらどうしよう?」
って、自分が思っていることを書けなくなってしまうのは、
恐れが原動力になって「書かない」ことを選んでいるから。

逆に、
「わたしの経験が誰かの役に立つかもしれない。」と思って
批判されることを覚悟で テレビのニュースや学校の先生やお医者さんや
評論家さんたちの言っている意見と違う意見を書く。
わたしが書くことで嫌な思いをする人がいるかも知れないと思うけど、書く。

なぜかというと、みんながみんな、同じ意見じゃないと思うから。
わたしの考えは偉い人のとは違うかも知れないけど、
偉い人の意見だけが全てで正しいってことになっちゃったら、

どっかの国の偉い将軍様の意見だけが正しくて
将軍様にとって気に入らないことをしたら
粛清されちゃうみたいな世界になっちゃうのが嫌だから。

そしたら、将軍様の意見に従わなかったら
自分だけならまだしも
家族まで皆殺しにされちゃうのを見せしめでされたなら
自分さえ我慢すれば 家族は幸せではないにしろ暮らしては行けると思うなら
嫌々でも自分の気持ちを殺して 自分を自分で騙して
将軍様に従うしかないんだよね。
そうしなくちゃ、生きていけないと思うから。

そういうどっかの国って実際にテレビで放映されているけど
それって国だけじゃなくて、いろんな場所で起こっていることだと思う。
学校や職場で起こっていることかもしれないし、
家庭の中であることかもしれないし、
体の中で起こっていることかもしれない。

そういう恐怖が原動力による行動から抜け出すためには、
愛が原動力による行動に切り替えればいいんだと思う。

愛が原動力による行動。
笑える政治。
たとえば、マンデラさんが行ったアパルトヘイトをなくすこととか、
リンカーンさんがやった奴隷を解放することとか。
そのためには、既得権益の人たちから嫌がらせを受けるかもしれないけど。

だって、みんなが同じじゃなくていいじゃない。

心臓から見れば、腎臓はおかしいかもしれないけど、
心臓と腎臓がなくっちゃ人は生きていけないんだから。

いろーんな人がいるから世の中がうまく行っているんだと思う。

ジャッジしない、偏らない。
彩りとバランス。
すべては愛であり、循環している。
世の中は変化する、ということが変化しない唯一のこと。

わたしの大好きな人たちが教えてくれたこと。

だからわたしは、自分の思ったこと、感じたことを書きたい。
こんな風に思われたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。
って、自分をよく見せようと思わないように。

わたしが書いていることに嫌悪感を抱いている人がいるなら、
その人はわたしの書いていることを見なければいいのにと思う。

だって、わたしの文章を無理やり読め!って目の前に
突きつけているんじゃなくて、
その辺に落ちている石ころみたいなもんなんだから。