愛する皆さま、こんにちは![]()
奇跡の夫婦仲改善カウンセラー、Sofiaです![]()
日本は自粛が解禁されたと聞きましたが、
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
メキシコは、今もどんどん感染者と死者数が上がっており、
私の子供たちの通う学校の再開は8月の末(新年度の始まり)になりました。
旦那様の了解のもと、子供達に週3で家庭教師を雇えるようになったSofia家は、
2か月遅れだった子供たちの家庭学習が
1か月遅れ、にまで縮み![]()
大きな肩の荷が下りて、本当に嬉しい毎日です![]()
(気分転換にカフェに行ったり、ショッピングモールにいけるのは、
まだ少し先になりそうです。)
前回の奇跡のコースのシェアはいかがでしたか?
分かりにくいと思われた方もいらっしゃったかと思いますが、
パートナーシップだけでなく、
あらゆる人間関係に当てはめることができると思い、
シェアさせていただきました。
時間を取って読んでくださり
本当にありがとうございました。
何かしらお役に立てれば嬉しい限りです![]()
今日はレッスン161、
「聖なる神の子よ、私にあなたの祝福を与えて下さい。」
https://ameblo.jp/yasukoworkbook/entry-12598133313.html
前回同様、私の受け取ったことと、本文のシェアをさせてください。
親孝行で兄弟思い、友達にも思いやりがあって、優しくて、
人のために自分が損をしちゃうようなお人好し。
アメリカ不法滞在の身で、自ら高校卒業の資格をとり、
短大では名誉生徒に選ばれ、
さらにはアイビーリーグのコロンビア大学の授業を奨学金で受けてしまうほどの
全ての面で優等生の私の旦那さん。
子煩悩で、
家庭第一。私にも優しくて、
家族、兄弟、友達、親類、
みんなから愛され、尊敬され、頼られ、信頼されていた私の旦那様。
4年前、街でも悪い噂で評判だった元うちの店の従業員だった女性と不倫関係を始めるまで、
誰も、彼に隠されたダークサイドがあったことを知りませんでした。![]()
7人兄弟の長男、
貧しいメキシコの山奥で生まれ育ち、
身代金のために人質に取られた経験もある彼。
強い意志の力で自分の感情や本当にやりたいことを我慢して
周りの人の理想、義務や責任のためにいきる、
怒りと恨みを溜め込む人生を小さいころからずっと生きてきていたのでした。
丸4年かかりましたが、週に1,2日家に帰ってきてくれる彼は、
本当に、本当に優しくなって、4年前の悪魔の目つきから、
今は目から愛がにじみ出るようになりました。
街を歩くときも手を繋いでくれて、
一番いいレストランを選んでくれて、お姫様扱い。
家にいるときはお皿洗い、マッサージまでしてくれて、
私の夫婦仲修復は達成されたのです。
ただ不倫相手との関係だけはやめられない。
まるで彼の不倫関係は、
彼が生まれてから初めて手にした、
他の誰のためでもない自分だけのためという彼の自由の象徴。
小さいころからずっと
義務と責任のために怒りと恨みを彼が心にため続けてきたように、
私と彼の結婚関係が続く限り、
「結婚」に付属する義務と責任の概念が、
彼の中で怒りと恨みの根源として残り続ける。。。
今回私は結婚という枠を超えた愛を育むことを選びました。
しかし、離婚は彼に私の恨みと怒りの表れとして受け取られてしまい、
数日後に顔を見せた彼の目が4年前の恨みと怒りに満ちた悪魔の目に変わっていました。![]()
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「どうせ俺はみんなの犠牲になるために生きているんですよ。
やってやるよ、てめーが頼むんなら。てめーのために犠牲になるだけの人生だから。」
そんな死んだ目をして、子供たちの面会に会いに来ました。
「こんなに丸4年かけて、良くなったのに、
また彼を傷つけることをしてしまった。
」
涙が止まりませんでした。
「いつも手をつないで歩いてくれてありがとう。」
彼が私に表してくれる愛に対しての感謝を一つ一つ
、
「あなたの与えてくれる愛をいつも適当に扱ってきてしまってごめんなさい。」
そして謝罪を一つ一つ🙇
泣きながらメッセージで送りました。
離婚という私の人生の新しい出発。
4年間積み上げたものが全て崩れ、
一からの始まりとなりましたが、
何もないところから、コツコツと、
今度は、
結婚という枠を外した関係の中で、
象徴を必要としない真実の愛でつながった関係を築いていきたいです。
自分の中のネガティブな感情に向き合いながら、
主人の中の私の完璧な罪のない姿を見つめ続けていきたいです![]()
L161 (本文通りではありません)
聖なる神の子よ、私にあなたの祝福を与えて下さい。
今日は今までとは別のやり方で練習。
自分たちの怒りに対して断固とした態度で臨むので、
怖れは消えて、愛に道を開けるだろう。
ここでは救いはきょう練習するアイデアの中に簡単な言葉で述べらえている。
ここに誘惑に対する答えがあり、
その答えが、以前は怖れと怒りが勝っていたところへ
必ずキリストを迎え入れる。
ここで和解は完結され、
この世界事犯違いなく通り過ぎ、
今や天国は取り戻される。
これがH.S.の答え。
完璧に抽象的であることが心の自然な状態。
ところがいまその一部は、自然の法則に反している。
その部分は全てを一つだとは見ていない。
その代わりに全体のうちの断片だけを見ている。
こうすることによってのみ、私の見ているふかんぜんなせかいをつくりだせるのだから。
見ることの目的=私が見たいものを私に見せること。
聞くということ=私の心が聞きたがっている音をわたしのこころにもたらすだけ
このようにして具体的なものが創られた。
だから私たちは具体的なものを使って練習する必要がある。
それらをH.S.に引き渡せば、
自分たちが与えた目的とは異なった目的のためにそれらを用いてくれるだろう。
その上、私たちが創りだしたことだけを使って、異なった視点から教えてくれるので、私たちはあらゆるものに異なった使い方を見出せるようになる。
一人の兄弟とは兄弟全員のこと。
どの心もすべての心を含んでいるので、どの心も皆一つ。
それこそが真実。
しかしこれらの思いは想像の意味を明らかにするか?
これらの言葉は完璧な明晰さを私にもたらすか?
それらは意味のない響きにしか感じられない。
聞こえよく、趣旨は正しく思えても、根本的に理解されていないばかりか、
理解不能と信じられている。
具体的に物事を考えることを自らに教えた心には
もはや心は全てを含むという意味での抽象的概念を把握することはできない
私たちは多くのことに気付けるようになるために、
ほんの少し確か見てみる必要がある。
自分たちの自由を制限し、自分たちを苦しめ、
最終的には命をしなわせるようにしているのは体のように思える。
でも体とは、怖れが具体的な形となったものに過ぎない。
象徴のないおそれは何の反応も求めない。象徴は無意味なものの代用になることができるだけ。
愛は真実なので、象徴を必要としない。
でも恐れは虚偽なので、具体的なものに結び付く。
体は攻撃するが、心は攻撃しない。
これがりゆうで体はいともたやすく、怖れの象徴になる。
私は何度も体を超えてみるようにと頻繁に促されてきたが、
それは、体の目はキリストのビジョンが捉えない愛の敵を象徴するものを見せるから。
体は攻撃の標的、誰も実は自分の心を憎み攻撃しているとは考えられないから。
でも、心以外に体に攻撃することを指図するものがあるだろうか?
怖れを思いつくもの以外に、怖れを宿すことができるものがあるか?
憎しみとは具体的なもの、そこには必ず攻撃される何かがある。
敵は触れてみて、聞くことができ、最終的には殺すことのできる形で知覚されなければならない。
憎しみが何かに向けられたとき、それは神の声が
死は存在しないと公言するのと同じくらい確実に、
死を要求する。
怖れは貪欲で、目にするものをことごとく使い尽くし、
あらゆるものにそれ自身を見出すので、自らに襲い掛かって破壊するよう駆り立てる
兄弟を体とみなすものは、その兄弟を怖れの象徴として見ている。
だから攻撃しようと試みるが、
その人が見ているものとは、彼自身の外側にある自分の怖れであって、
その恐れは今にも彼を攻撃しようと身構え、
再び彼のもとに戻ろうとうなり声をあげている。
投影された恐れが必ずひきおこす激しい怒りを取り違えないようにする。
それは怒りのあまり金切り声を上げ、
自らの制作者に対して、その人を滅ぼしたいという狂乱した望みを抱いて
必死にもがいている。
体の目は天国が慈しみ、天使たちが愛し、神が完璧に想像された存在の中にこんなことを見ている
キリストのビジョンにはその人の素晴らしさがこの上なく神聖で美しい形で映っているので、
私はその人の足元に膝まづかずにはいられない。
でも私はそうする代わりにその人の手を取る。
その人をそのように見る目からすれば、わたしはその人と同じように見えるから。
その人を追う激することは私に対する敵対行為。
私はその人の手の中に自分の救いがあるとは自覚していない。
その人にこれだけを頼む。そうすればそれを与えてくれる。
私の怖れを象徴化しないようにとその人に頼む。
私は愛に愛そのものを破壊してほしいと頼むつもりか?
それとも、愛に姿を現してもらって、私を解放してもらうつもりか?
キリストのビジョンに到達しようと先進するなら、私はきょう成功する。
一度成功したら、自分の体の目が指さす承認を受け入れようとはしなくなる。
私が見るものは私の覚えている大昔の美しい旋律を高らかに歌い上げる。
天国では私は忘れられていない。
それを思い出す。
一人の兄弟をその他の全ての兄弟たちの象徴として選んで、
その人に救いを求める。
まずできるだけはっきりと、私が慣れている同じ見方で見る。
その人の顔、手、足、服装を見、微笑みをじっと見つめ、
その人の良くする見慣れた仕草を見つめる。
そうして、
「私が見ていることが私の罪を全て赦せる人を見えなくしている。
その聖なる手は私の手を突き刺しているくぎを取り除けるし、
慈雲の血まみれの頭にかぶせている茨の冠を取り外すことができる。」
「聖なる神の子よ、私にあなたの祝福を与えて下さい。
私はあなたをキリストの目で見つめ、
あなたの中に自分の完璧に罪のない姿を見ることにします。」
するとキリストは、私が呼び掛けた神の子に応えてくれる。
というのも、キリストは私のうちに神の声を聴き、
わたし自身の声で答えてくれるから。
私は単なる肉と骨として見ていたその人を今こそ見て、
キリストが私のところに来てくれたことを認める。
これが、怒りと怖れから私を安全へと逃れさせてくれるのが今日のアイデア。
兄弟を攻撃しそうになり、
その人の中に自分の怖れの象徴を知覚したなら、必ずそれをすぐに使う。
そうすればその人が即座に
敵から救い主へ、悪魔からキリストへと変わるのが分かる。
今日もお時間を取って私のブログに足を運んでくださり、
このように私と繋がって下さって、
本当にありがとうございます![]()
あなたとの出会いに心から感謝です!
メキシコから愛をこめて、Sofia![]()