毛馬の地は淀川と旧淀川の分岐点に在り、カネボウの工場、社宅跡地に市営の住宅が建ち始めていました。
川風に当たりながら与謝野蕪村の句碑を読んでいると薮入りの子供が毛馬の土手を親元にお土産を背負って急ぎ足で通り過ぎる様が目の裏に映像で映ります。
この地で何とか理想とする支店を創ってみたいと思っていたことの「願」が叶い、
“毛馬支店開設”を命ぜられました。
取引先ゼロからのスタートで、3ヶ月で1000口座予約を獲得する目標でスタートしました。
最初の仕事は辞令に目を通すことからはじめました。
彼も含めて15人の略歴を見ながらあまりにも癖のありそうな行員ばかりなので、ついに笑いが出てしまいました。
どの支店も優秀な行員は自店から出したがらず、新支店用員はどうしても扱いにくい行員にお呼びがかかることが多かったようです。
新支店が完成するまでの仮住まいとしてカネボウ社宅の1軒を借り受け、活動を開始しました。
彼はかつて新長田支店在職中にやった、ローラー活動(マッチ、名刺のポスティング)を、新支店行員全員で開始しました。
新長田支店と違って10人以上のポスティングなので、ゆっくり住民と話ができました。
彼は普通預金口座開設一本にぴんとをあわせ、その口座に公共料金自動振替をセットにすることを目標として活動を開始しました。
目標が単純なことと、ゼロからのスタートなので成績は下がることがないことも手伝って、仕事はゲーム感覚でやれ、ひとくせ、ふたくせある行員が全員やる気になりました。
9時から5時までの勤務時間でしたが、全員が8時までに出勤し、午後10時過ぎまで仕事に励みました。
強制しないのに日曜、祭日も出勤する者画ではじめましたので彼は休日出勤禁止令を出しました。
女子行員は下宿や寮にいるより、担当地区で知り合った住民と世間話をしているほうが楽しいと言うのです。
まさに井戸端会議の味わいが、「軒並みの訪問活動」にあると言い始めました。
それは彼が以前感じたことでありました。
彼の担当は法人へのアプローチと新規に開設された普通預金(または総合口座)通帳のお届けでした。
次長や課長が手伝うと言ってくれましたが、通帳のお届けは最後まで一人でやりました。
おかげでテリトリー内では彼の顔をしらない住人は無く、彼は道行く人々に頭を下げっぱなしでした。
韓国籍の住人も多く、結婚式があると招待されました。
彼に踊りやチャンゴ(太鼓)を教えてくれる人があり、韓国人も驚くほどの腕前になりました。
これが毛馬支店の次に赴任した深江支店の女子行員慰安や、酒を飲まないことで一寸付き合いにくい彼のイメージを変える効果がありました。
辞令から3ヶ月後の毛馬支店開店時には2000口座の開設があり、開店祝いの花束で飾られたにぎわいが静まり、事務が無事終了すると、全員息が不規則になるほど心が高まりました。
本部各部長の祝電を次長が読み上げても
「もうええ、もうええ、」と言いながら全員が涙して握手を交わしました。
苦楽を共にするといいますが、苦楽を共にできた付き合いは格別なものがあります。
公園局に困る、と言われましたが、支店脇に記念の山桜を植えました。
ソメイヨシノと違った味わいのある花をその後数年、何度か見に行き、毛馬支店開店の喜びを再び味わいました。
企画部に戻りましたら、深江支店の不振を伝えられました。
頭取の話では深江支店前の道路越えに、住○銀行がオープンして以来、180億あった資金量が、80億まで減少したとのことでした。
1年で復元するよう指示され、深江支店に支店長として赴任しました。