自分の思い通りにしたい。
何かを自分の思い通りにコントロールしたいからだ。
そして、人を批判したり攻撃するには自分にとって都合のいいような大義名分が必要になる。
誰かを悪者にする事で自分は正しい事を証明しようとする。
でも、力尽くでは何も変えられない。
人を攻撃して得られるのは傷を受けた相手の憎しみ、悲しみだけだ。
自分の心の傷…痛みを他のものですり替えても自分の心の痛みはもっと深くなる。
憎しみは更なる憎しみを生む。
どんなに自分の中に痛みがあっても、自分でそれを乗り越えなければいけない。
それを乗り越える力が全ての人にあるんだから…。
人や周りのせいにして、非難したり攻撃していたら永遠にこの世に平和は訪れない。
昨日は色々書いたけど、書けば書くほど伝えるのが難しくなって読んだ人がわかりにくいだろうな~と思いながら結局ほとんど消してしまった…。😅
本当に伝えたい想いは中々上手く言葉にできないのかもしれないね。
(昨日の記事読んでくれた方、少し書き直しました。m(_ _)m)
~平和を求める祈り~
(アッシジの聖フランチェスコ)
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
(この祈りの中の自分を捨てて死に、永遠の命をいただく…と言う言葉は一般的には違和感があると思う。
意味がとても深くて、目に見える肉体の死を指しているのではなくて、私達は元々「魂」で永遠に死なない存在だと言う事を思い出し、本当の自分に目覚める事を示している言葉だと私なりに理解した。)


