もう20何年も前にヴィクトール・E・フランクル著の『夜と霧』を読んだ。
私自身その頃は地獄のような毎日を生きていたのだけど、この本を読んだ時には衝撃が走った。
強制収容所の悲惨で残酷な実態を知って、何とも言えない気持ちになった。
当時は前夫が借りた借金の取立てに毎日ヤクザが押しかけて来る毎日で、働いたお金はすべて取り上げられてしまうので子供達には満足な食事も与えられないような酷い生活をしていた。
前夫は小さな事業をしていたけれど、色々なことがすべて裏目に出てまったく収入が得られなかった。
私は朝から夜中まで働きたかったけど、姑の看病、義理祖父の介護をしながらでどうにも身動きが取れなかったので、時間の合間を縫って化粧品や下着の販売などをしていた。
ある時次女の手がグローブのようにパンパンに腫れて治らない。
あまり痛がるので病院に連れて行くと、「栄養失調です。お母さんもう少し栄養のある物を食べさせてあげないと治りませんよ。」と言われてしまった。
情けなかった。
恥ずかしかった・・・。
(外には食べ物が有り余って捨てている人達もいるのに、私は子供達に満足な食事も与えられない・・・。)
毎日の借金の取立てにおわれて財布の中はいつも1000円位しか入っていなかった。
自分の無力さに泣いた・・・。
この日を境に私は決心した。
もう二度とこんな惨めな思いはしない!
絶対に私は子供達と自分の力で幸せになってみせる!
どんなことがあっても子供達に惨めな思いをさせたくない!
私は翌日から子供達に美味しい食事を与えられるように時間がある限り朝でも夜中でも無我夢中で働いた。
その頃に出逢った衝撃的な本が『夜と霧』だった。
その本によって私は人間の弱さ、残酷さも嫌と言うほど味わった。
置かれた状況によって人間は悪魔にも天使にもなれる。
辛く悲しい現実があった。
でも、そこから希望の光も見出すこともできた。
どんな過酷な絶望的な状況にあっても、決して希望を捨てずに人間の尊厳を失わずに最期まで生き抜いた人たちもいたと言うことに私自身が救われた。
自分の苦しみが小さなものに感じられた。
苦しいことばかりで感謝するものなど何もないと思っていたけれど、本を読み終わった時には、今の自分にもたくさんのものが与えられていることに気づかされた。
毎日2~3時間の睡眠時間でも働ける体を与えられていること。
たとえ古くても雨風を凌ぐ家があること。
お風呂にも毎日入れる。
車も運転できる。
自分の布団がある。
毎日食事がとれること。
何よりも最愛の子供達がいてくれること。
母や弟がいてくれること。
感謝すべきことはたくさんあったことに気づき、私は知らないうちに咽び泣いていた。
今年の8月に発行された『100分de名著 フランクル 夜と霧』の中から抜粋
p32~
どんな人生にも意味がある
「何か」があなたを待っている
どんな時も、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
あなたを必要とする「誰か」がいる。
そしてその「何か」や「誰か」はあなたに発見され実現されるのを「待っている」。
「何か」があなたを待っている。
「誰か」があなたを待っている。
私たちは、常にこの「何か」「誰か」によって必要とされ「待たれている」存在なのだ。
だから、たとえ今がどんなに苦しくても、あなたはすべてを投げ出す必要はない。
あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か、人生に「イエス」と言うことができる日が必ずやってくるから。
いや、たとえあなたが人生に「イエス」と言えなくても、人生のほうからあなたに「イエス」と光を差し込んでくる日が、いつか、必ずやってくるから。
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