エリートの道をひたすら歩んできたある男性は、リストラで仕事を失い、その後色々と仕事を探し続けたが仕事に恵まれずノイローゼのような状態で私の所に来た。
疲れ果てた様子で私に今までの状況を話し終えると「もう生きるのに疲れました。頑張っても認めてもらえず働きたくても仕事がないんです。生きることに疲れてしまって…。
家族もいないし生きていても何も楽しいこともなくて死ぬことばかり考えてしまうんです…。」
私はその男性がここまで来るまでにはかなり苦労されたことは十分わかっていたけどそれを承知の上でわざと強い口調で話し始めた。(彼の魂が目覚めるように・・。)
『あなたは今はもう疲れて死にたいと言うけど、それはあなたがまだ死ぬ心配がないからです。
もしあなたが何かの病気で半年の命だと宣告されたら、多分死にたくないと思うでしょう?
人はいつまでも生きていると思うから、死にたいなんて簡単に思うけど、自分がもうすぐ死ぬんだと宣告されたら必死で生きたくなるものですよ。
生きたいとか死にたいとか選べるうちは幸せです。
飢餓に苦しんで今日食べるご飯も飲む水もない人達は生きたくても生きれないし、誰も自分から死にたいなんて思わないから・・・。
彼等は生きることに必死で死にたいなんて言う選択肢が最初からないからです。
仕事を探し続けたと言うけど、自分が気に入った仕事を選んでいるからなかっただけで選ばなかったらいくらでもあったでしょう?
あなたのプライドが邪魔しているんです。
人間死ぬ気になったら何でもできます。
頭だけ使って汗水たらして働こうとしないから仕事がないんです。
エリート意識を捨てて、肉体労働したり、屋台を引いたり、トラックの運転をしたり何かできることに挑戦してみたらどうですか?
やるだけやってそれでも駄目ならその時に生きるか死ぬか考えればいいでしょう?
焦って死ななくても、必ず私達は死ぬ時には死にますから、大丈夫です。
私は今元気に毎日暮らしていますけど、前にガンだと言われた時初めて「死」と言うことが自分に無関係じゃないことを思い知らされました。
それまで私は夫の蒸発や、離婚、事業の倒産、事故による怪我や数多くの病気を経験していたので、さすがにもうこれ以上の試練はこないと勝手に安心していました。
でも、実際に命に関わる病気を経験した時に色々と本当に考えました。
運が悪かったら私は声帯も失っていました。
声を失うことは私にとっては大変なことでした。
でもお蔭様で甲状腺を全部摘出することで助かりました。
今、こうして生きていること。
目が見えて、話しができて、耳が聞こえて、歌うことができる…。
手が動いて、足が動くこと。
走れたり踊れること。
それらすべてが奇跡ですよね。
私は自分がガンだと告知された時、それまでの悩みが取るに足らない小さなものに思えました。
人が何を言ったとか、人に何をされたとか、何でそんなことで悩んでいたんだと気づきました。
病気になったことで世界が変わりました。
自分が本当に生きるか死ぬかと言うレベルになったら、大体のことは大した問題ではなくなります。
その時、私は何もいらないと思いました。
二人の娘達と一緒に生きて行けるなら他のものは何もいらない。
そしてもしまだ私がこの世に必要だと思われるなら生かして下さい。と神に祈りました。
手術は成功して私は今、こうして生かされています。
だから、あなたも生きて下さい。
神様が「ここまでよく頑張ったね。お疲れ様!」と言ってくれるまで絶対に自分で勝手にあきらめないで下さい。』
私が話し終えた時、その男性の顔は涙でグショグショでした。
でも、来た時とはガラリと顔つきが変わっていた。
彼は「ありがとう。頭の中の霧が晴れました。あなたに会えて本当に良かった。
もう一度一からやり直してみます」と爽やかな顔になって帰って行った。
彼のこれからの人生が味わい深く素晴らしいものになることを心から祈りたい。

