悪性腫瘍で右足を切断しその後、腫瘍が両肺に転移した為、幼い子供を残して32才の若さで死ななければならなかった医師、井村和清さんの死の直前に記した詩です。
~あたりまえ~
こんなすばらしいことを
みんなは なぜ よろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって
足が二本ある
行きたいところへ 自分で歩いてゆける
手を伸ばせば何でもとれる
音がきこえて 声がでる
こんな しあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえ、だと笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ
そして 又 朝がくる
空気を むねいっぱいにすえる
笑える
泣ける
叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを
みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは
それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ…
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机の整理をしていたらこの詩が書いてあるノートが出てきた。
18年位前にこの詩を読んだ時に色々と考えさせられた。
当時は逆境の荒波に浮かんだり沈んだりしながら必死に生きていた私だけど、
そんな私にも手足がある。
走れる。
声も出る。
好きな所に行けるような自由はまったくなかったけど、
普通はあたりまえだと思えるようなたくさんのものが与えられていたのだと気づいたら感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして幼い子供を持つ親として、井村さんが愛する子供達を遺して死ななければならなかった気持ちを考えると泣けてきた。
どんなに無念だったか・・・。
自分の病気の辛さよりも何よりも子供の成長を見ることができない悲しさは言葉にできないと思った。
私は幸いなことにガンは早期発見で手術して完治しているので、お陰様でこうして今も元気でいられる。
毎日元気で仕事ができて、子供達と一緒に仲良く暮らしている。
それだけでも、幸せなことだと思う。
与えられている命を最期まで生ききった井村さんの最期の詩を読むとすべてに感謝せずにはいられなくなる・・・。
本当の幸せは目に見えない所にある。
私達は、様々な経験を通して、自分にとって何が本当に大切なのか?
本当はどう生きたいのか?
自分が本当に望む人生は何なのか?
余計な荷物を取っ払って真剣に見直す時期なのかもしれない。

