生い立ちの記・NO5「家族の絆~弟編~」 | ☆ソフィア・エムートの部屋☆

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私達は人間としての体験を
味わう為にここ(地球)に来た素晴らしい魂です。

本当の自分を思い出す事で、
自分の無限力に目覚めていきます。

魂の仲間として色々と分かち合いたいと思います❣️

私の家族は本当に仲がいい。
母、義父、弟、義妹、長女、次女、私…。

家族の誰かに何か起きたら、すぐに駆けつけるし、助け合い支え合う。
誕生日や記念日などのお祝い事は必ずやる。

人はみんな「何でそんなに家族が仲がいいんですか?」 と不思議がる。

多分、何故かと言うと
私達は家族がいるのが当たり前だと思っていないからだと思う。

私は幼い頃から父が母に暴力を振るうことで、いつか母は私を捨てて何処かに行ってしまうかもしれないと言う恐れをいつも持っていた。

母が辛い思いをしている姿を見て育った私は余計な心配をさせたくなくて自分の気持ちを言えない子供だった。

私は私で幼い頃から色々あったけど、弟は弟で人には言えない苦しみがたくさんあったと思う。

現在、弟は小さいながらも土建屋の社長になって従業員も10人位使えるようになった。
でもここまでくるのは本当に長い道のりだった。

弟は私と歳が離れている事と、母が一人で働いて忙しかったので、私が友達と遊びに行く時も、必ず弟を背中に背負わされておんぶして私が弟の面倒をみなければいけなかった。

私は何処に行くにも、弟をおんぶしたり抱っこしたりして、自由に遊べなかったから「お化けが出るぞ~」とか怖がる事を言ってはよく弟を脅かして泣かしていた。

父が弟が物心がつく頃には2号さんの家にいて家にいなかったので、弟は父の愛情を知らないで育った。

小学校1年~6年生まで弟は父の弟(叔父)の所に預けられて、厳しいしつけ(ある意味では虐待)のもとで育てられた。
弟は今までの抑圧していた感情を爆発させるかのように中学に入った頃には不良のトップレベルになっていた。

母の忍耐と努力のお陰で高校は何とか卒業したけど、あらゆる悪さをやり尽くしその後辿り着いた場所は父と同じヤクザの世界だった。

20代前半まではとにかく喧嘩、喧嘩で私と母は
本当に心配させられた。

でも、数年経ったある時弟は足を洗って一から出直す覚悟を決めた。

小さい頃から空手や柔道をやっていて人より腕力が強かったが、気持ちは優しい子だった。

最初から、ヤクザには向いてない。
無理な事をしていただけで本当は自分も苦しかったのだと思う。
とは言っても、そんなに簡単に「はい、そうですか」と足を洗わせてくれるはずもなく、昔の映画のように指をつめて終わりと言う事でもなく、結局生まれ故郷を捨てて生きなければいけなくなった。

弟はまだ23才位だったかと思う。

組の人間に捕まったら大変な事になる…。
とにかく早く逃がさなくては!

夜中に軽トラに少しの荷物を載せて、弟は「じゃあ、行くから」そう言った。

私は結婚していたが、貧乏のどん底にいて弟に持たしてあげるお金もなく、あり金全部で4~5万しかなかった。
なけなしのお金を弟に渡し、「生きていれば又必ず会えるから、頑張って生きるんだよ!」そう言いながら私は泣くのを必死に我慢した。
(もしかしたらもう会えなくなるかも…)心の何処かでお互いにそう思っていたかもしれない。
弟も必死に泣くのを我慢していた。

それから数年間、弟は誰も知らない土地で一人で人生をやり直そうと必死で働いた。
お金も知り合いも何もない弟にとっては試練の連続だったと思う。(続く)