奇跡のコース L.158 今日、私は受け取りながら与えることを学びます | 奇跡の夫婦仲改善ヒーリング

奇跡の夫婦仲改善ヒーリング

5年前パートナーシップに問題が生じて初めて本当の自分に出会う旅を始めました。 「今の自分が一番好き」って今なら自信をもって言えます! 新良妻賢母のすすめ、奇跡のコースをベースとした私の毎日の気付きを綴っていきます。

皆さん。いかがお過ごしですか?

 

奇跡の夫婦仲改善カウンセラー、Sofiaです。音譜

 

 

ところで、皆さんは「奇跡のコース」という名前をお聞きになったことはあるでしょうか?

 

 

超絶スピリチュアルなので、今までアメンバー限定記事とさせていただいてきましたが、

私の夫婦関係改善においてなくてはならなかった大切な要素なので、

今日は皆さんと少しシェアさせてください。ニコニコ

 

 

私は今まで、理想を理論で語る、心ない人でした。

例えばもし私が癌になったら、

「みんなの希望になれるように、何とかしてがんを直そう!」と思うと思うのです。

強い意志と理想があれば願いはかなうのだ!みたいな。。。。

その背後の感情のほうは置いてきぼりで。。。。ガーン

 

 

主人との関係においても、

「主人の不倫関係は、どこからどう見ても健康的じゃない。

自分のできるすべてをすれば、必ず主人は戻ってくるはず。

そして、私は私と同じように苦しんでいる人の希望になるんだ。。。」

(教科書的な正解というかなんというか。。。今まで傷つけてきてしまった皆さん、本当にごめんなさい。)えーんえーんえーん

 

 

 

しかし、どんなに理想と夢を掲げても、どんなに努力しても、

「一対一の幸せな結婚」という私の理想は成し遂げることができませんでした。

いや、もしかしたら、これからも頑張り続けたら成し遂げられるのかもしれません。

 

 

けれど、今回あえて、「離婚」という形を選んだのは、

結婚よりももっと大切なものを私が手にできたと思うからです。

 

 

 

今日の奇跡のコースのレッスンは、

レッスン158

 

 

「今日、私は受け取りながら与えることを学びます。」

 

https://ameblo.jp/yasukoworkbook/entry-12595819423.html

 

眠ることも、食べることもままならず、

日々泣きくれた、

苦しくて、もがいて、先が見えなかった

主人の不倫が判明したあの時から、

もう今月で5年目。

 

 

 

父と子が一つであるという啓示(愛、安らぎ、完璧な信頼とでもいえましょうか?)は、

時が来れば全ての人の心にやってくるもの。

誰もそれを教えることはできないし、

たとえまだその人が踏み出していなかったとしても

その人はすでにその道にいて、

その時すらも、もうすでに定められている。

だれも、偶然に道を歩きはじめることはないこの旅路。

例え教師でさえも教えることはできないし、学ぶこともできないもの。

 

 

 

離婚という選択をして

心にぽっかり穴が開いた気もします。

寂しさもあるし

不安もあります。

 

 

 

でも私も、主人も、お互いにもうその旅路にいて、

真実に出会う時すらも、もうすでに定められていることだから大丈夫。グッド!

 

 

 

 

私は、これからも、主人の中に、

そして私と出会う人の中に、

自分自身を映し、

光を見続けていきたいですキラキララブラブ

 

 

 

私が手にできたものは、

1つ目は、主人が毎回家に帰ってくるときにみせてくれる、

罪悪感や怖れをはるかに超えた

彼の、私と子供達に対する、愛のあふれるまなざしです。

 

 

 

そして、もう一つは、

世間常識や理想、善悪の判断よりも、

お互いの気持ち、

主人のお相手さんを愛する気持ちと、

私の1人の女性として愛されたい、という

その“気持ち”の方を大切にしたいという思いです。

 

 

 

 

不安や空虚感は、

H.S.に埋めてくれるように、頼みますビックリマーク^^

 

 

 

 

レッスン158 (本文通りではありません)

 

「今日わたしは受け取りながら与えることを学びます。」

 

私が与えられてきたもの。

 

それは失うことなどできない知識として、

私と、また全ての命あるものに与えらえている知識であり、

この知識によって私たちは生きている。

 

 

その知識とは、

私は愛から想像されたので、

神の心のうちにあって、完全に心であって、

永遠に罪がなく、まったく恐れがないということであり、

また、自分の源を去っていないので想像されたままの姿であるということ。

 

私はこれらすべてのことを受け取っていて、

この世界を歩いているものでこれを受け取っていないものはいない。

 

この知識は想像が与えたものなので、

これは学ばれることでもないし、

また私が与えることもできない。

 

では私はきょう何を与えることを学ぼうとしているのか?

 

経験は直接分かち合われることはできないけれど、

ビジョンは共有することができるという昨日のレッスンのテーマ。

 

父と子が一つであるという啓示は、

時が来れば全ての人の心にやってくるものであり、

それは誰かが教えられるものではなく、それぞれの心自体ががその時をきめる。

また、それは個人の意思に任せられているように見えるが、

その時はすでに定められているものでもあり、

誰であれ偶然に道を歩きはじめることはない。

たとえまだその人が踏み出していなくても、

その人はすでにその道にいる。

 

時間とは、ただ一つの方向へ進んでいるように思わせるためだけのもの。

 

私たちは終わっている旅を始めるに過ぎない。

それでもその旅には、知りえない未来があるように見えている

時間とは、手品、手先の早業(ごまかし)、巨大な幻想であり

そこでは人影がまるで魔法にかけられたように行ったり来たりしている。

 

しかしそんな見かけの陰には変わることのない計画があり、

その台本はもう書かれている。

私が疑いを終わらせる経験をするときは、すでに定められている。

 

私たちは、旅路が終わったところからそれを振り返ってみて、

もう一度その旅をしていると想像し、

心の中でその旅で起こったことを反芻するに過ぎない。過ぎ去ったことを心の中で見直しているに過ぎない。

 

それは定められたときに、その人に現れただけであって彼がそれを学んだわけではないので、

教師は経験を与えることはできない。

 

でも、ビジョンは彼に与えられた贈り物であり、彼はそれを直接与えることができる。

なぜなら、キリストの知識は失われていないので、

キリストは、求めるものにあたえられるビジョンを持っているから。

 

父なる神の意思とキリストは、知識でつながっている。

そして、キリストの心もそれを見つめているので、

H.S.にみえるビジョンがある。

ここで、疑いと影とでできた世界が触れることのできない、H.S.に結び付けられる。

許しと愛によって神聖にされた静かな場所が、この世界の中に現れる。

ここで、旅路は終わるので、ここで、全ての矛盾が終わる。

 

学んだのでもない、教わったのでもない、

目に見えない経験がそこにある。

体験とは、学ばれることもなく、教えられることもなく、見られることもなく、

ただそこにあるのだ。

 

達成される必要のある事を超えているので、私たちの目標を超越している。

 

私たちにとって大事なのは、キリストのビジョンであり、

それは学ぶことで達成される。

 

キリストのビジョンの一つの法則。

体を見て、その体を神が創造されたことを間違いないということ。

肉体を肉体として見ず、肉体を神が創造された「子」と間違えることはない、ということ。

体を超えて光を見つめ、

触れることができるものを超えてアイデアを見つめ、

哀れな間違いや罪の夢から生じる怖れに満ちた思い(罪悪感)があってもなお、

ぼやけることのない清らかさを見ること。

 

それは分離を見ない

色あせることのない光だけを、

全ての人に、

あらゆる状況にすべての出来事に見る。

このことは教えることのできるもの。

達成したいもの全員によって教えられなければならないもの。

 

この世界はほんのわずかでも、これに匹敵する価値のあるものを与えることはできないとう認識、

このように一度自覚されたなら、決して消えることのない目標を定めるなどできないという認識を必要とする。

 

今日わたしが与えること、

それは、

誰のことも体だと見なさないということ、

その人を彼が本来そうであるところの、「神の子」として迎え

神聖さの中で、その人が私と一つであることを認めること。

 

キリストのビジョンは全ての罪を見過ごす力があるから、

こうしてその人の罪は許される。

キリストの許しの中で、罪は消え去る。

キリストの目に罪は止まらないので、

ただ姿を消す。

罪を超えたところにある聖なるビジョンが罪にとってかわる。

罪の形がどのようであっても、

いかに大きく見えても、

また罪によって誰かが傷つけられたように思えても、それらは問題ではない。

なぜなら罪はもうないから。

そして罪の影響だと思えていたことはみな、罪と共に去り、

取り消されたので、もう二度と生じることはないし、今後影響を及ぼすことは絶対にない

 

こうして私は受け取りながら与えることを学ぶ。

キリストのビジョンは私のことも見つめています。

兄弟の中に私が見るのは私自身に過ぎないということを思い出せば、このレッスンを習うことは難しくない。

もしその人が罪の中で迷っているなら、私もそうであるに違いない。

私がその人に光を見るなら、私の罪は私自身によって許された。

今日わたしが出会う一人一人の兄弟は、キリストのビジョンを私の上で輝かせ、

キリストのビジョンに、神の安らぎを私に差し出させるためのもう一つの機会を提供してくれる。

いつ啓示が訪れるかは重要なことではない。それは時間とは関係のないこと。

それでも、時間はまだ与えられる贈り物を一つ持っている。

それは神の知識が正確に反映し、

そのイメージは目に見えない神聖さを共有し、

その類似性は、その不滅の愛と共に輝く。

 

私たちはきょう、キリストの目で見ることを練習する。

私たちが神聖な贈り物を与えることで、

キリストのビジョンは私自身も見てくれるでしょう。

 

今日わたしは受け取りながら、与えることを学びます。

私はきょうキリストの目で見ることを練習します。

 

 

 

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今日も私のブログにあしを運んでくださって、

本当にありがとうございます。ハート

 

これからも、どうぞよろしくお願いいたします!爆笑

 

 

 

愛をこめて、Sofiaラブラブ